2019年12月30日月曜日

●月曜日の一句〔辻美奈子〕相子智恵



相子智恵







ゆく年の大いなる背に乗るごとし  辻 美奈子

句集『天空の鏡』(コールサック社 2019.11)所載

気がつけば今年もあと2日だ。暮れてゆく年、〈ゆく年〉というのは、「自力ではどうしようもなく大きく進む」感じがある。いや、いつだって時間は自分の意思に関わらず進み、自分の力ではどうにもならないものだ。けれども、例えば仕事の予定が一週間きっちり入っていて、それを黙々と進めているような日常では、「今週は忙しいなあ」くらいには思っても、月日は自分の手綱の下にあるような錯覚をしている。

しかし、仕事納めからのせわしなく過ぎる年末というのは、まさに〈大いなる背に乗るごとし〉で、大きな鯨の背中にでも乗ったように、あれよあれよと抗いようもなく時間の波に押し流されていく感覚がある。テレビなどでは何かと「総集編」があって、この一年をしみじみ振り返らされるのに、一方ではあと数日しかなくてせわしないという、時間が伸び縮みするような感覚の中で、その力をまざまざと見せつけられるのである。

虚子は「行く年」を〈年を以て巨人としたり歩み去る〉と自分と切り離したものとしてその大きさを視覚的に詠んだが、年の瀬にあたふたとしている私は、その背に乗って抗えずに進む、辻氏の〈大いなる背に乗るごとし〉の感覚に近い。

2019年12月28日土曜日

●土曜日の読書〔紙ヒコーキに乗る〕小津夜景



小津夜景








紙ヒコーキに乗る

友人の伴侶が紙ヒコーキにはまっている。

空力デザインを理詰めでかんがえながら、紙ヒコーキを手ずから折りあげ、家の外でとばす。ただそれだけのシンプルな遊びだ。

で、ある日、ホームメイドの紙ヒコーキをたずさえて埼玉の空き地に出かけ、夫婦でのんびり過ごしていたら、見たことのない男性が、

「まだまだシロートですね」

とかなんとか言いつつ近づいてきた。そして、わたしはさる紙ヒコーキの会に所属している者ですと名乗り、紙ヒコーキについて講釈を垂れたあと、なんと友人夫婦を紙ヒコーキ愛好家たちの会合に招待してくれたのだそうだ。後日、友人夫婦が案内された室内には、いつまでも空中を旋回しつづける神秘的な紙ヒコーキが実在したとのことだった。

「すごかったよ。紙ヒコーキが室内を、勝手にくるくる回ってるの。」と友人。
「そんなことあるの」とわたし。
「ふふ。これがあるんだねえ」

そんな狐につままれたような話を聞いたのはこの春のこと。さいきんふと思い出してネット検索したら、発泡スチロールペーパーでつくった紙ヒコーキは、無風の室内でゆっくりふわふわととぶ、との記述を科学方面のサイトに見つけた。とばすときは、けっして投げてはいけない。そうではなく、前方にしずかに押し出すようにして、空気の層の上に乗せるよう意識するのである。さらに、とんでいるヒコーキのうしろの空気をダンボールなどの板でかすかに押してやると、ヒコーキが上昇気流に乗っていつまでも宙に浮きつづけることもわかった。

映像作家にして民俗学者のハリー・スミスはとらえどころのないものを集めるコレクターでもあった。そんなハリーに、収集物を写真で紹介した『紙ヒコーキ/ハリースミスコレクション vol1』(J&L Books)という本がある。この本に登場する251機の紙ヒコーキはニューヨークの街路や建物でスミス自身が拾ったもので、機体にはいつどこで手に入れたのか記されている。ページをめくると、メニューだったり、政治ビラだったり、聖書だったり、マニラ封筒だったり、段ボールの端だったり、ルーズリーフだったりと、いろんな素材で作られた、ゴミから生還した紙ヒコーキが愉しめる。素材だけでなく、色も造形も、紙に書かれた文字も、なにもかもが生き生きとしておもしろい。

スミスの友人たちの話によると、スミスは新しい紙ヒコーキを、つねに、つねに、つねに探していた。友人の一人は、一度タクシーの中からそれを見つけたときの彼の興奮具合は尋常ではなかったと証言している。スミスは一瞬ですっかり心ここに在らずとなり、その一機を追って街中を探し回ったそうだ。

