2013年3月31日日曜日

〔今週号の表紙〕 第310号 落椿 雪井苑生

今週号の表紙〕 
第310号 落椿

雪井苑生



今年はわりと椿がきれいに咲いている。

「わりと」というのは近づいてみるときれいだと思っていた花にけっこう傷がついていたり、開いたばかりなのに蘂が黒くなっていたり…ということが多いからだ。完璧!と思って撮った花なのに、パソコンで見るとやはり黒ずんでいる箇所が見つかってがっかりしたり。

今年はその傷みが少ない感じで嬉しい。

落椿でも完璧に近いほどの美しさに驚かされることがある。

写真の落椿は差し込む太陽光のいたずらで、まるで発光しているような姿に惹かれた。光の移動するまでしばらくの間、かがみこんで見とれてしまった。

紫陽花は「枯れ」桜は「散り」椿は「落ちる」。椿の木は落ちたまだ美しい、夥しい花の真ん中に立っている。



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2013年3月29日金曜日

●金曜日の川柳〔金子勘九郎〕樋口由紀子



樋口由紀子







女あり人語を解し哀れなり

金子勘九郎 (かねこ・かんくろう) 1912~?

昭和13年頃の作。女性は今とは比べものにならないくらい低い地位におかれ、人権などは無きに等しかっただろう。その時代に勘九郎はこのように詠んだ。当時としては卓抜した女性観である。

「人語を解し」とは人として道理もわきまえ、理性も思念もあり、判断能力のある女性が、人間の尊厳などとはほど遠い、一人前の人として扱われていないという事実を理解しているという意味だろう。勘九郎はこの理不尽を怒って「哀れなり」と強く言い切った。勘九郎に会ってみたかった。

金子勘九郎は中村冨二と二人誌「土龍」を創刊し、当時の既存の川柳とは違う斬新な方向性を示した。「土龍」は現代川柳の一つの出発点である。『土龍』(1938年刊)収録。

2013年3月28日木曜日

2013年3月27日水曜日

●水曜日の一句〔森川麗子〕関悦史



関悦史








花冷えの巨花となりたる都かな  森川麗子

「巨花」と聞けば、中村草田男《白鳥といふ一巨花を水に置く》を思い出さないわけにはいかないし、「都かな」という下五には三橋敏雄の《いつせいに柱の燃ゆる都かな》が潜んでいる。

句集中には他にも有名な句から言葉を拾ってイメージを膨らませたと思しい作が幾つかあるのだが、先行句を「踏まえ」たり、「挨拶」を送ったりといった間テクスト性自体が主な狙いとは見えない。

作者は先行句から割り取った破片を心の底に沈めることで、それを核とした別の珠を形作ることに関心があるのではないか。

草田男句では一応、写生のための修辞であった「巨花」が、ここでは非在の、少なくとも不可視の、SF作品に登場するドーム都市のような、あるいは全視界を圧して咲き誇るジョージア・オキーフが描く花のような、不穏なスケールをもって、花冷えの都市をイメージ化しつつ、のしかかる。

花冷えの都が己からずれ出しながら「巨花」となっていく妖気と、非現実が現実を侵食する姿でのみ、書き表すことのできる肉感的な、あるリアルさ。

それを生成させ得る場としての心身というものを感じさせる句。


句集『白日』(2013.1 青磁社)所収。


2013年3月26日火曜日

〔人名さん〕ハルポ・マルクス

〔人名さん〕
ハルポ・マルクス


ハルポマルクス神の糞より生まれたり  西東三鬼

ハルポ可愛や生まれるときのウコン色  金原まさ子





2013年3月25日月曜日

●月曜日の一句〔今井肖子〕 相子智恵

 
相子智恵







花も亦月を照らしてをりにけり  今井肖子

句集『花もまた』(2013.2 角川書店)より。

東京のソメイヨシノは、一気に見頃を迎えた。

掲句、美しい夜桜の一句である。月に照らし出されて白く浮かび上がった桜。その明るさは、もちろん月の光を受けた明るさなのだが、まるで花自体が発光しているかのようなその光の強さに、作者は花もまた自ら光り、月を照らし返しているのだと感じている。

地球の花と、38万キロ離れた月とが遠くでお互いを呼び合うように照らしあっている。壮大な宇宙の相聞歌だ。俳句という極小の詩で、こんなにも大きな世界を詠めるのかと思うとうれしくなる。

花は春の美意識の頂点、月は秋の美意識の頂点に立つ季語で、言葉の表面だけを追ってしまうと、一句の中にこの二つの季語が堂々と並んだ季重なりに一瞬驚く。が、そこは実景から感じる連想の確かさと、〈花も亦〉の入り方の強さだろう。花を讃える気持ちが強く表現されていて、春爛漫の景にゆるぎがない。華やかな春の一句だ。

