2025年10月17日金曜日

●金曜日の川柳〔米山明日歌〕樋口由紀子



樋口由紀子





非常口などない 秋の箱の中

米山明日歌(よねやま・あすか)1953~

「非常口などない」という唐突な宣言のような導入で一句は始まる。それを受け止めるのが魅惑満載で魑魅魍魎な「秋の箱の中」。秋に魅せられ、紅葉に絡めとられたていく。「秋の箱の中」に一歩でも足を踏み入れたら、もうそこから出ることはできない。

一字空けは一呼吸して、この状況を決意するためだろう。その後、勢いをつけて、スピードを上げて、迷いはなくまっすぐに邁進する。これからわが身が遭遇する、すべてを受け入れる覚悟と情念のようなものが見える。最強の恋句であろう。「What's」(8号 2025年4月刊)収録。

2025年10月10日金曜日

●金曜日の川柳〔榊陽子〕樋口由紀子



樋口由紀子





鶏冠にブーケ 病室は鯖を焼く

榊陽子(さかき・ようこ)

ブーケは花嫁が結婚式に持ち、祝福や愛の象徴とも言われている。それを鶏冠にとは、嫌み以外のなにものでもない。病室は当然ながら火気厳禁。食事制限もあるのに鯖を焼くことなんてとんでもない。なぜ、そんなことをするのか。喩として機能しているのでもなさそうで、まして、物語のように、なんらかの事情でそうするしかなかったというのでもないだろう。

どのような読まれ方をしてもしかたがないという開き直りがある。さらっと口にした軽みで、やっかいな自分を投影しているように見せかけているが、作品イコール作者ではない。屈託や逡巡を繰り返す、醒めたセンスのキャラクターを立ち上げたのだ。

2025年10月8日水曜日

●西鶴ざんまい #84 浅沼璞


西鶴ざんまい #84
 
浅沼璞
 
   今胸の花ひらく唐蓮     打越
  蟬に成る虫うごき出し薄衣   前句
   野夫振揚げて鍬を持ち替へ  付句(通算66句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏2句目。 雑。 野夫(やふ)=農夫。

【句意】農夫は振上げた鍬を持ち替えている。

【付け・転じ】前句の蟬の脱皮・羽化を畑の土中の虫のようなものの様子と見なし、農夫に発見させた。

【自註】里人(さとびと)、野に出でて*ものつくりせしに、土中より目なれぬ**虫などの動き出でしに、気を付けて、ふりあげたる鍬をおろさず、しばし見合はせたる身振りを付けよせける。
*ものつくり=農作。 **虫など=虫のようなもの。

【意訳】田舎の人が野に出て農作業をしていたところ、土の中から見慣れない虫のようなものが動き出したのに気がついて、ふりあげた鍬をおろさず、しばらく様子をみるしぐさを付け寄せた。

【三工程】
(前句)蟬に成る虫うごき出し薄衣

   ものつくりせし土の中より  〔見込〕
     ↓
   野夫振揚げて鍬をおろさず  〔趣向〕
     ↓
   野夫振揚げて鍬を持ち替へ  〔句作〕

前句の羽化する蝉の蛹を土中の虫のようなものと見なし〔見込〕、〈それを見つけた者はどうしたか〉と問うて、農作業を中断したとし〔趣向〕、「鍬を持ち替へ」と暫し様子見のしぐさを活写した〔句作〕。

前にも農夫が作業中に棺桶を掘り当てる句がありましたね。
「掘り当てて哀れ棺桶の形消え、やろ」
そうです、そうです。それにしても鶴翁は商人出身なのに、農業の句、意外とありますね。
「わしらん頃の商人(あきんど)はな、もともと農家の次男・三男いうのが珍しくなかったんやで」
それで農作業のこととか聞き及んだんですか。
「そやな、話し上手の聞き上手、地獄の耳の耳学問や。呵々」

 

2025年9月26日金曜日

●金曜日の川柳〔榎本聰夢〕樋口由紀子



樋口由紀子





雷のお詫びのような虹の橋

榎本聰夢

雷が鳴ったら急いで家の中に入り、雷が鳴り終わったら、家々からは人が出てきて、よう光りましたな、これで少しは涼しくなりますなと口々に言いあった。さっきまで驚かせて、すいませんというように虹が出ている。それまでの雷の恐怖が吹っ飛んで、その美しさに見惚れた。のんびりとした、人柄がしみじみとでる、昭和の川柳である。よくないことが起こっても煽るのではなく、おだやかに済ませる。

しかし、令和の現在はもう、そんな悠長なことはいっておられなくなった。「お詫びのような」では済まないような半端ではない災害が次々と襲ってくる。猛暑、落雷、竜巻、地震、豪雨、線状降水帯、豪雪、突風と容赦がない。一瞬にして生活がひっくり返され、人間社会が叩きのめされる。暗い穴に吸い込まれていきそうである。

2025年9月24日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇28 浅沼璞

  


西鶴ざんまい 番外篇28
 
浅沼璞
 
 
大阪・鳥取と巡回し、「幕末土佐の天才絵師・絵金」展が漸う六本木・サントリー美術館にやってきました(9月10日〜11月3日)。


さっそく見に行ってきましたが、感想は後期の展示替えを待ってからとし、私事ながらこれまでの絵金体験をまとめておこうと思います。

1978年頃 大学の近世文学ゼミ担当の廣末保先生の著作『もう一つの日本美――前近代の悪と死』(美術出版社)により絵金の存在を知る。

その後、バイト代をためては絵金関連の書籍を古本屋にて求める。廣末先生が編纂された未來社のものや月刊パンチSMの増刊号など諸々。

1995年夏 高校教師として忙殺されていた折、新潮社のとんぼの本『絵金と幕末土佐歴史散歩』を図書室で手に取り、久々に耽読する。

土佐の夏祭りに飾られる芝居絵屛風の現況のほか、笑い絵の多様な面白さも知る。

2005年頃 フリーの教師・フリーチャーとして気ままな生活を送る中、かつて入手を諦めていた限定500部の豪華本『絵金 EKIN』(光潮社)の一冊を渋谷の某古書店で発見。手持ちがなかったので取り置きしてもらい、後日購入。

尚その際、店内にいらした詩人の百瀬博教氏に話しかけられ、しばし絵金談義。それを機に(急逝されるまで)交流して下さった。これも絵金さんによる御縁。

2010年秋 板橋区立美術館「諸国畸人伝」展にて播州皿屋敷・鈴ヶ森・累(かさね)等の代表的な芝居絵屏風を初めて実見する。

しかしボストン美術館の浮世絵なみの修復が施されており、西鶴に通じるあの滑稽さや、鶴屋南北に通じるあの野卑な感じが薄れ、極彩色豊かな修復屏風に興覚めの感なきにしもあらず。

以降、絵金への興味は正直うすれ、今回の巡回展にも不安がなかったわけではありません。ありませんが、大阪・鳥取では展示方法や照明に工夫があったとの由、伝え及び、ひそかな期待を胸に、東京での大規模展に臨んだわけですが、詳細は次の番外篇にて暫し/\。
 

2025年9月19日金曜日

●金曜日の川柳〔妹尾凛〕樋口由紀子



樋口由紀子





どんなナムルな日曜でしたか

妹尾凛(せのお・りん)1958~

「どんな」は連体詞で名詞につける。「この」「そちら」「あの」と同様に読み手に想像を預けることのできる都合のいい言葉である。「ナムル」の種類はいろいろあるが、味付けはナムルであり、それほどの変わりない。しかし、「どんなナムル」と問われれば考え込んでしまう。

「ナムル」から「日曜」に繋がる構成で、「日曜でしたか」と畳みこむことによって、「どんなナムル」は喩としてのはたらきを発揮する。「ナムルな」の「ナ」と「な」の音感で挟み合っているのもいい。「日曜ですか」とすれば七七に収まるのに、「でしたか」と七八で、過去形にして、雰囲気を替える。意図的なのか、無意識なのか。心情の出し方が微妙である。

2025年9月12日金曜日

●金曜日の川柳〔飯田良祐〕樋口由紀子



樋口由紀子





稲刈りが始まる通天閣展望台

飯田良祐(いいだ・りょうすけ)1943~2006

もうすぐ、近隣の田畑のあちこちで稲刈りが始まり、秋を実感する。しかし、「通天閣展望台」で稲刈りが始まることはない。通天閣は個性的なかたちをしていて、大阪を眼下に一望している。ジャンジャン横丁から見上げる通天閣展望台でたわわに実った稲穂が刈り取られていくのを実景として作者には見えるのだろうか。舞台装置は完璧である。

この世にはいくら待っても始まらないものがある。「始まる」ことのないことを「始まる」というのはかなり屈折していて、話が変わっていくが、新らたな関係性を見出していくようでもある。喜怒哀楽では括り切れない心情を垣間みせる。天に通じる塔の稲刈りが終わったあとの視線の行方が気になる。『実朝の首』(2015年刊 川柳カード叢書)所収。