非常に興味深いのは、スミスがなぜここまで紙ヒコーキを探していたのか、友人たちの誰にもさいごまでわからなかったことである。スミスはなにも語らなかったのだ。とはいえささやかなヒントはある。たとえばこの本の冒頭には、こんな一文が存在する。
まあ、当然のことながら、私の真の使命は人類学であると私は考えています。……しかし、それは単なる娯楽であり、私の真の使命は死の準備です。その日、私はベッドに横になり、私の人生が私の目の前から去りゆくのを見るでしょう。
なるほど。たしかに拾った紙ヒコーキには、人間が触覚的存在としてよみがえる不気味さがあり、またその造形に製作者たちの幼少期の遺物を確認することができるという意味で、人類学や死につうじているーーというのは穿ちすぎで、もしかするとスミスはなにもかんがえず、ただ紙ヒコーキを集めながら、きたるべきその日、死者としていかに空気の上にうまく乗るか、そのエレガントな手順を、さまざまな遺物から考察していただけかもしれない。


2019年12月26日木曜日

●木曜日の談林〔松意〕浅沼璞


浅沼璞








酢瓶いくつ最昔八岐の大生海鼠   松意
『軒端の独活』(延宝八年・1680)

前回の「薬喰」に続いて冬の食べ物つながり。 

漢字が多いが、「スガメいくつ ソノカミ ヤマタの オホナマコ」と読む。

酢瓶につける大生海鼠を八岐の大蛇(をろち)に見立てた滑稽。

こんな大きな生海鼠を退治する(食べる)には、いくつの酢瓶が必要か。記紀神話の昔、八岐の大蛇の退治には八つの酒瓶を使ったくらいだから、やはり八つほどいるだろう、という洒落である。

伝説と現実のイメージギャップをねらう談林の典型だ。



田代松意(たしろ・しようい)は江戸談林の中心人物。本コーナーなじみの『談林十百韻』の編者でもある。

宗因没後、俳壇から姿を消すのは高政と類似パターンで、おなじく生没年未詳。

謎多き談林。 

2019年12月23日月曜日

●月曜日の一句〔大文字良〕相子智恵



相子智恵







酒かへる度に乾杯今熱燗  大文字 良

句集『乾杯』(邑書林 2019.11)所載

呑む酒の種類を変えるたびに乾杯をするというのは何とも楽しい。おそらく最初はビールで乾杯したのではないか。そのあとは日本酒の冷(ひや)かもしれない。いろいろ呑んで、今は熱燗なのである。

〈酒かへる度に乾杯〉をしたということは、居酒屋でありがちな、それぞれがバラバラに好きな酒(カシスソーダだとかグラスワインだとか)を自分のタイミングで頼むスタイルではなく、壜や徳利で頼み、皆で同じ酒を分かち合って楽しんでいるのだということが推測される。「次はこの銘柄呑んでみようか」「いいね」「さあ来たぞ、乾杯だ」「乾杯!」などというような、酒の趣味も合う気の置けない仲間なのだろう。酒を分かち合うと同時に、酒を尊重する気持ちも皆が分かち合っていることが感じられる。

〈酒かへる度に乾杯〉だけでも十分に宴会の楽しさがあって、他の季語を入れても合うかもしれない。けれども〈今熱燗〉の、落語のサゲのようにトトンと調子よく下五を畳みかけるスピード感、臨場感は何物にも代えがたい。熱燗なので、だいぶ酒が進んだ頃のように感じられる。〈今熱燗〉のとぼけた感じが、さらに一句の楽しさを引き出しているのである。

2019年12月20日金曜日

●金曜日の川柳〔竹井紫乙〕樋口由紀子



樋口由紀子






こんにちはぽろぽろ。さよならぽろぽろ。

竹井紫乙 (たけい・しおと) 1970~

「こんにちは」は出会ったときのあいさつのことば。「さよなら」は別れるときのあいさつのことば。それにそれぞれ同じ「ぽろぽろ」と句点がついている。「ぽろぽろ。」は同じ意味で使われているのだろうか。軽いものが一つ一つ落ちるさまだから、涙もそうだし、出会いも別れも「ぽろぽろ」と言われれば、「ぽろぽろ」のイメージとぴったりと合う。

