2022年10月31日月曜日

●月曜日の一句〔志村斗萌子〕相子智恵



相子智恵






星飛んで結末変はる物語   志村斗萌子

句集『星飛んで』(2022.8 ふらんす堂)所収

物語とは終わりまで書かれたものを読むものだから、普通は結末が変わることはない。あらかじめ二通りの結末が用意されていたり、読み方で結末の解釈が変わる趣向の小説もあったり、もちろん未完の物語というものもあるにはあるのだが、掲句はそのような既存の物語を指しているのではなさそうだ(もちろんそのような解釈でもよいが)。

現在進行中の物語(それは人生と置き換えてもよいかもしれない)のただ中にありながら、結末(未来)からの視点で詠んだ句だと個人的には受け取りたい。〈星飛んで〉という季語の選択によって、そのような読みが浮かぶのである。

流星という不意に巡り合うものによって、物語(人生)の結末が思わぬ方向へと流れていった。そんな巡り合わせがいくつも起きて、後から振り返ってみれば、結末が予定とは大きく変わっていたと気づく。それを物語(人生)の途中で句に書きつけているのだから、何だか結末と今とをずっとワープし続けるような、不思議な多重性を味わうのである。

2022年10月28日金曜日

●金曜日の川柳〔米山明日歌〕樋口由紀子



樋口由紀子






ソファに葱 そう云う事だったのか

米山明日歌 (よねやま・あすか)

「そう云う事だったのか」と言われても、なんのことだかさっぱりわからない。帰宅したら、ソファに葱が置いてあった。野菜庫にしまうわけではなく、よりにもよって、ソファに置いてある。たった、それだけのことなのに、ただならぬものを感じて、微妙な違和感を醸し出す。

「ソファに葱」は似合わない。そして、「そう云う事だったのか」の納得感も得られない。ありそうでありえない、ありなさそうでありえる。それ以上のことはなにも言ってないからこその深読みの誘惑にかられる。目の前の状況をぐるりと転換させ、読み手に上手くコトを預けている。「おかじょうき」(2022年刊)収録。

2022年10月26日水曜日

西鶴ざんまい 番外編11 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇11
 
浅沼璞
 

前回みたように、談林の岡西惟中は、
  切れぬ「哉」=発句にならぬ「哉」=平句の「哉」
という相伝を披歴し、自作短句の「哉」の正当性を述べたてました。

そんな惟中ですが、第三の切字については厳しい目を向け、こう述べています。

〈第三を「哉」どめにし、「ぬ」どめにし、「也」「けり」などゝ留むる放埓あり。是俳諧の乱逆(げき)也〉(『俳諧破邪顕正返答』延宝8・1680年)

確かに第三は平句とは区別され、て・にて・もなし・らん等で留めるのが定法です。切れようが、切れまいが第三に切字は不可ということでしょうか。
 


これに対し、反論したのが同門の西鶴です。

   天満におゐて鳴鹿之助    貞因(脇)
  植木屋の下葉は萩の咲にけり  西鶴(第三)

この秋の付合を引き合いに、こう述べます。
 
〈是は「けり」どまりの第三のならひ、脇に腰の「て」さし合申候時は、自然にこの留め致しても苦しからず。此の作、宗祇連歌の第三にもあり[註]〉(『俳諧のならひ事』元禄2・1682年)

文中、腰の「て」については、定本西鶴全集(中央公論社)の注にこうあります。
 
〈脇句の七・七の腰に當る「天満におゐて」の「て」を指す。第三て留にすべきところ指合を避けてけりと留めた〉
 

 
ここでは「指合」といっていますが、連歌時代から折合(おりあい)といわれる慣習のことでしょう。
 
貞徳の『御傘』(慶安4・1651年)にも、「花をみんとて山に入るなり」のような腰に「て」のある短句には「て」留の長句を嫌うとあります。
 
後年、短句から長句への「折合」は許容されるようになっていったようですが、西鶴の時代はまだ嫌ったと思われます。

しかも西鶴は『御傘』のとおり、第三のみならず平句の付合でもこのパターンの「折合」を意識し、前句の腰に「て」のある際は「けり」留を厭いませんでした。
 


ここでやっと本題の『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)に戻れます。前句の腰に「て」があり、その付句が「けり」留となっている例を順に全てあげてみましょう。

高野へあげる銀は先づ待て 前句(裏八句目)
  大晦日其の暁に成にけり    付句(裏九句目)

