2019年5月31日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






時々は覗いてあげる古い井戸

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

我が家には古い井戸がある。もう半世紀以上使っていない。埋めてしまおうという話もあったが、震災を経験して、水の貴重さ、断水の不便さを考えて、そのままにしてある。しかし、普段はそこにあることすら忘れている。

生家にも井戸があった。庭に片隅あり、危ないから近づくなと言われていた。こっそりと行って、覗くと自分の顔が映る。水面のゆらゆら感は妖しく、怪訝な顔で覗いているので、もちろん、怪訝な顔の私がいる。そこには日常とは明らかに違う異界があった。

掲句の「古い井戸」は比喩だろう。忘れているものなのか、異界なのか。それ以外のものなのか。なににせよ、それらは覗いてあげなくてはならないものなのだ。「杜人」(261号 2019年刊)収録。

2019年5月30日木曜日

●木曜日の談林〔山口素堂〕浅沼璞



浅沼璞








目には青葉山ほとゝぎす初鰹     素堂
『江戸新道』(延宝六年・1678)

著名な発句だが、初出年や作風から推して談林のカテゴリーに入る秀吟。

周知のように、これは鎌倉の名物づくし。目には青葉の色、耳には山ほとゝぎすの声、口には初鰹の味、と初夏の風物を視覚・聴覚・味覚で愛でている。

〈耳には〉〈口には〉が省略されているのは談林のいわゆる「抜け」という省略法である。



まずは上五&中七から。

〈青葉〉〈ほとゝぎす〉は初夏の風物詩として古くから和歌に詠まれた雅語(歌語)。
よく例示されるのは、〈ほとゝぎす聞く折にこそ夏山の青葉は花に劣らざりけれ〉(山家集)という西行の歌である。

いわば〈ほとゝぎす〉と〈青葉〉は本歌取りによるバランスのとれた伝統的な取合せとしていい。



つぎに中七&下五。

〈ほとゝぎす〉とおなじ初夏の景物でありながら、商品経済における初物〈初鰹〉が俗語として配されている。

伝統的な雅語(竪題)に当世の俗語(横題)を配す、そんなアンバランスな滑稽味によって意表をついているわけである。



これらを連句の「三句の渡り」の観点でとらえ直せば、雅語どうしの付合(二句一章)から、雅語・俗語の付合(二句一章)へと転じているということになる。

つまりは「三句の転じ」がなされているわけだ。



後年(元禄四年・一六九一)、芭蕉も似たような発想で〈梅若菜まりこの宿のとろゝ汁〉と初春の景物を雅語/俗語で愛でているのは周知のとおりである。

〔素堂は談林期から芭蕉と親交があり、蕉風確立にも影響を与えたといわれている。〕

2019年5月27日月曜日

●月曜日の一句〔川口正博〕相子智恵



相子智恵







遁走の蜥蜴に重き尻尾あり  川口正博

句集『たぶの木』(ふらんす堂 2019.4)所収

「蜥蜴の尻尾切り」という慣用句がある。不祥事などが露見した時に、上の者が下の者に責任をかぶせて、追及から逃れることだ。今でもワイドショーなどで、この言葉を聞くことは少なくない。それほどまでに蜥蜴が尻尾を自ら切り捨てて逃げることはよく知られている。実際に見たことのある人はそう多くはないとは思うのだが。

掲句、〈重き尻尾あり〉は確かに外側から見た写生なのだけれど、その「重さ」を感じるのは、実際には尾をもつ蜥蜴だけだ。だから〈重き〉と言われたとたんに、私達は蜥蜴の心境に同化することになる。

いつ尻尾を差し出して敵の目をくらますか。それともこの尾を保ったまま逃げおおせるのか。遁走中の蜥蜴の逡巡が、自分のことのように思えてくる。実際の重さだけでなく、蜥蜴の心中に占める尻尾の重さは、今とても重い。

しかし実際のところ、自切する動物にとって、自切する部分はあらかじめ切り離すことを想定して、切り離しやすい構造にできているらしい。蜥蜴の尻尾は元々存在として「軽い」もので、もしかしたら、この蜥蜴にとって尾を切ることは、軽くたやすいことなのかもしれない。なんだか、現代日本の社会構造の縮図のようだが。

だから本当は、私達が同化したのは蜥蜴ではなく、尻尾の存在を〈重き〉と見た作者の心なのだ。自分の身の一部を切ることへの精神的な重さを描いた作者。その、命を見る目そのものの重さへの共感なのである。

