相子智恵
生馬(いきうま)の身を大根でうづめけり 川端茅舎
生馬(いきうま)の身を大根でうづめけり 川端茅舎
『川端茅舎全句集』(2022.1 角川ソフィア文庫)所載
川端茅舎[1897-1941年]の全句集が、角川ソフィア文庫で出た。掲句はその中から引いた。新解説を宇多喜代子氏が書いている。〈茅舎の句の「凄味」は、おおよそ現実とは遠いことであっても、たしかに自分には見えたのであると「断定」するところにあるのではないか。〉とあって、この「見えて断定するまで」の心と目の動きを追体験できるのも、全句集の面白さだ。例えば掲句は次の大根引の一連として置かれている。
たら■■【二字踊字】と日が真赤ぞよ大根引
生馬(いきうま)の身を大根でうづめけり
大根馬菩薩面して眼になみだ
絃歌わく二階の欄も干大根
大根引身を柔かに伸ばしけり
大根馬かなしき前歯見せにけり
一句目、真っ赤な夕焼けの中、茅舎の目は大根引の帰り支度とその馬にズームしていく。
二句目、馬の背には大根が背に振り分けてぎっしりと積まれ、馬は大根に埋もれてしまっている。
三句目、そんな馬の目は菩薩のように穏やかに、けれども眼には涙を浮かべている。
四句目では三味線の音が聴こえる田舎家の二階の手すりの干大根にふたたび視線を大きく取る。
そして五句目で大根引の男(であろう)に目をやる。男は疲れた腰をやわらかく伸ばしている。
そして六句目、最後にまた馬に戻り、大根の重みを背負ったその哀しい前歯にズームしていくのだ。
夕日の赤、大根の白、馬の目の黒、前歯の白と、色が移り変わり、耳には三味線の音が聴こえてくる。途中で大根引のゆっくりとした伸びが加わり、一方で大根の重みに耐えながら佇んでいる静かな馬の描写に、茅舎は感情を投影していく。まるで一本の静かなドキュメンタリー映画を見ているように、茅舎の作に合わせて、読者の心の目もしみじみと動いていく。茅舎の句は一句を拾っても緊張感があるが、こうして連作として見ると広がりも美しい。
宇多氏の新解説は「ぜひ、若い方々に、と思う。」で結ばれている。手に入れやすい文庫になったことは大変嬉しいことである。
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