2012年7月31日火曜日

●助詞「は」考 野口裕

助詞「は」考

野口 裕



助詞「は」は、主題を提示する働きを持つ。語順を逆転させることによって、聞き手の注意を引く係り結びの物言いが行き着いた現状での姿でもある。というような話が大野晋の本を読めば書いてある。

他方、切字の「や」は、五七五の中途に置かれるにもかかわらず、五七五と次の七七を切る働きをするものとして連歌・俳諧で重用されたが、次第に五七五の内部を切るものとして意識されるようになってきた。その点で、「や」も五七五内部で係り結び的な働きを有していると言える。というような話は、川本皓嗣の本に書いてある。

「は」と「や」は、似ている面を有しているだろう。しかし、俳句の歴史の中で「や」が多くの作家によって努力を積み重ねてきたのに比較して、より一般的な会話にも使用される「は」の方は五七五においてそれほど使用されるわけではない。

「や」が、もともと疑問をあらわす語だったことから、容易に反語と見なされるのに対し、主題の提示である「は」の方に疑問の働きはなく、そのままでは反語と見なされにくい。「や」が融通無碍に上下をつなぐほどに、「は」が五七五の上下をつなぐことはできない。

だが、人の馴れというものは恐ろしい。五七五の中に「や」があれば、読者は安心して「俳句」のハンコが押されたものとして受け取るがために、五七五が「俳句」であるかないかのぎりぎりを狙おうとしたときには、「や」の存在が邪魔になる。

一見何気ない物言いに見えた五七五が、リズムに乗って脳内に棲みつき、ふっと何かの拍子に意識に舞い戻ってきたとき、現実の風景が一変してしまう。それほどの効果を一句に期待するときに、「や」よりも何気ない物言いである「は」を五七五で働かせることはできないか? 作家としてそう考えても不思議はない。そのせいかどうかは定かではないが、「は」を多用する作家が次第に増えつつあるように見える。

手近にあった句集から数えてみると、高濱虚子『六百五十句』中、「は」の使用句は21句、森川暁水『砌』554句中、15句に対し、時代が下って、鈴木六林男『雨の時代』が598句中31句と増加傾向を見せ、田中裕明『櫻姫譚』も308句中18句と同様の傾向を見せ、最近出された句集に目を転じると、和田悟朗『風車』390句中32句、小池康生『旧の渚』340句中23句、森田智子『定景』363句中20句とその傾向は続いている(ちなみに、最多は御中虫『関揺れる』125句中28句)。

ついでに「が」や「も」なども射程に入れて、どんどん調べれば面白そうだが、さすがに時間がない。池乃めだかの台詞を心の中でつぶやきつつ、この稿終わり。

2012年7月30日月曜日

●月曜日の一句〔甲斐由起子〕 相子智恵


相子智恵









うつしみの色さしきたり羽化の蝉  甲斐由起子

句集『雪華』(2012.7/ふらんす堂)より。

羽化したばかりの蝉は薄緑色の羽根を持ち、白く透き通るような体をしている。羽化が行われるのはたいてい夜だから、羽化したばかりの蝉はまるで、夏の夜の夢の妖精のような、この世のものとは思えない幻じみた存在に思える。

そんな羽化したばかりの蝉も、夜が明ける頃には徐々に乾いてゆき、茶色く蝉らしい色になってくる。作者はそれを、幻のような蝉に、徐々に〈うつしみ〉=「現し身(この世に生きている身)」の色が差してきたと表現した。羽化という特別な時間の本質をつかむ一語である。

ところで、蝉の抜け殻を表す「空蝉(うつせみ)」は当て字で、これも、もとは同じ「現し身」だ。辞書で調べたら、語源は古事記の「現人(うつしおみ=この世の人)」だという。命の抜けた蝉の抜け殻も、命ある蝉そのものも、両方同じ「この世に生きている身」というのは、なんだか不思議である。日本人の死生観に通じているのだろうか。〈うつしみ〉からは、そんなことも考えさせられた。

