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2020年3月11日水曜日

【名前はないけど、いる生き物】 親知らずドキュメント 宮﨑玲奈

【名前はないけど、いる生き物】
親知らずドキュメント

宮﨑玲奈


2020.3.6(金)
11時
歯医者に着く。診察台で待っている時間が一番ドキドキする。

11時半ごろ
抜くのでいいね?と医者に確認をされる。今更、戻れねーしなぁ、と思いながら、はいと言う。麻酔を2本かけられる。少しチクッとする。抜くよーと言われ、いつの間にか、歯を抜かれていた。痛みはなかった。口の中に痛みは一切ないのに、顔を触られたりする触感(と言っていいのか)を感じるのは、なんだか変な感じ。痛みは相変わらずない。

11時40分ごろ
薬が残っているかどうかと聞かれる。残っていると答える。ちゃんと飲めと言われる。痛みがなくても飲まなきゃいけませんかと言う。抜いた後だし、化膿止めみたいなとこもあるから、ちゃんと飲んでねと説得される。薬は嫌いだ。
痛みはない。

11時50分ごろ 
散歩する。痛みはないから、散歩とかできちゃう。わたしは、まぁまぁ病気がちなのだけど(咳喘息とか)痛みがないのに、薬を飲むってのは、結構面倒なものだなぁと思い始める。子どもっぽいところがある。そういえば、自分の中にある、明るい子ども心のことを、無邪キッズって名付けたことがある。これは全然、無邪気キッズじゃない。だけど、薬飲むためのテンションを上げるために、ダイソーに行って、薬を入れるかわいいミニバックとキラキラ星シールを買った。ユニコのかわいいシールもあったから買った。

12時20分ごろ
帰り道。マツキヨで、歯ブラシを買って買える。安い歯ブラシだとすぐに毛がひらいてしまうのが嫌で、いっそ高い機能性がいいやつを買ってみようというのを、しばらく続けている。前に、男の子に、わたしの歯ブラシを見た時に、それおじいちゃんとかが使うやつやん、って笑われたことがある。特に説明はしなかった。その子とは、ずっと会ってない。

12時半ごろ
ほんとの帰り道。あ、痛い。なんか、これは痛くなってるやつかもしれない、今じわじわ来てるかもしれない、という思いが湧いてくる。ジーンって痛さ、ジーンが、じわじわです。歯茎がジーンって痛さ。今これ書いてるけど、割と痛い。麻酔が1時間くらいしたら切れるって言ってたけど、ほんとにジワジワくるんだな。さーて、薬の仕分けと、痛み止めを飲むのをとりあえず早々にします。ジワジワきてるぜ!

13時半
いたーーーーーい

14時とか
電車で移動中。痛みで泣きそうになってた。

15時10分ごろ
ゆりかもめに乗った。痛みのことは割とどうでもよくなった。景色になんか泣きそう。自然とは言い難い景色に、なぜこんなにも泣きそうになってんだよ、と思った。そうか、わたしは、人に感動しているのかもしれない。ものがここに、こんなふうに集まってきているということとに、なのかもしれない。なんだか、人が小さい灯りのように思えてくる場所だ。

15時半ごろ
快適に観劇。

17時ごろ
観劇おわり。せっかくならと思い、台場公園を歩いてみる。はじめて来た。わたしの抜いた親知らずは、わたしにとって、わたしの獣の記憶として、多分大切なものだという刹那が湧いてきた。海がわたしに、そう思わせたのかもしれない。

つくりものの街や、ここから見られる、つくりものの景色。この景色にも、この場所にも、そんなにグッとこないけれど、女の子の友達とふたりで、たこ焼き食べたり、初めてタピオカ飲んだりした、千葉県の、ショッピングモールのフードコートは、なんだか楽しかったな。つくりものでも、二人だと楽しいのかな。

一人だから、どうしてここに、建てられたのかとか、埋め立てするのに海に底はないんだろうかとか、余計なことを考えてしまうのかもしれない。イオンに行くのがお出かけだった小さい頃のわたしは、お子様ランチを食べるのが、好きだった。下の歯が抜けたら、屋根に投げていたけれど、親知らずはもう生えたら嫌だから、大切にしまっておくことにする。

変な気分のわたしは、自分の歯を、だれかにあげたくなってしまった。わたしの歯あげると言うのもなんだかだし、わたしの歯はあなたに需要ありますかと聞いてみることにする。途中で献歯というシステムがあることを知り、これだ!と思ったが、親知らずの歯はどうやらダメらしいということ、献歯の協定歯医者ではないと難しいということから、叶わなかった。ちなみに、需要もなかった。(あっさり断られたし、軽く引かれた。そりゃそうだ。)部屋の貰い物で完成された置物コーナーに飾ってある。わたしの歯だけが貰い物ではない。

