2017年1月31日火曜日

〔ためしがき〕 「どう抒情するのか」という問いにどう答えるか 福田若之

〔ためしがき〕
「どう抒情するのか」という問いにどう答えるか

福田若之


問い得るのは「どう抒情するのか」でしかないとしても、この問いに対して一般解を用意するならば、結局は、「そもそも抒情って何だ?」という問いに答えてしまうのと同じことになってしまうだろう。

「どう抒情するのか」に対する答えは、つねにそのつど、抒情の実践によって示すほかないように思う。「どう抒情するのか」に対する答えとなりうるのは、つねにそのつど、次の一句でしかない。

(もちろん、俳句は必ずしも「どう抒情するのか」という問いに答えなければならないものではないのだろう。その意味では、俳句は必ずしも抒情詩ではないのだろう。だが――)。

2017/1/26

2017年1月30日月曜日

●月曜日の一句〔中原道夫〕相子智恵



相子智恵






白魚の目のやり場なく集まれる  中原道夫

句集『一夜劇』(2016.10 ふらんす堂)より

小さな白魚がびっしりと集まっているということは、あの黒い点々の目玉もびっしりと集まっているということだ。哀れでもあり、じっと見ていると、そら怖ろしくなってくる大量の白魚。なるほど〈目のやり場なく〉である。

目のやり場がないのは作者であるが、最初から読んでいくと「白魚の目の」がまず飛び込んでくるので、どうしても魚の目が無意識のうちに浮かび上がる。それが哀れさや不気味さを増幅させて、〈目のやり場なく〉がさらに実感できるように思われた。

  白魚のさかなたること略しけり 中原道夫『蕩児』

は、作者の初期の代表句の一つ。見たままを描くいわゆる写生ではなく、言葉で描かれた白魚だ。そこから数十年を経て、白魚のびっしりと集まった様子を、これまた直接描写することなく〈目のやり場なく〉と見る者の主観を通じて描く。どちらも実物の白魚に直接触れないような、周りに薄いヴェールをかけたような言葉先行の描き方なのだが、それがいちばん白魚の本質を突いて、「見えて」くるように思われるのである。

2017年1月29日日曜日

●金閣

金閣


京寒し金閣薪にくべてなほ  中村安伸〔*〕

仏壇に似し金閣よ水を打つ  岩田由美

秋風か金閣の金掠め盗る  中原道夫


〔*〕中村安伸句集『虎の夜食』(2016年12月/邑書林

2017年1月27日金曜日

●金曜日の川柳〔徳田ひろ子〕樋口由紀子



樋口由紀子






ヨーコさんはうちに帰ってしまわれた

徳田ひろ子 (とくだ・ひろこ) 1956~

私のまわりにもヨーコさんがたくさんいる。洋子さん陽子さん葉子さん、わりとポピュラーな名前である。「ヨーコさん」と表記。「ようこさん」と呼ばれているのを聞いているだけで漢字でどう書くかを知らないのだろう。でも「ようこさん」ではない。「ヨーコさん」や「帰ってしまわれた」の言い回しに作者の思いや距離をおしはかることができる。

なぜ帰ったかの理由も聞けるほどの間柄でもない。しかし、ヨーコさんが居なくなって心にすっぽり穴が開いたような気持ちになった。別に話さなくても彼女と同じ場に居るだけでよかったのだ。なにかあったのだろうかとも思った。さりげなく書かれた一句にいろいろと想像が膨らむ。掌編小説のような味わいもある。掲句は第19回杉野十佐一賞の兼題「消」の入選句。

〈私はこういう者ですと宙返り〉〈コスモスは怖いぞ泣いたふり死んだふり〉〈バケツから手が出て足が出てきた夏〉 『青』(2016年刊)所収。

2017年1月26日木曜日

●百年

百年


百年後のいま真白な電車がくる  小川双々子

祖母の陰百年経てば百日紅  高野ムツオ

風鈴を百年同じ釘に吊る  山崎祐子〔*〕

蟬の穴のぞき百年後の生家  鳥居真理子

柩へと百年ぶんの月あかり  櫂未知子


〔*〕山崎祐子『葉脈図』(2015年)