2019年5月24日金曜日

●金曜日の川柳〔玉木柳子〕樋口由紀子



樋口由紀子






生も死もたった一文字だよ卵

玉木柳子

余分な心情表現はまったくない。強引な言い切り方で独得の空気感を漂わせている。「生」も「死」も「卵」もたった一文字である。しかし、一文字の漢字なんて他にもいっぱいある。これらを選択した意味はどこにあるのか。そして、わざわざ「一文字だよ」と述べる理由はあるのかと、掲句の前で立ち止まった。

「生」と「死」は両極である。それを「一文字」という共通項で括る。それを「卵」という「生」と「死」を併せ持つものに語りかける。卵に向けるまなざしを感じる。「生」と「死」を把握させ、一瞬とか、切実さや脆さや儚さを否応なく確認させているのだろうか。生も死もたった一度しか起こらないことだけが確かなことである。〈釦ひとつはずしてカゴメの輪に入る〉〈転ぶこと位は何度でも見せる〉〈風船になろうか妻よ青空だ〉 『砂の自画像』所収。

2019年5月20日月曜日

●月曜日の一句〔藤本夕衣〕相子智恵



相子智恵







木の影のまじはらずあり衣更  藤本夕衣

句集『遠くの声』(ふらんす堂 2019.3)所収

自然の雑木林や森ならば、枝や葉、幹の影同士が交わるようにたくさん木が生えているだろうから、街路樹か公園の木だろうか。杉などの人口林かもしれない。規模の大きさはわからないが、いずれにしても人の手が入って整然と並べられた木たちを思う。

木の影が交わらないのは寂しくもあり、すっきりと涼しげでもある。それは、夏服に衣更した時の涼しさと、その反面、慣れるまでは半袖や丈の短いボトムに手足が守られずに、心細くて寂しい感じと遠くで響き合っている。

〈木の影のまじはらず〉と言われると、自然に木の枝が思い浮かぶし、〈衣更〉では人の手足が思われてくる。一見、意外な取り合わせでありながら両者はどこか似ていて、美しく響き合っているのである。

2019年5月19日日曜日

●恐龍

恐竜

恐竜のなかの夕焼け取り出しぬ  あざ蓉子

恐竜には致死量の憂愁だったか  松本恭子

ひこばゆる彼の恐龍の頬骨に  三輪小春〔*1〕

恐竜の振り向いている桜かな   大口元通〔*2〕

春の夜やからだを通過する恐竜  渋川京子〔*3〕

いまは最後の恐竜として永き春  高柳重信

このまま死ねば宵つぱりの恐竜で春の日  加藤郁乎


〔*1〕三輪小春句集『風の往路』(2014年3月)≫過去記事
〔*2〕大口元通句集『豊葦原』(2012年12月)≫過去記事
〔*3〕『面』第124号(2019年4月)

2019年5月17日金曜日

●金曜日の川柳〔梅村暦郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






なにもなき街 なにもなく風通る

梅村暦郎 (うめむら・れきろう) 1933~

連休の二日間を広島の世羅高原のコテージで過ごした。なにもないところで、なにもしないで、なにも考えずに、ただぼっーとしてした。なにもなく風も通り、新緑の中の風は心地よく、「風薫る」とはこういうことなのだと思った。

そのときふと掲句を思い出した。この風は心地よい、お気楽ではない。虚しく、冷たい風だろう。街にはいろいろなものがあふれている。なにもないことはない。ただ、作者が必要とするものがなにもない。しかも、街も作者を必要としていない。生きている意味を問うているように思う。「風」はそのときどきで、それぞれの位置で、表情を変えて、別物になる。そんなことを考えていると風がひんやりと通り抜けていった。

2019年5月11日土曜日

●土曜日の読書〔翻訳のキモチ〕小津夜景




小津夜景







翻訳のキモチ

翻訳には言葉を数学的に思考する面白さがある。

考えに没頭して現実を忘れ、試行錯誤のあげく一周してシンプルな式に辿りつく、その瞬間がたのしい。また一度くぐりぬけた試行錯誤を公式化して別の翻訳に応用できる場合もあり、昔の翻訳本を読んでいてそんな公式と出会ったときは、ううむその手があったかと感動する。
「秋浦歌」李白
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
わが黒髪もしら糸の
 千ひろ/\に又千ひろ、
うさやつらさのますかがみ
いづくよりかは置く霜の、
なんと〈千ひろ×3〉で三千丈だ。訳者は忍海和尚。三千丈という言葉をきちんと訳し移した例を知らなかった私は、この「数を分解する」といったエレガントな解答例を自前の公式集にいそいそと書き込みつつ、こう思う。そういえば16歳のことを二八(にはち)と言うよなあ、そこから自力で発見できる可能性はあったんだ、と。