掲句をはじめ『雪華』という句集には、清浄な世界がある。〈行平鍋(ゆきひら)に粥すきとほる雪の声〉〈遅き日の遠くが見えてゐたりけり〉〈何にでも触れ初蝶のこぼれ来る〉〈夢醒めてなほ夢の世や西行忌〉など幽玄な叙情に、酷暑の日に読んだ私の心が、すーっと透明になっていくようだった。清水のような句集である。

2012年7月29日日曜日

〔今週号の表紙〕第275号 アイスコーヒー@cafe copain 藤田哲史

今週号の表紙〕第275号
アイスコーヒー@cafe copain

藤田哲史



「スティーブ・ジョブズの遺作」iPhone4Sに機種変更してから、写真を撮ることが格段に多くなった。iPhone4Sのカメラのいいところは、まずは解像度のよさ。以前なら専用のデジタルカメラでないとできなかった解像度で写真をとることができるのだ。しかも、iPhoneでは撮影と同時に自動で位置情報まで記憶してくれているらしく、後で写真を見返して「あれ、これどこで撮ったんだっけ」というときに確認することもできる。とても便利だ。

今週の写真も、iPhoneでちょいちょいと撮影。

ただし、アイスコーヒーの拡大している部分だけは、ひとひねりしてある。この部分は、実は角川「俳句」6月号の付録のフレネルレンズを使ったもの。カメラのレンズの前に別のレンズを映り込ませる”いたずら”のエフェクトだ。あるいは、たわませて斜めに映り込ませてもいいけれど、これはちょっとシュールすぎたかな。




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2012年7月28日土曜日

●土曜日

土曜日

カレンダーの土曜日青し鳥帰る  山田露結〔*〕

白波なり土曜の夜の吊革に  高野ムツオ

土曜日のそよ風にあり犬ふぐり  津久井健之〔*〕

土曜日の海の白さよ冬帽子  野口る理〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年7月27日金曜日

●金曜日の川柳〔楢崎進弘〕 樋口由紀子


樋口由紀子









わけあってバナナの皮を持ち歩く

楢崎進弘 (ならざき・のぶひろ) 1942~

「わけあって」が意味深である。一体何事かと身を乗り出して読むと「バナナの皮」って、なんだと思うと同時に、この外し方におかしみがある。バナナの皮を捨てるのを忘れるほどのことがあったのかもしれない。別に何の意味もないのかもしれない。言葉の持つ微妙さ、嘘くささなどを想像させてくれる。

「バナナの皮」は具体的な物。提示されることによってはじめて質感と共のその存在がクローズアップする。理由をつけてまとめられることを避けているような気がする。オフビートな川柳かな。

〈エスカレーターが動く私の未来とは別に
父として歩けば岬すでに過ぎ物事の分別の独自の眼である。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)。

2012年7月26日木曜日

【俳誌拝読】『星の木』vol.9

【俳誌拝読】
『星の木』vol.9(2012年 春・夏)

本文20頁。同人4氏の各30句、テーマ競詠(この号は「水」)各10句。俳句作品で誌面を埋め、散文は4氏による編集後記のみ。

蒸し浅蜊大盛りにして隙間あり  大木あまり

なつかしくここにも雨の薔薇咲いて  石田郷子

赤松のまぶしき空や避暑名残  藺草慶子

蜥蜴出で朝風に顔乾かすか  山西雅子

(西原天気・記)



2012年7月25日水曜日

●ペンギン侍 第51回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第51回 かまちよしろう

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つづく


かまちよしろう『犬サブレ 赤』 絶賛発売中!



