2018年1月31日水曜日

●本郷

本郷

夜桜やうらわかき月本郷に  石田波郷

本郷の五月は青し薄荷糖  中村苑子

本郷や鶴のごとくに白地着て  横沢哲彦〔*〕

本郷に脛吹かれゐる野分かな  沢木欣一

金借りて冬本郷の坂くだる  佐藤鬼房


〔*〕横沢哲彦句集『五郎助』2017年5月/邑書林
http://youshorinshop.com/?pid=118892631

2018年1月30日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド5 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド5

福田若之・編


1861年,音楽のメロディーを初めて電気的に遠くへ伝えたのはフィリップ・ライスであった。ライスはその機器を「電話」("Telephone")と呼んだ。
(Michael Woolly「電話の発明と発達」、『電話百年史――国際電話を中心として』、国際電信電話株式会社(経営調査室統計調査課)監訳、国際電信電話株式会社、1976年、2頁)



便利さは人間を孤立させる。それは他方で、受益者を機構に近づける。十九世紀半ばにおけるマッチの発明とともに、一連の革新が登場する。それらの共通点は、多数の要素からなる過程を、手のすばやい操作ひとつで始動させることである。この発展は多くの領域で進行する。なかでも電話の例がわかりやすい。以前の器械ではハンドルをたえず回していなければならなかったのが、いまや受話器をとるだけになった。
(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」、『ベンヤミン・コレクションI――近代の意味』、浅井健二郎編訳、久保哲司訳、筑摩書房、1995年、449頁)



電話の発明百周年にあたる1976年中に世界で4億番目の電話機が設置されるものと思われる。これら電話機の一つ一つが,他の任意の電話機と通話するためには,全世界の電話網は8京(兆の1万倍)の異なった通話接続ができる容量がなければならない。実際に,毎日約15億回の接続が行われており,そのうち150万回(米国とカナダ,メキシコ間の通話は除く)以上は国際電話である。
(J.S.Ryan「百年目を迎えた信号方式と交換方式」、『電話百年史――国際電話を中心として』、国際電信電話株式会社(経営調査室統計調査課)監訳、国際電信電話株式会社、1976年、76頁)



今日でも、電話加入権を売却したり、また質に入れて金を借りることができる。したがって、電話は財産であるが、しかし前述のように、明治から昭和の半ばごろまでは、今日とは比較にならないほどの市場価格であったから、この時代の電話は「一大財産」であった。さらにいえば、単なる「財産」というよりも「財宝」であった。そのため、電話の顔である「電話機」は、たいへん大切にされた。
(逓信総合博物館監修『日本人とてれふぉん――明治・大正・昭和の電話世相史』、逓信協会、1990年、23頁)

2017/12/27

2018年1月28日日曜日

〔週末俳句〕海鼠の遺影 西原天気

〔週末俳句〕
海鼠の遺影

西原天気


≫丸田洋渡「潜水」を読む:柳元佑太
https://note.mu/snoopyanagi915/n/n1013abcfc705

〈丸田洋渡が十一月十一日にツイッターで発表した「潜水」13句〉を取り上げた記事。

ざっと拝読。《遺影えいえん微笑んで水涸るる》とか《書架たちくらみ霜月今おやすみ》とか、いいですよね。



結社誌『鷹』2月号をめくる。

安ければ速き床屋や都鳥  小川軽舟

都鳥がいいな、と思う。なぜだかわからない。「なんともいえず、いい」というしかない状態は、いつまでも続きそうだ。その季語が、どうして、いいのか? そこは解明できないまま。それでもまあいいかと思う。



『鷹』誌でもうひとつ。

奥坂まや「われら過ぎゆく 野生の思考としての季語」10

レヴィ=ストロースの用語「野生の思考」を、これまで俳句業界でしばしば用いられた「アニミズム」に換えて使用することの説明に、文化人類学/社会人類学の歴史を概説したうえでレヴィ=ストロースの当該用語を位置付ける。

後半は海鼠句。江戸俳諧から多く例句がとられている点、興味深い。句ごとの解釈は、かなり踏み込んでいる(悪く言えば無理筋も感じる)。いずれにせよ、海鼠をたくさん読めるのは嬉しい(≫ウラハイ:海鼠)。



さて、これから句会。自分がやってる句会なので、短冊を用意する。きれいな短冊をどこかで調達すればいいんだろうけど、月に一度、A4の反故をカッターと定規で8等分する作業は、きらいじゃありません。




2018年1月27日土曜日

●俳句

俳句

ギイと鳴く夜の戸口の俳句かな  松本恭子〔*〕

和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男  正岡子規

秋風や眼中のもの皆俳句  高浜虚子

極道の一つに俳句霜の声  高野ムツオ

霜柱俳句は切字響きけり  石田波郷

志俳句にありて落第す  高浜虚子


〔*〕松本恭子句集『花陰』2015年6月/あざみエージェント

2018年1月26日金曜日

●金曜日の川柳〔松永千秋〕樋口由紀子



樋口由紀子






夕暮れのキリンの首や象の鼻

松永千秋 (まつなが・ちあき) 1949~

人にも動物にもそれぞれ特徴がある。「キリンの首」や「象の鼻」は他の動物と比べて、特別で、どうしたって目立ってしまう。それは優性であり、長所だと私は思っていた。しかし、掲句を読んで、それは他の動物と違う部分を持って生きていかなければならない、生き難さなのかもしれないと思った。