2025年9月10日水曜日

●西鶴ざんまい #83 浅沼璞

 


西鶴ざんまい #83
 
浅沼璞
 
 
  初祖達广問へど答へぬ座禅堂  打越
   今胸の花ひらく唐蓮     前句
  蟬に成る虫うごき出し薄衣   付句(通算65句目)
                 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏1句目。 裏移り。 夏=蟬  虫=ここでは蛹のこと。  薄衣(うすごろも)=薄く透ける蟬の羽を衣に譬えた言い方。蟬の羽衣は夏衣のこと。「ひとへなる蟬の羽衣夏はなほうすしといへどあつくぞありける」(後拾遺・夏)

【句意】蟬の幼虫が動き出し、薄い羽衣を現す。

【付け・転じ】前句の「胸の花ひらく」という悟りの形を蟬の脱皮・羽化に取成した。

【自註】つら/\世のありさまを見るに、池水(いけみづ)にすみし*屋どりむしといへる物、おのが衣を時節とぬぎて蟬になれる。此の**生を替へし所は、其のむしも胸のひらくに同じ。蟬の衣をぬぐは、秋になれり【諸註】。***屋どり虫、蟬になる時は夏なれば、是を****荷葉の付け合に出だしぬ。此の句は*****意味計也。
*屋どりむし=宿り虫。幼虫のことで「池水」は「地中」の誤り。  **生(しやう)を替へし所=蛹から成虫にステージが替わるところ。 ***屋どり虫、蟬になる時=原文は「屋とる虫蟬なる時」(定本全集・日本古典読本Ⅸ)  ****荷葉(かえう)=蓮の葉。ここでは蓮そのもののこと。  *****意味計(ばかり)=内容主義の心付・心行(こころゆき)のみの付け。よって縁語による詞付は皆無という意。

【諸註】蟬の衣をぬぐは、秋になれり=「蟬が衣を脱ぐのは秋の季節に属するものである」(『譯註 西鶴全集』藤井作・訳)。定本全集や新編日本古典文学全集の語註でも、おなじく「蟬が衣を脱ぐ」と解し、「連俳ともに夏で秋は誤り」とする。愚生もその通説に従って本稿の下書きをしたが、以下の「若之氏メール」により改稿した。

【若之氏メール】……「蟬の衣を脱ぐは」の「の」を主格の「の」だとすると、後ろの文とあまりにも辻褄が合わないように思います。調べてみると、「蟬の衣(きぬ)」に「蟬の羽衣=薄衣」の意味があるようなので、「(人間が)薄衣を脱ぐのは秋になってからである」ということではないでしょうか。人間が薄衣を脱ぐのは秋だけど、蟬が薄衣を脱ぐのは夏だから、その脱ぐさまを蓮と同季の付け合いとして出したのだ、というような趣旨ではないかと。

【考察】諸註の解は、そこまでのコンテクストが蟬(蛹)を主語としており、その流れで「蟬が衣を脱ぐ」と解したのであろう。季の誤りは「池水」に同じく西鶴によくある誤謬ととらえたまでであろう。しかし若之氏の解における主語の省略や変化もまた西鶴によく見られる傾向である。しかも若之氏の解は、後続のコンテクストに配慮してのものである。よってここでは若之氏説を参照のうえ、以下の意訳を試みた。

【意訳】よくよく世の有り様をみると、池の水に棲む宿り虫というものは、時節がくれば(自然と)自分の外皮をぬいで蟬になる。この蛹から成虫に替わるところは、(前句の)胸がひらくさまと同じである。(一般に人が)夏衣を脱ぐのは秋になってからである。(けれど)宿り虫が蟬になるときは夏なので、これを蓮と同季の付合として出した。この句は意味内容だけで付けてある。

【三工程】
(前句)今胸の花ひらく唐蓮

宿り虫生を替ふべき時節にて  〔見込〕
   ↓
  蟬に成る虫うごき出す時節にて 〔趣向〕
     ↓
   蟬に成る虫うごき出し薄衣   〔句作〕

前句の胸開く悟りのさまを脱皮と見なし〔見込〕、〈どのような虫か〉と問うて、蓮と同季(夏)の蟬の羽化とし〔趣向〕、「薄衣」という比喩でまとめた〔句作〕。
 

2025年8月29日金曜日

●金曜日の川柳〔岸本水府〕樋口由紀子



樋口由紀子





還暦はよし友達が二千人

岸本水府(きしもと・すいふ)1892~1965

まどみちおの「いちねんせいになったら いちねんせいになったら、ともだちひゃくにんできるかな」を思い出す。「還暦」は干支が一巡し、赤ちゃんに還ると言われ、ここまで無事に生きられたと年祝いする。

現在よりも寿命が短く、還暦は老いの入り口だった時代に「還暦はよし」とはなかなか言いづらい。現実の諸々を素通りし、肩の力をすとんと抜いて、巧みに切り替える。「二千人」のオーバーな表現も功を奏し、突っ込みどころも用意しているポジティブ感が半端ではない。この余裕、この軽みが水府の持ち味で、一句を生き生きとさせる。一年生からどんどん増えて二千人になった。

2025年8月22日金曜日

●金曜日の川柳〔奥村丹路〕樋口由紀子



樋口由紀子





そもそもの噓の初めのゴム乳豆

奥村丹路

「ゴム乳豆」とはおしゃぶりのことである。赤ちゃんが泣きやまないときに、それを与えるとホンモノの乳首と間違えて、あっという間に、ぴたりと泣き止む。摩訶不思議と私も子育てのときにたいへん重宝させてもらった。あれがなければ、睡眠不足で育児ノイローゼになっていたかもしれない。我が子に最初に噓というものを教えたのは私だったのだ。噓は身体から覚えていく。

「ザ、川柳」だなと思う。川柳とはなにかとわからなくなるときに、伝統川柳を読む。「そもそも」「噓の初め」「ゴム乳豆」、それぞれ別種の、役割の違う言葉を無駄なく、抑揚をつけながら平面的に並べて、簡素に言い切る。それでいて、人間観察が優れ、まさしく人生を言い当てている。

2025年8月13日水曜日

西鶴ざんまい #82 浅沼璞


西鶴ざんまい #82
 
浅沼璞
 
 
 下馬より奥は玉の摺石    打越
初祖達广問へど答へぬ座禅堂  前句
 今胸の花ひらく唐蓮     付句(通算64句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表14句目。 折端。 夏=唐蓮(たうばす)。達磨大師が天竺から中国へ将来、それを慈覚大師が日本に持ち帰り、達磨寺に移植したという(定本全集)。

【句意】いま胸の花が(悟りを得て)開く、唐蓮の形のように。

【付け・転じ】前句の達磨大師の座像から、唐蓮が開くような悟りの形へと転じた。

【自註】「蓮」は釈教の付けよせに出し、「胸」の一字はさとりをひらけし句作りにいたせし。かやうの前句の時に、物がたき*句むすびにつかうまつれば、俳諧、次第につまりて、**古流の付けかたに成りければ、一句捨てて、さらりと***行きかたにて付けのべ侍る。
*句むすび=句の付け方。 **古流の=元禄疎句体以前の。 ***行きかた=遣句的な付け方。

【意訳】「蓮」は釈教の付合語として出し、「胸」の一字によって悟りを開いた(形を表すための)句作りに致しました。このような(厳格な)前句の時に、(詞付けばかりの)固い付け方をし申上げれば、俳諧は次第につまって、元禄以前の親句の付け方になってしまうので、一句言い捨ての、さらりとした遣句風に付けのべました。

【三工程】
(前句)初祖達广問へど答へぬ座禅堂

 大和の国に蓮のひらける 〔見込〕
   ↓
 大和の国にひらく唐蓮  〔趣向〕
     ↓
 今胸の花ひらく唐蓮   〔句作〕

前句・釈教の付合語として「蓮」を出し〔見込〕、〈どのような蓮か〉と問うて、慈覚大師が中国から持ち帰って達磨寺に移植した「唐蓮」とし〔趣向〕、「胸」の一字で悟りの開花を表した〔句作〕。
 
 
胸の花がひらくなんて、鶴翁にしてはメルヘンチックですね。
 
「なんや、また横文字かいな」
 
メルヘン、いや乙女チックというか、おとぎ話、つまり御伽草子というか。
 
「? これはな類船集にも載っとるけどな、胸や肺の臓器の形なんやで、蓮華は」
 
なるほど、もっと即物的なんですね。
 
「また人を俗物扱いしよって」
 
いや俗物ではなくて即物、つまりフィジカル、いやリアリズム、要は写実でして……。
 
「……」
 

2025年8月8日金曜日

●金曜日の川柳〔酒井かがり〕樋口由紀子



樋口由紀子





本日はおひがらもよくキリン柄

酒井かがり(さかい・かがり)1958~

大阪のおばちゃんはアニマルプリントの服が好きで、亡母のクローゼットを整理していたら、アニマルプリントの服ばかりで、ここは動物園か、と弟が叫んだとどこかで読んだことがある。作者のクローゼットにもいろいろな動物が出番を待っているのかもしれない。

