2019年11月30日土曜日

●土曜日の読書〔砂糖菓子と石〕小津夜景



小津夜景








砂糖菓子と石

先日、はじめてニースに来たというパリジャンの前でトレーズ・デセールの話をしたら、それほんとにフランスの習慣なの、聞いたことないんだけど、と怪訝な顔をされた。そうだよ、パリだけがフランスじゃないんだよ。ささやかなお国根性を胸のうちに認めつつ、わたしはそう返答した。

トレーズ・デセールは十三のデザートという意味で、クリスマス・イヴの晩ごはんのあとに食べるプロヴァンス地方の伝統食である。かならず用意するのはポンプ・ア・リュイル、白ヌガー、黒ヌガー、干しいちじく、干しぶどう、アーモンド、クルミまたはヘーゼルナッツの七品で、あとは花梨の羊羹、くだものや花の砂糖漬け、干しなつめやしの練りアーモンド入り、みかん、メロン、地元の銘菓などをみつくろって、とにかく十三品を食卓にならべるのだ。

ポンプ・ア・リュイルはバターのかわりにオリーブオイルを練りこんで焼き、粉砂糖をまぶした平べったいパンで、オレンジの花の蒸留水で香りづけがしてある。食べるときはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」よろしく手でちぎり(パンはキリストの身体ゆえ、ナイフで切るのはご法度らしい)、煮つめたワインにひたす。ヌガーはメレンゲに砂糖、ナッツ、ドライフルーツを混ぜて固めた南仏の郷土菓子だけれど、砂糖菓子を語るならば、わたしはくだものや花の砂糖漬けのほうがずっと食べたい。

よし。クリスマス・イヴのまえに砂糖漬けをもういちど復習しておこう。わたしはそう決めて、今日港に用事があったついでに、そこからすぐのところにある砂糖菓子のアトリエに立ち寄った。このアトリエは、昔ながらの製法でつくるところを目の前で実演してくれるのだ。

胃袋は四次元ではない。この誰しもが知るべき法則と照らし合わせつつ、物腰やわらかに相手をしてくれる店員の横で、わたしは今年のトレーズ・デセールになにを食べるべきかを吟味してゆく。店員は、美しい宝石のような、はたまた妖しい奇岩のような、色とりどりの砂糖菓子をじゅんばんに説明する。

「こちらはすみれの砂糖漬けです。砂糖の結晶が、アメジストの原石をイメージさせます」

なるほど。眺めるだけで心が安らぎ、浄化され、神聖な気持ちがやしなわれる点は、たしかに原石と向かい合っているときと変わらない。まったくなんという徳を有しているのだろう砂糖漬とは。

「で、こちらは砂糖をまぶしたベルガモットの飴」
「わあ。付け爪みたい」
「シュガーネイル、あとシュガーストーンもこんな感じですよね」

シュガーネイルにもシュガーストーンにも縁はないけれど、わたしは店員の説明に深くうなずく。爪の原石といえば、江戸時代中期の奇石蒐集家で、日本考古学の先駆者の一人ともされる木内石亭が、なんだろうと首をかしげた天狗の爪というしろものがある。
弄石ブームに乗じてへんな石商人も横行していたが、石そのものにもへんなものがあった。一例が天狗の爪石。石亭七十三歳のとき、この石について「天狗爪石奇談」という考証を著している。「いかなる物か不詳。故人も考索せざる異物なり」とあって、正体がよく分からない。大きさは米粒大から三、四分ばかり、なかには三、四寸のものまである。青白色に光り輝いている。海浜の砂のなかや古い船板の間などにみつかる。屋敷などに天狗の乱入した後に残されるともいう。産地は能登、越後などに多い。(種村季弘『不思議な石の話』河出書房新社)
これ、いったいなにかわかりますか。答えはサメの歯の化石です。浅い海の地層から出土し、もっとも巨大なカルカロドン・メガロドンになると歯もすごくて、ティラノザウルスの倍の噛む力があった。平泉の中尊寺や藤沢の遊行寺ではこの化石が天狗の爪として寺宝となっているらしいのだけれど、この石を拝むといったいどんなよいことがあるのかは知らない。