もうすぐ日が落ちる。無事に一日が終わる。その束の間の夕暮れがキリンの首も象の鼻もすっぽり包みこんでくれる。夕暮れの優しさが長い首も長い鼻もみんなと同じように公平に、まるごとそのままを抱えこんでくれる。せつなくなった。せつなさには哀しみがある。せつなさも哀しさも優しさにつながり、愛である。そのようにキリンや象を見ている作者にじんときた。「川柳杜人」(2017年冬号)収録。

2018年1月25日木曜日

●木曜日の談林〔松尾芭蕉〕黒岩徳将



黒岩徳将







成にけりなりにけり迄年の暮 芭蕉

『六百番誹諧発句合』(内藤風虎編)によると、判者の北村季吟の奥書に「延宝五年𨳝十二月五日」と記すので、延宝四年歳末以前の作と考えられる。「重詞新しく珍重に候なり」と季吟は判ずる。

軽みの強い俳句である。「(年の暮)になった、なったと言っているあいだに年の暮になった」と、年末の空気感だけで一句に仕立て上げ、他にはなにもない。

比べる意味などないかもしれないが、この「迄」の使い方は現代の句会ではなかなかお目にかかれない。

西山宗因にも「年たけてなりにけりなりにけり春に又」がある。

2018年1月24日水曜日

●ダンボール

ダンボール

啓蟄や叩いてたたむ段ボール  黄土眠兎〔*〕

花の夜死票が詰まるダンボール  中村和弘

梅雨明くる例えばダンボールの色も  岡本 眸

いちまいにのびる涼しさ段ボール  寺田良治


〔*〕黄土眠兎句集『御意』(2018年1月/邑書林)

2018年1月23日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド4 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド4

福田若之・編


ふだん認められているのとは反対に、言語は交流ではなくその否定、電話(あるいはラジオ)におけるように、少なくともその相対的な否定である。
(ジョルジュ・バタイユ『有罪者――無神学大全』、江澤健一郎訳、河出書房新社、2017年、126頁)



 私の得意は簿記よりも電話であつた。
 叔父に電話をかけて来るお客の声を、モシ/\のモの字一字で聞き分けたり、受話機の外し工合で男か女かを察したり、両方から一時に混線して来た用向きを、別々に聞き分けて飲み込んだりする位の事は、お茶の子サイ/\であつた。世間の人間はみんな嘘を吐く中に、電話だけは決して嘘を伝へない。自分の持つてゐる電気の作用をどこまでも、正直に霊妙にあらはして行くもの……と云ふやうな、一種の生意気な哲学めいた懐かしみさへおぼえた。殊に電話は、あらゆる明敏な感覚を持つ名探偵のやうに、時々思いもかけぬ報道をして呉れるので面白くてしやうが無かつた。それは誰に話しても本当にして呉れまいと思はれる電話の魔力であつた。
 受話機を耳に当てる瞬間に私の聴覚は、何里、若しくは何百里の針金を伝つて、直接に先方の電話機の在る処まで延びて行くのであつた。其の途中からいろんな雑音が這入つて来ると、此のジイ/\といふ音は此方のF交換局の市外線の故障だ……あのガー/\と云ふ響きは、大阪の共電式の電話機と、中継台との間に起つてゐるのだ……といふやうなことが、経験を積むにつれて、手に取るやうに解つて来た。其の都度に其処の交換局の監督や、主事を呼び出して注意をしたり、手厳しく遣つ付けたりするのが愉快で/\たまらなかった。又それにつれて、各地の交換手の癖や訛なぞは勿論のこと其の局の交換手に対する訓練方針の欠点まで呑み込むと同時に、電線に感ずる各地の天候、アースの出工合、空中電気の有無まで通話の最中に感じられるやうになつた。電話口に向つた時の頬や、唇や、鼻の頭、睫なぞの、電流に対する微妙な感じによつて、雨や風を半日ぐらゐ前に予知する事も珍らしくなかつた。
(夢野久作『鉄鎚』、『定本夢野久作全集』、第1巻、国書刊行会、2016年、348頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略し、くの字点は便宜上「/\」で代用した)