2012年7月24日火曜日

【リンク集】芥川龍之介の俳句

【リンク集】芥川龍之介の俳句

本日は河童忌≫過去記事

芥川龍之介の句:ブログ俳諧鑑賞

2012年7月23日月曜日

●月曜日の一句〔伍藤暉之〕 相子智恵


相子智恵









大緑蔭虫・鳥爪を休めけり  伍藤暉之

句集『PAISA』(2012.7/ふらんす堂)より。

緑蔭という、ただ青葉の繁りが作る涼しい木蔭ではなく、〈大緑蔭〉と詠んだところに迫力がある。鬱蒼とした森だろうか。あるいは山も、ひとつの大きな緑蔭といえるかもしれない。

そんな巨大な緑蔭に、虫たちも鳥たちも爪を休めている。〈爪〉を出したのが個性的だ。蝉や兜虫などの昆虫は爪が鋭く、鳥の爪も鋭い。そうした爪で木々をしっかりとつかみ、安心して体を休めているのだ。

無数の虫や鳥たちから、鋭い爪でしがみつかれた木々には頼もしさがある。それと同時に爪が食い込む木肌の痛みも思われてくる。鋭い爪で掴まれ、あるいは穴を開けて巣を作られ、実や葉は鳥や虫たちの食べ物となる。そしてなお、どっしりとしている木々の、物言わぬ痛みと強さを想像する。緑蔭という存在が、あらためて大きなものに思われてくるのである。

2012年7月22日日曜日

〔今週号の表紙〕第274号 ノルマンディー海岸 小津夜景

今週号の表紙〕第274号
ノルマンディー海岸

小津夜景



今年は冷夏らしく、海にヨット、空にパラグライダーは点在すれど、泳ぐ人がいない。実際、高台から大波を見下ろすと削り氷を思い出すくらい、海は優雅に凍っている。

ところで、パリ市は今年もこのノルマンディーの海岸から5千トンの砂を平底船で運び去った。そして市長の「エコ」と称した見立てで、セーヌの河岸をヴァカンス地風にアレンジしている。今日、ネットの記事を見ていたらその様子が掲載されていた。
http://lci.tf1.fr/france/societe/paris-plages-la-playa-a-panam-7422003.html


片道500円で本物の海が手に入るというのに大盛況だ。括弧のついたエコは強い。具象化を伴った観念は、いつでも人間の知性をたくみに煽動(また時にその罪責感をきれいさっぱり宥恕)するのだろう。


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2012年7月21日土曜日

●山手線

山手線




小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん  正岡子規

始めは雨終り泥酔鶯谷  高野ムツオ

西日暮里から稲妻見えている健康  田島健一

煤けむる田端にひらふ蛍かな  室生犀星

駒込の不二に棚引蚊やり哉  一茶

詩篇あり東京巣鴨の食堂に  攝津幸彦

すこし酔ひ跣足で歩く池袋  岡田史乃

高田馬場純喫茶白鳥にてくさる  攝津幸彦

新宿ははるかなる墓碑鳥渡る  福永耕二

そのむかし代々木の月のほととぎす  臼田亜浪

原宿と越すさき聞きぬ秋隣  久保田万太郎

渋谷てふ不思議な街の青蜜柑  皆吉司

歩き出す今日は目黒の祭かな  岸本尚毅

降ろされて大崎止りいわし雲  宮津昭彦

品川の富士も鯨もいまむかし  西原天気

巷では新月幻視派で田町  井口吾郎

新橋に居ると電話や花の果  依光陽子

大寒の東京駅にひとを待つ  鈴木しづ子

金獲たり本の神田の雁高し  松崎鉄之介

秋葉原男二人の晩夏かな  菊池達海〔*〕

山手線の日の中にゐる卒業子  斉藤夏風


〔*〕第13回(2010年)俳句甲子園より

2012年7月20日金曜日

●金曜日の川柳〔小出智子〕 樋口由紀子


樋口由紀子









あじさい寺の冬を想像せぬことだ

小出智子 (こいで・ともこ) 1926~1997

ちょっと盛りは過ぎたけれどもあじさいがきれいだ。身の丈ほどの潅木に球状の淡紫碧色や薄紅色などの花は雨のうっとうしさを忘れさせてくれる。しかし、作者は半年後を思い浮かべている。