2019年11月29日金曜日

●金曜日の川柳〔早川清生〕樋口由紀子



樋口由紀子






愛よりも布団があたたかい余生

早川清生 (はやかわ・せいせい)

冬の朝は布団から出られない。目は覚めているのだが、ほかほかの布団から出たくない。ずっとこのまま布団の中でほっこりしてしたいと毎朝思う。

若いころは愛が人生で一番大事なものだと思っていた。愛さえあれば生きていけると思っていたはずである。今になってはそれもあやふやで確証が持てないけれど、たぶんそう思っていたのだと思う。しかし、もう余生。愛のような、よくわからないややこしいものよりは現実的に、単純でわかりやすい布団のあたたかさがなによりありがたいと思う。布団が一番というのは余生の身にしみての実感だろう。しかし、「愛」と「布団」を同じ土俵にあげるなんて、そこに感心する。『よしきり』(平成22年刊)所収。

2019年11月28日木曜日

●木曜日の談林〔西鶴〕浅沼璞


浅沼璞








おやの親夕は秋のとま屋かな   西鶴
自筆短冊(年未詳)

新出の西鶴発句。

『東京新聞』(2019年11月17日付)、塩村耕氏の連載「江戸を読む」99回(西鶴とヌケ)より引用。



連句では一昼夜で二万句をこえた西鶴だが、発句は存外すくなく三百ほど。

掲出作品は見たことがないなぁ、と新聞をつぶさに読んでみると、塩村氏蔵の短冊らしく、写真まである。



その塩村氏の解説にそって句をたどると――

「親の親」は歌語として使われてきた表現で、祖父母または先祖のこと。
 
「夕べは秋の苫屋」は定家の〈見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ〉の本歌取り。
 
見わたせば花も紅葉もなかりけり〉が詠みこまれていないのは談林的なヌケ(抜け)の手法。
 
これらに従うと全体の句意は、「祖父母の代は裕福だったけれど、いまや財産という財産はなかりけり。秋風の身にしむ、苫葺きの粗末な家に住んでいる」といった感じになる。

新聞でも指摘されているが『永代蔵』や『置土産』に描かれた当世の俗世間である。



「親の親」は西鶴の好きな歌語だったらしく、連句でも、
親の親その親の親おもひやり(仙台大矢数・1679年)
親の親安達が原へ尋ね行く(西鶴大矢数・1681年) 
などと詠まれている。
 
また定家の本歌取り(あしらひ)については、西鶴に限らず、談林では枚挙に遑がない。



ところで「夕べは秋の苫屋かな」について氏は、「秋の苫屋の夕べかな」を倒置法的に言い換えたもの、と指摘している。
 
けれどこれは、
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ  後鳥羽院(新古今)
の「夕べは秋」の詠みぶりに近いとみたほうが自然ではないだろうか。「秋は夕暮れ」(枕草子)という固定観念を突っぱね、春の夕霞に美を見出した、その後鳥羽院の詠みぶりに。

となるとこの発句、字面は歌語(雅語)を連ねながら、ヌケのコンテクストによって当世の美を表現しえた稀代の新出句、ということになるのかもしれない。

祖父母の財産はなくなったけれど、夕暮れといえば秋のあばら家こそ趣深いものなのである。

2019年11月25日月曜日

●月曜日の一句〔松本てふこ〕相子智恵



相子智恵







雪道を撮れば逢ひたくなつてをり  松本てふこ

句集『汗の果実』(邑書林 2019.11)所載

人々が〈雪道〉のような「何気ない風景」を気軽に撮影するようになったのは、「カメラ付き携帯電話」の普及からだろう。「写メ」という言葉が現れた2000年以降の文化だ。それまでのカメラは(それを仕事や趣味にする人は別として)旅行やイベントの際に撮るものであって、「何気ない日常風景(それも人が写っていない)」は撮る対象として意識されていなかった。

さらにスマートフォンが生まれ、インスタグラムやTikTokなど、写真や動画がメインのSNSが普及して、この20年ほどで写真や動画に対する意識は変わった。それまでの写真は、あくまで「個人か、その写真に写っている人の範囲を超えないパーソナルな物」だったけれど、いつしか「個人的かつ、知らない人にまで見てもらえる地球規模の媒介物」になった。写真を撮る時の意識は、「後から自分で見て楽しむ」から「SNSにアップロードしたり、メールで送って見てもらって一緒に楽しむ」に変わっている。