  住替へて不破の関やの瓦葺 前句(二表七句目)
   小判拝める時も有けり   付句(二表八句目)

   野夫振り揚て鍬を持替へ  前句(三裏二句目)
  其道を右が伏見と慟キける  付句(三裏三句目)

このように長句・短句の「けり」がまずあり、(一座一句を意識したのでしょうか)最後は連体形「ける」となっています。
具体的な付合の解釈は本編にて行いますが、次回は、くしくも「大晦日其の暁に成にけり」からとなります。
 



「なんや、えらい上手く運び過ぎやないか」
いや、だからトリにしたんですって(笑)。
 
 
[注]定本全集本の注には〈宗祇連歌の第三〉について出所未考とある。
 

2022年10月24日月曜日

●月曜日の一句〔田口茉於〕相子智恵



相子智恵







子と歩く速さに秋の深まりぬ   田口茉於

句集『付箋』(2022.8 ふらんす堂)所収

まだ子どもが歩き始めの頃、しみじみと、「土が近い生活になったなあ」と思ったことがあった。野菜を育てるなどの暗喩ではなくて、文字通り「地面が近い」のである。棒切れを拾う、鳥の羽根を拾う、団栗を拾う……ことにつきあう。転んだら抱き起こす、膝の土を払う、靴を脱がせる、履かせる。地面に膝をついてスマホで動画を撮ったりもする。

掲句に、そんな土の近さを思い出した。この句は「子の歩く速さ」ではなく、あくまでも「子と歩く速さ」だ。走り回る子を悠々と描写していられるわけではなくて、その速度に自分も巻き込まれているのである。

ものすごくゆっくりな(ほとんど動かない)時もあれば、いきなり走り出すこともある。淡々とした大人のペースではない、予測のできない速度。きっと今日も予定通りに物事は何一つ進まず、一日が終わるのだ。その分、秋の深まりを濃く感じる時間が流れる。歩いている途中で、落葉や団栗もきっと拾ったことだろう。地面が近い生活の〈秋の深まりぬ〉に納得である。

2022年10月21日金曜日

●金曜日の川柳〔広瀬ちえみ〕樋口由紀子



樋口由紀子






触れなさい色の女王が通ります

広瀬ちえみ (ひろせ・ちえみ) 1950~

「色の女王」って、なんだろう。すべての色の頂点にあり、飛び抜けて綺麗なものなのだろうか。しかし、そのようなものは見えない。だから、触れることもできない。目に見えない、気づかないものを感知させようとしている。

「色の女王」はごく身近にあるものなのだろうか。自分を閉じていると目の前にあるものも見逃してしまう。あるいは実存しないものかもしれない。見えないものを見ようとする意志をもつことで日常が変化する。存在しているかどうかではなく、そう感じることで世界の見方も世界との関係性も大きく広がっていく。さて、あなたには見えますか、触れることはできますかと問われているような気がする。「杜人」(2017年刊)収録。

2022年10月17日月曜日

●月曜日の一句〔五十嵐箏曲〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




赤い羽根つけて推定Fカップ  五十嵐箏曲

「赤い羽根共同募金」は戦後すぐの1947年スタート。意外に歴史は古い。期間は10月1日から(都道府県で違いはあるが)半年間。意外に長くやってる。けれども、10月になると、テレビに映る政治家が揃って胸に赤い羽根を付けているので、10月がシーズンというかんじ。俳句でも10月の季語として扱われる。

掲句は、景として、一読明瞭。赤い羽根の背景となる衣裳について何を思うかは、読者によってさまざまにせよ。で、おおいに揺れていそうです、この着色された鳥の羽根。

豊穣を連想させるその胸は、「貧しい者」を救済せんとする募金にふさわしい。かもしれない。でも、それとはべつに、ちょっとシニカルで、たぶんに劣情(もちろんのこと素晴らしい感情です)的。言い換えれば、俳句的。きわめて俳句的な一句。

『アウトロー俳句 新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」』(2017年12月/河出書房新社)所収。