わざわざ足を伸ばしてあじさい寺に来たのに、ふと冬になったらこの庭はどうなっているのだろうと思ってしまった。花の美しさに酔いしれていればいいのに、それができない。勝手に想像して、余計な心配をして、興ざめする。やっかいな性分だと苦笑する。これが川柳眼なのだろう。

〈五十九歳これから川へ洗濯に〉〈可愛らしい鼠に描いてやりましょう〉〈病院の帰りは魚屋へ寄って〉どの句も発想の可笑しみがある。『蕗の薹』(私家版 1989年刊)所収。

2012年7月19日木曜日

●ロボット

ロボット

ロボットの腋より火花野分立つ  磯貝碧蹄館

ロボットが一室うばひ雪降りだす  河野南畦

ロボットの呂律怪しく昭和の日  菊田一平〔*〕

ロボツトも博士を愛し春の草  南十二国〔**〕


〔*〕『や』No.60(2012年7月20日)
〔**『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年7月18日水曜日

●ペンギン侍 第50回 かまちよしろう

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2012年7月17日火曜日

●階段

階段


階段の他人が武器の音たてる  林田紀音夫

体内に続く階段曼珠沙華  高野ムツオ

階段に干して国旗や秋の昼  林 雅樹〔*〕

階段を秋の途中と思うべし  鳴戸奈菜

階段が椅子木枯を背もたれに  小林千史〔*〕

階段が無くて海鼠の日暮かな  橋 閒石

階段を考えており初戎  岡村知昭〔*〕

階段を濡らして昼が来てゐたり  攝津幸彦

肉食ノ階段ナレバ滑リ易シ  関悦史


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年7月16日月曜日

●月曜日の一句〔近江満里子〕 相子智恵


相子智恵








身に馴染むものに微熱も晩夏光  近江満里子

句集『微熱のにほひ』(2012.5/ふらんす堂)より。

「共感覚」という、一つの感覚が他の異なる領域の感覚を引き起こす現象があって、芭蕉の「海暮れて鴨の声ほのかに白し」が「音に色を感じた共感覚の句」として論じられた文章を読んだ覚えがある。

掲句の〈微熱〉と〈晩夏光〉は取り合わせだから共感覚とは違うが、晩夏の強い光が生む白いまばゆさと、体内の微熱の感覚とが絶妙に溶け合い、響きあって、妙な神々しさがある。

共感覚を思い出したのは、句集名にもなった〈髪とけば微熱のにほひ春の雪〉という句もあるからで、「微熱に匂いがある」と捉える鋭敏な感性に驚いたからだ。〈春の雪〉の取り合わせの感覚も鋭い。

長くなるが、あとがきの一部を引きたい。
〈発病と俳句を始めた時期がほぼ同じ頃だったことに、人間の力を超えた宿命のようなものを感じます。季節がひとつ過ぎていくごとに、出来ることが減ってきていますが、最後に残るものが俳句であってくれたら、いや絶対に俳句でなくてはと願わずにはいられません。今しかない、明日は来ないかもしれない――そういう思いを胸に、「心の底からの叫び」が聞こえてくるような俳句を目指していきたいと思います〉
「心の底からの叫び」が聞こえる俳句といっても、ただ心情を喚き叫ぶために俳句があるのではないだろう。短い詩型が心情の吐露に適さないのは百も承知で、それでもなお作者が「最後に残るものが俳句でなければ」と願うとき、それはたとえば晩夏の光と体内の微熱とが出合うことなのではないか。感覚まるごとで、世界を生きることに通じているのではないか。私はそう受け取った。