わたしから、わたしの一部が欠けた。あ、なんか、東京タワーはすきだな、ホームから見えている。昔から、この街にあるから、この建物は、見届けていると、思ってしまうのかもしれない。

18時ごろ
痛みがじわじわきてる。薬を飲む。痛み止めも飲む。

19時ごろ
快適に観劇。

※この日は食べる気になれず、特に摂取なし。
______

2020.3.7(土)
8時50分
消毒のため通院。痛みはあるかと聞かれて、痛み止めを飲んだら痛くありませんと答える。

※バイトに行ってまかないを食べる。夜観劇して、友達と焼き鳥を食べる。硬いものはまだ口にしてない。
_______

3/9(月)の現在も痛み止めを飲んだら痛くありません状態は続いているが、痛みのレベルもだいぶ落ち着いてはきた。まだ固いものは口にしていない。そういえば、わたしの好きな食べ物はプリンだった。



2020年3月4日水曜日

【名前はないけど、いる生き物】 最近の「なんか」日記 宮﨑玲奈

【名前はないけど、いる生き物】
最近の「なんか」日記

宮﨑玲奈


「引き伸ばし」
2020.03.02(火)

なんだか気持ちが乗らず送るのを引き伸ばしていたから今日は火曜日だ。身の回りで、演劇の上演の中止や、劇場の閉鎖が起こっている。そんな時に、こんなくだらないことを書いてて、書き終わってて、送っていいのか、みたいな気持ちが少し湧いてしまっていた。今日は火曜日で、見返したら、やっぱり送ってみようという気になったので、この文章を送った。

演劇は、観客がいて、はじめて成り立つ。最近、わたしは、新作の戯曲を書いていて、頭を悩ませたとき、他の人の戯曲を読み返していると、人のまなざしや、見られていることを、どのように考えるか、ということが含まれているなと改めて思ったりした。すぐれた作品ほど、その仕掛けにはっとさせられるような、そんな気がした。直接的でなくても、まなざしへの態度は、含まれている。

演劇には、観客が必要だ。ささやかに、あたりまえに、文化や芸術が、生活の中にあってほしいと思う。わたしたちは、生きていて、簡単に、言葉を発することができてしまうし、その言葉たちには、常に暴力性があって、同時に優しさも含まれているだろう。

できる限り、思考して、で、それぞれが、それぞれの方法で、存在していこう、って言いたい。そうしている人たちを、応援したい。でも、やっぱり、誰かに言われた言葉に従うしかない時もあるかもしれないけど、それでも、きみが思考して辿ったこれまでは、ちゃんと存在していくし、存在しているよ、って言いたい。だれが見ているかわからないけど、わたしは、言いたかった。

__________

「痛みについて」
2020.02.29(土)

どうでもいい話は多分どうでもよくない、そこがいいんじゃないかな、と思ったり、思わなかったりする。わたしは、いつだって、なにかを決めるのが苦手で、どっちだろうって、ずっと、その場所を、行ったり、来たり、している。

最近、わからないことに、チェック柄をなぜプラスチックに印刷するのか、ということがある。メガネのつるに印刷されているチェック柄を見ていてわからなくなった。チェックって布に印刷するものではないのか、プラスチックとチェックの相性ですばらしいと思った製品を見たことがまだない。そう、例えば、昭和レトロなちょっとダサかわいい感じを狙った、プラスチックのチェック柄だとわかる。あえて、ダサくなってかわいいというライン。でも、メガネのフレームの裏のチェック柄は、かっこいいとか、おしゃれを想定しているチェック柄で、でも、なのに、そんなにかっこよくない。やっぱり、チェック柄のスカートだとか、靴だとか、かばんだとか、チェックは布なのではないだろうか。チェックをプラスチックに印刷しはじめたのは、どうしてだろうか。特にメガネ。メガネのチェック柄がどうしても理解できないでいる。あの、メガネの、あまり見えない側にこっそり印刷されている、隠れチェック。あの隠れプラスチックチェック。でも、隠れプラスチックチェックって言葉はちょっとかっこいいかもしれないと今思い始めたけど、やっぱり、なぜ、プラスチックにチェック柄を印刷するのだろうか、わからない。

