鹿に連泣きすかす抱守 打越
面影や位牌に残る夜半の月 前句
廻国にみる芦の屋の里 付句(通算60句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】三ノ折・表10句目。 雑(旅)。 廻国(くわいこく)=諸国をめぐり歩くこと。 芦の屋=摂津国、芦屋(現、兵庫県)。
【句意】諸国をめぐって検分する(その一つの)芦屋の里で。
【付け・転じ】前句の位牌から、西明寺時頼の故事を連想した転じ。
【自註】鎌倉の*西明寺(さいみやうじ)時頼、諸国をめぐり給ふ時、津の国難波なるあしの屋の里に一夜を明し給ふに、**あるじの尼公、身の上のむかしを語りて、「今はたよりなき」となげきしを、哀れにおぼしめして、位牌のうらに一首書付(かきつけ)残させ給ふ。「なには潟汐干に遠き月影を又元の江にすみ(すま)ざらめやは」。其後めし出されて、***本知(ほんち)をくだし給ふと也。当流には、古事など嫌ふといへども、よく付合候事はくるしからず。
*西明寺=鎌倉幕府5代の執権・北条時頼の号、最明寺。 **あるじの尼公……=『太平記』、謡曲「藤栄」等にみえる故事。 ***本知=もともとの領地
*西明寺=鎌倉幕府5代の執権・北条時頼の号、最明寺。 **あるじの尼公……=『太平記』、謡曲「藤栄」等にみえる故事。 ***本知=もともとの領地
【意訳】鎌倉の西明寺入道・北条時頼が諸国めぐりをなさったとき、摂津の国難波の芦屋という里で一夜をお明しなされたところ、宿の主の尼君が身の上の昔を語って、「今は何の頼りもない」と嘆いたのを、哀れにお思いになり、その宿の位牌の裏に一首書き付け、お残しなされた。「難波潟の潮干に遠い月光とて、また元の江に澄まない(住まない)ことがあろうか」。その後、この尼をお呼びになって、もとの領地を再び下されたということである。最近の俳風(元禄疎句体)では故事付などを避けるというけれども、よく付け合う場合には問題ない。
【三工程】
(前句)面影や位牌に残る夜半の月
時頼入道一首書き付け 〔見込〕
↓
芦屋の尼へ一首書き付け 〔趣向〕
↓
芦屋の尼へ一首書き付け 〔趣向〕
↓
廻国にみる芦の屋の里 〔句作〕
前句の位牌から、その裏に和歌をしたためた西明寺時頼の故事を連想し〔見込〕、〈どこの誰に向けてしたためたのか〉と問うて、芦屋の尼君と具体化し〔趣向〕、時頼や尼君の「抜け」によって句を仕立てた〔句作〕。
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自註で〈当流には、古事など嫌ふ〉とありますが、この〈当流〉を元禄よりひと時代前の談林と見なし、*談林では故事を嫌う、と解釈する場合があるようです。
「? この〈当流〉いうんは、元禄の〈当流〉いう意味やで」
ですよね、談林の付合は故事だらけでしたよね、謡曲取りとか。
「ま、ひと時代前は談林を〈当流〉いうとったから、勘違いしたんやろ」
あゝ、いつになく肝要ですね……。
*談林では故事を嫌う=『譯註 西鶴全集』第二(藤村作編、至文堂、一九四七年)。
*談林では故事を嫌う=『譯註 西鶴全集』第二(藤村作編、至文堂、一九四七年)。
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