2013年3月24日日曜日

〔今週号の表紙〕 第309号 田端・大龍寺の篠竹 鈴木不意

今週号の表紙〕 
第309号 田端・大龍寺の篠竹

鈴木不意



友人と電話をしていたら、子規の墓の話になってしまった。俳句をやっていない友人だが、大龍寺は家から近いので、案内してくれるという。

寺の方に子規の墓はどこかと聞いたら、篠竹のある方に行けばいいですと教えてもらった。墓の後ろから伸びている篠竹は穏やかな日を浴びていた。



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2013年3月22日金曜日

●金曜日の川柳〔根岸川柳〕樋口由紀子



樋口由紀子







踊ってるのでないメリヤス脱いでるの

根岸川柳 (ねぎし・せんりゅう) 1888~1977

飄逸で思わず笑ってしまう。その姿を想像して、また笑ってしまう。この動作を真似てみたくなる。客観的な描写に力がある。

メリヤスとは毛糸や綿糸で編んだ伸縮性に富む布地のことで、ここでは紳士用の股引のことである。今のようにヒートテックのレギンスのようなカッコいい下着がなかった頃、中年以上の男性のほとんどは保温性のある股引を愛用していた。これが肌にぴたっとくっついて脱ぎにくい。片足から脱いでいくと、バランスを崩してこけそうになる。オットトと必死になって、手をあげて……。その恰好はまるで踊っているように見える。本人が必死であるだけに滑稽である。

〈茹でたらうまそうな赤ン坊だよ〉 根岸川柳は第十四世川柳の柳号を継いだ。川柳界では初代柄井川柳から綿々と川柳号が継承され、現在は第十五世脇屋川柳。

2013年3月19日火曜日

●10句競作(第3回)予選通過作品&選考ライブ会場

10句競作(第3回)予選通過作品&選考ライブ会場


本誌募集の10句競作(第3回)の審査・選考の骨子・日程が決まりましたので、以下にお知らせいたします。

1 【本日】319日(火) ウラハイ予選通過全25作品を掲載(コメント欄に感想等を自由に書き込んでいただいて結構です)

2 【明日】320日(水・祝)22:00より ●10句競作(第3回)の件審査選考ライブ。この記事のコメント欄にて進行します。第3回の審査員は、岸本尚毅氏、阪西敦子氏、馬場龍吉氏。

3 審査選考ライブにて、本誌掲載作品を決定(時間切れの場合、日時を改めて、続・審査選考ライブに決定を持ち越します。)

感想etcはご自由に(≫コメントの書き込み方
審査選考ライブを待たずとも結構です。

更新ボタンorF5キーで、最新のコメントをお読みください。



ご不明の点等ありましたら、atsushi.murakoshi@gmail.com (村越敦宛)まで、お願い致します。


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4.
傾ぐ癖  

傾ぐ癖ありて我らが春の星
軍配は春に上つてゐたれども
舞ひ初めし雪が黄色や春の夢
麗かや釈迦説法を聞き給ふ
雛はまだ箱の中なり山笑ふ
雪解の橋がびしよびしよ昼の月
耕して綺麗な畑となりにけり
啓蟄や長き方へと長き虫
花の種野菜の種と分けてある
腕組の小学生やチューリップ

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5.
ひと  

天狼や身裡に始祖の羅針盤
ひとといふ時間犇めく冬銀河
人柱立ちたる海の冬日かな
ポインセチアひと遠くゐる窓明り
三月がランプを持つて立つてゐる
花明りさびしき町の底にゐる 
百千鳥囃す虚空を柩ゆく
恐竜のみてゐる涯の青銀河
炎天に廃炉並びて放光す
・・・・・さて渉らむか天の川

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14.
共鳴  

鬼は外母へ通ずる闇のあり
散剤のからだに広がれば深海
きさらぎの瞳孔開く地球かな
安吾忌のサイフォンの水上りをり
料峭の内臓をしぼつて歌ふ
夜の名の女とゐたり春の雪
回廊に哲学めきし余寒かな
だんだんと梅林の共鳴しだす
蛇穴を出でて飲みたる水甘し
くちびるのやはらかさにて花ひらく

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15.
さっきまで  

みおちやんと言ふらし梅の咲いたらし
ごみ袋地球の冬に置いてくる
白梅や三階で聞く癌のこと
屋根と言ふ三角のもの雪催
蒲公英や幸福論は好きですか
一度だけ指差して買ふ草の餅
卒業や江後君の名は順之祐
油蝉これより道に死すところ
小鳥来るマホメットとは無縁なる
運動会だつたやうだねさつきまで

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25.
喪失

午後の紅茶飲んで生存者なしというテレビ
キューピーの腕失くしたままで一年生
象の子が嘆く扁平の足四つ
桜咲いたが人間失格かもしれぬ
現の証拠という名にされて咲くしかない
PK戦の強姦されているような
こんなに晴れて税金のしくみが解らぬ
今日会った男と鳥葬の話
いっそスクランブル交差点で掻き混ぜてくれ
たましいのような月が出て逃げる