目覚めたら、なぜだか「本日はおひがらもよく」の気分だった。だから、キリン柄の服を着ようと何の理由も根拠もなく、直観的にそう思った。なぜ、キリン柄なのか。キリンのしおらしい顔や躍動感に意味や理由を後付けすることはできそうだが、どうもそうではなさそうである。なんとなくのワクワク感とキリン柄が自分のなかでマッチした。「おひがら(日柄)」と「キリン柄」の「柄」繋がりも気に入った。ただそれだけのことを書いているのに独自の空気感を出している。

2025年8月1日金曜日

●金曜日の川柳〔立花末美〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



ことごとく傘の下にはひとがいる  立花末美

開いた傘の下には、すべて(基本的には)一人ずつ人間がいる。これはごく当たり前の事実。当たり前すぎて、考えたこともなかったが、考えたこともなかったことを、こうはっきり示されると、軽く驚くとともに、なんだか不安になってくる。不穏なはずのない景色が、がぜん不穏になってくる。

傘の下の人間は(基本的には)沈黙し、雨音しか聞こえないので、よけいに、不穏・不安になってくる。

掲句は『川柳木馬』第183号(2025年7月)より。

2025年7月25日金曜日

●金曜日の川柳〔福尾圭司〕樋口由紀子



樋口由紀子





ブランコの台詞が三日月になった

福尾圭司

ブランコに乗りながらの言った台詞が空に舞い上がり、三日月になったのだろうか。あるいはブランコが揺れるときの、あのきーきーなどの音が風に乗って、夜空を駆けていったのだろうか。どちらにせよ、その台詞はもはや地上には戻ってこない。「ブランコ」から「三日月」までの距離が空想性や寓話性を帯びながら広がっていく。おおよそいままで川柳と趣きが異なり、ロマンチックでエレガントに仕上げている。

「三日月になった」に寂寥感が伴うが、三日月に象徴される陰影をアニメ映画の一場面のように設定している。センチメンタルに終わらずにまるで手品のように変化する。三日月のブランコはいつまでも揺れているのだろう。「第13回卑弥呼の里誌上川柳大会発表誌」(2025年刊)収録。

2025年7月23日水曜日

西鶴ざんまい #81 浅沼璞


西鶴ざんまい #81
 
浅沼璞
 
 
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声   打越
 下馬より奥は玉の摺石    前句
初祖達广問へど答へぬ座禅堂  付句(通算63句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表13句目。 月の座だが、9句目に引きあげているのでここは雑(釈教)。 初祖達广(しよそだるま)=中国禅宗の始祖、達磨大師。 座禅堂=達磨大師の金色の座像を安置してある祖師堂。

【句意】達磨大師は問うても答えずに座禅堂に安置されている(もとより座像なのだから答えはしない)。

【付け・転じ】前句の神域を禅寺の境内に見替え、達磨大師の座像をクローズアップした。

【自註】爰(ここ)は前句を山門に付寄せ、*唐作りの禅寺に見なし、森々として殊勝さ、本堂・**食堂(じきだう)につゞきて***達磨堂の立たせ給ふに仕立て侍る。
 
*唐(から)作りの禅寺=黄檗宗の明朝様式による寺院。
**食堂=本堂の東廊に続く。
***達磨堂=祖師堂。

【意訳】ここは前句を寺の楼門に付けなし、さらにそれを明朝風建築の禅寺と見なし、樹木の生い茂った厳かさ、本堂・食堂に続いて祖師堂を立てなさった様に仕立てたのです。

【三工程】
(前句)下馬より奥は玉の摺石
  森々として殊勝なる山門ぞ  〔見込〕
    ↓
  唐作りなる禅寺の達磨堂   〔趣向〕
    ↓
  初祖達广問へど答へぬ座禅堂 〔句作〕

神社の境内を寺のそれに見替え〔見込〕、〈どのような寺か〉と問うて、明朝様式の禅寺(黄檗宗)とし〔趣向〕、祖師堂に安置された達磨大師の座像に焦点をしぼった〔句作〕。
 
 
神祇を釈教へ転じていますが、反対に釈教から神祇への転じも『大矢数』にありましたね。
 
「……そやったか」
 
はい、〈夜がたりの夢が残りて安楽寺/是も思へば天神七代〉というのがーー。
 
「そら安楽寺は天満宮の神宮寺やから、天神さんにはよう付く。転じ、いうより、付け、やろ」
 
なるほど、神仏習合ですね。
 
「なんや神仏集合いうんは。地口かいな」

2025年7月18日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕樋口由紀子



樋口由紀子





宗教家の芋けんぴ破獄などしない

川合大祐(かわい・だいすけ)1974~

時の政府と折り合えなかった多くの宗教家は投獄された。その中には破獄した人もいたかもしれない。芋けんぴなら隙間をぬって脱出できそうなのに、破獄などしないと言い切る。フィクション性を多分に含み、作者ならではの主観の打ち出し方である。

「宗教家」「破獄」と意味性の強い言葉が使われているのに、喜怒哀楽を喚起したり、感情を刺激しない。中ははさまる「芋けんぴ」がシャットアウトしている。そもそも「宗教家の芋けんぴ」とは何だろうか。「の」で素知らぬ顔で結びつけているが、省略が効きすぎて路頭に迷う。職人は目の前にある材料だけでものをつくると言われるが、掲句もそのようである。周知の感覚を上から横から揺さぶってくる。『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』(2025年刊 書肆侃侃房)所収。

2025年7月11日金曜日

●金曜日の川柳〔富永顕二〕樋口由紀子



樋口由紀子





人間じゃないと告白する檸檬

富永顕二(とみなが・けんじ)

檸檬はサワー・サラダ・揚げ物などの添え物でついてくる。皮を残して、果肉をぎゅっと思い切り絞られ、捨てられる。まるで人間のようではないかと。檸檬にそんな告白をされたら、人間の面目丸つぶれである。檸檬に自己投影しているのだろうか。そう読むのが順当だろう。

檸檬が普通に考えて話す視点で書いている。「人間」と「檸檬」は同じ範疇に属している。人間の外部からこの世の現実を書く。立場を変えると世界の見方もくるりと変わり、なにもかもが回りはじめる。言葉を異化しているのでもなく、奇想というほどでもない。そんな世界が実際にあるかのように見せるのも俳諧味だろう。「川柳ねじまき」(11号 2025年)収録。

2025年7月4日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



初恋の顔をしている将棋盤  樋口由紀子

四角くて、硬くて、平べったくて、おまけに縦横に直線が入っていて、おおよそ「初恋」の雰囲気とは程遠い、その顔、といっていいのだろうか、その顔を、じっと上から、いくら眺めても、やはり「初恋」には思えない。

といいつつも、初恋のなんたるかを、いつのどれが初恋だったのかを、知らない・わからない。のであれば、遠いも近いもないのであった。

さらには、はさみ将棋しかできない、となれば、理解のおよぶ景色ではない。

でも、それにしても、すごい顔だと思う。将棋盤が? 初恋が? どっちも。

掲句は『トイ』第15号(2025年6月1日)より。

2025年7月2日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇27 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇26
 
浅沼璞
 
 
じつは「横尾忠則――連画の河」展(世田谷美術館・4月26日~6月22日)のレポートを会期中に書くつもりでいたのですが、この猛暑の最中、体調不良にみまわれ、しばらく筆を執れずにいました。
 
けれど西鶴独吟ならぬ横尾独描の鮮烈な印象はなかなか脳裡を去らず、今こうして病み上がりの筆を執らずにはおれない次第です。


さて連歌に見立てた連画という趣向は折にふれて見聞きしてきました。
 
さしあたり手元にパンフのある『連画 十二人の詩と夢の交響楽』(1996年)について言えば、これは東京・大阪・京都・横浜の高島屋ギャラリーで開催されたもので、愚生は地元横浜の会場に足を運びました。タイトルのとおり、十二人の現代画家が歌仙の実作に取りくみ、その歌仙をネタに連画を描くという趣向の企画展でした。
 
その後この流れがどう展開したのか、門外漢の愚生には知る由もないのですが、いまパンフの作品群を見渡してみても各作家の個性が屹立して、水平的な連結が弱く、連画というより集団によるスタティックな連作という感が否めません。


いっぽう今回の横尾さんの独描連画(全64作)は、というと、たんなる連作ではなく、同一趣向の「見込み」を違えて、対付け・抜け・色立・逆付けなどが駆使され、独描の面白さの横溢するものでした。
 
同級生との群像写真をネタとした絵を発句に、その群像が、筏の川下りからメキシカンや歌舞伎の六方へと変容し、機関車・壺・シンゾー・三途の川・大谷・ゴーギャン等へ転じられていくそのスピード感はまさに圧巻。