〈献体を決めし腕の汗疹かな〉〈ひと日づつ生きるあそびや竜の玉〉引きたい句は他にもいくつもあった。

2012年7月15日日曜日

〔今週号の表紙〕第273号 蓮 西原天気

今週号の表紙〕第273号


西原天気



東京・上野、不忍池の蓮がいま見頃だと思います。

池のまわりをぐるりと散歩したのち、精養軒の屋上ビアホールで喉を潤しながら、池全体を見渡すというのはいかがでしょう? 仕事をサボった平日の昼間などは格別です。




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2012年7月14日土曜日

おんつぼ42 Love of Life Orchestra 西原天気



おんつぼ42
Love of Life Orchestra

西原天気

おんつぼ=音楽のツボ


ピーター・ゴードンという人がいます。サックス奏者という以外はあまりよくわかりません。googleで調べようとするとピーター&ゴードン(愛なき世界)ばかりヒットするわ(まったく無関係)、同姓同名の料理人のページに行っちゃうわで、困りものですが、まあ、アンダーグラウンド系のミュージシャンです。

ピーター・ゴードンのバンド、ラヴ・オヴ・ライフ・オーケストラが残したトラックは数少なく(≫こちらディスコグラフィExtended Nicetiesは1980年に発売された30センチ(LP盤)シングル(45回転)。まずは、そのB面「Beginning Of The Heartbreak / Don't Don't」を聞きましょう。




1980年といえば、ニューウェーブ前期。街の輸入盤屋さんがとても熱かった頃です。おもしろいバンド、おもしろい音はないかと、好事家的音楽ファンやモードを追いたいミュージシャン、業界関係者が熱心にレコード盤をめくっていました。

ピーター・ゴードンはよく知らなくても、参加しているミュージシャンの名を見て、このシングルを買った人は多かったと思います。

ギターが何本か入っていますが、終盤、コード(和音)をカッティング(刻み)で入れているのが(推測)トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーン、無調っぽくノコギリ引くようなメチャクチャなギター(6分35秒あたりから)を弾いているのがアート・リンゼイ(これは確実)。それから、デヴィッド・ヴァン・ティーゲムは、そこらへんにあるものを叩いてまわるパフォーマンスで知られた打楽器奏者で、昔のCMで見た人もいるかもしれません。

この曲(この演奏・トラック)、何がいいって説明するのは難しいのですが、当時は毎日のように聞いていました。どんづまりな感じがスタイリッシュ(なんと空疎な表現)だったのか。

今はCDでの再発もあります。



あ、そうそう。45回転のこのレコードを33回転で聞くことのほうが多かった(音が重く粘って、すごくいいんです。最後のほうの女性コーラスはオカマ声になる)。CDの速度調節が出来る人は、1.5倍くらい遅くして聞いてみてください。


モードっぽ度 ★
アンダーグラウン度 ★★★

2012年7月13日金曜日

●金曜日の川柳〔木暮健一〕 樋口由紀子


樋口由紀子









月を観ている忘れられたパンツ


木暮健一 (きぐれ・けんいち) 1936~

外出をしていて、帰宅が遅くなって、夜にあわてて洗濯物を取り込むことがある。暗いし、慌てているので、靴下などをとり忘れる。が、ここでは下着のパンツである。物干し竿にぽつんと取り残されたパンツ。なんだか格好悪いし、恥ずかしい。しかし、パンツは大切なものである。

パンツの持ち主は気がついていない。なかなか取りこんでくれそうにもない。しかたないのでパンツは月をみている。月もパンツが心配でじっとみている。ほのしろいまんまるな二つのものが呼応する。月とパンツはなんだか似ているような気がしてきた。パンツと月は意外と絵になる。