〈電話網〉の秘密の例を取りあげることにしよう。使用されていない電話番号を呼び出して、自動応答メッセージにつながるとき(「この番号は使用されておりません……」)、たくさんの声がひしめきあって聞えてくることがある。それらの声は、自動音声の内部で、たがいに呼びかけ答えあい交錯しては消えゆき、他の声にかぶさり、また他の声がそれにかぶさる。ここにはきわめて短いメッセージがあり、速くて単調なコードにしたがう言表がある。この電話網には〈虎〉が、いやオイディプスさえもが存在している。少年たちが少女たちを呼びだし、また少年たちが少年たちを呼びだす。ここには、人工的な倒錯的社会形態そのもの、あるいは〈未知の人びと〉の社会が、容易に認められる。つまり再領土化のプロセスが、機械によって保証された脱領土化運動の上に連結されている(アマチュア無線の私的グループは、同じ倒錯的構造を示している)。周縁や干渉の現象において、誰かが機械の使用から二次的な恩恵を受けることに対して、公的機関は何ら不都合を認めていないことはたしかである。しかし、同時にそこには、単なる倒錯的主観性以上の、まさに集団的な何ものかが存在している。普通の電話は、コミュニケーション機械であるが、ただ声を投射し遠くに運ぶ役に立つかぎり、それは道具として機能しているだけである。声それ自体は、機械の一部ではないのだ。ところが声が機械と一体になり、機械の部品となり、自動応答によって偶然的な仕方で分配され振り分けられるなら、コミュニケーションはより高度の段階に達する。最も起こりそうにないことが、相互に打ち消される声の集合のエントロピーを基盤として構成されることになる。こうした観点から見るなら、単に技術的社会的機械の倒錯的使用や適用が存在するばかりではなくて、さらに技術的社会的機械の只中に真の客観的な欲望機械が重なり、あるいは欲望機械が構成されることになるのだ。
(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプスーー資本主義と分裂症』、下巻、宇野邦一訳、河出書房新社、2006年、316-317頁)



最近の子どもたちの多くが電話魔だというのも面白い。子どもたちの表現力や対話能力の貧困を嘆いていたおとなたちが、ここでは子どもたちのとめどもない長電話にいらだちを隠そうともしない。けれども、今夜もまた何万、何十万の少年たち、少女たちがおたがいにコールしあっているというのは、考えてみれば実にポップな光景ではないだろうか。もちろん、現在のエレクトリック・メディアはもっともっと高度な水準に達している。
(浅田彰「スキゾ・カルチャーの到来」、浅田彰『逃走論』、筑摩書房、1986年、41頁)

2017/12/26

2018年1月22日月曜日

●月曜日の一句〔大石雄鬼〕相子智恵



相子智恵






福耳を潰してねむる冬銀河  大石雄鬼

「きらめき」(「俳句四季」2018.2月号 東京四季出版)所収

仰向けではなく横向きになって眠っている。下側になった耳は枕に押し潰されている。ただの耳ではなはく「福耳」というのが面白い。

「冬銀河」は夢の中で見えているのかもしれないが、幻想的で大胆な取り合わせだ。〈福耳を潰してねむる〉という書き方は、眠っている自分(別の誰かかもしれないが)を外側から見ている感じがあり、その外側とは「冬銀河」からのように感じられてくる遠近感が不思議さを招き入れる。福耳のめでたさと、冬銀河の光の輝きが響き合っているようにも思う。それでいて福耳は潰されていて、ただ美しいというものでもない。不思議に印象に残る句である。

2018年1月21日日曜日

〔週末俳句〕翼とか百軒店のラーメン屋とか 西原天気

〔週末俳句〕
翼とか百軒店のラーメン屋とか

西原天気


北大路翼編『アウトロー俳句』(2017年12月15日/河出書房新社)は、〈新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」〉のアンソロジー。1ページに1句ないし2句という配分・配置のせいもあるのか、ぞんがい喉越しがいい。句ごとのキャプション(北大路翼による)は説明を避け気が利いている。収録句では、北大路翼の既発表句を別にすれば、五十嵐箏曲、喪字男が充実。でね、いちばん好きなのは、p135。このページにはしびれました。



上田信治さん主催の句会の二次会にお邪魔する。

そのまえに散歩。道玄坂から百軒店に入ったところにあったラーメン屋「喜楽」はまだあるのだろうかと、行ってみると、あった。ラーメンなどめったに食べないのですが、なつかしさもあって食す。おおよそ30年ぶり。味は変わってないだろうか?と一瞬思ったが、30年前に食べたものの味なんて憶えていないので、変わったか変わっていないかなんて、わかるはずがない。

で、句会の二次会、ね。なごやかに歓談。信治さんとひさしぶりに話した気がします。それもうれしかったですね。帰りの京王線で、いっしょに帰った俳人さんと、軽く短歌の話になって、「去年の本ですけど、紀野恵『白猫倶楽部』がよかったですよ」と答える。