2017年1月25日水曜日

●水曜日の一句〔駒木根淳子〕関悦史


関悦史









永久に二時四十六分大霞  駒木根淳子


「二時四十六分」は東日本大震災の発生時刻をさす。

あの日、3月11日が来るたびに思い返すという句ではない。「永久に二時四十六分」とは、その時刻に以後ずっと釘づけにされ、過去になっていないということである。

もちろん生きて生活していれば時間は経つ。2011年3月11日午後2時46分は、時々刻々過去のものとなる。にもかかわらず、震災は記憶の彼方に薄れていくことはない。現在と、過去のその時が、ずっと並行して胸にささりつづけているのである。

この風化しない忌まわしい記憶は、ほぼそのままPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。傷は何度でもフラッシュバックを起こし、つねに現在として立ち現れなおすのだ。両親をナチの強制収容所で失い、自身も収容されて終戦後の70年に自殺した、パウル・ツェランの詩における時間意識からもさほど遠くはない。

遠いとすれば「大霞」であろう。大霞がこの傷ましい時間意識を、「永久に」のフレーズと相俟って、空間に変容させてしまう。それは湿潤な日本の風土になかば胡麻化されることを受け入れつつ、傷を曖昧化していく過程である。

しかしこのショックを和らげる、日本の風土そのものを肉体化したかのような「大霞」は、そのまま、永久に別時空としてショックを保存する装置ともなっているようだ。その片付かなさを風土そのもののようにして抱え、眺め、共存していくしかないというのが、この句なのである。ひとごとのように眺めて歎じているわけではない。抱え込み、内部に違和として持ち続けざるを得ない内的体験としての大震災が、象徴性と生々しい身体性の両方にまたがる「大霞」でもって句に定着されているのである。忘却力にばかり富んだ湿潤な地震列島の宿命のような「大霞」である。

なお作者は福島県いわき市の実家を震災で失っている。


句集『夜の森』(2016.11 角川書店)所収。

2017年1月24日火曜日

〔ためしがき〕 新年詠の推敲 福田若之

〔ためしがき〕
新年詠の推敲

福田若之


今年の新年詠は

正月二日の論文に降る明治の雪

と書いた。けれど、論文提出後の今にして思えば、

正月二日の論文に降れ明治の雪

とするほうが、書きたかったことにより近い気がする。巧拙はどうあれ、後の方を採ろうと思う。

「べき」論を拒否して以来、僕は自分の俳句から命令形を遠ざけがちになったし、まれに命令形の表現をとりいれる場合にも、たとえば《隣人を愛せよ私有せよダリア》というふうに、イロニーになりがちだったと思う(この句の命令形は要するに《ボタンを押せば誰でもいい誰かが来るドリアをひとつ》と同種のイロニーではないだろうか)。けれど、もし命令形が「存在への希望」とでも言いうるようなある情動を表現する言葉となりうるなら、僕は、命令形をあらためて肯定的なかたちで自らの句に導入することができるかもしれない。「光あれ」は、光がいまだここに存在しない場合には、命令形ではあっても命令ではない。命じられるものが、いまだここに無いのだから。

2017/1/16

2017年1月23日月曜日

★週俳の記事募集

週俳の記事募集


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そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2017年1月21日土曜日

【人名さん】千昌夫

【人名さん】
千昌夫


千昌夫いない枯野の快晴よ  岡村知昭


参照画像

2017年1月20日金曜日

●金曜日の川柳〔西山金悦〕樋口由紀子



樋口由紀子






手術記念日鰯の味が舌にある

西山金悦 (にしやま・きんえつ) 1930~

手術して一年が経ったのだろう。一年前のこの日、それなりの覚悟をもって手術に臨んだ。おかげさまで手術は成功し、鰯の、その青魚の味がしっかりわかるようになるまで回復した。味がわかるという単純な事実は健康なときはあたりまえだったが、病気をしてはじめて、食物の味がわかることはもったいないくらい尊いことなのだとわかった。感慨の「手術記念日」、具体的な「鰯の味」の言葉が功を奏している。