掲句、〈雪道を撮れば〉には、そんな「写真(動画)が人々を気軽につなぐ時代」の空気感がある。日常の何気ない〈雪道を撮〉ってみた。SNSにアップしようか、恋人にメールやLINEで送ろうか。撮った瞬間から、自然に写真を誰かと共有することを考えている自分がいる。

しかし携帯画面で今撮った雪景色を確認しているうちに、ふと〈逢ひたくなつてをり〉という直球の恋情に気づく。「本当は写真を送って共有するのではなく、恋人と逢って一緒に見たい。この何でもない雪道を」と思ってしまう。雪は、「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」という白楽天の頃から変わらぬ普遍的な親愛の情を思い起こさせる存在である。

〈雪道〉+〈逢ひたくなつて〉のつながりには前述のように歴史的に積み重なった普遍的な抒情がある。しかし、「雪」ではなく〈雪道〉という言葉の放つ「日常感」や、〈撮れば~なつてをり〉の、明確な因果関係は見えないのにオートマティックにつながるレトリックの立ち現れ方には、現代的な感覚がある。

俳句における「新しい抒情のかたち」が見えてくるような一句だ。

2019年11月23日土曜日

●土曜日の読書〔なつかしい土地〕小津夜景



小津夜景








なつかしい土地

試着室の前に立ち、オリーヴ色の帆布のカーテンをじっと見つめていると、イリナが内側からカーテンをいきおいよくあけて、わたし、ロシアに帰ることにしたの、と言った。

片手でカーテンをつかみ、両脚をクロスさせて、革製のワンピースでポーズをとる目の前の女性が、わたしに相談もなくロシアに帰るとはとうてい思われない。だってわたしたち、とても仲がよいのだから。だがイリナはもういちど「帰ることにした」と言い、硝子の粉をかぶったのかと疑うくらい透きとおる顔色でこちらを見つめている。それでわたしにも、あ、これは本当に帰るな、とわかった。

ワンピースの入った紙袋をさげ、イリナの部屋へゆく。小さなバルコンに出て、ロシア人の密集地域ってどっちにあるんだっけとたずねる。イリナは、あっちのほう、と指にはさんだ煙草で指し示してくれる。

「そこ行ってみたいな」
「止したほうがいいよ。排他的だから」
「へえ」
「もう少しなんとかなってほしいんだけど。どの国の人も、国籍で固まって住むとかえって難しい状況になるわ」
「ん。どうだろうねえ」
「ねえ、この国で死ねる?」

突然、イリナがわたしにたずねた。わたしは地球で死ねるのだったらどこでもいい、この星全体がわたしのなつかしい土地なのと答えた。するとイリナは、わかる、わかるよ、わかるけど、でもやっぱりここで死ぬのがわたしは怖いの、ロシアに帰ったって故郷もなければ家族もいないのにふしぎだねと呟いて、バルコンの棚にのせた植木鉢の根方に煙草の吸殻を落とそうとした。急に指先の灰がまくなぎのようにぱっと舞い上がった。そしてふいをつかれたわたしの胸元でつかのま風に撓んでみせたかと思うと、細い棒をはいあがる花蔓を避けてふわりと地面に散った。その無表情な灰の散華は、在るべき場所を追われ、ゆくあてを見つけられないとまどいの中でにわかに生き絶えたもののようだった。
故郷はまさに環世界の問題である。なぜなら、それはあくまでも主観的な産物であって、その存在についてはその環境をひじょうに厳密に知っていてもほとんどなんの根拠も示せないからである。問題は、どんな動物が故郷をもち、どんな動物がもたないかである。シャンデリアのまわりのきまった空間部分を行ったり来たりかすめ飛ぶイエバエは、だからといって故郷をもっているわけではない。これとは反対に、クモは巣をつくり、たえずそこで生活する。この巣はクモの家であるとともに故郷である。(ユクスキュル、クリザード『生物から見た世界』岩波文庫)
ヒトは故郷をもつ動物だ。わたしもヒトである以上、イエバエ同様シャンデリアのまわりを死ぬまで飛びつづけるのは、うーん、ちょっといやだ。けれども、この地球全体がわたしのなつかしい土地であると信じ、故郷の概念を押し広げさえすれば、いつか来るべき悲しみは存在しない。だから、とりあえず、そう信じることにしている。