 かもめかもめあまりにかたち清いゆゑ翼の風が頬に冷たい 紀野恵

 小振りなるこどものかもめ私より少しくものを知らないだけの 同

この、かもめの歌2首が並んでいるのを眺めるだけで、とうぶんのあいだ幸せでいられるわけです。

あ、そうそう、喜楽のラーメン、美味しくいただきました。





今朝、大いに笑った。


2018年1月20日土曜日

●蒲団

蒲団

嵐雪とふとん引き合ふ侘寝かな  与謝蕪村

名前からちょっとずらして布団敷く  倉本朝世

怖い漫画朝の蒲団の中にあり 小久保佳世子

県道に俺のふとんが捨ててある  西原天気

死神を蹶る力無き蒲団かな  高浜虚子

旗を灯に変えるすべなし汗の蒲団  大本義幸


〔過去記事〕蒲団干す
http://hw02.blogspot.jp/2017/12/blog-post_27.html

2018年1月19日金曜日

●金曜日の川柳〔椙元紋太〕樋口由紀子



樋口由紀子






佃煮の何十匹をすぐに食べ

椙元紋太 (すぎもと・もんた) 1890~1970

食べてしまったことを詠んでいるだけなのだが、作者がそれに対してどう思ったかをありありとみせている。言われてみれば確かにそうである。何も考えずに何気なく食べている佃煮は命をいただいている、それも数多の。ふと気づいて、あっと思ったのだろう。

川柳の平面のよさがよく表われている。奥行きがあるとか、フクザツとか、パースペクティブとか、ややこしいものはなにもない。書かれている内容はシンプルで具体的でだれにでもわかる。簡潔で言い切り、すぐに忘れてしまう程度のことであり、教訓めいたものではなく、考え込んでしまうものでもない。が、心にこつんとあたって、音がする。川柳の妙味である。

2018年1月16日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド3 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド3

福田若之・編


千代子が縁伝ひに急ぎ足で遣つて来て、僕に一所に電話を掛けて呉れと頼んだ。僕には一所にかけるといふ意味が呑み込めなかつたが、すぐ立つて彼女と共に電話口へ行つた。
「もう呼び出してあるのよ。妾声が嗄れて、咽喉が痛くつて話ができないから貴方代理をして頂戴。聞く方は妾が聞くから」
 僕は相手の名前も分らない、又向ふの話の通じない電話を掛けるべく、前屈みになつて用意をした。千代子は既に受話器を耳に宛てゝゐた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独り彼女が占有する丈なので、僕はたゞ彼女の小声でいふ挨拶を大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかつた。夫でも始の内は滑稽も構はず暇が掛るのも厭はず平気で遣つてゐたが、次第に僕の好奇心を挑発する様な返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲んだ儘、おい一寸それを御貸と声を掛けて左手を真直に千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑ひながら否否をして見せた。僕は更に姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪はうとした。彼女は決して夫を離さなかった。取らうとする取らせまいとする争が二人の間に起つた時、彼女は手早く電話を切った。さうして大きな声を揚げて笑い出した。……
(夏目漱石『彼岸過迄』、『定本漱石全集』、第7巻、岩波書店、2017年、232-233頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略した)


取り違いも他の錯誤と同様、しばしば、自分に対して拒まざるをえず不首尾に終わりかねない欲望を充足するために用いられます。意図は、その際、幸運な偶然という仮面を被っています。たとえば、私の友人のひとりに実際にあったことですが、およそ意に反して汽車で近郊に人を訪ねて行かねばならないとき、乗り換えの駅で間違ってまた市内に戻る電車に乗ってしまう。あるいは旅行に出かけた際に、実は途中の駅で降りてそこにもっと長く滞在したいものだと思っていながら、何らかの用件のせいでそれが叶わないというとき、一定の接続の便を見過ごしたりうっかり乗り遅れたりして望みどおり中途滞在を余儀なくされる、といった場合などがそうです。あるいは、私の患者のひとりに起こったことですが、私は彼に、自分の恋人に電話することを禁じていました。ところがこの患者は私に電話しようと思って、「考えごとをしていて」、「間違って」交換手に誤った電話番号を告げ、その結果、思いがけず恋人と電話が繋がってしまったのです。
(ジークムント・フロイト『精神分析入門講義』、『フロイト全集』、第15巻、新宮一成ほか訳、岩波書店、2012年、84頁)



役所の公式媒体である書字でのコード化だと、意識といっしょにフィルターもしくは検閲をつねに介在させてしまわざるをえないから、無意識の振動は電話のような装置によってしか、これを伝えることができない。
(フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』、上巻、石光泰夫、石光輝子訳、筑摩書房、2006年、222頁。原文では「媒体」に「メディア」とルビ)


電話は人と人とをパーソナルに結びつけるメディアである。だから、通常の電話はつねに、特定の誰かから他の誰かへとかけられる。にもかかわらず、電話の通じた瞬間には、それが誰からかけられたのかも、誰が受話器をとったのかもわからない。電話が通じた瞬間、受話器の向こうの相手はつねに見知らぬ「他人」として現れる。「もしもし……」に始まる一連のやりとりは、さしあたって「他人」として現れた相手が誰であるのかを確定するための手続きなのである。
(吉見俊哉ほか『メディアとしての電話』、弘文堂、1992年、38頁)