2022年10月14日金曜日

●金曜日の川柳〔加藤久子〕樋口由紀子



樋口由紀子






象をはんぶんこしませんか

加藤久子 (かとう・ひさこ) 1939~

最初に読んでときはぎょっとした。はんぶんこされるのは「象」である。生き物である。そんなことはできるわけがない。

ふと、この句は世界のあちこちで起こっている紛争や些細なことでいがみあっているこの世を解決する手段をいっているのではないかと思った。だから、「はんぶんこしませんか」とやさしく問いかけているのだ。この象は生身ではなく、絵に描いた象か、それとも象のかたちをしたパンかお菓子か、それらを含めて、象のようにおおらかでと力あるものを「はんぶんこしませんか」と提案している。全部取り込んで、独り占めはしない。そうすれば、みんなが平和に暮らしていける。字足らずで破調になっているところがよけいに強度を増し、胸に響いた。

2022年10月13日木曜日

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2022年10月12日水曜日

西鶴ざんまい 番外編10 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇10
 
浅沼璞
 

ひきつづき、平句の切字、こんかいは短句の「かな」をめぐる貞門・談林論争をみてみましょう。
 


まず談林の岡西惟中の独吟百韻における短句(名オ2句目)を引きます。

額(ひたひ)えぼしの楽助なるかな  『俳諧破邪顕正返答』(延宝8・1680年)
 
これに対し、〈平句の哉(かな)留は何事ぞや。慮外ものよ〉(誹諧猿黐)だの、〈かな止めも、ひら句には遠慮なし〉(俳諧破邪顕正返答之評判)だのといった批判が続出しました。
 
前者は貞門によるものですが、後者は談林の内ゲバ的批判です。
 
一座一句どころか全面禁止の言挙げが、貞門のみならず談林サイドからもなされていたわけです。
 


もちろん惟中とて黙ってはいません。〈なんとして師を取りて習はいではしられまい。大事なことなれども、これひとつ相伝しまするぞ〉(俳諧破邪顕正評判之返答)と皮肉たっぷりに反論します。

〈惣別「かな」とおもへども、きれぬ「哉」もあるぞ。〽花は紐(下紐)柳はまゆをひらく哉 といふ「かな」は、発句にならぬ「哉」也。これを、〽花は紐柳は眉のひらき哉 とすれば発句の「哉」也〉[注1]

きれぬ「哉」=発句にならぬ「哉」=平句の「哉」という等式が成り立つようです。

これは前回もらした愚説「切字として〈用ひざる時は〉平句に切字あるもよし」に通底する相伝といっていいでしょう。
 
例の芭蕉の〈切字に用ふる時は四十八字皆切字なり。用ひざる時は一字も切字なし〉(去来抄)というのも、案外こうした相伝をバックボーンとしていたのかもしれません。
 


ま、それはそれとして、惟中の言葉にもどりましょう。
 
「ひらく」の動詞を「ひらき」と連用形によって名詞化すると切れると惟中は言います。
 
そして〈うくすつぬふむゆるうの仮字(仮名)よりつゞきたる「かな」は、何時もきれませぬぞ〉と切れない例としてウ段の活用語尾を列挙します。
 
さらに「額えぼしの楽助なるかな」の自句にふれ、〈「なる哉」といふ「かな」、なるほど俳諧(連歌)に大事ないぞ〉と結語します。

動詞ウ段は終止形でもありますが、「なる」はラ変なので連体形と限定できるでしょう。
 
そこで活用語の連体形につく「かな」は切れないと拡大解釈してみると――前回の杜國の平句〈おかざきや矢矧の橋のながきかな〉は形容詞・連体形+「かな」で切れないということになります。[注2]
 
よって「や」を気にしなければ理論上は平句としてセーフ。
 
ちなみに名詞化すれば切れるというなら〈おかざきの矢矧の橋のながさかな〉とでもすれば発句になるということでしょうか。
 


ま、文法的な詮索はほどほどにして、「切れなければ平句に哉を使ってもよい」というような相伝があった(らしい)ことはここで注目しておくべきでしょう。

ところで同じ切字でも第三の「けり」に関しては厳しい見方を惟中はしており、それに絡んで同門の西鶴批判も辞さなかったようですが、長くなりそうなので――

「またまた後回しかいな」

だ、か、ら、トリですって。
 


[注1]引用は古典俳文学大系本。()内は浅沼註。「花の下紐」は花のつぼみのたとえ。
[注2]山田孝雄『俳諧文法概論』(1956年、宝文館)では連体形につく「かな」の用例として芭蕉〈こがらしの身は竹斎に似たる哉〉と併せて杜國〈おかざきや矢矧の橋のながきかな〉をあげている。ここでは発句/平句は区別されていない。
 