六十歳に大きな手術を受けたときの作品であるらしい。生きていることのありがたさ、健康でいるよろこびが直に伝わってくる。私のまわりにも体調を崩している人がいる。年齢を重ねるとある程度病も受け入れざるを得なくなる。だから余計に健康のありがたみもわかる。この一年なによりも健康でありますように。『天道虫』(1993年刊)所収。

2017年1月19日木曜日

【裏・真説温泉あんま芸者】句集の読み方 その7・本文 西原天気

【裏・真説温泉あんま芸者】
句集の読み方 その7・本文

西原天気


句集の本文とは、言うまでもなく、句。

並べ方は、大きく2通り。

A:編年体。

句をつくった順に並べる。昔ほど前のページに来るのが一般的(逆は、1冊くらいしか記憶にない)。

B:非・編年体。

作成年月日とは無関係に並べる。


なお、いずれも、季節の順に並べるのが一般的。


A 編年体〕にせずB 非・編年体〕にする理由は、大きく2つ。

C:ある種の意図、読まれたときの効果を狙う。

D:いつ作った句かわからない/忘れた。自句を整理していない。

あんがいDが多いと推測され(例:私)、A 編年体〕を採る俳人は、結社で真面目にやっている人が多いのは、数年間の結社誌を見れば、制作順は一目瞭然だから、か。

A 編年体〕は作者事情(読者にとっては、いつ作ったのかなんて知ったこっちゃない)、〔B 非・編年体〕はいちおう読者事情だが、Dの理由だと、大きなことは言えない。


経験的に、A 編年体〕だろうとB 非・編年体〕だろうと、句集全体の印象にそれほどの差は出ない。

句の順序は重要なようでいて、それで嵩増しされる価値は知れている。おもしろい(広義の「おもしろい」です。蛇足ながら)句が多い句集は、どう並んでいようがおもしろい(逆も同様)。

作者が苦労して並べるわりに、効果は限定的。

なので、これから句集をつくる人は、気楽に並べればいいです。

ただ、最初のあたりは気を使ってもいいかもしれません。数ページで読む気をなくすという並べ方は、つくる人としても残念だと思うので。

2017年1月18日水曜日

●水曜日の一句〔高野ムツオ〕関悦史


関悦史









生者こそ行方不明や野のすみれ  高野ムツオ


「死者」と確定してしまえば「行方不明者」ではない。法的な失踪期間が過ぎ、宣告がなされれば、「行方不明者」ではなく「死者」の扱いとなる。その意味で「生者こそ行方不明や」は正しい。

しかしこの句が描こうとしているのは、おそらくそうしたことではない。これが東北で大震災を受けた高野ムツオの句であり、震災後を詠んだ句がきわめて多い句集に収録されているという事情を、かりに度外視したとしても、ここに描かれているのは、まず死者の不在を抱え込んだ生者の、見当識の喪失に近い茫然たる浮遊感である。

死者(たち)に置き去りにされ、その記憶と不在に押しつぶされそうになりながら、それ以後の日々を送り続ける生者、つまりわれわれの方こそが「行方不明」なのだ。死者(たち)自体は、今後もう変化することも放浪することもない。「行方不明」とは、死者(たち)の発生という事態をどう呑みこんで消化してよいかがつかめず、いたずらに喪失感や、それが何かの拍子に引き起こすパニックのなかに漂うことを強いられ続けているという事態を指している。