挙句の自画像は言うまでもなく「仮の終止符」といったところで、ふたたび発句ならぬ発画へと取って返したい衝動にかられました。


ところでこの自己を他者へと転じるかのような横尾独描のスピード感は、あの西鶴独吟の矢数俳諧さながらの効果を生んでいるのは確かで、平野啓一郎さんもそのレポートで次のように指摘しています。

〈速く描くということは、絵画が絵画らしくあるための幾つかの利点を放棄することである。対象を深く存在論的に表象すること、細部の仕上げに拘ること、完成度を追求すること、主題を熟考すること、コンセプトに凝ること、……それらは確かに、美術作品としての説得力を増す。しかし、手放してみれば、芸術の創造的な自由は、遥かに明るく、伸びやかになる。〉(「大きな「絵画的なるもの」のうねり」『Numero TOKYO』7.8月号)

この放棄の思想、手放すメソッドの効用は、まさに自己を他者へと転じる独描・独吟のそれと表裏をなすものと言っていいでしょう。

放棄によって得られた〈創造的な自由は、明るく、伸びやか〉で、それを享受する者の心をも開放して止まないのです。

2025年6月30日月曜日

●月曜日の一句〔村上佳乃〕相子智恵



相子智恵






刺身二種盛り蛸とあとどないしよ  村上佳乃

句集『空へ』(2025.6 邑書林)所収

刺身の二種盛りを頼んだときの料理人(かつ店主であろう)の言葉を想像した。客自身がお品書きから二種を選べるシステムなのかもしれない(つまり、この言葉は客自身の言葉なのかもしれない)が、私は料理人の言葉と取るのが、面白いように思う。

チェーン店では決してありえない一瞬の会話、というか独り言である。店は一人で切り盛りしているか、せいぜい家族経営くらいのこぢんまりとした、常連客に愛される親しみのある居酒屋や寿司屋。〈どないしよ〉の関西弁の語り口がそんな場所であるような想像をさせてくれる。

蛸は今が一番おいしい季節なのだ。だからこれは決まり。あともう一品は、さて、何を盛り付けようか。これは何もなくて困っている〈どないしよ〉ではなく、おすすめが色々あって迷っている〈どないしよ〉だろう。蛸の隣に並べるなら……と思案する、料理人にとっても、客にとっても幸せな時間だ。他の料理も酒も、きっとおいしいだろうな。この店に行ってみたいと思わせる、生き生きとした一句である。

 

2025年6月27日金曜日

●金曜日の川柳〔郡司和斗〕樋口由紀子



樋口由紀子





耳が耳2になるのを止めましょう

郡司和斗(ぐんじ・かずと)1998~

「耳2」はただ「耳」をバージョンアップしただけで、耳には変わりがなく、それほどの差異はないと思っていた。しかし、「止めましょう」と言われて、はっとした。「耳」と「耳2」は似て非なるものなのかもしれない。「止めましょう」と自分の意見をダイレクトに持ち込んでいるが、作者はすっと引っ込み、姿はみせない。実にアナーキーで悪意に満ちている。

「耳2」は本来の「耳」から遠く離れて、変貌していて、別物になっている可能性だってある。この世とはそういうところだと世界を把握しているのか。「耳」と「耳2」が実在感を持って立ち上がってくる。決して感傷にふけないで、言葉を意識的に操作している。『川柳EXPO2025―柳―』(2025年刊)所収。

2025年6月20日金曜日

●金曜日の川柳〔湊圭伍〕樋口由紀子



樋口由紀子





えんとつそうじーえんとつそうじー

湊圭伍(みなと・けいご)1973~

えんとつそうじは絵本によく出てくる。えんとつはきれいになったが、えんとつそうじをした人は煤だらけで真っ黒、最後に手で鼻をぬぐって、鼻が黒くなるというのが定番であった。煙突掃除をしている人を描写しているのだろうか。あるいはサンタクロースを迎えるために、今から煙突掃除をするのだろうか。復唱していて、なにやら楽しげである。

ただそれだけのことを一句にするのはどこかヘンである。まして、川柳のセオリーからことごとく外れすぎている。「川柳はなんでもありの五七五」と渡辺隆夫が提唱したが、五七五でもなく、十七文字でもない。しかし、ここまで来るとあきれて読むしかない。ふざけているのか、ふざけたかったのか。作品を作るという気負いを感じさせない。『川柳EXPO 2025―川―』(2025年刊)所収。

2025年6月13日金曜日

●金曜日の川柳〔おだかさなぎ〕樋口由紀子



樋口由紀子





冬に濃くなる牛乳が兄だった

おだかさなぎ

近所の牛舎に毎朝やかんを持って生乳をもらいにいくのが子どもの頃の私の役目だった。搾りたての生乳は濃厚で二度と味わえない特別のものだった。冬の牛乳はより濃厚なのだろう。季節指定である。フィクション性を伴って、兄の存在がモノとなって浮かびあがってくる。

私は二人姉妹の姉の方で兄はもともといない。だから、兄に対して夢見心地のところがあり、謎でもある。「兄」を喩えるのに「冬に濃くなる牛乳」ははじめて読んだ。憧憬しているのか、畏怖しているのか、それとも。愛すべきではあるが、少々ややこしそうである。実体としてははっきり摑めないが、「兄」はもういいかなと思ってしまった。『川柳ねじまき』第11号(2025年5月)収録。

2025年6月11日水曜日

西鶴ざんまい #80 浅沼璞


西鶴ざんまい #80
 
浅沼璞
 
 
 廻国に見る芦の屋の里    打越
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声   前句
 下馬より奥は玉の摺石    付句(通算62句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表12句目。 雑(神祇)。 下馬=下馬すべき所。聖域への乗馬を禁じた下馬札(げばふだ)のある下馬先。参考〈鬼神も下馬鶴の羽音ぞ大矢数/西六〉 玉の摺石(すりいし)=玉砂利。

【句意】神社の下馬先から奥は玉砂利を敷きつめた参道(である)。

【付け・転じ】前句の掟(生類憐みの令)を神社の制札(禁令)に見替え、さらにそれを下馬札に限定した。

【自註】此の下馬、*御朱印地の宮居のありさまにして付寄せ侍る。一ノ鳥居のほとりに**札立て置きて、***神山の花・とり(鳥)をおどろかす事、かたくきんせい(禁制)、是によつて、****東路の道者、落書せざりき。
*御朱印地の宮居=幕府から御朱印状により社領を与えられた格式ある神社。
**札(ふだ)=制札。境内の禁制を記した木札。下馬札もそのひとつ。  
***神山(かみやま)=神社の領域内の山。 ****東路の道者(どうじや)=関東筋の団体巡拝者。

【意訳】この句の下馬札は、御朱印地の神社のありさまをもって付け寄せています。一の鳥居のあたりにこの札を立てておき、神域の花や鳥にいたずらすることを固く禁じ、これによって関東筋の巡拝者も(俗習である)落書きをしなくなった。

【三工程】
(前句)人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声

  一ノ鳥居に禁制の札   〔見込〕
   ↓
   一ノ鳥居に下馬札のあり 〔趣向〕
   ↓
  下馬より奥は玉の摺石  〔句作〕

前句の掟から神社禁制の木札を連想し〔見込〕、〈どのような制札か〉と問うて、下馬札と限定し〔趣向〕、下馬先から奥の玉砂利の参道をもって句を仕立てた〔句作〕。
 
 
英一蝶さんの没後300年展でも落書が画題になってて、鳥居や仁王門にいたずら書きをする巡礼たちが面白おかしく描かれてましたが……。
 
「物詣の衆がな、かたみ(=記念)にな、己れの名なんぞを書くんやが、肩車して鳥居の高いとこに書いたり、長い棒に筆をくくりつけてな、仁王さまのおみ足へ柵越しに落書したりしてな、ほんに罰当たりなことや。冥加おそろしきことや」
 
それで禁令のお札が……、けど、そういう鶴翁も神仏を擬人化して茶化してますが……。
 
「……」
 
まただんまりですか。

2025年6月9日月曜日

●月曜日の一句〔金子敦〕相子智恵



相子智恵






疾走の猫に抜かるる大神輿  金子敦

句集『ポケットの底』(2025.5 ふらんす堂)所収

印象鮮やかな一句だ。神輿は担ぐ人に注目されて詠まれる句が多いが、この視点は新鮮である。

神輿は大勢で「わっしょい」「せいや」などの掛け声で、小刻みに足を動かしながら練り歩くので、あまり早く進むものではない。大神輿であればなおさらだろう。担ぎ手は御旅所の神酒で酔っぱらったりしながら、大勢で賑やかに進んでゆく。