ラジオのような「熱い」(hot)メディアと電話のような「冷たい」(cool)メディア、映画のような熱いメディアとテレビのような冷たいメディア、これを区別する基本原理がある。熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」(high definition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」(low difinition)なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話されることばが「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者によって補充ないしは補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオはたとえば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。
(マーシャル・マクルーハン『メディア論――人間の拡張の諸相』、栗原裕、河本仲聖訳、みすず書房、1987年、23頁)



あれは去年のある日の午前三時ごろ、あの長距離電話、どこからかけてきたものかわかりようもないが (彼の日記でもあれば別だけれど)、声は、はじめはひどいスラヴ訛りで、こちらはトランシルヴァニア領事館の二等書記官だが逃げた蝙蝠を探しているのだと言い、それがコミック調の黒人訛りに変化し、それから敵意をむき出しのメキシコ系愚連隊言葉になってオマンコだのオカマだのとわめいた。それからゲシュタポの将校に変わって、かんだかい声で、貴下はドイツに親族ありやなどと尋問し、最後はラジオのミステリー番組『ザ・シャドウ』の金持ち弁護士ラモント・クランストンの声に落ち着いたが、それはかつてマサトランへ行く途中、ずっと彼が使った声色だった。
(トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』、志村正雄訳、筑摩書房、2010年、10-11頁)
2017/12/24

2018年1月15日月曜日

●月曜日の一句〔西村睦子〕相子智恵



相子智恵






炉の焔見て問うほむら見て答う  西村睦子

句集『幻楽四重奏』(月浪書店 2017.12)所収

〈炉話〉の本質とはこういうものかもしれないな、と思う。

相手の顔を直接見ながら話すのではなく、お互いに囲炉裏の揺れる焔をぼんやり見ながら会話をしている。相手の顔を直接見ないからこそ、ふいに相手の深い部分について問うことができたり、それに答えることができるのだ。

焔を共に見つめることで、お互いに深いところまで問うことができて一体感が生まれている……と読むこともできるが、掲句は〈焔〉と〈ほむら〉と、同じ火を書き分けることで、見ているものも同じようで実は違うのだという感じを出していて、どこまでいってもこの二人は個と個である、という読みのほうがふさわしいように思う。

つまりこの問いは、相手に対する問いでありながら自問自答でもあるということで、深い会話とは案外こういうものだと思う。そしてそういう問いを交わし合えた後には、やはり相手への信頼は深まる。

個々の違いをそのままに、それでいて深い信頼が生まれる瞬間というのは、何だか俳句を書き、読む幸せに近い気もする。

2018年1月12日金曜日

●金曜日の川柳〔井上一筒〕樋口由紀子



樋口由紀子






吠えていたドーベルマンは捨てられた

井上一筒 (いのうえ・いいとん) 1939~

見事な木版画の年賀状の一句。おだやかで、可愛らしい犬の句がほとんどの年賀状の中で異彩を放っていた。ドーベルマンは「犬のサラブレッド」とも呼ばれ、非常に頭の良い犬である。また、飼い主に対しては非常に従順で、強い忠誠心と忍耐力を持っている。そのドーベルマンが吠えていたのだから、余程のことがあったのだろう。吠えていたのであって噛みついて怪我をさせたのではない。捨てられたのであって殺されたのでないことが救いである。そんなことを思った。ドーベルマンに犬の矜持を見たように思う。

ドーベルマンは作者自身のことを詠んだのだろう。けれども、井上一筒は時事川柳の結社「川柳瓦版の会」の会長で、よみうり時事川柳(大阪本社版)の選者であるせいかもしれないが、今なお勾留され続けている森友学園の籠池氏のことが思い浮んだ。


2018年1月10日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2018年1月9日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド2 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド2

福田若之・編


ミスタ・ブルームはがちゃりがちゃりと鳴り響く騒音から抜けだして、廊下を通り、階段の踊り場に出た。あっちまで電車に乗って出かけても、留守ってこともある。まず電話で聞くほうがいい。
(ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズI』、丸谷才一ほか訳、集英社、2003年、304頁)


ブルームの存在は「電話‐内‐存在」〔電話‐への‐存在〕(être-au-téléphone)なのだ。彼は多種多様な声ないし留守番電話につながれている。彼の現存在(être-là)は「電話‐内‐存在」であり、ハイデガーが現存在(Dasein)を死に向けられた存在として語ったのに倣えば、「電話‐に臨む‐存在」(être-pour-le téléphone)である。こんなことを言ったからといって、私は言葉を弄んでいるのではない。事実、ハイデガーのいう現存在もまた呼びかけられた存在なのだから。『存在と時間』がわれわれに語っているように、そしてまた、友人のサム・ウェーバーが私に気づかせてくれたように、ハイデガーのいう現存在はつねに、呼びかけ(l'Appel, der Ruf)、それも遠方から到来する呼びかけを通じてしか自分自身に達することがないのであって、かかる呼びかけは必ずしも言葉を経由するわけではなく、ある意味では何も語らない呼びかけなのである。
(ジャック・デリダ「ユリシーズ グラモフォンーージョイスが「然り」と言うのを聞くこと」、ジャック・デリダ『ユリシーズ グラモフォンーージョイスに寄せるふたこと』、合田正人、中真生訳、法政大学出版局、2001年、95-96頁)