「野のすみれ」。人に植えられたものではなく、野から出たすみれは、そうした過酷な無常のことわりを背負って咲いた、生者にとっての命綱にも似た輝きをはなつものとして現れる。現れるという事象そのものが生者と死者、存在と不在の間をとびこえる働きを担っているのである。一見もっともらしい達観にも似た「生者こそ行方不明や」の茫然のなかで、生者=われわれの正気はこのすみれ一本にかかる。死者たちの方こそを実とし、生者たちの方を虚とするような、この両義的なすみれに。


句集『片翅』(2016.10 邑書林)所収。

2017年1月17日火曜日

〔ためしがき〕 表記について、思うこと少し 福田若之

〔ためしがき〕
表記について、思うこと少し

福田若之


このツイートが発端になって、すこし議論が起こっているようだ。
なんて話が出て来たり。
というような反応が返されたりしている。 で、
となれば、新仮名で句を書く僕としては、自分なりにこの問いかけに応答しておきたい、ということになる。
といった応酬もあったりするけれど、僕なりに。――というわけで、以下はその解答。



僕は、現代仮名遣い、というか、僕のくつろげる表記で俳句を書きたい、と思うのです。

三橋敏雄は、『まぼろしの鱶』の後記に、「なお仮名遣いについては、或る時期、現代かなづかい、に従つた作を発表しているが、俳句表現上、不適であることを実感したので、本集ではすべて、歴史的仮名遣ひ、に改めた。「秋の暮」を「秋の暮れ」と書く事には、耐えられない」と書いています。仮名遣いについて考える時に、僕は、いつも、三橋敏雄のこの言葉を思うのです。三橋敏雄にとって、仮名遣いは、単に語の発音に表記をどう対応させるかの問題ではなかったということです。それは、「秋の暮」を「秋の暮れ」と書くこと、要するに、送り仮名の運用を含めてのことでした。

僕はいま「秋の暮」を「秋の暮れ」と書きます。「秋の暮れ」を「秋の暮」と書くと、なんとなく、それは僕の文字ではないという気がしてしまうのです。この送り仮名の有無がもたらす違和感は、僕にとっても、仮名遣いと切り離すことのできない問題です。

「現仮名はロジカルな表記ではない」、という言葉には、疑問を覚えます。 およそ通用しているあらゆるシステムには、それが通用するに足るだけの論理が備わっているものです。もちろん、旧仮名を成立させている論理を現仮名を成立させている論理よりも好む人のあることは、よく分かります。でも、それをもって、旧仮名のシステムは論理的で、現仮名のシステムは論理的ではないというのは、すこし違うのではないかと思います。

あくまでも推察ですが、「現仮名はロジカルな表記ではない」というのは、おそらく、音声との対応を第一の目的としているにもかかわらず、それが徹底されていないということを指しているのだと思います。たとえば、助詞の「は」や「を」や「へ」が「わ」や「お」や「え」になっていないことや、あるいは、オ列長音の表記に説明のつかないことなどを指して、「ロジカルな表記ではない」といったのではないかと。

けれど、歴史的仮名遣いには、正当な表記さえ不確かな語が存在しています。たとえば、昆虫の「あめんぼう」。 これは、「あめんぼう」と「あめんばう」のどちらが正しいのか、いまのところ定説がありません。新仮名にはなぜそう表記するのか説明がつかない場合がたしかにありますが、他方、旧仮名にはどう表記するのがよいかわからない場合があるということです。

それに、現状正しいとされている歴史的仮名遣いだって、ほんとうに正当といえるのかどうか、分かりません。たとえば、広葉樹の「いちょう」は、江戸期はもちろん、昭和のはじめごろまでは「いてふ」と書いていました。これは、語源をたどると「一葉」ないしは「寝蝶」に行きつくと信じられていたからです。それが、昭和に入ってから、実は中国語「鴨脚」が語源だったという説が出てきて、いまでは「いちやう」と表記するのが正しいということになっています。