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27.
肩こり

凍鶴のきこきこきこと首鳴らす
室の花湿布のうまく貼れぬ夜
肩こりの朝よ初霜おりる日よ
肩こりのひどくて寒椿憎い
肩こりの広がっていく寒の雨
片栗の花に肩こり差し上げる
初春の肩こり瓶に詰めていく
山笑う山に肩こり埋めに行く
肩こりを流してしまう春の川
肩こりもいつかは春の海になる

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28.
日曜日

山眠る絵本の中の雪とけず   
コート吊る窓に石鎚晴れてをり 
如月の雲わかれゆく大欅    
鳥雲に雫のやうなイヤリング
啓蟄や日の差してゐる兎小屋 
春の川覗いてゐたる双子かな 
グラタンに少し焦げ目や鳥の恋 
花の種蒔いてしづかな日曜日  
水温む壁に山下清の絵 
滅びゆく星の桜を仰ぎけり

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30.
採光

また街で見かけることも巣立鳥
産んでみてこれからのこと子猫かな
領収書ばかりの机春風に
赤い服着せてしづかや梅の花
土器やものも云はずに廻しをる
気持よく挨拶朝の巣箱かな
下萌や人集まつて袋置き
ものの芽に颯と日照雨が過ぎゆける
パンジーと藁に産みたる鶏卵と
種袋楽しき人が振つてゐる

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32.
猫の子

初鏡ファイティングポーズとつてみる
駈けてきて行きすぎる人冬木立
待春の鳥をつかめば骨のある
地下鉄で帰るふるさとミモザ咲く
卓袱台を三つつなげる春祭
馬たちのコの字囲ひに仔馬をる
胸に手を入れて猫の子受け取りぬ
黒板消し挟みし戸より春の風
共学に変はる女子校卒業す
オムレツを開くナイフやらいてう忌

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34.
門限        

カステラの描写細密寒波来る
古新聞古雑誌みぞれはやまず
バス停や牡蠣食べてより脈早く
梅林へゆく涙腺のあるうちに
紅梅の匂う門限破りかな
三月やカナリア飼われ中華街
とびうおのてんぷら春の雪やみぬ
チューリップ買いに腱鞘炎の友
あさってはあるはず桜餅四個
段違い平行棒春闌けにけり

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35.
風の日  

風の日の浅き眠りや午祭
切り離す切手の縁の余寒かな
金星の昼となりたる雪解水
その中に羽散らばりて薄氷
連山の谷ゆるやかに凍ゆるむ
雪代の枝先流しつつ流れ
早春の金管楽器抱く腕
料峭の水深深き湖上かな
春めくや塀より長き箒の柄
ありあはせのもののひとつに春ショール

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39.
帽子  

しぐるるや改行の無き現代詩
水底に硝子の破片冬ざるる
街角の煙草屋失せて山眠る
短日やぱたぱた畳むパイプ椅子
去年今年魔女の帽子の忘れ物
くすつと笑ふシチューの中の人参が
空缶に水鳥の影届きけり
底冷や目玉小さき深海魚
マネキンに涙描かれ冬の蝶
猫の眼に吸ひ込まれたる冬銀河

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40.
みなしご  
 
冬の日のはねる音符にさはりたし
雪うさぎびつしりとゐて眠たかり
竹馬の子らおほぞらの穴の下
クラスメート次々消える雪まろげ 
きみと名前とりかへてみる日向ぼこ
雪女郎溶けて幼なくなりにけり
具がいつも同じちび太のおでんかな 
ひらがなでつくる小鳥や雪のこゑ 
指切の指がみなしご霧氷林
手ぶくろに魂は収まりますか 

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42.
何の国       

鳥雲にここで一旦切る台詞
振付をぬるぬるとして春の山
春泥のやはらかオカリナを製す
カタログを繰る静かなる春の夢
蜆開き島倉千代子笑ふ昼
三味線を抱く手花綱巻かれをり
緑立つ薄紙剥ぎて広辞苑
鶯餅は何の国です先生
タルタルソース菜の花を解放す
種芋の愛敬ありて束ねらる

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43.
家霊           

蟇出づや南無南無と息吐きながら
雛唄や畳の下に家霊居て
白魚を啜るに舌の根に力
雛の灯に埴輪のやうな顔をして
春愁の芯なり毬に大き臍
青き踏む媚薬のやうな雨が来て
鳥交む癌健診のバスの上
春の雪毒を吐くよに鳥が鳴き
かげろひて鳥の骸をつつく鳥
巣鳥鳴く無人の駅の大鏡

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45.
ショー

しぐるるや叩きて音のこもるドア
月氷る耳にて探る獣道
言ふことをきかない狐火はないか
銀幕の垂れし枯野となりにけり
黒兎抱かれシャンソンの中は雨
繰り返し繰り返し冬の川渡る
凍蝶を塔へ返さぬ者もゐて
寒晴や指人形をいつ捨てる
不器男忌の上唇を摘むなり
大抵の薄氷に影二十代

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46.
メルヘン

永遠に花咲かせむとキセル吸う
青黴にジャンヌダルクの遺灰かな
プロレスラー覆面に汗吹き出せり
昔むかし地球を回す蒲蛙
鬼退治たとへば古酒を捧ぐなり
人間も連れてゐるなり穴まどひ
紅葉且つ散るメルヘンに未来なし
きれいなドラえもんきたないドラえもん
雪女スターリン像平らげて
足跡の乾ききるまで春の泥