2019年11月22日金曜日

●金曜日の川柳〔筒井祥文〕樋口由紀子



樋口由紀子






再会をしてもあなたはパーを出す

筒井祥文 (つつい・しょうぶん) 1952~2019

再会だから、以前にはなんらかの関係があり、たぶんつまらないことで仲違いして、それっきりになっていたのだろう。それがやっと会えた。それなのに、あなたは何も言わずにただ「パーを出す」。思いもよらない「パー」である。それは「さようなら」なのか、「いまさら」なのか。これほど堪えることはない。まだ嫌味を言われる方がよほどましである。男の心情がよく出ている。両人のやるせなさ、どうしようもなさが直に伝わり、その場の雰囲気が手に取るようにわかる。どうしようもない距離感を「パー」という言葉で形を与えた。

筒井祥文が亡くなって八か月が過ぎた。そういえば、最後に病室で別れたときも彼はパーを出した。有志で編んだ遺句集がもうすぐ出来上がる。筒井祥文句集『座る祥文・立つ祥文』(2019年刊)所収。

2019年11月20日水曜日

●おとな

おとな

外套の大人と歩む子供かな  千葉皓史

育たなくなれば大人ぞ春のくれ  池田澄子

大人から大人へ飛ばす水鉄砲  岡田由季〔*〕

豆ごはん大人の人は大盛に  如月真菜

悲しさやをがらの箸も大人なみ  広瀬惟然


〔*〕『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)

2019年11月18日月曜日

●月曜日の一句〔関根道豊〕相子智恵



相子智恵







冬茜コスト・カッターの終焉  関根道豊

句集『地球の花』(角川書店 2019.8)所載

〈コスト・カッター〉はコスト(費用)を削減する人。バッサバッサとコストをカットしてきた人が、あっという間に暮れてしまう冬夕焼の中で、自らもカットされてしまったのだろう。〈終焉〉を迎えている。これを例えばカルロス・ゴーン氏の末路のように読んでしまえば単なる時事に過ぎないのだが、そう読んでしまっては面白くないだろう。

〈コスト・カッターの終焉〉という言葉は、なかなかに過剰である。そのまま「週刊ダイヤモンド」や「東洋経済」など、経済系の週刊誌のキャッチコピーになりそうだ。〈冬茜〉と〈終焉〉も「終わる」という意味で付き過ぎなのだけれど、この二重三重の過剰さが、何だか「劇画タッチ」で、妙な味わいを醸し出している。

そういえば「コスト削減」という錦の御旗の前では、いつだって私たちは無力だ。バッサバッサとカットされ、やがて全員がカットされる。そう、最後の〈コスト・カッター〉すらも。生きているだけで費用がかかるのだから。「コストの亡霊」が勝ち、そして誰もいなくなった未来。そんな痛烈な現代批評の句と読んでみたい。

2019年11月15日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






プラゴミののたりのたりと春の海

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

あきらかに与謝蕪村の名句〈春の海終日のたりのたりかな〉のマネである。蕪村の句はおおらかで、ゆったりと、なんともいえぬ春の風情を感じさせる。しかし、プラスチックゴミが「のたりのたり」と春の日差しを受けて、海に浮いていたのでは、春の海の詩情などぶっ飛ばし、身も蓋もなくなる。

海に流れ出るプラスチックゴミ問題は深刻で、死んだ魚のおなかから大量のプラゴミが出て来た映像は衝撃的だった。プラゴミはいずれは魚の総重量数を上回るとの試算もある。「のたりのたり」などと悠長なことを言っている猶予はない。「のたりのたり」の言葉を逆手に取って、薄気味悪くし、現実を突きつけている。「触光」(61号 2019年刊)収録。

2019年11月14日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








木食やこずゑの秋になりにけり   高政
『洛陽集』(延宝八・1680年)