僕は、こうした変遷を思うとき、現在の歴史的仮名遣いで、自分ひとりの名において何かを書くことを、あくまでも個人的なこととして、心許ないと感じます。新仮名には新仮名で徹底されていない点があるのはもちろんですけれど、そもそも文字が音声を完全に一対一対応で表記することなんてことは幻想としてしかありえません。それならば、いくつかの例外があるとしても、そうした例外がしっかり定まっている表記の方が、僕は、自分の身を落ち着けやすいと感じます。要するに、くつろげるということです。

いま、「あくまでも個人的なこととして」、と書きました。僕は他のひとの表現にまでこうした思いを押し付けるつもりはありません。私見を述べるまでのことです。

ですから、「現仮名を使ってわざわざ俳句みたいな古いことやる意味がわからない」という意見については、率直に、現仮名で俳句をやることに意味を見いだせず、旧仮名で俳句をやることに意味を見出しているひとが旧仮名で俳句をやるのは、実にまっとうなことだと思います。

見た目の豊かさについては、僕は、どちらの仮名遣いにも豊かさはあって、結局は、どちらの豊かさにより惹かれるかということだと思います。「ゐる」と「いる」だけを比べると、「ゐる」のほうがより豊かだと感じる人のほうが多いのかもしれません。でも、これが「ゐない」と「いない」だったら、「いない」の対称性には、これはこれで別の豊かさがありませんか。「いないいないばあ」ともなれば、二つの「な」が四つの「い」にまぎれてちらつくあたり、いかにも「いないいないばあ」って感じがします。

せっかくなので、これとはすこし違う話も書いておきます。仮名の新旧と文語口語は別のことだとみんな言うし、理屈の上では確かにそのとおりです。けれど、たとえば、「あはれ」と書くのと「あわれ」と書くのとでは、どうしても言葉の印象が変わってきます。それは、他の言葉との結びつきによって、決定的な違いとなってあらわれることさえあります。「あはれ宿無し」と書くのと「あわれ宿無し」と書くのとでは、作中主体が「宿無し」なのか別の誰かが「宿無し」なのか、現代では、きっと、表記につられて読みが違ってくるでしょう。「あはれ」と「あわれ」ほど極端な例ではなくても、たとえば、「さやうなら」と書くのでは伝わらない「さようなら」や、「ゐる」と書くのでは伝わらない「いる」はあると思うのです。もちろん、逆もある。

要するに、新仮名でしか書けないもの、伝わらないものというのは、旧仮名でしか書けないもの、伝わられないものと同じくらい、あるはずだということです。

仮名遣いは、僕にとっては、不易流行ということとどう向き合っていくのかにも関わっています。僕は、移り変わるものとしての言葉に、移り変わるものとしてこの身をゆだねたい。そんなふうにして、言葉において、言葉とともに、言葉を旅し、すなわち、言葉において、言葉とともに、言葉を栖としたい。そのために、僕は、いま、僕自身の生きてくつろげる表記で書きたい。僕は、俳句を書くのでなければ、仮名遣いのことも、不易流行ということも、こんなふうには考えなかったと思います。だから、これは、俳句新仮名で書きたい、といったことではありません。僕は、俳句をこそ新仮名で書きたいと思うのです。繰り返しになりますが、こうしたことは、いずれも、僕ひとりの極私的な欲求にすぎません。

余談ですが、僕には、新仮名で俳句を書いていきたいという欲求がある一方で、いつか、もし文語でなにかを書いて本を作るようなことがあるとしたら、そのときには、できるかぎり講談社版の『子規全集』の用字・仮名遣い・字形に合わせたいという極めてフェティッシュな欲求も持ち合わせています。ここで講談社版の『子規全集』を挙げたのは、別に版元が講談社であることや子規の全集であることに特別な意味があるわけではなく、あくまでも身近な具体例のひとつとしてです。同様の用字・仮名遣い・字形を用いた書物は他にもたくさんあります。

