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2013年7月21日日曜日

〔今週号の表紙〕 第326号 バス停 橋本有史

今週号の表紙〕 
第326号 バス停

橋本有史


このバス停は、北海道の道西増毛と留萌の間にあるバス停である。ちなみに増毛は作詞家なかにし礼の出身地であり石狩挽歌はこの地で生まれた。後ろには穏やかな日本海が広がる。

今から60年前、増毛、留萌、そしてその北に位置する羽幌は街の絶頂期を迎えていた。石炭、そして鰊。羽幌は日本有数の良質な石炭を産出、また留萌、増毛は海が鰊の精子で真っ白になるそれほどの鰊が繰り返し押し寄せた。

最後の鰊群来は昭和28年だったと聞く。羽幌炭坑は1970年に閉山された。冬は大荒れの場所だが、この季節は穏やかな風景が延々と続いている。この街の昔を知らない歳だが、海風の中にヤン衆の、そして沖仲仕の声を聞いた気がした。



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2013年3月10日日曜日

〔今週号の表紙〕 第307号 途切れた線路 橋本有史

今週号の表紙〕 
第307号 途切れた線路

橋本有史



3.11から2年が経過した。もうこの地に何回来ただろうか、20回くらい来ていると思う。ここは陸前高田の旧市街地のほぼ中央に位置する場所で、目の前に広がる景色の中で、そして背後に広がる景色の中で1800人近くの人が命を失った。

この場所に初めて来たのは震災から約4ヶ月後であった。その頃はまだ瓦礫の山、木造のものは全て流されて、コンクリートの建物はコンクリートだけのがらんどう、旧市役所は4階まで全て窓枠さえ残っていない。市民体育館の時計が3時半少し前で止まっていたことだけが記憶に新しい。

縁あって、陸前高田、気仙沼で社会奉仕活動を続けている。東北すくすくプロジェクト、被災地におけるお母さんと子どもたちへの支援である。大津波は防波堤、建物といった建造物のみならずそこの人々のコミュニティも破壊してしまった。お母さんと子ども、赤ちゃんの「支えあうコミュニティ作り」、これを使命としている。

寺田虎彦の「天災は忘れたころにやって来る」という言葉は有名だが、彼の文章を読むとこれにはより深い意味がある。忘れたころに来るから天災になる、これが真の意味だ。大津波も毎年来ていれば天災にはなり得ない。100年は地球物理学的には一瞬だが、人間社会では30年で世代が代ってしまう。この震災の記憶を永く後世に伝え、社会としての記憶を消さないことが重要だと思っている。



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2012年8月19日日曜日

〔今週号の表紙〕第278号 夏の果て 橋本有史

今週号の表紙〕第278号
夏の果て

橋本有史



十数年俳句の世界に浸かってきたが、突然にフォトグラファーになろうと思い7月から写真を習いだした。俳句に飽きたわけではない。俳句で培ってきたこと(省略、客観写生、寄物陳思など)、そして季語、季感、それらを使って写真を撮ってみようかと思ったからである。写俳ではない。俳句と写真を重ね合わせると情報過多で暑苦しい。「俳人写真」(俳人目線で撮る写真)そんなものを目指してみようかと思っている。

この写真は沖縄本島の那覇空港に隣接した瀬長島という島である。滑走路の丁度先にあり飛行機が真上を、大空に向かって昇っていく。この島には野球場があってたくさんの少年野球チームが歓声をあげていた。一方海辺にはほとんど人がいない。沖縄の8月はもはや海のシーズンではないのかもしれない。見渡す限りの海と空、人は一人だけ、南の島の夏の果てを感じた瞬間であった。


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