ひきつづき高政の発句。



木食(もくじき)は米穀を断ち、木の実を主食とする修行僧のこと。
梢の秋は、梢の「すゑ」に秋の末をかけていう陰暦九月のこと。

「木食上人にはうれしい、梢に木の実が熟す季節になった」というような意を含んでいよう。



前回の奇抜な「見立て」と比べるとだいぶ大人しめの感じだが、それもそのはず、談林末期のトレンドな俳体として、芭蕉の〈枯枝に烏とまりたりや秋の暮〉(初出句形)と同格に扱われた句であった(『ほのぼの立』延宝九・1681年)。
このあと宗因没(天和二・1682年)を契機に、高政が鳴りをひそめた件は前回もふれたけれど、西鶴のみならず、芭蕉の存在も高政にとっては脅威であったかもしれない。



ところでこの句に先行して
実はふらり梢の秋になりにけり  信徳(後撰犬筑波集)
という類句があり、「木食や」は信徳の推敲句という説もある(荻野清氏説)。

しかし掲出のように『洛陽集』『ほのぼの立』では高政の作として扱われているし、真蹟短冊も認められているので、ほぼ高政作で間違いないだろう(信徳を真似たかどうかは別問題として)。



ここから連想されるのは、おなじダブル切字の作品、
降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男
である。

先行作に〈獺祭忌明治は遠くなりにけり〉(志賀芥子)があり、物議をかもしたエピソードは有名である。



俳諧において類句・類想は当たり前のことであるが、「降る雪や」と似たケースが談林末期にもあったことは記憶しておいていい。

2019年11月13日水曜日

●焼鳥

焼鳥

焼鳥や恋や記憶と古りにけり  石塚友二

焼鳥の我は我はと淋しかり  佐藤文香

串を離れて焼き鳥の静かなり  野口る理

秋めくや焼鳥を食ふひとの恋 石田波郷


2019年11月11日月曜日

●月曜日の一句〔長岡悦子〕相子智恵



相子智恵







凩やぽんと明るく伊勢うどん  長岡悦子

句集『喝采の膝』(金雀枝舎 2019.9)所載

冷たく乾いた凩とうどんの取り合わせと、〈ぽんと明るく〉の佇まいがかわいらしくて一読で気に入った句。しかしながら、実は伊勢うどんを見たことも食べたこともなくて(蕎麦圏育ちなもので……)想像もつかなかったので調べてみた。

写真を見ると、太く柔らかい(らしい)麺と少しの青ネギだけがシンプルに丼の中にこんもりと盛られていた。たまり醤油を使っているという真っ黒なつゆはとても少なくて、丼の端の方にほんの少し見えるだけだ。けれどもその端っこの黒さが麺のつるんとした白さを際立たせていて、暗闇を照らす裸電球のように、麺の明るさが増している気がする。うん、まさに〈ぽんと明るく〉の風情である。

寒い凩の中をやってきて、立ち食いうどん屋で「ぽん」と伊勢うどんが出てきたら、それだけで気持ちが明るくなるし温まりそうだ。〈ぽん〉と〈うどん〉のリズムも楽しい。
掲句は、私のように伊勢うどんを知らなくても妙に心に残る。「凩」と「うどん」だけでできていて、「凩の中のうどん屋」のように文脈は想像できるのだけれど、それでいて文脈が決して前に出てこない。素材だけを即物的に並べた景がもつ、説明のいらない乾いた面白さがある。

2019年11月9日土曜日

●土曜日の読書〔町中に風呂が〕小津夜景



小津夜景








町中に風呂が


フランス人の生活習慣は、自分の知るかぎり地方ごとにずいぶん違うから、いまだに何がふつうなのかよくわからない。彼等自身が共有するセルフ・イメージというものが存在するのかどうかすら謎である。つい先日は、ふと思いついて、

「どうしてフランス人は泡風呂に入るの?」

と知人にたずねた。無論これは全く根拠のない質問であり、あくまでもイメージ上のフランス人の話である。だが知人は間髪入れずにこう答えた。

「だって泡がないと、お湯冷めるじゃん」

なんとあの泡にはそんな意味があったのか。雰囲気を大切にしているのかと思ったら。わたしが本気でおどろくと、いままでそんなことも知らずに生きていたのか、と知人はもっとびっくりしたようだった。