電話のモバイル化とは、じつは技術的な過程ではない――それは文化的な過程である。問題はそういう機器を発明することではなく、われわれみんなにそれを採用させること、つまりそれが必要だと感じさせることなのだ。なぜなら、もちろん、モバイル化される必要がある対象というのは、ほかならぬわれわれなのだから。
(ジョージ・マイアソン『ハイデガーとハバーマスと携帯電話』、武田ちあき訳、岩波書店、2004年、8頁。太字は原文では傍点)


世界っていう言葉がある。 私は中学の頃まで、世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって漠然と思っていた。
(新海誠監督『ほしのこえ』、2002年、日本)

2017/12/24

 ●

上の四つの断片をメモしてから二週間近く経とうとしているが、さらにもうひとつの断片を、このページに引き写しておくことにしたい。この断片は、ここに書いておかないと、なぜそれを抜いてきたのか自分でも思い出せなくなってしまう気がするからだ。
河童もお產をする時には我々人間と同じことです。やはり醫者や產婆などの助けを借りてお產をするのです。けれどもお產をするとなると、父󠄁親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前󠄁はこの世界へ生まれて來るかどうか、よく考へた上で返󠄁事をしろ。」と大きな聲で尋󠄁ねるのです。
(芥川龍之介『河童』、『芥川龍之介全集』、第8巻、岩波書店、1978年、315頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略した)
ところで、河童という名は、この作品において、声に出して呼ばれることが期待されている。というのも、冒頭に掲げられた『河童』という題に添えられるようにして、「どうかKappaと發音して下さい」という文言が置かれているのである(同前、306頁)。「發音して下さい」。それは、メルヴィルの『白鯨』の第一章の本文が、その語り手の「わたしを「イシュメール」と呼んでもらおう」という言葉からはじめられていることにも、すこしだけ似ているかもしれない(ハーマン・メルヴィル『白鯨』、上巻、八木敏雄訳、岩波書店、2004年、55頁)。

2018/1/7

2018年1月7日日曜日

●世界

世界

鴫焼は夕ベを知らぬ世界かな  宝井其角

滝落ちて群青世界とゞろけり  水原秋櫻子

世界病むを語りつゝ林檎裸となる  中村草田男

漉き紙の仮の世界に雪降れり  和田悟朗

冴えて書の天金浮けり病世界  目迫秩父

雪解光のみの世界や豚眠る  高野ムツオ

人ゆきしひとすぢのみち鳥世界  高屋窓秋

さくらしないで世界燃焼の種は来ませり  加藤郁乎

2018年1月4日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞







見開や古暦の大全代々のはる 西鶴

『それぞれ草』(延宝9年・1681)

まずは上五から読みと意味を――見開(みひらく)とは、目を見開いて広く見る感じ。古暦(これき)の大全(たいぜん)とは室町末期から近世初期までの暦日を記した暦学書。なので代々(よよ)のはる(春)という下五には、各時代時代の新春をページごとに寿ぐ仕合せ感がこめられてる。めでたい。

〈目を見開いて『古暦大全』をひらけば、毎年毎年の新春が広く見通せるぜ〉といった半世紀を駆けるスケールのでっかい仕合せだ。めくるめくタイム・マシン詠といってもいい。

ところで『古暦大全』には1ページに1年12ヵ月分の暦日が記してある。つまり見開き2ページで2年分を一覧できるってわけだ。けど(いま使った)左右2ページをさして言う「見開き」という言葉の用例は当時まだなかったらしい。だから「見開き」の意が上五にかかってはいないはずだ。がしかし(だからこそ逆に)いま読むと「見開き」という言葉が慣用化される現場に立ち会っているような気がしてくる。慣用句はいつもこんなふうにして生成されてきたんだろう、きっと。

今年はそんな現場に一つでも多く立ち会いたいと願う(とうとう還暦も過ぎるんで)。

2018年1月3日水曜日

●May 二〇一八 be ワンワンダフル! Robin_D_Gill

May 二〇一八 be ワンワンダフル!

#古狂歌は気の薬 Robin_D_Gill
#名歌にしたい無名歌 季節篇002
#古に比べて朝飯前の初日出

神の代の骨折り見えて天の戸を易くも明ける日の初め哉

Ye Gods of old had to work so hard, but now ‘tis easily done –
Heaven’s Door cracks & out she comes, our New Year’s Sun!