2022年10月10日月曜日

●月曜日の一句〔伍藤輝之〕相子智恵



相子智恵







よく見えて見えず木の実の落ちるかな   伍藤輝之
 
句集『BALTHAZAR』(2022.9 ふらんす堂)所収

木の実は見えていて、でも落ちるところは見えないのだろう。〈よく見えて見えず〉は一見、謎かけのように見えるのだが、ああ、そうだったなあと山育ちの私は思う。

澄んだ秋の日の樹木は一本一本がよく見えている。木の葉がはらはらと落ちるのを見ることはよくあったが、団栗のような小さな木の実が落ちる瞬間を捉えるのは、その速度のせいか案外難しくて、(単に子どもの頃は、木の実が落ちるまで長く一か所に留まってはいなかったからかもしれないが)突然、真後ろに団栗が落ちた音と気配に驚いたりした。掲句にはそんな実感がある。と、同時にやはり哲学的な句だと思う。

本書は遺句集である。あとがきには、作者が愛する映画「バルタザールどこへ行く」から題名を付けたと書かれ、〈今、(驢馬)バルタザールのように死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる〉とあった。辞世の三句も含み、遺句集として見事としか言いようがない出来だ。

見事過ぎるがゆえに映画のような演出を感じてしまうが、含まれている句に甘いところはなく、客観的に自身や社会を見ることができ、そして独自の美学をもって作品をつくり、厳しい基準で残せる人だったのだろう。ご子息による付記には、死後に発刊してほしいと頼まれた、とあった。

死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる〉。こういうことが書けてしまう作者だからこその掲句なのだな、とあとがきを読んで思った。

2022年10月3日月曜日

●月曜日の一句〔岸本尚毅〕相子智恵



相子智恵







風は歌雲は友なる墓洗ふ   岸本尚毅

句集『雲は友』(2022.8 ふらんす堂)所収

自選の15句が裏表紙に載っていて、すべてが雲の句なので驚いた。まさに『雲は友』なのである。これだけ雲の句が一集に収まっていることも面白い。少し挙げてみよう。

  胴体のやうに雲伸び日短

  埼玉は草餅うまし雲白し

どちらも人を食ったようなおかしみがあり、好きな句だ。

さて、掲句は本句集の表題句。不思議な句である。そもそも、〈風は歌〉で〈雲は友〉だというのは、墓石にとってのことなのだろうか。それとも墓を洗っている作中主体にとってのことなのだろうか。

私は最初、墓を主体にして読んだ。じっと動くことのない墓石にとっては、風が毎日違う歌を歌い、見上げれば毎日違う姿を見せる雲が友なのだろう。静と動。この墓は、都会の密集した墓地ではなく、農村の、稲田に囲まれた小さな墓地だといいなと思う。稲穂を風が渡り、雲がいろんな形を見せる。なんだか呑気で面白い。

次に墓を洗う人を主体として読んでみた。これもまたのどかな気分になる。いい墓参りの句だ。そして、まだ表れていない主体としては、この墓に埋葬された死者もその主体となり得るだろう。泉下の人にとっても風は歌で雲は友なのだ。

ここで、ちょっと昔に大ヒットした「千の風になって」という歌を思い出してしまった。あの歌は、「死者は墓にいるわけではなくて、千の風になってあなたを見守っているよ」という趣旨の歌だった。しかし、墓は動かず、風と雲は動き続ける……という掲句の方が、説教臭くなくていいなあ、と思う。

さて、本句集の中には他にも墓の句が案外多い。(ちなみに寺や涅槃会なども多い。好みの句材なのだろう)

  墓石や出合ふともなき蟻と蜘蛛

  柿潰れシヤツだらしなく墓に人

なかでもこの即物的な墓の句が面白い。(墓の句に面白いと言ってよいのかは分からないが……)

  明易や雲の一つに乗りて死者

という句がある。岸本氏の死者は、勝手に風に成り代わって満遍なく人々を見守ったりはしない。一つの小さな雲にのって楽しそうに移動していく。あとがきに、〈自分が老人に近づいた〉と書いていたが、こういう死生観というものが、いかにも岸本氏らしいのである。

  秋の雲子供の上を行く途中

そんな雲は、時々、子どもの上を通ったりもする。

2022年10月1日土曜日

〔人名さん〕アントニオ猪木

〔人名さん〕
アントニオ猪木(1943年2月20日-2022年10月1日)


口閉ぢてアントニオ猪木盆梅へ  関悦史

野口裕 〔新撰21の一句〕関悦史の一句「ダア!」