しかし、わざわざ「。」がついている。それだけじゃないよと言われているみたいで立ち止まる。組み合わす言葉や表記によって言葉は変容する。「ぽろぽろ。」が言葉の持っているたたずまいや不思議さをくるくると回転させながら見せてくれているような気がする。まったく濁っていない川柳である。『菫橋』(港の人 2019年刊)所収。

2019年12月16日月曜日

●月曜日の一句〔藤田哲史〕相子智恵



相子智恵







一巡りして弧が閉じる寒卵  藤田哲史

句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社 2019.11)所載

読み切って、脳内が静謐な、無音の白さに包まれた。

〈一巡りして弧が閉じる〉のような理知的な書きぶりというのは、頭で変換しなければならない分、正直、私は感興が湧きにくいたちで、〈寒卵〉がうすぼんやりしている段階まではさらりと読み流していたのだけれど、〈寒卵〉がぱちっと目に入った瞬間、そこで文字通り、時が止まってしまった。完璧なかたちの、白くて冷たい〈寒卵〉を表すのに、〈一巡りして弧が閉じる〉とは、なんと美しい措辞なのだろう。

〈弧が閉じる〉は卵の完璧なかたちを示しているだけではなくて、そこに「冬そのもの」が閉じ込められているような飛躍が、確かにある。「冬籠」という季語が、本当は人事に限るものではなくて、草木もすべての活動をやめてじっと籠って春を待つ「ふゆこもり(冬木成)」であったように、すべてのものが籠る冬はまさに〈一巡りして弧が閉じ〉た〈寒卵〉の中にいるような状態ではないか。〈寒卵〉の白さと冷たさは雪のそれを思い出させて、〈弧が閉じる〉には空間だけでなく、白く冷たい雪に閉ざされた「冬の時間」をも閉じ込められているような気がした。

完璧に弧が閉じているのに、それでいて白さがすべてを覆い尽くしていて、狭いのだか遥かなのだか、暗いのだか明るいのだか、まるで自分が大きな〈寒卵〉の中に入ってしまって、ただただ白い世界の中でひとり春を待っているような気がしてくる。

一読、数学的な把握で抒情から遠く、乾いているように見えながら、その中にぴっちり充填されている、静かな抒情に確実に引き込まれる句だ。それはどこか、この白く美しい句集の佇まいとも、すべての句群とも、通じているような気がする。

2019年12月14日土曜日

●土曜日の読書〔自由をたずさえる〕小津夜景



小津夜景








自由をたずさえる

漢詩の翻訳にまつわることでひとつ興味深いのが、文人による翻訳でしばしば定型が好まれてきた現象だ。

彼らの翻訳は、音数を合わせるために、大筋をまねて細かい点をつくりかえた翻案であることが多い。この手法は、原詩との戯れの中にはっとするような駆け引きがあったりして、見ていてなかなか面白い。

ただ漢詩をわざわざ定型詩として翻訳するというのは、少し考えてみると奇妙である。というのも松浦友久が述べているように、漢詩は定型詩ではなく、明治になるまで日本で唯一の自由詩だったからだ。

歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは「訓読漢詩」を意味してきた。つまり漢詩は、視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音数律に縛られないフリースタイルとして人々に受け入れられ、和歌や俳諧ではあらわすことのできない種類のリズムとして愛されてきたのである。

たとえば、日本での李賀の人気は、明らかに型破りの、自由詩的なパッションへの渇望に由来している。また日本でもっとも漢文が盛んだった時期は江戸末期から明治にかけてなのだけれど、頼山陽や夏目漱石みたいな人たちの漢詩のできばえも、たんに彼らの教養や文才にからめるのではなく、近代の夜明けの雰囲気や彼らの思索や情熱が、より自由自在な詩的音律を欲していたと思い描くと、視界がちがってくるかもしれない。

自由への渇望とともに、漢詩をたずさえること。ここで思い出すのが1970年代初め、李賀の詩集をバックパックにつめこんで日本を旅立ち、ユーラシア大陸を横断した沢木耕太郎の『深夜特急』だ。この本の終盤、ギリシアからイタリアまでを船で渡るくだりがある。蓄積された疲労の中で次第に何も感じなった「僕」は、長い旅の終わりを肌で感じながら、旅することの意味を自問自答しつづける。そして辿りついた大いなる空虚の中で、甲板から紺碧の地中海に黄金色の酒をそそぎ、一言、このように綴る。
飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん。その時、僕もまた、過ぎ去っていく刻へ一杯の酒をすすめようとしていたのかもしれません。(沢木耕太郎『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』新潮文庫)
李賀「苦昼短」の一節「飛光飛光 勧爾一杯酒」がここにある。で、もしも「苦昼短」をまるまる翻訳するとして、この力強いフレーズをわざわざ定型に押し込めるかと考えてみると、うーん、たぶん無理だ。論理と律動性においては漢文訓読体の遺産を継承しつつも、文体面においては定型を断ち切る自由な言葉を与えることの方が、わたしには面白そうである。