ところで、フランス人が風呂に入らなくなったのはペストの流行がきっかけで、公衆浴場の衛生観念が危ぶまれたからなのだそうだ。だから時代をさかのぼると、たとえば13世紀のパリでは入浴は高く評価される習慣だった。風呂屋もすでに商売として親しまれており、蒸気風呂屋、入浴施設、共同浴場、入浴場などが同業者組合をつくっていた。パリ市の発行する営業規則書もあり、料金はどこも均一、違反すると罰金を払う。面白いのは、朝になると「お湯が湧きましたよ」と街中に触れ回るお知らせ係が存在したことだ。
夜が明けると、お知らせ係が、蒸気風呂が温まりましたと告げて歩く。使用人たちは、今か今かと客を待つ。パリの人びとは、身軽な装いでいそいそと出かけてゆく。体を温めるため、汗をかくため、髭や髪の手入れをしてもらうため、香料を塗ってもらうため、マッサージをしてもらうため、と目的はさまざま。目的に合わせて、ある場合は別個に、浴槽が設置されていた。浴槽の数は規模によって異なったが、どこでも共通していたのは、浸身浴のあとに休憩するための柔らかなマット、温かい毛布、冷やしたワインなどである。思わぬ棘を避けるために、今ならバスタオルに相当する薄い布を借りる場合は、サイズによって一ドゥニエか二ドゥニエが必要だった(…)建物の造りはすべて同じで、地下室に窯、一階は二手に分かれ、一方は貴族と病人用の浴槽、もう一方は下層民用の大浴槽、それに、蒸気を外に出すための穴が天井に開いた、階段状の発汗室、上階には、休憩室が用意されていた。(ドミニック・ラティ『お風呂の歴史』白水社)
おお。楽しそうじゃありませんか。この本によると、フランスの他の地域も同じ形式でお風呂文化が栄えていたらしい。ちなみに、こうした行政公認の入浴施設とは別に、健康や衛生とは関係のない娼館もパリには数多くあって、それも浴槽のある施設ゆえ「風呂屋」と呼ばれていた。目的はいろいろだが、町中に風呂があふれていたのだ。




2019年11月8日金曜日

●金曜日の川柳〔西秋忠兵衛〕樋口由紀子



樋口由紀子






妻の自転車葱を斜めに関東平野

西秋忠兵衛(にしあき・ちゅうべい)1928~

その景が見えるようである。そして、それを見ている夫も見える。妻が自転車の籠にスーパーで買ったものをいっぱい積んで家に帰ってくる。葱は収まりつかず斜めになっている。妻が揺れると葱も揺れる。しかし、そんなことはものともせずに妻は飄々とペダルを漕いでいる。今夜は鍋かもしれない。生きていることの、今のしあわせを、確認しているようである。

舞台設定が見事である。関東平野のなにものにも邪魔されない広々とした景色と妻の自転車と斜めの葱が一つになっている。実景かもしれないが、書きとめることによって実際より大きな感慨をもたらす。演出も脚色のしていないような、そのままの景が生き生きしている。

2019年11月7日木曜日

●漫画

漫画

怖い漫画朝の蒲団の中にあり  小久保佳世子

老人と漫画しずかな十二月  新保吉章

天皇家の漫画たのしき冬至の夜  長谷川かな女

2019年11月4日月曜日

●月曜日の一句〔玉川義弘〕相子智恵



相子智恵







猪裂くや胃の腑に溜まる穭の穂  玉川義弘

句集『十徳』(邑書林 2019.3)所載

刈り取った後の稲の切株に、再び青々と萌え出る稲。放っておくと穂が出るが、晩秋の気温は実を結ぶには低いので、穂の中身は実らず空っぽのことがほとんどだ。それが〈穭(ひつぢ)の穂〉で、やがてそのまま田に漉き込まれる。

掲句、猪を仕留めて腹を裂いてみたら、胃の中にこの〈穭の穂〉が溜まっていたという。猪は実りの稲だと思って食べたのだろうか。それとも〈穭の穂〉だとは知っていても、それを食べざるを得なかったのだろうか。きっと後者なのだろう。食べ物の少ない厳しい季節を生き抜こうとする猪の胃の中身がなんとも哀れである。そしてその先には、狩りで仕留めた猪の命を食べる我々がいる。