「パンツ」は震災で取り残され、忘れられそうになっている人々の比喩かもしれない。「触光」(24号 2011年)収録。

2012年7月12日木曜日

●うろこ

うろこ

金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし

鱗わが心を覆ふ葉月かな  柿本多映

穴まどひ身の紅鱗をなげきけり  橋本多佳子

風邪声はうをのうろこのうすみどり  福田若之〔*〕

雛の日の鱗につつむ死もありぬ  吉田汀史

群青の一鱗持てり桜鯛  津川絵理子〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年7月11日水曜日

●ペンギン侍 第49回 かまちよしろう

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つづく


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2012年7月10日火曜日

●絵本

絵本


松蝉や絵本の雲のみな円く  細川加賀

夜はまた絵本に挟む金魚かな  谷口慎也〔*〕

他国見る絵本の空にぶらさがり  阿部完市

裂き燃やす絵本花咲爺冬  三橋敏雄


〔*〕『連衆』No.63(2012年5月)より

2012年7月9日月曜日

●月曜日の一句〔山中多美子〕 相子智恵


相子智恵








天牛の髭に天牛のりにけり
  山中多美子

句集『かもめ』(2012.4/本阿弥書店)より。

幼いころ、夏の夜に窓の明りめがけて飛んでくる虫のなかでも、飛んでくると子供心にテンションが上がる虫のひとつが髪切虫だった。いま調べてみるといろいろな種類がいるようなのだが、覚えているのはルリボシカミキリや、ゴマダラカミキリで、黒い体に青や白の斑点がある美しい虫、というのが私の髪切虫に対する印象なのである。

だから、俳句を始めて「天牛」が髪切虫の異名だと知ったとき、天空の星々のようにも見える、あの髪切虫の斑点が思い出されて、なんと美しく力強い名前だろうと思ったものだ。語源由来辞典によれば、触角を牛の角に見立てた中国名だそうである。

たくましい天牛の髭に、別の天牛がズシリと載っている。二匹の天牛たちはキイキイと鳴きあっているのだろう。生命力に溢れた句だ。

永田耕衣に〈死螢に照らしをかける螢かな〉の名句があって、螢たちの死と生が交じり合うゾッとするほど静かな世界と、掲句の天牛たちの活発で骨太な世界とは、ちょうど対照的で、昆虫の句として並べてみてもまた、面白い。

2012年7月8日日曜日

〔今週号の表紙〕第272号 夏服@文京区(Qino's Manhattan New York) 藤田哲史

今週号の表紙〕第272号
夏服@文京区(Qino's Manhattan New York)

藤田哲史


七月七日は七夕だ。七夕伝説では、織姫と彦星が年に一度だけ天帝に会うのを許されている日。織姫と彦星は、天の川に隔てられた琴座のベガと鷲座のアルタイルであり、ふだんは会うことなく織姫は機を織り、彦星は牛を飼っているという。

が、しかし。ポストモダン甚だしい現代にあって、はたして彦星が昔ながらのやり方で牛を飼っているだろうか?

もしいまだ彦星が牛を飼っているとしたら、天上の世界においても、以前のような農耕用の牛の飼育ではうまくいかず、早々に食用の飼育にシフトせざるをえなかったのではなかろうか。

となると、事業としては、飼育場に加え、食肉加工場や熟成庫も完備、さらには輸送用冷凍トラックも必要になってくる。大掛かりな事業だ。そうやって、いつしか財を蓄えた彦星は議員に立候補当選、巨額の寄付もあって一躍地元の顔に。経営の面ではライバルを次々に買収しさらに事業を拡大。地元の権力と経済を牛耳った彼は、目下(天帝のおやじさんには内緒で)天の川の下に道路を通すトンネル掘削工事を計画中。最近の悩みの種は、ご当地ゆるキャラ「彦にゃん」(もちろん彦星がモデル)が滋賀県彦根市の「ひこにゃん」とバッチリかぶってしまいオリジナルをめぐって両自治体が裁判で争っていること。自身がプロデュースした「彦にゃん」グッズの膨大な在庫処理に戦々恐々としているのかもしれない。そうでないかもしれない。

織姫に「彦星も変わったねー」とか、言われてなきゃいいけど。


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2012年7月7日土曜日

●SLOW DOWN 中嶋憲武

SLOW DOWN

中嶋憲武


ふり返らずにさっさか歩く。ジューが何か言いながら、急ぎ足でついて来るけれどわたしはふり向かない。道ゆく人々の話し声や笑い声、店頭の大音量のジャズやバスの走り出す音に混ざって、ジューの甲高い声がだんだんぼんやりとしたものになってゆく。