忍海和尚の訳は、大庭柯公其日の話』(春陽堂。なお中公文庫『江戸団扇』はこの改題復刻版)で見つけた。柯公といえばなんどもロシアで逮捕投獄され、日本社会主義同盟の創立にかかわったエスペランティストで、1924年にロシアで死亡したのだけれど、近年これは粛清されたと考えられているようだ。
近ごろ帝国ホテルでは、日本風に翻訳したメニューを時々出す。それにはアスパラガスを「新うど」としてある。中央亭の方では、それが支那風の翻訳だ。露国式ザクースカの事を「前菜」、スープが「濃嚢(のうかう)」に「淡嚢(たんかう)」、アイスクリームが「乳酪冷菓」と云たやうな塩梅だ。翻訳といふことも広い意味で云ふと文字の翻訳から、意義の翻案までを含んでよからう。例の発明翻案の天才平賀源内が、或時厚紙を三角の袋にして、その中へ糊を入れて、一方に小さな穴をあけて、押し出して使ふ万年糊を想い着き、それに「オストデール」といふ名を着けて、売り出させた。荷蘭(オランダ)ものゝ渡来、西洋ものの流行り始めたアノ頃としては、好個の翻案である。誰が云ひ出したことか、袴のことを「スワルトバートル」などゝ洒落たのも、此辺からの重訳であらう。
柯公がエスペランティストになったのはインターナショナルとの絡みよりも、むしろ生来の言葉好きが関係している。発明翻案というのも、デタラメにでっち上げるのではなく、オランダ風とか、漢語風とか、ちゃんと音を意識してつくると足腰が強くなりそうな遊びだ。漢語風で私が思い出すのは、山内容堂がジャノメ傘を「蛇眼傘(じゃがんさん)」と翻案したことで、これはとても風流。いっぽう柯公の本では、乃木大将が日露戦争の激戦区である203高地のことを「爾霊山(にれいさん)」とした例が挙がっていた。
「爾霊山」乃木希典
爾靈山嶮豈攀難
男子功名期克艱
銕血覆山山形改
萬人齊仰爾靈山
203高地は険しいが、なぜ登れないことがあろう。
男子たるもの功名のためには困難に打ち克つのだ。
兵器と鮮血とが山を覆い、その形を変えるほどの戦。
人々皆は仰ぎみる。爾(汝)らの霊の山を。
203高地=爾霊山=汝の霊の山か。たしかに「余程文字の素養があつたことが分る」と書かれるだけのことはある。翻案という所作は、外国語翻訳という枠を超えて、言葉の素養として深い広がりを持っているのだなあ。

広がりついでに書けば、実は号(ペンネーム)という所作にも翻案の精神は働いている。この話はまた今度書きたいのだけれど、さしあたり大庭柯公という号にのみ言及すると、これは「大馬鹿公」のもじりである。仏誤翻案風にいえば、さしずめマルキ・ド・クレタン、といったところですね。


2019年5月10日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕樋口由紀子



樋口由紀子






これからが躑躅やんかというときに

瀧村小奈生 (たきむら・こなお) 1962~

10連休の混雑をくぐり抜けながらあっちこっちに行った。花花が一斉に動き出したようで見事だった。藤に、こでまりに、ルピナスに、花水木に、などなどだが、今の季節の一番のお気に入りは躑躅だ。派手とは言えないが、あとでその華やかさに気づく。若い頃はそのよさがあまりわからなかったが、躑躅を見るとほっとする。

そんな躑躅が咲く、これからというときに、なにがあったのか。季節は一月ほど前のことだろうか。いやいやそんなことより、「なんやねん」とつい突っ込みをいれたくなる。「躑躅」の漢字の難しさだけを際立たせて、景がコトに、コトが景に、くるくると交互に回転する。目前に咲く躑躅とは違う、別の躑躅の世界を作り上げている。「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年5月9日木曜日

●木曜日の談林〔如見・西鬼〕浅沼璞



浅沼璞








衆道狂ひ京へのぼせて有りければ    如見(前句)
 東寺あたりの腕の生疵(なまきず) 西鬼(付句)
『天満千句』第六(延宝四年・1676)