それでは、なぜ『子規全集』などで用いられている用字・仮名遣い・字形なのか、といえば、これは、僕にとって、こうした表記で書かれた文語が手書き・手彫り(もしくは手書き・手彫りのものをもとに復刻した版)の次に生き生きして見えるからです。たとえば「証拠」が「證據」と表記されていたりするのもそうですが、それだけじゃなくて、「直󠄁󠄁󠄁󠄁」の左下の角のまるみとか、そもそも「全󠄁集」の「全󠄁」の字からして、てっぺんから左に細い線が伸びているところとか、とてもそそられます(最近だと、Wordに標準搭載のフォントでも、游明朝と異体字セレクターを駆使すればこんな風にある程度までは再現できるようになっています。完璧にとはいきませんが)。

2016/12/28

2017年1月16日月曜日

●月曜日の一句〔米岡隆文〕相子智恵



相子智恵






天網やあっけらかんと冬木立  米岡隆文

句集『虚(空)無』(2016.10 邑書林)より

「天網」は、悪人や悪事をのがさないために天が張りめぐらした網。悪事を行えば必ず捕らえられて天罰が下るということだが、それに続く〈あっけらかんと冬木立〉との取り合わせが面白い。

天から冬木立を見下ろすと、その枝の広がりが網目のようにも思われて天網を感じるし、または冬木立自身がその天網を潜り抜けて地上に落ちてきたように読んでも面白い。「あっけらかん」と悪びれない様子が、冬木立のごつごつした感じと相まって無頼な感じもする。

冬木立を見上げた先に広がる、冬のカーンと晴れた空。「粗くても決して逃さない」という天網を感じさせるのは、この季節特有の空の抜け方もある。

作者の視点が空からも地からも見ているようで、空間が不思議に広がっていく句だ。

2017年1月13日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






革命を考えているおばあさん

鈴木節子(すずき・せつこ)1935~

若い頃、選挙結果を見て、政治の行く末が明るくないのはおじいさんおばあさんたちが足を引っ張っているからだと思っていた。しかし、今は若い人たちはちゃんと現実を見て投票しているのかと不安になる。この先はだいじょうぶなのかと心配になる。戦争の怖さを知っている年配の人ほど今を憂慮している。おばあさんは居ても立っても居られない。度し難く、憂慮ぐらいではすまないから「革命」なのだろう。

昨年の12月に刊行された句集には〈痛そうな感じ祖國とか國家とか〉〈軍艦マーチ飛ぶ気にさせる鶏を〉〈殺処分 こんな漢字は見たくない〉〈殺されず殺さず今日は無事でした〉など芯のある川柳が並ぶ。〈或る日突然村を棄てよという御触れ〉〈漏れている色も匂いも音もなく〉〈桃の咲く故郷に行く防護服〉 震災記と題された川柳。『おぼろ夜情話』(2016年刊)所収。

2017年1月12日木曜日

●黒髪

黒髪

雨つけて菠薐草も黒髪も  岸本尚毅

ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな  川崎展宏

黒髪に打電いくつも夏の海  渡辺誠一郎

満月よ黒髪の子を吾も生まむ  三橋敏雄

2017年1月10日火曜日

〔ためしがき〕 「そもそも抒情って何だ?」 福田若之

〔ためしがき〕
「そもそも抒情って何だ?」

福田若之


これが抒情だ、と思う」と書けば、当然、次のような問いが返ってくる。
けれど、「そもそも抒情って何だ?」というこの問いに、僕は答えるわけにはいかない。なぜか。

それは、この問いが「抒情」を《そもそも何かであるもの》として規定してしまっているからだ。「抒情」が《そもそも何かであるもの》だとすれば、そのとき僕らはもはや「抒情」をそのかけがえのなさにおいてその都度とらえなおすことはできなくなるだろう。

「抒情」は徹底してその都度なされる。だから、「抒情」について「抒情とは何か」と問うことはできない:「抒情」は物的ではない;問いうるのは「どう抒情するのか」であり、この問いはつねに個々人の身体と切り離しえない:「抒情」は動的だ。