その脇をすり抜けていく〈疾走の猫〉。猫同士の喧嘩か、何かから逃げているようだ。祭の熱狂にお構いなしに、一気にしなやかに疾走してゆく。

普段はゆっくり眠ることが多い猫の疾走と、神輿を担ぎ、掛け声のリズムにトランス状態になっていく祭りの人々。疾走する猫によって、不思議と「祭りらしさ」「熱狂」がさらに強調されてくるようだ。

また、猫と神輿の組み合わせによって、下町の風情が感じられてくるところもいい。

 

2025年6月6日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



巨大化したフジアキコ隊員(TVシリーズ「ウルトラマン」第33話:1967年2月26日)を見た瞬間の、あのザワザワした心持ち。


それ自体はセクシーでもセクシャルでもないのに、それに類する感情に強烈に支配される、あの感じを、当時も今もうまく言語化できない。けれど、当該の経験を記憶する当時の十代(男性)は多いようだ。フジ隊員の巨大化は、神話、というと大袈裟だけれど、重要なエピソードになっている。

砂漠から巨大舞妓が立ちあがる  川合大祐

舞妓という女性性の強い職業にある人なのに、性的な要素があまりない。それは、砂漠という設定と舞妓のきらびやかな衣裳があまりにも不釣り合いで、突拍子もない(ポップでシュールな絵画のようでもある)からだ。あまりにも無縁な組み合わせのなかで、この「立ちあがり」は、あまりにも唐突なので、「性的」その他、ある種分化した感情を惹起させない。未分化の感覚に訴えかけ、恐怖でも魅惑でもなく、ただただ驚かせる。

舞妓が座位から優雅な挙措で身を起こすのを、おお! と見上げるばかりで、その前後にも背後にも、物語などはなく、脈絡も理由も顛末もない。それゆえ、これは、圧倒的な出来事なのだ。

なお、「巨大娘(Giantess)」は、古代、例えばギリシャ神話の女神ガイア以来、時代と場所を問わず連綿と続くモチーフだそうで、この舞妓も、その系譜に入る。

掲句は川合大祐句集『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』(2025年5月/書肆侃侃房)より。

2025年5月30日金曜日

●金曜日の川柳〔西田雅子〕樋口由紀子



樋口由紀子





雨ばかり降る窓の位置かえてみる

西田雅子(にしだ・まさこ)

何げない景が意外な展開を見せて、「雨」と「窓」の様相が変わる。「雨ばかり降る」は実際に雨が降っているというよりは作者の心の方に雨が降っているということだったのだろう。そうでなくては「窓の位置かえてみる」と辻褄が合わない。

それにしても「窓の位置かえてみる」とは大胆に打って出たものである。日常の立て直し方の極意かもしれない。できないことをできるような気にさせてしまうから不思議だ。雨から窓に視線を巧みに誘導し、見え方や意識を変える。日常に対しての接し方や対処方法を矜持をもって形象化している。『そらいろの空』(2025年刊 ふらんす堂)所収。

2025年5月26日月曜日

●月曜日の一句〔竹岡佐緒理〕相子智恵



相子智恵






炎暑のフェス推しの登場まで五秒  竹岡佐緒理

句集『帰る場所』(2025.1 ふらんす堂)所収

〈フェス〉〈推し〉など、現代の風景や俗語を大胆に俳句に取り入れた、ライブ感のある一句だ。

夏の、野外の音楽フェスであろう。“推し”(現代の俗語で、人にすすめたいほど気に入っている人や物のこと)のアーティスト(歌手)が登場する前に、観客たちを巻き込み、5秒間のカウントダウンが始まる。「5、4、3、2、1」と会場が一体となって叫び、ボルテージは一気に高まり、その瞬間に推しのアーティストが歌いながら登場するのだ。耳をつんざくような音楽と、舞台の映像演出もきっと華やかであろう。

〈炎暑〉という季語はその厳しさから、〈つよき火を炊きて炎暑の道なほす 桂信子〉といった過酷な労働や、〈下北の首のあたりの炎暑かな 佐藤鬼房〉〈馬を見よ炎暑の馬の影を見よ 柿本多映〉など、どちらかというとやや内省的な暗さをもつイメージで使われることが多いように思う。

掲句は観客の熱気と〈炎暑〉が重なり、明るく健康的なパワーがみなぎっている。ワクワクする炎暑の句というのもめずらしい。

 

2025年5月23日金曜日

●金曜日の川柳〔村山浩吉〕樋口由紀子



樋口由紀子





死ぬ前に冷やし中華はどうですか

村山浩吉(むらやま・こうきち)

急な暑さで「冷やし中華始めました」の旗を飲食店で見かけるようになった。以前テレビで死ぬ前に食べたいものの一位は「卵かけご飯」だった。えっと思ったけれど、すぐにありそうだと納得した。それに比べて、冷やし中華の美味しい季節になったとはいえ、さすがに死ぬ前にというほどのものではない。そのギャップとありえないに価値を見出し、川柳にしている。

どう声をかけたらいいのかわからなかったのだろう。「冷やし中華」のとんでもないズレが咄嗟さと戸惑いの動揺を言い表している。しかも、その場の不安定さを暗転ではなく、明転しようとがんばっている。案外、「冷やし中華」が好物だったのかもしれない。(「川柳まつやま887号」(2024年刊)収録。

2025年5月21日水曜日

西鶴ざんまい #79 浅沼璞


西鶴ざんまい #79
 
浅沼璞
 
 
面影や位牌に残る夜半の月   打越
 廻国に見る芦の屋の里    前句
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声   付句(通算61句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表11句目。 雑(単なる鶴は「雑」の扱い)。 恐ぢぬ=怖じぬ。 掟=生類憐みの令。 鶴=芦→田鶴(類船集)。

【句意】代々の掟によって(守られ)人を恐れない鶴の声(がする)。

【付け・転じ】前句の西明寺時頼の廻国伝説から「世々の掟」を、芦から「鶴」を付け寄せた転じ。

【自註】御代の掟の正しきを諸鳥までもわきまへて、里の道ゆく田夫(でんぶ)には中々おそるゝ気色なく、雀も鳴子(なるこ)をけちらし、烏は案山子の笠にとまりてつらがまへのにくし。ましてや大鳥(おほとり)の鶴などは、心まかせに舞ひあそびて、*ちとせをしれる声々ゆたか也。
*ちとせをしれる=千歳を知れる。諺「鶴は千年、亀は万年」。

【意訳】今の代の掟の正しさを、諸々の鳥どもまでよく分かっていて、田舎道をゆく農夫には容易に恐れる様子なく、雀も鳥威しを蹴散らし、烏は案山子の笠に止まってその面構えも憎たらしい。ましてそれらより大きい鶴などは心のままに舞い遊んで、千歳を生きる声々の絶えることもない。

【三工程】
(前句)廻国に見る芦の屋の里

代々の掟正しき世なりけり  〔見込〕
   ↓
代々の掟を諸鳥わきまへて  〔趣向〕
   ↓
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声  〔句作〕

前句の西明寺時頼の廻国伝説から「掟」を連想し〔見込〕、〈どのような掟か〉と問うて、生類憐みの令を抜けにし〔趣向〕、芦から「鶴」を付け寄せ、一句を仕立てた〔句作〕。


やはり生類憐みの令の浸透がすごかったんですね。
 
「ま、もとから徳川さんの御世はな、庶民の勝手な殺生は禁ぜられとって、狩猟はできんかったのや」
 
雀・烏ときて、最終的に鶴を一句にしたのは「西鶴」って号もからんでますか。
 
「当時、生類憐みの令も度をましてな、じきに将軍家の鶴姫さまの名もご法度となってな、鶴の字使うのさえ禁じられたんや」
 
あぁ鶴字法度(かくじはっと)ですね。鶴翁も一時「西鵬」って改号してましたね。
 
「なんや、知っとるんかい」
 
はい。そのへんの経緯がこの付句や自註の背景にあるんですね。
 
「……」
 
もう徳川の世じゃないですから、認めても大丈夫ですよ。
 
「……」

2025年5月16日金曜日

●金曜日の川柳〔時実新子〕樋口由紀子



樋口由紀子





月の夜を何処から何処へゆく柩

時実新子(ときざね・しんこ)1929~2007

不思議な川柳である。奇妙なくらい明るい月の夜だろう。月明かりのもとにゆらゆら揺れて、何処かに運ばれていく柩。あたりはしんとしていて、風の音も虫の音もしない。ただ、柩が運ばれてゆく。「何処(どこ)から何処(どこ)へ」の意味を含ませながらのリズムが心地よい。

時実新子その人が柩のなかに横たわっているような気がする。何処かに自分が運ばれてゆく。人任せにすることがこんなに気楽なこと、そんな心境になれたことを、第三者的な視点で自分の死を見ている。何歳の時の作かはわからないが、もちろん生存中にすでにそんな心境になっていたのだ。ドラマ性があり、独特の雰囲気を纏わせて、絵になる。刹那のありようがいかにも新子らしい。『時実新子全句集』(1999年刊 大巧社)所収。

