
砂漠に一滴目薬落ちて炎上す 八木三日女
目薬の鼻腔たどりてかはづ鳴く 中原道夫
目薬の睫毛におちる月はじく 川口重美
目薬の一滴硬し春の草 小川軽舟
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不定期・正午更新●『週刊俳句』の裏モノ●another side of HAIKU WEEKLY
渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、 たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、 渚の雪、浪の緑。という哀しくも美しいラストシーンに響きあい、時に「浪の緑」を日差しにきらめかせる岩殿寺の翡翠を、わたくしはひそかに「みを」と呼んでいる。『本朝文選』(「風俗文選」)の「百鳥譜」にも、蕉門の各務支考(かがみ・しこう)が「翡翠といふ鳥は、いかなる美人の魂にかあらむ」と歎じているではないか。
芝不器男俳句新人賞 御中さん(大阪)受賞
愛 媛新聞 2010年06月21日(月)
新鮮な感覚を持った将来性ある若い俳人に贈られる「第3回芝不器男俳句新人賞」(県文化振興財団など主催)の最終選考会が20日、松山市道後町2丁目のひめぎんホールであり、「こないだはごめんなさい春雷だつたの」などと詠み、新しい俳句の可能性に挑戦していると評価された大阪府枚方市の御中虫(おなかむし)さん(30)が選ばれた。奨励賞には松山市余戸西6丁目の岡田一実さん(33)ら5人に決まった。 /同新人賞は松野町出身の俳人・芝不器男(1903~30年)を顕彰し、若い才能を発掘しようと2002年から4年ごとに40歳未満を対象に1人100句を1作品として募集。今回は全国から107人が応募、一次選考を通過した30人の作品を公開審査した。
19日13時半、東京都渋谷区東の国学院大120周年記念1号館1101教室。テーマは「定型詩の現在」。研究発表2題と、歌人の穂村弘さんの講演「短歌の正体」、編集者・俳人の齋藤愼爾さんの講演「俳句はなぜ廃れたか」。無料、申し込み不要。問い合わせは笠間書院(電話03・3295・1331)へ。
毎日新聞 2010年6月16日 東京夕刊
芭蕉の句は俳句を知らぬ内より大きな盛んな句のやうに思ふたので今日まで古今有数の句とばかり信じて居た。今日ふとこの句を思ひ出してつくゞゝと考へて見ると「あつめて」といふ語は巧みがあつて甚だ面白くない。それから見ると蕪村の句は遥かに進歩して居る。(明治34年9月23日)と書いたことが特筆される。わたくしも「あつめて早し」が巧みだと学校で教わったが、それは褒め言葉としてだった。別に俳句でなくとも、年季を重ねれば経験の喫水線は深くなるから、変化をしないほうが稀なので、巧みが良いか悪いかという次元ではない。蕪村を発見した子規だからこそ言えた言葉だろう。
晴天の平泉に行ったのに「五月雨の降のこしてや光堂」とやるわけですからね(笑)。と発言している句も、「降のこしてや」に巧みがあるが、光堂の句が作品として光っているかどうかを見れば、これは見事な句だと言える。
磯で名所の大洗さまよ 松が見えますほのぼのとと合いの手が入るのだが、祝町の女郎屋の坂が磯坂(いささか)と言い、そこをりんりんと馬車の鈴を鳴らして女郎を買いに行く。道路の向い側は天妃(てんぴ)さんと地元で親しまれる海の守神の神社があり、この遊郭のある山をどんどん山と言う。それと「好きになったらどんどんお出で」を掛けているらしい。サイショネーというのは「磯節」の合いの手として有名だが、調子を取るための意味のない合いの手だと思っていたが、「回し(遊女が客を何人も掛け持ちして取ること)はしないであなたが最初の相手よ」という意味だと。仰天。祝町の船着場の上にある岩は「呼ばれ岩」と言って、女郎衆が向こう岸の男衆を呼んだために名づけられたそうな。いやはや、この世学問である。
(合いの手:いささかりんりん 好かれちゃどんどん はあ~さいしょね)