僕は、「抒情とはこれだ」とは決して書かないために、意図的に「これが抒情だ、と思う」と書いたのだった。「そもそも抒情って何だ?」という問いに答えることは、「抒情」を一般化し、それに対して概念としての地位を与えることに他ならない。それはまったく抒情的な仕草ではない。僕はこの問いに答えることができない。

2016/11/8

2017年1月9日月曜日

●月曜日の一句〔和田耕三郎〕相子智恵



相子智恵






ひしひしと星哭く夜の寒の山  和田耕三郎

句集『椿、椿』(2016.9 ふらんす堂)より

〈ひしひしと〉に軋むような音を感じ、ぎっしりと星が埋め尽くしているようにも感じられてくる。大声をあげてなくという意味の〈哭く〉の字が選ばれていることもあり、一つの星ではなく、多くの星たちが泣き叫ぶ様子が想像された。すなわち、都会の星ではなく、空を埋め尽くすほどの星が見える土地を想像することができるのである。

冬の山ではなく〈寒の山〉であるところに、一層の寒さと峻険な山が想像されてきて、たとえば北アルプスのようなゴツゴツとした山々も思ったりする。

それでいて、この句は静寂に包まれている。星がひしめき哭いても無音であり、寒の山も何物も寄せつけない厳しい静けさがある。

空も地(山)もこれ以上ない緊張感と密度で軋んでいるような張り詰めた真冬の夜の静けさ。〈ひしひしと星〉のHとSの音の騒がしさが〈哭く夜の〉のNとY音で吸収され〈寒の山〉のK音がそれを寄せつけずに、最後はYとM音で静まる。これらの響きの強弱からも、星と山とその間にある空間が見えてくるようだ。

2017年1月6日金曜日

●金庫

金庫


春の夜の夢なり金庫一個分  高野ムツオ

凩や焦土の金庫吹き鳴らす  加藤楸邨

明易し金庫に金の無かりけり  瀬戸正洋〔*〕


〔*〕瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(2016年10月/邑書林)




2017年1月4日水曜日

●水曜日の一句〔中村安伸〕関悦史


関悦史









神旅を終へて子宮に到着す  中村安伸


倉橋由美子『アマノン国往還記』や荒巻義雄『神聖代』といった幻想的な長篇小説のプロットを五七五に抽出してしまったかのような一句だが、神の旅で一応有季句になっているところにとぼけた味わいもある。もっとも神の旅は秋ごとに出雲へ行って、翌月には戻ってきてしまうので、終わったところで「子宮に到着」したりはしない。この句は普通の神の旅ではない。

子宮への到着はいわば天国への到着であり、同時にそこから再出発しなければならないものであり、輪廻の輪の完成をも意味している。句の作りとしては「終へて」と「到着す」が近すぎると見えるが、ひとつの生と宇宙の完結を示すには「終へて」もあった方が話はわかりやすい。しかし、なかったところで到着先が「子宮」となればそれだけで季語的円環のなかの神の旅ではないことはわかる。この「終へて」はむしろ、句の言葉からどっしりした手応えを奪い、一句を流動的なものにすることに寄与している。非現実であるだけではなく、非実体であることを徹底されたなかでの「子宮」であり、輪廻なのである。

これはいわば幾何学的な図形として構想はし得るものの、実際の作図は難しい、完璧な円のようなものだ。質料を切り捨てた形相のなかでのみ成り立つ愉悦にも似た完結感。その完結は即開放でもある。季節の運行という円環と、その上位で繰り返される、神の旅の宇宙創成=消滅の円環が入れ子になり、われわれが生きる物質の世界はあっさり捨て去られてしまう。

そのことが実存を瞬時に空無に化してしまうような重厚な快感をもたらすかといえば、そういうダイナミズムはなくて、一句はきれいな絵本のように無害な顔をして見せているままだ。しかしその“絵本”のなかの、重さを欠いた世界の運行が、その辺にごくあっさりとまぎれ込んでいるかのような一句の姿は、ボルヘス的な眩暈を誘う。この句に視点人物がいるとしたら、彼はその非実体世界の、胎児的満足感の方にいるのだ。