タイル屋で働いているジューとは幼なじみで、家も近かったので、美容学校の帰りとか休みの日には、港へ船を見に行ったり、わたしの部屋やジューの部屋でキャロルを聞いたりしていた。ジューはわたしに対して好意以上のものを持っているらしかった。でもわたしには、ひとつ年上のジューがひどく幼く映っていたし、やたらと唾を吐く癖も下品で嫌だったし、まあ魅力的でなかったのだ。

「トーコ、城ヶ島行くか」 

「バイク、乗せてよう」

ジューの職場の先輩のノビは、カワサキのナナハンをいつもぴかぴかに光らせている。わたしはそのぴかぴかのナナハンに、二度ほど乗せてもらった。腰を突き上げてくる震動と、ノビのごわごわとした革ジャンに両手を廻してしがみついたときの革の匂いに、すっかり魅了されてしまったのだ。スピードと爆音は毎日の嫌なことを、いっとき忘れさせてくれたし。百八十五センチのノビに、ナナハンがよく似合うということが分かったとき、わたしの心のなかで何かがぱっと開いたのだ。

ジューはキャロルのチケットが手に入ったので、どうやら一緒に行こうと言っているらしい。日比谷野音での解散コンサートらしかった。わたしは速度を緩めず、ぐんぐん歩く。地下鉄にジューと一緒に乗って、日比谷まで行って、黴くさい三信ビルを抜けて表に出て、と考えるとうんざりした。

ジューの声がだんだん遠くなる。ちょっと雨が降ってきたけど、四月の袋小路のような街を構わず歩いた。ぴかぴかのスチールの冷たい乗り物の待っている待ち合わせの時計塔へ、そう言えばブローがうまく行かなかったなと思いながら、急いだ。


2012年7月6日金曜日

●金曜日の川柳〔畑美樹〕 樋口由紀子


樋口由紀子








恋人と陶器売場で見る夕日


畑美樹 (はた・みき) 1962~

川柳の高齢化がますます進んでいる。句会、大会で若い人を見かけることがほんとに少なくなった。したがって、自動的に青春川柳もお目にかかれない。

夕日を見るためにわざわざ山に登ったり、絶好のスポットに行ったりすることがある。しかし、掲句は夕日を見るために陶器売場に行ったのではないだろう。偶然目にしたのだ。恋人と新生活に必要な茶碗やコップを買い求めているときに、思いがけなく、夕日が差してきた。どちらともなく気づいて、二人で夕日をながめた。

日常のひとこまを切り取っているが、恋人と陶器売場と夕日と絶妙のコラボレーションである。この夕日は何を象徴しているのか。これから先は明るい未来だけではないが、今の二人を照らしてくれていることは確かである。セレクション柳人『畑美樹集』(2005年12月刊 邑書林)所収。

2012年7月5日木曜日

●天使

天使


蠅生れ天使の翼ひろげたり  西東三鬼

遅日このパスタ天使の男性器  佐山哲郎

孔質天使誘い来る夜の突風  江里昭彦

月明の階を降りくる夢精の天使  八木三日女

昼寝にはじやまな天使の羽根であり  雪我狂流〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年7月4日水曜日