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48.
お年頃

少女らは地べたに座り花うぐひ
寝顔てふ臓器の一部磯あそび
蝶々のこぼれる涙袋かな
うをのめをぞりりりりりり鳥つるむ
いくたびもくぐるトンネル初蝶来
やわらかき母家の闇よヒヤシンス
乳母車ひしゃげて建国記念の日
春の夜のボディピアスの拡張器
土曜日の不妊外来雲に鳥
つちふるやパンクロッカーうたたねす

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53.
夏草

合唱部員五名で校歌入学式
葉桜や机の下で打つメール
廊下で騒ぐなとTシャツの教師
夏草の一塁ベースまで迫る
答案に補助線ばかり増えて夏
遠雷や草に埋もるる校歌の碑
中退の子の赤子抱く文化祭
求人票見る足元を冬の蜂
ロッカーの蓋にプリクラ卒業す
野球部が土撒く春の校庭に

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54.
FUKAIPRODUCE羽衣「サロメvs.ヨカナーン」より

雨粒はチュッパチャプスのごと長閑
春の雨散らすドリフトキングかな
雨傘を受け皿にして春の雨
ボーリング場の個室に春の宵
「よくわかんないよ見えなくなつて」梅
歌姫は皆の歌姫フリージア
春一番タクシー運のないワタシ
建国祭帰るところのある人と
猫柳ふたりぼつちは最強だ
石鹸玉くちづけのごと吹いてをり

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55.
転ぶ

冬の日の松が泣きたくなつてゐる
荒れてゐる腕が土星を包むなり
転ぶ自分は白いと思ひつつ転ぶ
洗顔ののちの尖塔蒼かりき
はぶらしに水の妖精いつも居る
のこぎりに夢引くときの静かさよ
屈託をバスに積んでる雪国だ
悪童の息がどうにも蜜柑なり
虫ピンに虹押さへれば虹虫に
網に星ではない魚だと笑ふ

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56.
オートリバース

朧夜にロールキャベツは泳ぐなり
北窓を開いて祓うカレー臭
黒猫のオートリバース春の宵
花見舟漕げよマイケル阿弗利加へ
倒立す早春のほろにがき野に
千の手の剥落終へし梅の寺
紅椿地球の裏にカーニバル
さくらさくら神経質にちりぢりに
はなびらの春のプールを見て泣きぬ
うららかや地球老いゆく象の中

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59.
頽落の日々

狼の亡びし後の赤づきん
項垂れて歩むものには犬ふぐり
曇天の梅のをはりの腫れぼつたし
ポケットにあたたかなごみ増えにけり
主老ゆ春蚊のごとく訪ぬれば
リラの雨監視カメラの前でキス
鳥交る詐欺師について学びし日
まるまると太りし虻のホバリング
墓々やおのもおのもに春の夢
十万年後のオンカロのチューリップ

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61.
春水

塵芥の漂ひそめて水温む
淀みよりじわりじわりと温みゆく
折鶴のかかる碑水温む
竿振ひ仕掛けを飛ばす春の水
一列になりて歩くや水温む
街裏に抜くれば日向水温む
よく光るトランペットや水温む
春の水細くなりゐし目をひらき
水温むふと口笛が吹けさうと
トンネルを出づれば春の水の上

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63.
見えぬもの
               
ゲル動くやう寒明の交差点
鳥帰るプレハブ校舎に換気扇
啓蟄や産業廃棄物収集
地球儀に佐保姫の息触れにけり
花あかり通夜の柩のかたはらに
ハチ公はけふも待ちます養花天
掃除機をさうぢしてをり花の昼
吸殻の浮くにはたづみ蜃気楼
桜蘂ふる見せ消ちに潜むもの
スプリングセールのペットショップかな

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以上 予選通過全25作品

2013年3月18日月曜日

●月曜日の一句〔永瀬十悟〕 相子智恵

 
相子智恵







さへづりを浴び屋根瓦軽くなる  永瀬十悟

句集『橋朧―ふくしま記』(2013.3 コールサック社)より。

句集の奥付は、大震災から2年後の2013年3月11日発行となっている。作者は生まれ育った福島県須賀川市で被災し、その年、自身の被災体験を詠んだ50句「ふくしま」で角川俳句賞を受賞した。

本句集は三章に分かれている。第一章は震災直後の二ヶ月間で詠んだ句、第二章は震災から二年の間に詠んだ句で構成される。そして第三章は時間が遡り、震災前の句から成っている。ただし福島県内にて詠んだ句のみを抽出したという。

掲句は第三章から引いた。つまり震災以前の句である。自宅の屋根瓦であろう。春を喜ぶ鳥たちの囀りのあふれる空に、ずっしりとした瓦までもが軽くなるようだという。うきうきした春の情景が明るい。