2019年12月13日金曜日

●金曜日の川柳〔橋本緑雨〕樋口由紀子



樋口由紀子






酒ついであなたはしかしどなたです

橋本緑雨

忘年会のシーズンである。酒をついだのはいいが、さて、誰なのか。こういうことは誰にでも一度は経験があるだろう。同じ宴席にいるのだから、なにがしかのつながりはあり、間接的に知り合いなのはまちがいないはずである。が、見たこともない人である。

たいがいは知ったふりをしておく。まして、「どなたです」とわざわざ本人に聞くことなどはしない。しかし、酔いにまかせて聞いてみた。「どなたです」の言葉遣いで生き生きと景を描写する。「どなたです」と言われて相手のきょとんとした様子も手に取るようにわかる。でも、どちら酔っ払いのはず。「まあ、そんなことはより、まあ、一杯」となったのだろう。

2019年12月12日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








隠口のはつかなりけり薬喰   高政
『誹諧中庸姿(つねのすがた)』(延宝七年・1679)

またまた高政だが、例によって凝った句なので、まずは語釈から。



隠口(こもりく)は初瀬(泊瀬)にかかる枕詞。

その初瀬から「はつか(僅か)」へと続く。

薬喰(くすりぐひ)は寒中に滋養のため獣肉を食べることで、周知の季語だけれど、当時は俗語でもあった。

よって字面をたどると上五・中七は雅語的な掛詞、下五が俗語的な季の詞で、この落差が句意にも反映している。



長谷寺で知られる信仰の地・初瀬は山に囲まれている。

そんな山にこもっているような地形から隠口(隠国)と言うようになったようだが、それを「口臭を隠す」という意に転じているのが下五「薬喰」である。

下五から上五へ、談林的な「行きて帰る心」といってもいい。




仏教では禁じられている肉食。

その口臭を「はつか」に抑えたい、けどどうしても食べたい、というジレンマが「けり」に読みとれて、笑える。



ちなみにこの発句の脇は――
杉箸寒き二本の里   春澄
初瀬の二本(ふたもと)の杉による挨拶句である。うまい。

2019年12月7日土曜日

●土曜日の読書〔番外編・インスタント翻訳法〕小津夜景



小津夜景








番外編・インスタント翻訳法

漢詩が海外文学であることに気づいていない人は、思いのほか多い。

そんなに日本人の血肉と漢詩は分かちがたいのだろうか。

そもそも漢文の訓読は古代から存在する習慣で、はじめは翻訳ではなくあくまで読解のいとなみだった。それが返り点などの補助記号が考案され、読み下し方が流派ごとに固まって、しだいに漢文訓読体とよばれる文体として定着してゆくのである。

読解が文体の域に達したとき、いったい何が起こったかというと、まるで書き下し文がそのまま翻訳であるかのような空気ができあがった。とはいえ書き下しただけで意味が正確に理解できる漢詩はまずないから、漢詩の本をひらくと、書き下し文の横にさらに訳がついている。で、この訳というのがまた、ほかの外国詩とはまったく毛色の異なるふつうの説明文で、味わいも何もないのはマシなほう、たまに食べられないくらいまずかったりもする。漢詩が好きで、みんなに勧めたいわたしとしてはそれがとても悲しいのだけれど、今でも漢詩には書き下した時点で翻訳が終わったという了解があって、そんな風になっている。

だが今は悲しみを忘れて漢文訓読の話をつづけよう。というのも、このシステムそのものはかなりおもしろい発明だからだ。たとえば川本皓嗣は、漢文訓読にまつわる一連の流れを即席翻訳法、今でいう機械翻訳システムの開発だったと述べている。このインスタント翻訳法があったせいで日本人は、中国語で音読せず、さりとて日本語にも翻訳せず、といった独特の距離感で漢文とつきあってきたのだ、と。