●ペンギン侍 第48回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第48回 かまちよしろう

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2012年7月3日火曜日

【俳誌拝読】『雷魚』91号を読む 西原天気

【俳誌拝読】
『雷魚』91号(2012年7月1日)を読む

西原天気


発行人・小宅容義。B5判・本文40頁。同人2名の特別作品(各20句)、同人諸氏各10句が並ぶ。以下、気ままに。

じふぶんな太さの上の葱坊主  勝又民樹

啄木忌五円切手を貼りました  関戸美智子

けふ二月二十九日ぞ馬鹿をせむ  松下道臣

天変地異さざえのふたのうらおもて  三橋孝子

如月の封書の中の片寄れる  宮路久子

恋果つる猫にうやうやしき睫毛  茂田慶花

町じゅうの桜が見えて桜山  森 章

水槽をあふれて春の水となる  山中理恵

花散ってしまった伊豆の亀レース  遊佐光子

うぐいすや鏡はものを近くする  好井由江

櫻さんぐわつ蒲鉾の噛み應へ  太田うさぎ

死角に海死角に都忘れかな  大塚阿澄

村の香の人の香となり鶏合  岡本高明

蝶だとは判らぬほどの遠さかな  小宅容義

あき缶の爛れておりぬ野焼きかな  神山 宏

をとこ三人白玉食うて別れけり  亀田虎童子

連翹の迂闊に息を合わせたり  北上正枝

永き日や渡りし橋を振り返り  小島良子

電線に数万ボルト囀れり  小林幹彦

うすらいにすり傷ほどの風のあと  櫻井ゆか

波音の祭り囃子に乗っ込みぬ  鈴木夏子

蛇を入れ一本の木の静かなり  蘓原三代

紫蘇の実を箸でしごくみ七年忌  竹内弘子

涅槃図を見終つて靴篦使ふ  寺澤一雄

黒傘をにほひすみれの土に突く  遠山陽子

陽炎ひてキリンの顔は空にあり  平佐悦子

行く春の空席ひとつまたひとつ  細根 栞

凡そ世界に不眠の吾と秋の蠅  増田陽一

2012年7月2日月曜日

●月曜日の一句〔久保純夫〕 相子智恵


相子智恵








紫陽花のあちらこちらでるみ子死す
  久保純夫

句集『美しき死を真ん中の刹那あるいは永遠』(2012.5/現代俳句協会―現代俳句コレクション・2)より。

誰が書いたのかも、どこで読んだのかも、今となってはまったく思い出せないのに、ディティールだけが妙に心に残っているエッセーがある(たぶんエッセーだと思う…)。出てくる花の名前・人名はすべて仮名でたいへん恐縮だが、たしかこんな話だ。

著者が山へドライブに行ったときのこと。山中で、自分が採ってきた山野草の鉢を並べ売る男がいた。著者は一鉢買おうと、その名前を一つずつ尋ねていく。男は「これはカタクリ」「これはイワカガミ」などと答えるが、いくつか尋ねていくうちに「ええと、これはユミコ」「これは?」「これもユミコ」と答えだす。著者は内心、男が山野草に詳しくなく、知らない花をでたらめな名前で教えられたことに腹が立つのだが、ふと、不器用な男の様子から、男が名前を知らない山野草にはすべて「ユミコ」という忘れられない女の名を付けて呼んでいることに気づき、やるせない気持ちになってそこを立ち去った、という話だった。

掲出の句集は作者の久保純夫が、亡くなった妻で俳人の久保るみ子ただ一人に向けて書いた句日記の、俳句だけを独立させた句集である。2011年1月1日から12月31日まで365日毎日書いたという。妻は1月31日から3月25日まで入院、その後二人の希望で自宅に戻り、6月25日に自宅で亡くなる。妻が亡くなった後も、句日記は書き続けられた。

〈紫陽花のあちらこちら〉に妻はいた。そして死んだ。紫陽花は、ただ紫陽花のみではなく、すべての花のことであり、すべてに妻がいるのだろうと、そう思った。

2012年7月1日日曜日

〔今週号の表紙〕第271号 港 小津夜景

今週号の表紙〕第271号 港

小津夜景


セーヌ河を下ってゆくと、最後はル・アーヴル(Le Havre)の海へ出る。
それでこの町には、船遊びを趣味とする人たちのための駐船場がある。

もっともシーズン以外は、本当に人がまばらだ。
水上のオブジェみたいに、船が並んでいるだけ。

七月、待ちに待ったヴァカンスが始まる。
話によれば、港も、砂浜も、パリジャンたちで二ヶ月あまり溢れ返るそうなのだが、いまだ静まり返った海の気配に「本当かな?」と少し疑っている。


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