2025年5月12日月曜日

●月曜日の一句〔涼野海音〕相子智恵



相子智恵






金魚田の隅の波立つ夜明けかな  涼野海音

句集『虹』(2025.1 ふらんす堂)所収

印象鮮やかな句である。金魚田は、金魚の養殖に使われる池や田だが、現在のそれは、専用の養殖池であろう。

金魚も夜は静かに休息する。まぶたはないが、眠っているのである。掲句からは、隅の方に固まって休んでいたことが想像されてくる。そんな金魚たちは、夏の早い夜明けに起きだし、金魚田は隅の方から静かに波立ってくるのだ。

〈隅の波立つ〉の描写が、金魚の集まる習性をよく捉えていて見事である。そして、金魚の赤色(赤い金魚が想像される)と、夏の夜明けの茜色の対比が想像されてきて、繊細な美しい色の情景が、まぶたの裏に静かに浮かんでくるのである。

 

2025年5月7日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇26 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇26
 
浅沼璞
 
 
これはもう四半世紀ほど前の話ですが、「式目にうるさい連句で、自身の内面を表現することはできるのか」という難問について一筆したためたことがあります。
 
それは後に拙著『中層連句宣言』(2000年)に収録した架空連句の留書で、自身の体験をもとにした内面表出の可能性について言及しました。
 
以降、長らくふれてこなかったこの難題を、当「西鶴ざんまい」で『独吟百韻自註絵巻』を読み解くうちに再び考えることになろうとは……。

 
それはここのところ註解を加えてきた次の付合群を契機としています。

  吉野帋さくら細工に栬させ
   鹿に連泣きすかす抱守
  面影や位牌に残る夜半の月
   廻国に見る芦の屋の里   (三ノ折・表7~10句目)

周知のように、西鶴は若いころに幼馴染の愛妻を、晩年に盲目の愛娘を共に病気で亡くしています。晩年に巻かれた独吟のこの一連には、そんな西鶴の悪戦苦闘が託されているのでは、と思い始めた矢先、たまたま檜谷昭彦氏のかつての解釈(1986年)に出会いました。まったく目から鱗の出会いでした。
 
以下、西鶴自註の番外編として抜粋します。

《…吉野を点出させ、鹿の妻恋う声から抱守りを出し、亡妻の面影を月の座で描き、廻国行脚の旅人を詠む。いま西鶴の自註を無視して連俳それ自体を自由に読むとき、私は西鶴における熊野行が、亡妻および亡女との蜜月の旅におもえてならない。》「西鶴晩年の動向」『西鶴論の周辺』(三弥井書店)

そして辞世の発句へと話は発展します。

《西鶴が熊野へ旅し独吟百韻を詠んだのは事実だし、その後かどうかはこれも不明だが、辞世の句、
  浮世の月見過しにけり末二年
が生前すでに用意されていたのも事実としてよいだろう。(中略)キイワード「見過し」の意味内容は、はたしてなんだったのだろうか。たとえばこの語の伝える読者への発信を、現行の古語辞典が示す意味に限ってよいのかどうか。私はこの「月見過しにけり」の一句に、(中略)晩年の悪戦苦闘と孤独な生活に耐えた作家の、「末二年」間の索漠たる精神構造を見るのであり、結句、俳諧に回帰するほかなかった詩心と、西鶴の、いわゆる〈無念〉のおもいを読もうと考えている》


これまた周知のように、「人生五十年、それすら過分なのに、二年も長生きしてしまった」というような前書がこの辞世には付されていますが、その自虐の裏側を覗きこむような結語を檜谷氏は記しているのです。言うまでもなくこの結語は先の独吟連句の一連を契機としてなされたものです。ここに冒頭に掲げた難題の答えを見るのは愚生だけでしょうか。

2025年5月2日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



桜田門外の変な日であった  川合大祐

江戸幕府大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」は、安政7年(1860年)3月3日。この日は新暦に直すと3月24日。大雪だったのは知らなかった。現在の東京でも、桜の頃に雪が降るのはめずらしくないが、意外。

この日は、「変な日であった」のかもしれない。

井伊直弼がこのとき満44歳だったことも意外。昔の人の人生と今の人生を比べるのは意味がないほど、昔の人は短命で業績が凝縮している。モーツァルトは35歳で死ぬまでに膨大な曲を残したし、正岡子規も享年35歳とは思えないほど大量の仕事を成し遂げた。で、井伊直弼は40代で政府のトップ。「大老」とは老人のことではないのだと、無知をさらしてしまう。

ついでに意外、というか、またもや私自身の無知無学に起因するたぐいの話だが、襲撃にピストルが用いられ、籠の中の標的に銃弾が命中したともいう。意外。チャンバラ時代劇の殺陣しかアタマになかった。

と、まあ、例によって安直にネット検索で、この歴史的な出来事について調べ、なんやかやと興味を向けている。今日は、私にとって、ずいぶんと「変な日」にちがいない。

掲句は川合大祐川柳句集『スロー・リバー』(2016年8月/あざみエージェント)より。

2025年4月25日金曜日

●金曜日の川柳〔しまもと菜浮〕樋口由紀子



樋口由紀子





船底に乱反射して月の群れ

しまもと菜浮(しまもと・らいふ)

暗闇の波間に、黒い船体に、ときおり波が打ち寄せ、月が映る。実際に見たのを言葉にした写生句か、あるいは映画などで観たのを記憶をしているのかもしれない。その月は眩しいほどに美しく、この世のものとは思えないほど輝いている。

「月」に「群れ」の一語をつなぐことによって、「月」につきまとう崇高さが抜けて、俗臭をまとい、一気に身近に迫ってくる。映像として虚構性をまとわせながら、視覚的なリアリティを持って、奇想化する。「月の群れ」のなかに交じって乱反射している作者の姿も思い浮かんでくる。『のんびりあん』(俳句短歌We社 2024年刊)所収。

2025年4月21日月曜日

●月曜日の一句〔彌榮浩樹〕相子智恵



相子智恵






舌の上に黄金週間の飴が  彌榮浩樹

句集『銃爪蜂蜜 トリガー・ハニー』(2025.3 ふらんす堂)所収

気づいたら、来週からもうゴールデンウィークであった。
掲句、「舌の上に飴が」は些事中の些事であり、「舌の上に飴があるのは当たり前じゃん」の一言で鑑賞が終わってしまうくらい、ある意味、清々しいほどの「驚きのなさ」である。

そこに唐突に割り込んだ〈黄金週間の〉。この季語が、一句にぬけぬけとした面白味を与えている。何でもない飴が、光り輝く宝物のように思えるではないか。しかも「黄金週間」という張りぼてのような薄っぺらなネーミングが、妙に「舌の上の飴」という庶民的な些事と合っているのだ。

〈飴が〉の言いさしも効果的だ。気づいたら黄金週間に突入していて、でも自分は変わらず飴を舐めるような日常。

そんな時、わざと恭しい感じで「(おお、我が)舌の上に黄金週間の飴が」と言ってみた…その輝かしい虚しさ。自嘲的な雰囲気があるところが面白い。

 

2025年4月18日金曜日

●金曜日の川柳〔旅男〕樋口由紀子



樋口由紀子





延命にあと一票足りませんが

旅男(たびお)

大病を患ったので、「命」という言葉に敏感になり、「余命」「延命」などと聞くとビクッとする。一票足らないから延命はされないのか。こんなに軽く決めていいのかと、読み手は思う。だから、川柳にしたのだろう。

「一票が足りません」と断定するのではなく、「一票足りませんが」、さて、どうしますか?と問いかけている。一見、冷めた視線だが、そこから見えてくるものに焦点を当てる。「延命」の難しさや「一票」の重さが、「足りませんが」で心情的解釈をいったん遮断して、居心地の悪さを露にする。これから「命」はどう扱われていくのか。死生観、無常観が根底にある。「川柳アンジェリカ」(2024年刊)収録。

2025年4月16日水曜日

西鶴ざんまい #78 浅沼璞


西鶴ざんまい #78
 
浅沼璞
 
 
 鹿に連泣きすかす抱守    打越
面影や位牌に残る夜半の月   前句
 廻国にみる芦の屋の里    付句(通算60句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表10句目。 雑(旅)。 廻国(くわいこく)=諸国をめぐり歩くこと。 芦の屋=摂津国、芦屋(現、兵庫県)。

【句意】諸国をめぐって検分する(その一つの)芦屋の里で。
 
【付け・転じ】前句の位牌から、西明寺時頼の故事を連想した転じ。
 
【自註】鎌倉の*西明寺(さいみやうじ)時頼、諸国をめぐり給ふ時、津の国難波なるあしの屋の里に一夜を明し給ふに、**あるじの尼公、身の上のむかしを語りて、「今はたよりなき」となげきしを、哀れにおぼしめして、位牌のうらに一首書付(かきつけ)残させ給ふ。「なには潟汐干に遠き月影を又元の江にすみ(すま)ざらめやは」。其後めし出されて、***本知(ほんち)をくだし給ふと也。当流には、古事など嫌ふといへども、よく付合候事はくるしからず。
*西明寺=鎌倉幕府5代の執権・北条時頼の号、最明寺。 **あるじの尼公……=『太平記』、謡曲「藤栄」等にみえる故事。 ***本知=もともとの領地