かの岩戸を開く為のストリップ踊りや手力雄のご苦労も無用で、今朝の春の長閑き朝の睦月の初日出がやすやすと「安産」する祝い。坂月米人が天明狂歌本にも出るから名前くらいはウェブに出るが、江戸狂歌本(4-1)の1793の書物から狩りた上の首は、拙著以外に出てこない。「神代の骨折」という綴りの検索でやっと当たり一本は、太田南畝がその頃に出版した也有の名著『鶉衣』の「餅辞」の「先づは一年の初空、松も竹もあらたまるあしたに、飯はもとより常住にして、奈良茶麺類もしどけなければ、雑煮と趣向を定めたるぞ神代の骨折の所なるべし」という一つ文章だけですが、その行間を読むに我も骨折るものの、米人(こめんど)の無名の狂歌は、てにをはずかしい日本語の米人ながら朝飯前のご馳走で、教科書に神代の話か元日の意味などを小・中学生に取り上げているところには必ず、この狂歌を紹介すべき。一方、下記の名歌は大人向けかと思いませんか。

通りますと岩戸の関のこなたより春へふみ出すけさの日の足

From the far side of ye Cave-door gate: “I’m coming through!”
And so we see our Sun’s bright legs stride into Spring anew.

両手で数える名狂歌とは言え、詠んだ天明狂歌師の知恵内子は江戸の粋を具現した偉い美人だったと云う彼女の評判を知らなければ、今一つの首でしょう。ともかく、鑑賞は、十分できるかどうかが疑問。『古今狂歌集』に彼女の肖像は有ります。それを一度見たら誰でもずっと覚える。目鼻立ち皆無。後ろからなる女の得意なインフォーマルな半正座ながら、真っ直ぐ伸ばす背中を真っ直ぐに下がる髪。真正面から眩し過ぎるからと思えば微笑ましい。「通ります」を心に聞けば、智恵内子とアマテラス大神は一体化になる。歩みながら堂々と声を出すところが子供にも通じる擬人化とは言え、歌の吟味は大人で無ければならない。

断っておくが、名歌の狂訳を日本語の知らない人に見せたら、「日の足」は、日の光線ray/sの事よ、と蛇足も言い付けた方が宜しい。旧暦の元日に日の足の名歌にしたい無名歌をご紹介します。雨の足も、そう言えば風の手も英語にないが、十九歳の其角の名句「日の春をさすがに鶴の歩みかな」よりはるかに面白い、名歌にしたい古狂歌の日の足を旧暦の日の出までお預けします。古の日の出の苦労と現在を比べた古狂歌は、俳句よりも抽象的な文学かと思えば、又も自然観測においても負けなかった事を、その首は証なる。

2018年1月2日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド1 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド1

福田若之・編


愛とはベルの音、その電話
(Patti Smith, "Because The Night", 日本語訳は引用者による)


待機とは魔法にかけられたような状態なのだ。動くなかれという命令を与えられているのである。たとえば電話を待っている状態は、打ちあけがたいものまで含めて、こまごまとした無数の禁止から織りなされている。部屋を出ることも、手洗いに行くことも、電話を使うことさえも(線をふさがぬため)できないのだ。関係のない人から電話がかかってくるのをおそれる(同じ理由で)。もうすぐ出かけなければならぬのだが、それでは、この心を癒してくれるはずのよびだしに、「母親」の帰還に、応ずることができないかもしれない。そう思うとこの心は千々に乱れる。このようにわたしの心をそらせるものは、すべて、待機にとっては失われた時間であり、不純な苦悩というものであろう。純粋な待機の苦悩とは、たとえば、電話に手のとどくところでなにもせずにすわっているということだからである。
(ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』、三好郁朗訳、みすず書房、1980年、60-61頁、太字は原文では傍点)


祖母はこれから私をしたいようにさせてくれようとしているけれども、そんなことに彼女が賛成するとは夢にも思っていなかったので、私には不意にその自由が、まるで祖母の死後にやってくる自由(私はまだ祖母を愛しているのに、祖母の方は永久に私を見放してしまうときの自由)と同じくらいに悲しいものに思われた。「お祖母さん、お祖母さん」と私は叫んだ。できれば彼女にキスをしたい。でも私のそばには、この声しかない。たぶん祖母の死後に私を訪ねてやってくるあの亡霊と同じように、手にふれることもできない幻影の声だ。「さあ、なにか言ってよ」。だがそのときに声は急に聞こえなくなって、いっそう私をひとりぼっちにしてしまった。祖母にはもう、こちらの声が聞こえていないのだ。祖母と私の通話は切れてしまった。私たちはもう、互いに相手の声を聞きながら向きあっている存在ではなくなった。それでも私は闇のなかを手探りで祖母の名を呼びつづけ、私を呼ぶ祖母の声もきっとどこかにさ迷っているにちがいない、と感じた。
(マルセル・プルースト『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方I』、鈴木道彦訳、集英社、2006年、270-272頁)



電話は、たしかに工学的には多重電信の発展形として、それまでの電信技術の延長線上に誕生したものではあったが、社会的な効果という点では電信とは根本的に異なる契機を内包させていた。というのも、電信の場合、どれほど離れた地点まで瞬時に情報が伝えられるとしても、そこで電送されるのは交換手によってコード化された信号である。ところが電話の場合、はじめて人間の声そのものの送信を可能にしたのだ。受話器を手にする人物は、自分の声がそのまま遠くの相手まで瞬時に達し、また相手の声もこちらに達するように感じる。電話においてわれわれの身体は、一九世紀が生みだしつつあった電子メディアの威力に直接むかいあうことになるのである。
(吉見俊哉『「声」の資本主義――電話・ラジオ・蓄音機の社会史』、河出書房新社、2012年、122-123頁)