というようなことを、親知らずを疑いはじめて3日、痛みを堪えられなくなる頃、気を紛らわせるために、考えていた。痛みを騙し騙し生活してきたが、どうにも耐えられなくなって近所の歯科医院に行った。騙し騙しというのは、気づかないふりをするということだ。耐えられる痛みなのではないかと、その痛みを疑うことだ。3日ほどして、痛みが疑えなくなったので、観念をして、病院に行った。基本的にわたしは、病院というものが嫌いだ。みんな、そうなのかもしれないけど、インフルエンザの予防接種の注射も小学生までは大泣きをしていた。「うーん、噛み合う親知らずもないので、抜いちゃいましょう」と言われ、来週の金曜日に親知らずを抜くことが決まる。今は痛み止めの薬で、これまた、騙し騙しやっている状態だ。初めての麻酔、初めての親知らずの抜歯、ものすごく不安だ。

やっぱり痛みを騙せないでいるから、痛みのこと、それ自体を考えようとしている。10段階で考えると、この痛みはどのレベルなんだろう。まだ経験をしたことはないけど、出産の痛みが10だと仮定する、昨年の秋に経験したアニサキスの激痛は8だった。救急車にはじめて乗った。寝る前に3ぐらいの痛みが、3時頃に急に8に変わった。とうとう救急車がやって来て、救急隊員にどんな風に痛いですか、と言われる、難問すぎる。痛いのに、わからない。キリキリ痛みますか?と聞かれても、キリキリとは?って思ってしまう。刺すように痛みますか、も、刺すように痛むのがどんな状態なのかわからない。まさに痛い時に、その痛みを言葉で表現するのは、すごくむずかしい。痛いです!多分、キリキリです!キリキリ、なのかなぁ、多分キリキリです、みたいな答え方をした気がする。押さえつけられている感じです、とかっても言った気がする。痛みを確認しながら、頭の中に?マークが浮かんでいる、で、こんな痛みかも、って思って言う。痛みが伝わりづらい例をあげる時、よく、のどのイガイガのつらさのことを言う。のどのイガイガのつらさは、それが表出されない、その痛みの伝わりづらさにあるだろう。どんなに、のどがイガイガしていても、そのイガイガは「イガイガ」としてしか伝わることがない。イガイガは共有できない。

親知らずの抜歯をわたしは5で考えている。じわじわ痛いタイプだと。抜いたら報告します。(あなたの親知らず体験もよかったら聞かせてください。)今日バイト先のサイトウさんに、親知らず抜くの?痛くない痛くないと言われて少し安心した。今日もくだらないことを考えながら、一日が終わっていくのでしたということを書こうとしたけど、今日見たジャルジャルのネタの序盤の福徳のありようが、くだらないことを考えている時の自分に重なって見えてしまって、少し落ち込む。くだらなさを考えようとすることも、エゴみたいになっちゃうことだってあるのかなって思って。
 
 
あ、そういえば、生駒さんと柳元くんがやっていたやつに投句しようと思って、しそびれました。というわけでここにこっそり載せておきます。

ぱらぼらに雲のかかって目の前は
春はもう歩道の人なみが早い
皿洗う昼間でなんとなくの春
春の雲軒に干されるテディベア

2020年2月23日日曜日

【名前はないけど、いる生き物】 「なにか」 宮﨑玲奈

【名前はないけど、いる生き物】
「なにか」

宮﨑玲奈


先週は、週末に金沢に行ったり、ちょっと忙しくしていた関係で、書く時間がなく、おじゃんになってしまいました。すみません。

先々週は、ぼんやり浮かんだ、俳句とか短歌(的なものと言いたい)も、そっと、載っけてみたのですが、これは、宮﨑莉々香が一番イヤだと思っていたタイプのことなのかもしれないなーというようなことを、ふと、思い返していました。最近、宮﨑莉々香の話を聞かれたのもあって、思い出していました。なんだか、しだいに、彼女が、今の自分とはかなり遠い、他人のように思えてきました。けれど、案外、人間というものは、過去の自分が遠い他人のように思えてくる生き物なのかもしれません。

宮﨑莉々香という人は、(たぶん)割と普遍的なモチーフを用いて、文体で勝負するタイプの人で、内容(意味)によって文化背景がわかる、例えば、この人は主婦で、だからこの素材を使った、とか、その人はひっそり暮らしていたけれど、俳句を趣味で続けていて、それをノートにひっそりと書き残していた、みたいなことがすごく好かん!って、なっていたと思われます。俳句は言葉で、文体だし、俳句作家の仕事は、やっぱり、文体で書くってことにある気がしていた。

けれど、次第に、書きたいと思うことが出てきて、見えている世界だけでなく、今、この社会に生きているということを含めて、書こうとすると、俳句という形式がすごく短すぎるように思えてきて、これまで作家として書いてきたこと、書こうとしてきたことと、書きたいと思ったことは、すごく離れているように思って、途端に、俳句が書けなくなってしまった。俳句に関することで嫌だなー、辞めたいと思ったことはあったけど、俳句が嫌いになったことはなかったので、ちょっとショックでした。俳句が切り取る世界への、物足りなさと絶望感を感じていたのだと思います。