【意訳】鎌倉の西明寺入道・北条時頼が諸国めぐりをなさったとき、摂津の国難波の芦屋という里で一夜をお明しなされたところ、宿の主の尼君が身の上の昔を語って、「今は何の頼りもない」と嘆いたのを、哀れにお思いになり、その宿の位牌の裏に一首書き付け、お残しなされた。「難波潟の潮干に遠い月光とて、また元の江に澄まない(住まない)ことがあろうか」。その後、この尼をお呼びになって、もとの領地を再び下されたということである。最近の俳風(元禄疎句体)では故事付などを避けるというけれども、よく付け合う場合には問題ない。
 
【三工程】
(前句)面影や位牌に残る夜半の月
 
時頼入道一首書き付け  〔見込〕
 ↓
芦屋の尼へ一首書き付け 〔趣向〕 
 ↓
廻国にみる芦の屋の里  〔句作〕

前句の位牌から、その裏に和歌をしたためた西明寺時頼の故事を連想し〔見込〕、〈どこの誰に向けてしたためたのか〉と問うて、芦屋の尼君と具体化し〔趣向〕、時頼や尼君の「抜け」によって句を仕立てた〔句作〕。


自註で〈当流には、古事など嫌ふ〉とありますが、この〈当流〉を元禄よりひと時代前の談林と見なし、*談林では故事を嫌う、と解釈する場合があるようです。

「? この〈当流〉いうんは、元禄の〈当流〉いう意味やで」
 
ですよね、談林の付合は故事だらけでしたよね、謡曲取りとか。
 
「ま、ひと時代前は談林を〈当流〉いうとったから、勘違いしたんやろ」
 
あゝ、いつになく肝要ですね……。

*談林では故事を嫌う=『譯註 西鶴全集』第二(藤村作編、至文堂、一九四七年)。

2025年4月14日月曜日

●月曜日の一句〔河内文雄〕相子智恵



相子智恵






花莚立つも座るもこゑ出して  河内文雄

句集『加計比幾』(2025.2 ふらんす堂)所収

〈立つも座るもこゑ出して〉は、「よいしょ」「どっこらしょ」のような掛け声なのだろう。無言でスマートにスッと立ったり座ったりすることが少しずつ億劫になってきた、老いを感じる掛け声である。きっと〈花莚〉だけに限らず、いつも床に腰を下ろしたり立ち上がったりする時には、そのような声が出ているのだと思う。

しかし〈花莚〉の場面であるのが明るくていい。仲間と楽しく酒を酌み交わし、酔っぱらって足元が少しおぼつかなくなってきた様子も想像されてくるし、花見だからこそ、老いを感じる掛け声の中に、長寿へと向かう「めでたさ」が滲むのである。季語が違えば、老いの寂しさに焦点が当たる内容が、明るい俳味に転換された。

 

2025年4月11日金曜日

●金曜日の川柳〔いなだ豆乃助〕樋口由紀子



樋口由紀子





一〇〇〇人の妖精たちにからまれる

いなだ豆乃助(いなだ・まめのすけ)1976~

これほど嘘っぽい川柳は久しぶりである。本当に1000人なのかとまずつっこみを入れたくなる。妖精を想像するなら、せいぜい、2、3人である。(妖精は数えるのは「人」なんだとここは妙に納得した)。すさまじい光景で緊急事態であるはずなのに冷静でたじろいでいない。「からまれる」と困惑して、被害者意識を出しているものの、こんなハプニングは滅多にないと心躍りしているようである。

「一〇〇〇人の妖精たち」で景を決め、「からまれる」で意味を決め、時間を止める。からまれた後はどうなったのかと想像も膨らむが、そもそもこの世ではない不思議な出来事である。日常を解体されていくような舞台設定に飛躍と驚きがあり、言葉で創りあげていく世界を魅力的に愉しく立ち上げた。「晴」(8号 2025年刊)収録。

2025年4月10日木曜日

●甲板

甲板

甲板の風がくすぐったい春だ  福田若之

花冷の甲板踏んで女の子  田中裕明

甲板と水平線とのあらきシーソー  篠原鳳作

甲板の豚は望郷の涙でぬれる  藤後左右

航終る甲板の雪陸の雪  鷹羽狩行

2025年4月8日火曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


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イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2025年4月4日金曜日

●金曜日の川柳〔岡林裕子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



一本のネジは余るし雨は降る  岡林裕子

ぴったりに越したことはないが、足りないよりも余るほうがいい。機能的には。というのは、用を足すに困らないという意味。

しかしながら、気持ちとしては、おおいに問題。揺さぶられる。

足りないのは、おそらく自分の過失だ。足りないことがないように、はずしたネジは管理する。ところが、余るとは、いったいどういうことだ?

つまり不思議さ加減は、足りないよりも余るほうがはるかに大きい。

問題・疑問を眼前にして、まあ、いいかと、うっちゃって外に散歩にでも出かけようにも、雨。雨に閉じ込められるように、不思議と一体になって過ごすしかない。

掲句は『川柳木馬』第182号(2025年4月)より。

2025年4月2日水曜日

西鶴ざんまい #77 浅沼璞


西鶴ざんまい #77
 
浅沼璞
 
 
吉野帋さくら細工に栬させ   打越
 鹿に連泣きすかす抱守    前句
面影や位牌に残る夜半の月   付句(通算59句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表9句目。 月=ここまでの秋の付合を受け、月の定座(三オ13句目)が四句引き上げられる。 や=ここでは軽い間投助詞として扱う(ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 西鶴ざんまい 番外編9 浅沼璞)。 位牌=無常(死葬に関する詞)。

【句意】亡き人の俤が位牌に浮かぶ(そんな)夜半の月。

【付け・転じ】前句で子どもが泣くのは亡くなった親を慕うためとして無常へ転じた。

【自註】さなきだに秋は物がなしきに、鹿の鳴く音より哀れなるは、世の*無常にぞ有ける。いまだ物のわきまへもなき少年の母に**おくれて、夕々にたづねなげきしに、なきあとの位牌ををしへて、「かゝさまはあれにまします」とおの/\袖の露ひる事なし。
*無常=俳諧では主に死葬をさす。  **おくれ=先立たれ。

【意訳】そうでなくても秋は物悲しい季節なのに、鹿の鳴く声より哀れなのは、人の死にほかならない。いまだ物心のつかない少年の、母に先立たれて、毎夕尋ね泣くのに、仏壇の位牌をさして、「お母さまはあそこにおいでになります」とみんな涙の乾く暇もない。

【三工程】
(前句)鹿に連泣きすかす抱守

少年の母におくるゝ世の無常  〔見込〕
 ↓
かの母の位牌ををしへ袖の露  〔趣向〕
 ↓
面影や位牌に残る夜半の月   〔句作〕

前句「連泣き」の所以を母の死とみて〔見込〕、〈尋ね泣く子に、周囲はどう対応したか〉と問うて、位牌を指さしてみんな涙したとして〔趣向〕、月の定座を引き上げ、具体化した〔句作〕。


鶴翁の年譜をたどると、亡妻の十七回忌の翌春、盲目の一女に先立たれ、その直後に紀州熊野への旅に出、それがキッカケでこの「百韻自註絵巻」が巻かれたってことになりますかね。
 
「そやな、熊野行脚は供養の旅と言ってもえゝし、百韻自註は追善の一巻と言ってもえゝな」
そうすると今回の付合と自註はこの巻のハイライトですね。
 
「なんやその俳諧糸いうんは」
 
いや、最近の横文字でして。

「はゝ、阿蘭陀の文字か横たふ天つ雁、梅翁先師の影響は後世まで続いとるんやな」

2025年3月31日月曜日

●月曜日の一句〔桐山太志〕相子智恵



相子智恵






山焼の匂ふ華厳の闇深し  桐山太志

句集『耳梨』(2023.12 ふらんす堂)所収

序文で師の小川軽舟は〈奈良仏教を代表する華厳宗の総本山が東大寺。ならば山焼は若草山か〉と読む。

もちろん〈華厳〉を、一瞬の中に永遠を含む「一即一切」の世界観で精神的に読んでもいいし、あるいは滝を思ってもよい。どのように読むかは読者に委ねられているのだが、句集名の『耳梨』は大和三山の「耳成山」の古代名であるというところからも、東大寺、若草山焼であると読むと、ひとつ世界が印象的になる。

一句単独ではなく、句集で俳句を読む醍醐味のひとつが、こうした読みができることかもしれない。まさしく「句集の顔」となる一句といえよう。それでいて、分かり過ぎない、漠として掴みがたい。そういうところもまた、美しい。