〈激震や水仙に飛ぶ屋根瓦〉

次に引いたのは本句集の冒頭の一句である。震災当日の実景であろう。この屋根瓦には〈軽くなる〉のような心象は託されず、淡々とリアルに、尋常ではない屋根瓦の様子が描きとられている。

日常生活の中で、普段は意識することのほとんどない屋根瓦というものを詠んだ二句に、決して遡ることのできない時間の断絶と、それでもそこで暮らすという生活の重さが思われてくる。

2013年3月17日日曜日

〔今週号の表紙〕 第308号 駅の鳩 西村小市

今週号の表紙〕 
第308号 駅の鳩

西村小市



構内に迷い込んだのか駅のトイレの表示板に鳩がとまっていた。
出入りする人間を閲兵するかのように見おろしていた。
東京の私鉄・西武鉄道のどこかの駅だった。
鳩は「平和の使者」と呼ばれるが、いつか私に爆弾を投下して飛び去っていった。
オリーブの葉をくわえてはいなかった。
日本では「平和」や「希望」に火をつけて煙を吸ったりしている。



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2013年3月16日土曜日

〔おんつぼ46〕ヴァンパイア・ウィークエンド 押野 裕

おんつぼ46


ヴァンパイア・ウィークエンド
Vampire Weekend


押野 裕


おんつぼ=音楽のツボ


ヴァンパイア・ウィークエンドは、ニューヨーク、コロンビア大学出身の四人組。ロック、ジャズ、クラシックから、カリプソやレゲエ、アフリカ音楽など、世界のさまざまな音楽を消化したポップ感覚が楽しい。次の「A - Punk」は、ジュリアード音楽院出身の弦楽三人を迎え、彼らの母校コロンビア大学で行われたアコースティックライブ。



この曲が入ったファーストアルバム『Vampire Weekend』(2008年)が話題になり、セカンドアルバム『Contra』(2010年)も大ヒット。サードアルバム『Modern Vampires of the City』も間もなく発売される。

2013年3月15日金曜日

●金曜日の川柳〔阿住洋子〕樋口由紀子



樋口由紀子







そこを退いてくれませんか 恋人よ

阿住洋子 (あずみ・ようこ)

やっと春である。寒くて固まっていた身体も動きやすくなって、心機一転してスタートをきって、気持ちも軽くなりたい。

けれども前に進めない。あなたが居るからである。あなたのことが気になって、身動きができず、何も手につかない。あなたが退いてくれること以外に解決方法はない。

六・六・五のギクシャクとしてリズムがどうにもならない心と連動しているようで息苦しくなる。本心は真逆で、もっともっと近づいて来てほしいという願望だろう。究極の恋句である。

『阿住洋子句集』は作者の三十代前半までの川柳を集めた句集で、恋愛句が多い。〈愛に今溺れるほどの水があり〉〈問いつめて答はいつも水の中〉〈愛を問うな まっさらな四月の風だ〉〈わたくしは縦に卵は横にして割れる〉〈この世はまぼろし眼鏡をかけたぐらいでは〉 ストレートな物言いが新鮮。『阿住洋子句集』(1987年 フリーク刊)所収。

2013年3月14日木曜日

●もぐら

もぐら




目かくしの土竜の指の花の香よ  金原まさ子〔*〕

熔岩のような土竜が陽の下に  守谷茂泰

白露に薄薔薇色の土龍の掌  川端茅舎

戀びとは土龍のやうにぬれてゐる  富澤赤黄男


〔*〕金原まさ子句集『カルナヴァル』

2013年3月13日水曜日

●水曜日の一句〔石原ユキオ〕関悦史



関 悦史








民草にティッシュを配る西日かな   石原ユキオ

ティッシュ配りのアルバイトも、相手を「民草」と呼べば、あたかも王族が御下賜の品をふるまっている風情。

頭の中では華やかな支配階層の人間として民に恵みをたれているのだが、「西日」のきつさが現実に引き戻す。

なまじ華やかな幻想が提示されてしまったがために、かえって生活のつらさが際立つと取るか、それとも、それをバネにしての『贅沢貧乏』じみた精神の貴族性が、負け惜しみなどではない余裕を持って立ち上がると取るべきか。

どちらが図でどちらが地なのか決定しがたい「ルビンの壺」のようで、読者の心理が試される句ともいえる。

しかし最終的に立ち上がるのは、見慣れたティッシュ配りのなりをして、いったい何を考えているのだという、奇妙な生き物じみた愛嬌なのだ。

そしてまたその奇妙さの中に、華やかさもさびしさも含まれる。

一人遊びの創造性をネタにしたボヤキ芸のようだが、その割には「民草に」と切り出し「かな」で止める句の立ち姿は丈高く、卑しさはない。


花森こま編『君住む街角』(2013.3 文學の森)所収。

2013年3月11日月曜日

●月曜日の一句〔照井翠〕 相子智恵

 
相子智恵







三・一一神はゐないかとても小さい  照井 翠

句集『竜宮』(2012.11 角川書店)より。

東日本大震災から二年が経った。掲句は被災した作者がまとめた震災詠の句集である。作者にとって予定外の第五句集となった。長くなるが、あとがきを引きたい。

〈戦争よりもひどいと呟きながら歩き廻る老人。排水溝など様々な溝や穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか? この世に神はいないのか? このような極限状況の中で、私が辛うじて正気を保つことができたのは、多分俳句の「虚」のお陰でした。〉

