小津夜景
砂糖菓子と石
先日、はじめてニースに来たというパリジャンの前でトレーズ・デセールの話をしたら、それほんとにフランスの習慣なの、聞いたことないんだけど、と怪訝な顔をされた。そうだよ、パリだけがフランスじゃないんだよ。ささやかなお国根性を胸のうちに認めつつ、わたしはそう返答した。
トレーズ・デセールは十三のデザートという意味で、クリスマス・イヴの晩ごはんのあとに食べるプロヴァンス地方の伝統食である。かならず用意するのはポンプ・ア・リュイル、白ヌガー、黒ヌガー、干しいちじく、干しぶどう、アーモンド、クルミまたはヘーゼルナッツの七品で、あとは花梨の羊羹、くだものや花の砂糖漬け、干しなつめやしの練りアーモンド入り、みかん、メロン、地元の銘菓などをみつくろって、とにかく十三品を食卓にならべるのだ。
ポンプ・ア・リュイルはバターのかわりにオリーブオイルを練りこんで焼き、粉砂糖をまぶした平べったいパンで、オレンジの花の蒸留水で香りづけがしてある。食べるときはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」よろしく手でちぎり(パンはキリストの身体ゆえ、ナイフで切るのはご法度らしい)、煮つめたワインにひたす。ヌガーはメレンゲに砂糖、ナッツ、ドライフルーツを混ぜて固めた南仏の郷土菓子だけれど、砂糖菓子を語るならば、わたしはくだものや花の砂糖漬けのほうがずっと食べたい。
よし。クリスマス・イヴのまえに砂糖漬けをもういちど復習しておこう。わたしはそう決めて、今日港に用事があったついでに、そこからすぐのところにある砂糖菓子のアトリエに立ち寄った。このアトリエは、昔ながらの製法でつくるところを目の前で実演してくれるのだ。
胃袋は四次元ではない。この誰しもが知るべき法則と照らし合わせつつ、物腰やわらかに相手をしてくれる店員の横で、わたしは今年のトレーズ・デセールになにを食べるべきかを吟味してゆく。店員は、美しい宝石のような、はたまた妖しい奇岩のような、色とりどりの砂糖菓子をじゅんばんに説明する。
「こちらはすみれの砂糖漬けです。砂糖の結晶が、アメジストの原石をイメージさせます」
なるほど。眺めるだけで心が安らぎ、浄化され、神聖な気持ちがやしなわれる点は、たしかに原石と向かい合っているときと変わらない。まったくなんという徳を有しているのだろう砂糖漬とは。
「で、こちらは砂糖をまぶしたベルガモットの飴」
「わあ。付け爪みたい」
「シュガーネイル、あとシュガーストーンもこんな感じですよね」
シュガーネイルにもシュガーストーンにも縁はないけれど、わたしは店員の説明に深くうなずく。爪の原石といえば、江戸時代中期の奇石蒐集家で、日本考古学の先駆者の一人ともされる木内石亭が、なんだろうと首をかしげた天狗の爪というしろものがある。
弄石ブームに乗じてへんな石商人も横行していたが、石そのものにもへんなものがあった。一例が天狗の爪石。石亭七十三歳のとき、この石について「天狗爪石奇談」という考証を著している。「いかなる物か不詳。故人も考索せざる異物なり」とあって、正体がよく分からない。大きさは米粒大から三、四分ばかり、なかには三、四寸のものまである。青白色に光り輝いている。海浜の砂のなかや古い船板の間などにみつかる。屋敷などに天狗の乱入した後に残されるともいう。産地は能登、越後などに多い。(種村季弘『不思議な石の話』河出書房新社)これ、いったいなにかわかりますか。答えはサメの歯の化石です。浅い海の地層から出土し、もっとも巨大なカルカロドン・メガロドンになると歯もすごくて、ティラノザウルスの倍の噛む力があった。平泉の中尊寺や藤沢の遊行寺ではこの化石が天狗の爪として寺宝となっているらしいのだけれど、この石を拝むといったいどんなよいことがあるのかは知らない。