浅草しのぶをとこ傾城 打越
なづみぶし飛立つばかり都鳥 前句
花夜となる月昼となる 付句(通算46句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、裏10句目。恋離れ。月の定座ながら13句目の花を引き上げて*春。
*月花=発句では風雅を表し、雑の扱い。連句では花をメインにして春に扱うが、一座一句が原則。なお芭蕉の〈
月と花比良の高ねを北にして〉〈
此島の餓鬼も手を摺る月と花〉〈
有明におくるゝ花のたてあひて〉等はいずれも歌仙・初裏の月をこぼし、花の座で花と結んでいる。
【句意】やがて*花見は夜となり、月見は昼となる。
*〈花も散るに歎き、月は限りありて入佐山〉『好色一代男』冒頭
【付け・転じ】打越・前句=男娼に遊女の恋情を向かいあわせた付け。前句・付句=「なづみぶし」を舟遊びの余興と見立て、浅草(隅田川)との打越を避け、遊興の有限性をもって転じた。
【自註】*三筋の色糸程、人の気をうごかせる、又なし。殊更(ことさら)夏川の舟あそび、むかしは*九間市丸を*三つまた・*両国ばしのほとりにさしよせ、簾ほのかに遠音の撥(ばち)に波の声立て、士農工商のわけなく、思ひ/\の夕涼み、夜とも昼とも酒にわすれて現(うつゝ)にうかれたるありさま、此の川水に*命のせんたくと、身の養生しれる人のいへり。
*三筋(みすぢ)=三味線 *九間市丸(くまいちまる)=大型の屋形船。
*三つまた(三俣)=隅田川の分流点にして月見の名所。 *両国ばし=納涼の名所。
*命のせんたく(洗濯)=諺。日頃の苦労を忘れるための保養や気晴らし。
【意訳】三味線の音色ほど、人の気持ちを動かすものはほかにない。とりわけ夏の舟遊びに、昔は九間市丸を三俣や両国橋の辺に寄せ、簾を掛け、ほのかに遠音の撥の音に波の声をたてて、士農工商の身分の隔てなく、思い思いの夕涼み、夜も昼も酒に忘れて夢うつつに浮かれたありさま、(それは)この隅田川の水で「命の洗濯」をするのだと、心身の健康を心得た人が言った。
【三工程】
(前句)なづみぶし飛立つばかり都鳥
両国ばしのほとりに遊び 〔見込〕
↓
夜とも昼とも酒にわするゝ 〔趣向〕
↓
花夜となる月昼となる 〔句作〕
「なづみぶし」を舟遊びの余興と見立て〔見込〕、どのような様子かと問いながら、昼夜を分かたぬ有りさまに着目し〔趣向〕、月の座に花を引き上げ、月花の有限性を詠んだ〔句作〕。
●
月の座に花を引き上げるなんて鶴翁もやりますね。
「そやで、蕉翁はなんやら出なかった月を花の座で拾うてるだけやけどな」(ドヤ顔)
でも鶴翁も〈*云ひぶんを分けておかるゝ月と花〉とか〈*月に花ちらする銀を当座借リ〉とか、花の座で月を拾ってますけど。
「……そやったか。……昔のことは忘れたがな」(渋面)
*云ひぶんを=「独吟一日千句(第九)」1675年。
*月に花=「大矢数(第十六)」1681年。