こうした過酷な状況下で作者が書いたのは、冒頭の句や〈寒昴たれも誰かのただひとり〉〈釜石はコルカタ 指より太き蝿〉といった句だった。

こうした句は、普通の状況なら「観念的」と評されてしまうかもしれない。被災していない者は残酷で、辛い目にあった者の句に、写真のような臨場感を求めてしまいがちだ。もちろんそういうタイプの作家もいる。そして作者のような力量ある俳人なら、ありのままの句を多く残すこともできただろう。現に〈春昼の冷蔵庫より黒き汁〉という淡々と写生しながら凄みの伝わる句を残している。

しかし作者は「虚」に救われた。あとがきを補助線とした読みは邪道かもしれないが、その祈りのような「虚」を経なければ昇華できないほどの苦しみを脇において、これらの句を評することが今の私にはできない。

〈双子なら同じ死顔桃の花〉発表当時も話題になった句だ。むごい事実でありながら〈桃の花〉の安らかさを同時に見る作者。桃の花の咲き乱れる天上で、安らかであってほしいと願う心。その「かろうじての正気」を保った虚実の混じった句を、二年後のいま、静かに読みたいと思う。

2013年3月10日日曜日

〔今週号の表紙〕 第307号 途切れた線路 橋本有史

今週号の表紙〕 
第307号 途切れた線路

橋本有史



3.11から2年が経過した。もうこの地に何回来ただろうか、20回くらい来ていると思う。ここは陸前高田の旧市街地のほぼ中央に位置する場所で、目の前に広がる景色の中で、そして背後に広がる景色の中で1800人近くの人が命を失った。

この場所に初めて来たのは震災から約4ヶ月後であった。その頃はまだ瓦礫の山、木造のものは全て流されて、コンクリートの建物はコンクリートだけのがらんどう、旧市役所は4階まで全て窓枠さえ残っていない。市民体育館の時計が3時半少し前で止まっていたことだけが記憶に新しい。

縁あって、陸前高田、気仙沼で社会奉仕活動を続けている。東北すくすくプロジェクト、被災地におけるお母さんと子どもたちへの支援である。大津波は防波堤、建物といった建造物のみならずそこの人々のコミュニティも破壊してしまった。お母さんと子ども、赤ちゃんの「支えあうコミュニティ作り」、これを使命としている。

寺田虎彦の「天災は忘れたころにやって来る」という言葉は有名だが、彼の文章を読むとこれにはより深い意味がある。忘れたころに来るから天災になる、これが真の意味だ。大津波も毎年来ていれば天災にはなり得ない。100年は地球物理学的には一瞬だが、人間社会では30年で世代が代ってしまう。この震災の記憶を永く後世に伝え、社会としての記憶を消さないことが重要だと思っている。



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2013年3月9日土曜日

【評判録 on twitter】金原まさ子『カルナヴァル』

【評判録 on twitter
金原まさ子句集『カルナヴァル』


「貴腐人」と讃えられた、かの101歳の俳人、金原まさ子さん、本日102歳のお誕生日を迎えられました。弥栄!(過去記事 http://bit.ly/zMzUlA  )。その精神はおとろえを知らず、近日中に、4冊目となる句集『カルナヴァル』(草思社)が刊行されます。
上田信治 ‏@ueda_shinji

金原まさ子句集『カルナヴァル』、拝受読了。〈青鮫が「美坊主図鑑」購いゆきぬ〉という句、一瞬架空の書名かと思ったが、そういえば去年だったか廣済堂出版から出てましたよ、『美坊主図鑑』。これは日本の美坊主写真集であるが、うちの嫁はイタリアの美坊主カレンダーを居間に掛けて愛でておる。
高山れおな ‏@R_Takayama

『カルナヴァル』は、帯に引かれている〈エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く〉をはじめ、とにかく食べることにかかわる句が無茶苦茶多い気がするな。美食という よりはむしろ華麗なる悪食。こういう世界はこれまで無かったとまでは言えまいが、テンションの高さ、奔放さは圧巻ですね。
高山れおな ‏@R_Takayama

「ああ暗い煮詰まっているぎゅうとねぎ」「『ユリイカ臨時増刊悪趣味大全』秋の暮」「流転注意そこは土筆のたまり場よ」。
清水哲男 ‏@sekihan

御年102歳。一世紀って、表層世代論は無効化されちゃいますねえ。
hashimotosunao ‏@musashinohaoto

なんとも言えない世界。おおむね行儀のよい俳句の世界で、102歳にしてこのスタンスは、奇跡かも知れない。
田島 健一 ‏@tajimaken

「いい人は天国へ行けるし わるい人はどこへでも行ける。」名言だな。金原まさ子の『カルナヴァル』は愉しい。(…)
柴田千晶 ‏@hiniesta2010

大饗宴。それでいて漂う哀感。
月犬 ‏@tukiinu0406

百二歳にしてルール無用の悪党よ、嗚呼!
三島ゆかり ‏@yukari3434

こんな102歳になりたい!本当に素敵。 RT @10_key: ウラハイに相子智恵さんの月曜日の一句〔金原まさ子〕 http://goo.gl/dGSwW
chie_aiko ‏@chie_aiko