即席翻訳法はインスタントだけあって、原文の漢字をそのままフルに活用するといった効率性が売りだ。ふつうは翻訳しろと言われたら、「これ、日本語にどうやって置きかえたらいいのかな」と頭を悩ませないといけないが、漢文訓読ではそんなことは気にせず、目の前にある漢字をシンプルに並べかえればよい。さらにこの翻訳法は文法解析能力についても超一流で、並べかえの順番はしっかりマニュアル化されている。

文法解析に強い一方、日本語への変換機能は搭載されていない。ここが大きな欠点だ。わかりやすい例をあげると、中国語と日本語で意味のちがう漢字というのがある。「湯」が中国では「スープ」という意味だったり、「鮎」が「ナマズ」だったり、という風に。ところが漢文訓読ではこんなかんたんな言葉の置きかえさえしないから、せっかくきれいに書き下しても、肝心の意味がさっぱり見えてこない。漢語がむずかしいとか、そういうのじゃなくて、たんに機械翻訳すぎて日本語として意味不明なのだ。

じゃあどうして日本人は、わけのわからない書き下し文を読んで快楽をおぼえることがあるのか。これは漢文訓読体が堂々として美しいという音楽的理由の他に、古代の中央文明に身をゆだねる安心感もあるだろう。あと漢文で書かれた原典はいわば聖典であり、知識人たちにとっては秘語だった方が権威に酔えるし、一般人にとってはふわっと感覚できればそれでじゅうぶんありがたかったという事情も絡んでいそうだ。お経なんて漢文の比じゃなく、ほんとひとつもわからないものね。

2019年12月6日金曜日

●金曜日の川柳〔奥村数市〕樋口由紀子



樋口由紀子






胃の中で暮しの蝙蝠傘押しひろがり

奥村数市 (おくむら・かずいち) 1923~1986

胃というのは敏感な臓器で、心配事や嫌なことがあるとすぐにちくちくと痛む。また、食べ物を消化してくれるのも胃の大事な役目である。そんな胃の中に蝙蝠傘があるという。その「蝙蝠傘」は昔によくあった重くて大きな傘で、今のようなワンタッチの手軽で軽量のものではないだろう。それも「暮しの蝙蝠傘」。「暮し」とは生活のことだろう。生活をしていく中で、存在感のある傘が胃の中で押しひろがってゆく。ゆるやかに、それでいてぐっぐっと、じわじわと胃の壁を押すように大きく広がってゆく。

不思議な感性である。しかし、私も自分の胃の中で蝙蝠傘が押しひろがってくるようなことがあったような気がしてきた。『奥村數市集』(川柳新書)所収。

2019年12月5日木曜日

●奥歯

奥歯

奥歯あり喉あり冬の陸奥の闇  高野ムツオ

田作りを奥歯で噛んで独り者  鈴木真砂女

春日や奥歯につぶす大あくび  雨宮抱星

奥歯より秋染みるなり酌み交はす  なかやまなな〔*〕


〔*〕『奎』第11号(2019年9月12日)

2019年12月2日月曜日

●月曜日の一句〔井越芳子〕相子智恵



相子智恵







鳥声をかがやかせたる霜柱  井越芳子

句集『雪降る音』(ふらんす堂 2019.9)所載

寒い朝、霜柱を見つけた。土を押し上げている細い氷柱の輝きに見入っていると、どこからか鳥の声が聞こえてくる。冷たく澄んだ冬の朝の鳥の声は、作者の耳にいつもよりも鋭く聞こえているのだろう。眼中は霜柱の輝きにあふれ、いつしか聞こえてくる鳥の声も輝いてきたように感じる。この霜柱が鳥の声を輝かせているのだ。

〈かがやかせたる〉によって視覚と聴覚はつながり、〈鳥声〉と〈霜柱〉で空と大地もつながる。しかも、つながりは一方向ではない。読者は〈鳥声〉から読み始めるので、最初に空に意識が行き、〈霜柱〉で大地に着地するけれど、そこで〈かがやかせたる〉の目的語を反芻して、また空へと意識が向かう。読者の心の中で空と大地は往還し、目と耳も往還する。共感覚のように宇宙と自身の感覚がぐるぐるとめぐり始める。

内包された世界が大きく、美しい一句である。