本句集の中には〈猪垣を解いて冬田となりにけり〉という句もあるが、こちらは哀れさが淡々と描かれている。本当は〈猪垣を解い〉たから〈冬田〉となったのではない。もう猪に荒らされると困る稲穂がない〈冬田〉となったから〈猪垣を解い〉たのだ。しかし人間は〈猪垣を解〉くことに冬を感じているのである。

猪と人間の戦いが描かれたこれらの句は力強く、静かな哀れがあって晩秋の心に染み入る。

2019年11月2日土曜日

●土曜日の読書〔風土を感じさせる人々〕小津夜景



小津夜景








風土を感じさせる人々


コート・ダジュールの男性は、道ですれちがった女性によく声をかける。

面白いのは、この公式が人種を越えてあてはまることだ。ミディ・ピレネーに住んでいたときは、人種を越えるどころかナンパ師以外にそんな男性を見たことがなかったので、たぶんコート・ダジュールには声かけの習慣がもともと根強くあり、新しい移住者は「郷に入っては郷に従え」方式でこの習慣を身につけてゆくのだ。

ところで、いったいどのくらいの頻度でどういった男性が声をかけてくるのか。そう思い、しばらくメモをとってみた。まず頻度については1時間につき平均3、4人。人種については黒髪のラテン系と中央アフリカ系が多いが、これは単純に人口比を反映していそうだ。年齢は20代から80代まで偏りがない。

声のかけ方については、ボンジュール、とまずひとこといって、こちらの出方をうかがうパターンが一番多い。が、たまに驚くような人もいる。ある日、仕事鞄をぶらさげて海辺の道を歩いていると、後方から「すみませーん! すみませーん!」と大声で叫びつつ全速力で走ってくる若者がいた。そんな状況に遭遇したら「ん。何か落としものでもしたかな」と思うのがふつうだろう。私も当然のごとく立ち止まり、追いついた若者に「なんでしょう」とたずねた。すると若者は、ちょっと息をととのえてから、

「あの、一緒にお茶しませんか」と、いった。
「は」
「いつもこの道を、にこにこしながら歩いているでしょう? ずっと声をかけようと思ってたんです」

話を聞けば聞くほど、人懐っこい、素直な若者である。思わず「私、すぐそこで働いてるの。ほら、あの建物」という台詞が喉から出かかった。が、いやいやと我に返り、「ごめんなさい。私、結婚してるから」と伝えた。若者は、

「えっ。あー。じゃあ無理ですよね。そうだったのかあ。あの、でもまたいつか声かけますから。気が向いたら、そのときはよろしく!」と、明るい表情で去っていった。

久生十蘭の滑稽小説『ノンシャラン道中記』では、タヌとコン吉が冬のパリを脱出してニースを目指す。興奮にみちた彼らの南仏の旅は、その文体どおりの珍道中である。
「ところで、こいつはたった八百法で買ったんだから、1246-800=446で、四百四十六法も経済したうえに、あたし達は、碧瑠璃海岸(コオト・ダジュウル)の春風を肩で切りながら、夢のように美しいニースの『英国散歩道(プロムナアド・デザングレ)』や、竜舌蘭(アロエス)の咲いたフェラの岬をドリヴェできるというわけなのよ。この自動車はポルト・オルレアンの古自動車市で買ったんだから、立派とか豪華(リュクス)とかっていうわけにはいかないけれど、なにしろコオト・ダジュウルのことですもの、自動車(オオト)の一つくらい持ってなくては、シュナイダアにもコティにも交際つきあうことは難しいのよ。さあ、コン吉、湯タンポをお腹んところへあてて! 車ん中であまり暴れると、踏み抜くかもしれないから用心しなくてはだめよ。いいわね、さ、出発!」(久生十蘭『ノンシャラン道中記』青空文庫)
ものの見方に滑稽小説ならではの類型化が働いているにもかかわらず、コート・ダジュールの風土を感じさせる。読んでいて、ふっと笑ってしまった。