句集「カルナヴァル」金原まさ子さん、発想がすごいですね、挿画も作品のコメントも楽しい♪
石田遊起 ‏@ryoukann

Twitter上でも話題の金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』(草思社)、読みたいなと思っていたところ、今日ポストに届きました。すぐに拝読。「102歳の悪徳と愉悦」の帯文に偽りなし!面白かったです。御句集から春の一句を。「流転注意そこは土筆のたまり場よ 金原まさ子」
堀本裕樹 ‏@horimotoyuki

某句会にて金原まさ子さんの句集 『カルナヴァル』に出逢う。102歳にしてこのパワー。枯れてる場合じゃないぞー。
fumi_fumi ‏@fumi_haiku

金原まさ子『カルナヴァル』(草思社) http://ow.ly/ipTeC  をやっと購入。これは凄いな。102歳の言語感覚とはとても思えん。俳句熱が高まる。
Tadahito Asami ‏@isamiashi_sammy




2013年3月8日金曜日

●金曜日の川柳〔くんじろう〕樋口由紀子



樋口由紀子







兄ちゃんが盗んだ僕も手伝った

くんじろう (1950~)

とんでもないことを句にしている。たった十七文字でコトの顛末が想像できる。「手伝った」で情景がはっきりと浮き上がり、人を惹きつける。

これは実話だそうである。十円の小遣いもない夏休みに兄と西瓜を盗み、それを母に見つかり、兄は叩かれながら弟を庇った。弟はずっとこの出来事が心の中にあり、持ち歩いていたのだろう。母、兄、弟のそれぞれの思いが入り交じり、感情移入してしまう。人のかなしみやどうしようもなさを垣間見ることができる。

くんじろうは掲句を膨らまして構成した詩をユーモアと哀感をこめて朗読し、2010年「詩のボクシング」で全国優勝した。(「大東番傘」 2000年)収録。

2013年3月7日木曜日

2013年3月6日水曜日

●水曜日の一句〔飯野きよ子〕関悦史

 
水曜日の一句
関悦史







枯野原どの蓋とれば赤飯か   飯野きよ子

集中、やや異形の句。

「枯野原」で一度切れ、さまざまな蓋付きの器は目の前の食膳に並び、そのどれかが赤飯と解するのが常識的判断というものかもしれないし、実際、何ごとかの慶事があり、枯野の見える座敷で会食中と取ることも不可能ではないのだが、それではこの句の持つ、少々奇怪な目出度さが殺がれてしまう。

ここは、読み下した刹那に直観的に立ち上がる、至るところ蓋がばらまかれ、しかもいずれかの下には必ず赤飯が入っていて、心弾ませつつ枯野原を探索しているという状況と取りたい。

この蓋の下には赤飯以外にもさまざまな料理が収められているのか、それとも赤飯以外はカラだったり、食べられぬ物が入っていたりするのかで印象が変わるが、これも当然さまざまな料理があると取るべきだろう。

赤飯とは飢えに苛まれながら荒野をさすらう時、真っ先にそれのみを欲するという食料ではないし、だいいち飢えなどという要素の介入を許したら、ハレの食物としての存在意義が句中において無くなってしまう。

そもそもこの「枯野原」は不毛な荒野ではない。

「どの蓋とれば」の量的過剰といい、「赤飯」の祝祭性といい、この「枯野原」が潜在的な生命力の遍満として捉えられていることは明らかなのだ。

祝宴ではなく、一人で赤飯探しに興じているようにも見えるが、それでも不吉さの印象は不思議に薄い。

理詰めで考えれば、「枯野原」が死で、「赤飯」が再誕とも取れてしまうのだが、そうした符号じみた寓意性を匂わせつつも、句に横溢するのは、あくまで健やかな食欲に裏打ちされた宝探しの楽しみだからである。

結果として、この句は寓意とも夢とも日常とも重なりつつ、そのどれともつかない奇異で懐かしい次元を見せてくれることになった。


飯野きよ子『花幹』(2013.2 角川書店)所収。

2013年3月5日火曜日

●水曜日の一句・前夜祭〔林 桂〕関悦史

 
新シリーズ
関悦史「水曜日の一句」
スタート記念 前夜祭

関悦史





一書に昆布(こんぶ)
または牛(うし)の糞(ふん)
 ☆
うんちがいいな
   林 桂

子育て中の句を中心に編まれた薄い句集から、「さるかに」と題された一連の中の句。

幼い子供との会話の体裁である。

筆者などは、猿を滑らせ、転ばせる役割を果たすのは糞だとばかり思っていたが、糞の代わりに昆布が登場するバージョンもあるらしい。

そして、愛すべき子の選択はといえば、もちろん「うんち」である。

子供はそういうものが好きだからというより、仇討の徒党にうんちが一生懸命加勢するという馬鹿馬鹿しさと可憐さ、目出度さが捨てがたいのだ。ここで変に小奇麗になっては話の賑わいが薄れかねない。そして、その賑わいが、句自体の幸福感にもそのままつながるのである。