演劇や戯曲という表現手段を得て、最近になって、やっと、自分が演劇でやっていることが、過去に宮﨑莉々香が俳句でやっていたこととも、ちょっとつながってくるようになりました。主には、「わからない」ということに対しての捉え方や、物の見方な気がしています。両面、またはそれ以上の多面的な方向から、物事を捉えた時に、「わかっていた」と思っていたことの地盤がぐらついて、わからなくなってくることの方に興味がある。それは、例えば、チューリップを見ていたとして、チューリップがどんどんわからなくなる、みたいなことと似ていると思います。

もう、前のような、宮﨑莉々香にはなれないけれど、ほそぼそと、趣味として、俳句をたまに思い浮かんだ時に書いて、1年に1回くらいだったら、連作にできるのかもしれない、そんな感じです。というのが、宮﨑莉々香氏に関する近況でした。

2020年2月9日日曜日

【名前はないけど、いる生き物】 2/6木曜 に思いついて書いたこと、今週書いたもの 宮﨑玲奈・宮﨑莉々香

【名前はないけど、いる生き物】
2/6木曜 に思いついて書いたこと、今週書いたもの

宮﨑玲奈・宮﨑莉々香



ダメな日もいい日もある。


最近夢をよく見る。毎日見ている。もともと、そんなに見る方ではなかったので、毎日見ているということに、自分でもびっくりしているくらいだ。今日はアメリカンダイナーみたいなところで、フィッシュアンドチップスをコーラ片手に、ダラダラ食べていた。



なんとなく今日はなにも書いてない気になって、いそいそとタイピングをしている。

こういう時のために、このノートはあるんじゃないか、っても、ちょっと、思う。

小学校の頃よく書いた自由帳みたいな感じ。わたしの自由帳にはやたら目がでかくて、服装に細かいデイティールが施されたオリキャラがピースをしてよく現れていた。


電車にて
A、椅子に座っている。

B、つり革を持って立っている。
A なんで立ってんの、

B え、

A いや、

B え、

A いや、

B え、

A え、だから、、空いてるじゃん、

B ……ああ、

A なんで立ってんのかなーって、

B ああ、、、

A だって、座ればよくない?
空いてんだし。ほら、

B まあ、

A 誰も、座ってないじゃん、ここ。

B うん、

A ね、

B まぁ、、、

A うん、



A え、

B ん?

A え、

B うん、

A え、だって長いじゃん、

B ああ、

A 目的地まで、

B うん、

A え、

B うん、

A え、どうして、

B いや、

A 座ればよくない?

B いや、、、

A え、いや、なんかあったの?

B いや、

A うん、

B そういう訳じゃないけど、

A うん、
C、来る。つり革を持って、立っている。
A え、

B ん、

A え、

B やめなって、

A え、なんなの、この電車、

B これ(つり革をAに渡す)

A はぁ?

B だから、ん、
A、つり革を持って立っている。
C 旅行、、とか、

A はい、一応、

C へー、

A まぁ、、、
D、電車から離れた少し遠いところに、お麩を片手に持って、出てくる。

もう一度、ここまでの一連の会話を行う。 

繰り返し終わって、
D 今日も疲れたなぁ、、、
D、笑って去る。

B、C、椅子に座る。
A 、、変な電車、

B なに、

A んんん、なんもない。



風邪の窓ちょいあかるさの紹興酒  



お腹の中にゼリーがたまる四時頃でなんもできない甘かった桃



アッバス・キアロスタミの『トスカーナの贋作』を観た。近所のTSUTAYAで借りてきたやつ。1月半ばに『つかの間の道』という演劇作品を上演したのだけれど、この映画のことを思い出したという指摘がアフタートークの中であった。

その数日後に、駒場アゴラ劇場で上演していたロロ『四角い2つのさみしい窓』を観た。脚本も、舞台美術も、ツアーとして行われる作品だということも、繋がりが見られて、なんだか、すばらしくて、感動した。フィクション、お話、童話的なラインをどう作るか、みたいなことを考えらされた。

どちらも「ふりをする」「本当になる」「にせもの」ということに関しての話だと自分の中では認識しているのだけれど、どうなんだろう。



物事には確かさのようなもの、なんてなくて、世界自体が流動的で、ものすごいスピードの中で、自分自身も瞬間的に変わりながら進行していっている。言葉にできないその速さの中で、言葉になる、することを選ぶのなら、祈りのように、選びたいものだ。

今日もわたしの街には、川が流れている。川沿いにはラブホテルが2軒あって、どちらも、新しい建物の様相とは言いがたい。海には、工場の煙突があるのだろうかとそんな想像をしながら、今日も自転車を漕いでいる。