トーハクの東寺展が話題のようだが、江戸の浮き世では弘法大師を男色の祖とし、東寺をその本拠地とする俗説があった。

(神仏の茶化しは西鶴にかぎったことではなかった。)

掲出の付合もその俗説によるもので、仏道修行のために息子を京へ行かせ、東寺近辺に住まわせたところ、若衆に狂って腕の生傷が絶えないというのである。

知られているように、衆道の誠の誓いとして、刀で傷つけあう腕引(かいなひき)と称する慣わしがあった。

「若衆」は言わずもがな、「かいな引」も『毛吹草』(重頼編、1645年)の俳諧恋之詞にあるから、これで恋の座となる。

親の愚痴から、息子の生傷へとズームするあたり、談林らしい付合だ。
「東寺あたりの」の大雑把なつかみも効いている。



追記 前句「(親が息子を)上京させて」の意に「(息子が都での衆道に)夢中になって」の意をうっすら掛けているようにも読めるとの由、編集人の若之氏よりコメントをもらいました。納得。

2019年5月8日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

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※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

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最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

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俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年5月6日月曜日

●月曜日の一句〔藤本一城〕相子智恵



相子智恵







笹の香の高き粽を解きにけり  藤本一城

句集『冬銀河』(角川文化振興財団 2019.1)所収

端午の節句に粽を食べるのは関西が中心のようだ。関東では柏餅のが定番で、私も昔から食べていたのは柏餅の方だった。粽は大人になって初めて食べた。

句意は明瞭。笹の香りの高い粽を手に取り、ぐるぐるとイグサの紐を解く。笹の香りがしっかりする粽というのは、何ともおいしそうだ。青い香りが夏の到来を思わせる。Kの音が響き、きびきびとした調子もよい。粽を描写して、ただそれだけで一句になる。これも俳句ならではの清々しさである。

2019年5月4日土曜日

●土曜日の読書〔夜の煙草〕小津夜景




小津夜景







夜の煙草

ある夜、うらさびれた田舎道を、母と手をつないで歩いていると、廃屋になった店の軒に「春宵一服値千金」と書かれた看板がぶらさがっていた。

「あれは漢詩のもじりなのよ」

母が言う。蘇軾「春夜」の「春宵一刻値千金」である。彼女はチェリー愛煙家で、ふだん「春宵一服タバコにしよう」なんてことを言いながら煙草を喫むのだ。

この「春宵一服タバコにしよう」という言い回しを、当時の私はなぜか開高健のコピーだと信じていた。たぶん母がそう言ったのだろう。実際は山東京伝の「煙草一式重宝記」なる報条(広告ビラ)を随筆に仕立て直した広告本『春宵一服煙草二抄』の読み下しから来ている。作者は京伝の弟・山東京山。

山東京伝は銀座一丁目で紙製煙草入れ店を経営し、グッズのデザインもすれば広告も作画するといった風に、江戸の煙草文化に多大な貢献をした人らしい。宮武外骨『山東京伝』に載っていた絵文字広告もこんなに可愛かった。


「当冬、新形紙御烟草入品々、売出し申候」。冬物新作コレクションか。この広告を目にしたら、ちょっとお店に行きたくなるかも。

とはいうものの、自分にとっての煙草は道具にこだわる遊びのイメージではなく、「春宵の一服」というこの上なく素敵なコピーのおかげで、夜空のすがしさとさみしさとを今でもまとっている。またそんなわけで昨日、なんとなく『富永太郎詩集』(思潮社)をひらき、
煙草の歌
阪を上りつめてみたら、
盆のやうな月と並んで、
黒い松の木の影一本……
私は、子供らが手をつないで歌ふ
「籠の鳥」の歌を歌はうと思つた。
が、忘れてゐたので、
煙草の煙を月の面(おもて)に吐きかけた。
煙草は
私の
歌だ。
という詩を目にした時も、一人酒では表現できないその明るさや自立した孤独を、甦るチェリーの甘い芳香とともに、とても親しい気持ちで味わったのだった。


2019年5月2日木曜日

●バケツ

バケツ

水打つや恋なきバケツ鳴らしては  大串 章

生きてきてバケツに蟻をあふれしむ  佐藤りえ〔*〕

蓋のない冬空底のないバケツ  渡辺白泉

転がりしバケツ冷たき二月かな  辻貨物船

火事跡のバケツの縁につもる雪  皆吉 司

たましいを抜かれバケツと非常口  鳴戸奈菜


〔*〕佐藤りえ『景色』2018年11月/六花書林