なお、三行目の「☆」は実際にこの位置にこのように入っている。

きっぱりした、思い邪無しの「☆」である。


句集『はなのの絵本りょうの空』(2013.2 鬣の会)所収。

2013年3月4日月曜日

●月曜日の一句〔斉田仁〕 相子智恵

 
相子智恵







幽閉のごとく雛を納めけり  斉田 仁

句集『異熟』(2013.2 西田書店)より。

昨日は新暦で雛祭だった。

掲句、雛納めの句だが、なんといっても〈幽閉のごとく〉に惹かれる。宮中の殿上人の装束を模した雛人形を、貴族を幽閉するように箱に納める。

いや、雛人形の立場からすれば、実際に来年まで暗い箱の中に閉じ込められてしまうのだから、まさに幽閉以外の何ものでもないのだ。

人形というのは不思議なものだ。人に似て人ではないが、命がないのに命を感じる。人形(ひとがた)は有史以前から存在し、人間の姿・形を作り出そうとしなかった民族はいないという。

雛人形は形代としての流し雛と、雛遊びとしての遊びごとが融合して現在のような形になったと伝えられるが、身代わりであり玩具であるという、聖俗併せ持つところが魅力的だ。掲句は、その「聖」の部分を感じさせながら、しかも「幽閉」してしまうという背徳にゾクッと美しい魅力がある。「ゆうへい」「ひいな」の長音もゆったりとしていて、雅な雰囲気を醸し出している。

聖俗の「俗」の魅力としては、以下のような肩の力の抜けた明るい雛祭の二句も捨てがたかった。〈やや酔いて雛のあられを失敬す〉〈雛壇のうしろに廻り埒もなし〉

2013年3月3日日曜日

〔今週号の表紙〕 第306号 桃の花

今週号の表紙〕 
第306号 桃の花

西原天気



撮影場所は、山梨県の釈迦堂遺跡公園。ここは、中央高速道・釈迦堂PAのすぐそばで、クルマを停めたまま歩いていけるので便利。苗木を売っていたりもする。

見頃はもうすこし先、4月です。





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2013年3月2日土曜日

●水曜日の一句・前々々々夜祭〔大口元通〕関悦史

 
新シリーズ
関悦史「水曜日の一句」
スタート記念 前々夜祭

関悦史





恐竜の振り向いている桜かな   大口元通

一見奇怪な組み合わせだが、公園に設置された模造の恐竜と取れば何の不思議もない光景ではある。

かつて地球の覇者であった恐竜も、今では巨大な玩具じみた物件として花の中に静止するのみ。

それはそれで何がしかの感興をもたらす景色ではあろうが、句の言葉のみをたどれば、模造品とは特に明示されていない。句中のイメージにおいては「恐竜」と「桜」は、ともに同じ時空に現前している。

そこから太古に想いが及ぶ。

ジュラ紀には既に被子植物が登場していたようだが、恐竜が桜を見る機会はあったのかどうか。

仮に見られたところで、彼らは何の情趣も感じることはなかっただろう。

そして今では動くこともない模造品として、見られる一方の立場となった。

その間に経った時間は二億数千万年ほどである。

滅亡後ずいぶんしてから、桜を見る姿を地上に留められ、ありえない極楽じみた安らぎを与えられたものだ。

「かな」の大らかさの中には、それだけの経緯が含まれている。


句集『豊葦原』(2012.12 海鳴り発行所)所収。

2013年3月1日金曜日

●金曜日の川柳〔小島蘭幸〕樋口由紀子



樋口由紀子







恐ろしい人がいっぱいいた昭和

小島蘭幸 (こじま・らんこう) 1948~

一読したときはえっと思った。昭和はそんな時代だったかなと考えた。が、深刻にとらえる必要はない。だって、川柳なんだから。

昭和をあらためて振り返るといろいろな出来事があった。それに付随して、様様な人がいた。思い起こすのは話題になった、目立ったものばかりである。その中には確かに恐ろしい人もいた。同時に魅力的な人もおもしろい人もいっぱいいた昭和だった。〈昭和を語る会など作りたき雨よ〉、蘭幸は昭和をこのようにも詠んでいる。

平成もいろいろな出来事がすでに起こっている。また、これから何が起こるがわからない。平成には恐ろしい人が出てこないようにと希望を込めて書いたのだろうか。それとも平成にはもっと恐ろしい人が居ると皮肉っているのだろうか。

小島蘭幸は日本で二番目に大きい結社の「川柳塔」の主幹である。川柳塔は麻生路郎が興した「川柳雑誌」のながれにある。