 

2025年3月21日金曜日

●金曜日の川柳〔水本石華〕樋口由紀子



樋口由紀子





今年から喉につかえぬ餅を売る

水本石華(みずもと・せっか)1949~

正月には雑煮の餅を喉につめるニュースが流れる。他人事とはもう言えなくなってしまった。「喉につかえぬ餅」はどんなものなのだろうか。

「今年から」と、本人にとっての一大決意表明みたいだ。いままでは自分の美学やこだわりで、他意はなかったが、どうも「喉につかえる餅」を売っていた。そのために立ち止まってしまい、ひっかかり、寄り道ばかりして、先に進めなくなって、コトがスムーズに運ばないことも多々あった。

独自の比喩を駆使して、気張って言うほどのものでもないことを自在な言葉運びで表現の形におさめ、おもしろさを醸し出している。思ってもいなかった方向からボールが飛んできたような、柔軟な考え方の一句である。「晴」(8号 2025年刊)収録。

2025年3月19日水曜日

西鶴ざんまい #76 浅沼璞


西鶴ざんまい #76
 
浅沼璞
 
 
 願ひに秋の氷取り行く    打越
吉野帋さくら細工に栬させ   前句
 鹿に連泣きすかす抱守    付句(通算58句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表8句目。 鹿=秋。 連泣き(つれなき)=ともに鳴く(泣く)謂。 すかす=宥めすかす。機嫌をとる。 抱守(だきもり)=子守をする抱き乳母。乳を与える乳乳母と区別。

【句意】鹿につられて泣く(乳児を)宥めすかす抱き乳母。

【付け・転じ】前句の桜細工を乳児用の玩具に見立て、それで乳児をあやす抱き乳母を付けた。

【自註】「*紅葉に鹿」は正風の付合ながら、栬(もみぢ)に**付寄せのうとき物を付るよりは、是(これ)いつとてもよし。「花に蝶」「水に蛙」、***付よせ物也。前句の「作り花」を子どものもてあそびに付なし、「鹿とつれ泣き」と句作り、機嫌直しの花、紅葉にいたせし、抱き乳母が****才覚心なり。
*紅葉に鹿=〈付かたは梅に鶯、紅葉に鹿〉(本作・序)。  **付寄せのうとき物=縁語に寄らない付合。このへんの二律背反については今榮蔵氏の指摘あり(後述)。 ***付よせ物=付物と略す場合あり。 ****才覚心(さいかくしん)=9句目の自註に〈母親の才覚〉という用例あり。

【意訳】「紅葉に鹿」は連歌以来の伝統的な付合であって、わざわざ紅葉に縁の薄い言葉を付けるより、これは何時でもよく付く。「花に蝶」「水に蛙」、これらも縁語である。前句の「作り花」を子どもの玩具として見込み、「鹿とつれ泣き」と句作りし、機嫌直しの「作り花」を紅葉させたのは、抱き乳母の知恵・才覚である。

【三工程】
(前句)吉野帋さくら細工に栬させ

子どもらのもてあそびにぞよし 〔見込〕
 ↓
才覚心を見する抱き乳母    〔趣向〕
 ↓
鹿に連泣きすかす抱守     〔句作〕

前句の桜細工を乳児用の玩具に見立て〔見込〕、〈誰の才覚か〉と問うて、抱き乳母の知恵・才覚と見なし〔趣向〕、「紅葉に鹿」の伝統的な縁語によって具体化した〔句作〕。


今榮蔵さんの*研究によると、この『百韻自註絵巻』の四割が詞付けによる親句で、残り六割が元禄疎句体らしいです。
 
「そりゃ塩梅よう巻けとるいうことやろ」
 
でも今さん、けっこう辛口で、旧派の大物として親句に固執した面と、現俳壇の宗匠として新しい疎句体に妥協した面と、晩年の鶴翁は二律背反をおかしていた、って。
 
「ずいぶん意地のわるい見かたやな。元禄の新しい句作りを得たから『世間胸算用』が書けたんやで」
 
なるほど。『胸算用』は縁語の少ない新しい文体で書かれているってのが通説ですけど、それって俳風ともつながってたんですね。
 
「おなじ人間が創ってるんやから当たり前の話や。それを俳諧では〈妥協〉いうて難じるんは御門違いも甚だしいわ」
 
*『初期俳諧から芭蕉時代へ』笠間書院(2002年)

2025年3月14日金曜日

●金曜日の川柳〔小野五郎〕樋口由紀子



樋口由紀子





老人が持ち歩いている紙の束

小野五郎

「紙の束」はなにか。札束かもしれない。ただのゴミの、無駄な紙屑かもしれない。老人が懐に札束を入れて徘徊している姿、あるいは町中のゴミを集め回っている姿を想像した。誰もが等しく「老人」になる。「老人」の確かな存在感を伴って、鈍角に描写している。「持ち歩いている」に心の裡が見えて、哀しさと切なさが倍増する。

豊かな消費社会への警告だろう。消費社会であるがゆえの喪失感が際立つ。この姿は私たち自身である。この句の底には根源的寂しさがある。言葉の意味を立ち上げながら、リアリティのある景を想像させ、川柳に仕上げている。「おかじょうき」(2025年刊)収録。

2025年3月10日月曜日

●月曜日の一句〔橋本小たか〕相子智恵



相子智恵






涅槃図の下半分を廊下より  橋本小たか

句集『鋏』(2024.8 青磁社)所収

想像力がうまく活かされた句である。

涅槃図の下半分が、廊下から見えている……ということは、上半分が見えていないということだから、廊下と部屋を隔てているのは雪見障子なのではないかと想像されてくる。そこから、寺院の様子が目に浮かんでくるのである。

下半分ということは、きっと泣いている人々や動物たちは見えているものの、お釈迦さまは見えてはいないだろう。そこにどこか俳味も感じられてくる。

桃の日のふつくら閉まる海苔の缶

春の句からもう一句。この句も好きな句だ。円筒形の海苔の缶を想像した。茶筒もそうだが、海苔の缶は湿気を防ぐためにきっちりふたが閉まるように作られているから、締める時、中の空気の抵抗を感じる。確かに〈ふつくら閉まる〉だなあ、と思う。

取り合わせの〈桃の日〉がめでたくて、春の息吹が〈ふっくら〉感じられてくる季節でもあり、よく響き合う。雛祭りにお寿司を作ったのかな、という想像もされてくる。こちらも想像力をよく活かした句だ。

 

2025年3月7日金曜日

●金曜日の川柳〔芳賀博子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



ハイヒールマラソン ライバルは何処へ  芳賀博子

走りにくくて、記録も出ないし、転倒する選手も続出するだろう。と思うそれ以前に、ずいぶんとうるさいはず。何十足かのハイヒールがものすごい音とともに大通りを通り過ぎるのは、壮観であると同時に騒音だ(しょうもなく音韻を揃えてみました)。

この《ライバル》は競技上のみならず、広く生き方の好敵手っぽい。なにせ《ハイヒールマラソン》などというケッタイなものに参加するほどの人なのだから。

と、ここまで妄想を綴ったところで、ひょっとして実際に存在するのではないか、と思い立ち、インターネット検索(安易)してみると、2024年10月13日のシカゴマラソンにハイヒールを履いて走った男性(35歳)の記事が見つかった。ただし、これは、ハイヒールマラソン、ハイヒールマラソンとは違う。

ハイヒールが象徴するジェンダーその他の社会的概念、はたまたフェティシズムにはあえて触れないが、なんだか、強烈に20世紀的な事物だとは思っているのです。

 銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女(1963年)

2025年3月3日月曜日

●月曜日の一句〔中村和弘〕相子智恵



相子智恵






パイプ椅子耀く下に蝶死せり  中村和弘

句集『荊棘』(2024.11 ふらんす堂)所収

〈耀く〉とあるので、一脚というよりは複数のパイプ椅子の脚が重ねられているところを想像した。体育館の倉庫などにパイプ椅子が畳まれ、重ねられているような場面だ。高い窓から差し込む光。輝く椅子。その下には死んだ蝶。蝶はパイプ椅子を片づける時に圧されて死んだのか、それともパイプ椅子の陰に紛れ込んで、その命を終えたのかもしれない。

蝶を美しい季語、耀くものとして描くのではなく、美しいのは人工物のパイプ椅子が跳ね返す光であって、蝶は無残にも死んでいる。羽も粉々になっているかもしれない。その対比が何とも切なくぞっとする。

『荊棘』は、生物の生死が濃く描かれた句集だ。特に魚類の句が多いように思った。そのどれもが力強く、悲しい。

ごみ鯰濡らしておけば生きておる

鱶吊られどどと夏潮垂らしけり

海底に白き蟹群れ良夜かな

人間もまた、生物として。

人間の影こそ荊棘夜の秋

大寒のモダンバレエの肋かな

汚さ、寒々しさ、悲しみを、まっすぐに描き切る。