エレクトロニクスの時代は、「二次的な声の文化」、つまり、電話、ラジオ、テレビによって形成される声の文化の時代でもあります。
(ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』、桜井直文ほか訳、藤原書店、1991年、8-9頁)
 
2017/12/24

2018年1月1日月曜日

●月曜日の一句〔西村麒麟〕相子智恵



相子智恵






賀状書く京の住所をつらつらと  西村麒麟

句集『鴨』(文學の森 2017.12)所収

掲句〈京の住所〉がよく利いている。「上ル」、「下ル」、「西入ル」、「東入ル」など京都の住所は面白くて、しかも長い。なるほど〈つらつらと〉である。

平安時代の貴族には年賀の書状の習慣があったようで、藤原明衡の「雲州消息」には、年始の挨拶の手紙文例も収められているそうだ。賀状の住所をつらつら書いている現代の様子から、そんな歴史にまで思いが至る。それはすべて〈京の住所〉からのイメージのふくらみなのである。そしてこの句からはどこか雅で余裕のある感じが漂ってくるからだろう。

私の場合、賀状書きは年末の慌ただしさの中で一気に……という感じだが、よい加減に力の抜けた〈京の住所をつらつらと〉からは、新年最初の手紙を書くゆったりとした時間と喜びが伝わってくる。

●年の尻を拭いで世話するか、蹴っちまうか: 諸君どうする? robin d. gill(敬愚)

年の尻を拭いで世話するか、蹴っちまうか: 諸君どうする?

robin d. gill(敬愚)


くそ世話も世の習いとて行年の尻ぬぐいにとおくる白紙

At this time when the whole world kisses ass, I send
toilet paper to serve what’s left of the Year, its end!

狂歌には四季の巻もよくあるが、季語はない。とは言え季語を重ねてはよくないという俳諧の馬鹿げたルールもないから、重ねても滑稽と感じず、ただその季節をよく描かれている事になる。古狂歌の数々ある「年の尻」を分け入て択んだ上記歌鼠の1815年の上方狂歌には、かの師走の多忙に行年の暮に年玉の三つもある。とは言え、糞世話が抽象上に行年に贈る=送るも、八年前の1807に詠まれた上方の素人の「肥やし取る得意へ米は渡しつゝ我が屋の餅をつく年の尻」を考慮すれば、かの下肥業の方への年玉に成りかねない。そして、敬愚よりも風刺を求む読者ならば、又遡って1784以前の上方狂歌、安藤犬丸の

河童のさらにひまなき仕舞事に人もすう/\云ふ年の尻

は、いかがですか。「すう」は、何か。尻子玉の新玉はまだが、掛取りに「すうまない」「すうみません」と言う事ならば、尻作だ。七年前の1777以前の省巴の上方狂歌に年の「尻毛」を詠む首は吸うよりきもいかどうかよう知らないが、四十三年の1734まで遡った宵眠の俳諧風の上方狂歌

年の尻おしつめれども心強う見返りもせずゆき女かな

とは、まるでイタリア人得意それとも悪癖のセクハラの仕草を思わせながら、冷たい雪の行年を描く。押し爪が詰めに掛けて年内立春と思えば秀歌なる(ああ東京にいる友のキットさんは雪が降ったと言うから、今年はこれだったか。残念ながら英訳まだない)。しかし、最初に紹介した歌鼠の糞の世話の尻ぬぐいと同様に名歌にしてもいいかと考えている首は、元禄の月洞軒という悪太郎のいかされた口語詠みである。

貧乏神まりけるように蹴ていなせ ありはどっこいよき年の暮れ

Just give Poverty a big kick in the arse, as if he were a ball –
send that god off w/ a bang: the year may end well after all!

素朴の志願ながら「あり」は鞠が空中でなんとなく節分が除夜になった年の雰囲気か。ただし、貧乏神⇒金鞠(かなまり)と紙子を合わせた新造語「紙鞠」か、その確認ができなかったら名歌にしがたい。同じ口語ながら、もう少し謙遜の自嘲調の句例もある。やはり、老一茶だ。

So just where
will the passing year
leave this old geezer?

行く年はどこで爺を置き去りに


畜生! まだマイアミだあああ。焼き秋刀魚定食も食わず、海鼠腸も吸わず、松酒を枡から漏らずように呑まんとすることもなく一年が終わる。俳友たちよ!古狂歌を他人あつかいせずに、遠慮なくコメント下さい! 俳界に棲む者は「名歌にしたい」狂歌の二首のどれが択ぶべき。百首に双方とも? いや、双方ともつまらないか? FBにも色々と投稿するが「ライク」ばかりでは判らない。ご感想を! ご意見を!