句集『虎の夜食』(2016.12 邑書林)所収。

2017年1月3日火曜日

〔ためしがき〕墓碑銘は風にうすらぐ 福田若之

〔ためしがき〕
墓碑銘は風にうすらぐ

福田若之


大林桂「青春のかたみ――遺句集『散木』を頂点とした福永耕二論」は、ひとつの優れた論考だった。だからこそ、僕は、次の文言に対して、率直に驚かずにはいられなかった――「〔……〕しかし福永耕二がどのような俳人であったのかは知られていないように思うので、まずは耕二の経歴に触れておきたい」。

ひと昔前までは、これに続く福永耕二についての記述は、決して正確に暗唱できるようなものではないにせよ、ある程度知られていたことがらだったのではないだろうか。少なくとも、彼が鹿児島の生まれで、早くから「馬酔木」において頭角を現し、「沖」においても活躍したが、病により若くして世を去った、ということぐらいは、よく知られていたはずだ。そして、その『鳥語』や『踏歌』といった句集の名もまた、それらの情報と同様によく認知されていたはずだ。その頃、福永耕二の経歴について多くが語られなかったのは、きっと、みんなが彼のことをそれなりに知っていたからだったはずだ。

けれど、時代は移り変わる。語られず、書かれないことがらは、少しずつ、うすらいでいく。僕が言いたいのは、「青春のかたみ」から上に引用した一節は、おそらく福永耕二という作家の受容の変化を印づける重要な記述だろうということだ。 境涯俳句という主題のもとで論を展開していくうえでも不可欠であったに違いないその経歴の記述は、しかしながら、論のうえでの必要によってではなく、「知られていないように思う」という、おそらくは正当な、ひとつの現状認識によって呼び寄せられている。それは、福永耕二について誰もが知っているふうであった時代がもはや過去のものであることを明確に印づけ、かつ、僕らの生きる時代がその忘却の上に進んでいることを告げる言葉にほかならない。今日、僕らがはじめなおすのはこの認識からでしかありえないのだ。墓碑銘は風にうすらぐ。僕もまた、福永耕二が「新宿ははるかなる墓碑」と言葉を紡いだ1978年には今の都庁はまだ影もかたちもなかったのだということを知ったときには、驚きを禁じえなかった(都庁新庁舎の完成は1990年の12月で、僕が生まれるおよそ半年前のことだ)。あのコクーンタワーが建ってからの新宿しか知らない子どもたちは、はたして、「はるかなる墓碑」ということばを「新宿」の喩えとしてふさわしいものに感じるだろうか。

2016/10/31

2017年1月2日月曜日

●月曜日の一句〔駒木根淳子〕相子智恵



相子智恵






水餅の闇より母の手が戻る  駒木根淳子

句集『夜の森』(2016.11 角川文化振興財団)より

水餅とは、黴が生えたり乾燥してひび割れたりしやすい餅を、水に漬けて保存する方法。真空パックに入った切り餅が流通している現代、特に都会では家で餅をつくことも少なく、ほとんど見かけない風景かもしれない。

「水餅の闇」に、昔ながらの薄暗い土間や台所に置かれた、たくさんの餅が入った大きな甕や樽のようなものを想像した。「母の手」と相まって郷愁を感じるが、しかしながらこの句はただの郷愁の句ではない。異界や彼の世へ行って戻ってきたようなゾクッとする感覚がある。何も見えない「水餅の闇」と、「手が戻る」という母の意志を感じさせない書き方が不思議さを生んでいるのだろう。

母の手が真っ暗な水の中にぬっと入り、白い餅とともに戻ってくる。餅を掴んだ母の濡れた手も、餅のように白い。民話のような薄暗い不思議な怖さと懐かしさが入り混じった一句である。