【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
ぼさっとしていたら四年も経っていたよ千鳥君
関悦史
さて、週俳500号を迎えての「私の自薦記事」でありますが。
今わざわざ読み返してみようかなと思うのはこれでした。
藤後左右の初期作品以外の句をほとんど知らないので全句集を勉強会に持ち込んで読んでみた
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_5.html
どうでもよさにおいて一番というか。
全句集の実況中継みたいなことをやっている。
最近、自分の評論集を作るのに過去の原稿を絞り込まねばならず、ちょっとまとめて見返したのですが、これなどもう本には絶対入らない。雑誌であっても、活字媒体だったらこんなダラダラ長い書き方はできない。ネットならでは。
評論集には入れられないけど、句集を読むのが楽しそうではある。
このところ新しく出る句集を、片端から時間に追われつつ通読するというようなことになっているので、今こんな書き方はちょっとできない。
『藤後左右全句集』を通読したのは、本文にもあるとおり、某所で行われた若手勉強会のためでしたが、場所が都内の西の方で、うちからだとけっこう遠かったもので、だんだん出席率が悪くなり、そのせいでクビになったのか、いつの間にか連絡も来なくなってしまった。
もっとも当時一緒に出ていた人たちは、今それぞれ子育て中だったりして忙しそうで、勉強会自体は同じ場所で、20代の人たちが代わって続けている。
何の変化もないようだが、四年前というのもけっこう前で、四年間経ってしまっているののだよ千鳥君。
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2016年12月4日日曜日
2016年12月1日木曜日
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】今年もあちらこちらで 近恵
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
今年もあちらこちらで
近 恵
私の俳句の歴史は週刊俳句準備号より2ヶ月ほど早い2007年2月から始まった。だから週刊俳句が何周年とか言ってくれると「ああ、私も何年目に突入したのね」と解りやすくてよろしい。
ま、そんな事とは全く関係ない自選記事。
初めての文章は2008年3月の第45号で「2月の週俳を読む」を書いている。俳句を始めてほぼ1年しかやっていない、どこの馬の骨かわからないような私によくぞ振ってくれましたという感じだが、週刊俳句も最初の頃は近場の人を頼って書き手を募っていたわけで、まあこれはラッキーなデビューだというべきか。
そもそも論文は読んだことも書いたこともなく、鑑賞ならまだなんとかなるけれど、俳句の知識も乏しいので批評もできない。かと言って何かほかに精通していることもない。けれども俗なことなら書けそう。総合俳句誌は真面目な記事ばっかりで、せいぜい年賀状に添えたい一句なんて特集くらいしかなかったから、ここは思い切って週刊誌的な見出しで書いてみようと思ったのである。それが2008年12月21日第87号の記事「クリスマスは俳句でキメる!」だった。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/blog-post_21.html
この記事を書くにあたり、句会でも協力をしていただいた。そこには現在若手俳人の中核として活躍中の週俳スタッフ、当時はまだ大学生で紅顔の美少年のようだった生駒大祐さんや今年句集『天使の涎』で田中裕明賞を受賞した北大路翼さん、第3回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞を受賞した中村安伸さん、また翌年2009年12月に邑書林から発行された『新撰21』には北大路翼さん、中村安伸さん、谷雄介さんが入集されるなど、その後活躍を見せることとなる結構な顔ぶれが集ってくれていた。そしてアップされた記事は「業界初・袋綴じ」という、週刊俳句でも後にも先にもない異例の処置がなされた記事となった。
で、今年もあちらこちらでクリスマスイルミネーションの輝く季節がやってきたのです。
最近はテレビ番組を見て俳句を始める若い人も増えてきたらしいし、ちょうど良いタイミングではないかと思いこの記事を引っ張り出してきたという次第。
最期に余談だが、当時この記事を読んで実際に彼女に試してみたという強者がいた。目的を果たせたかという点から言えば結果は玉砕だったらしい(要するに他のスキルが足りていなかったということか)が、現在はその彼女と結婚して一児の父である。よかったよかった。
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今年もあちらこちらで
近 恵
私の俳句の歴史は週刊俳句準備号より2ヶ月ほど早い2007年2月から始まった。だから週刊俳句が何周年とか言ってくれると「ああ、私も何年目に突入したのね」と解りやすくてよろしい。
ま、そんな事とは全く関係ない自選記事。
初めての文章は2008年3月の第45号で「2月の週俳を読む」を書いている。俳句を始めてほぼ1年しかやっていない、どこの馬の骨かわからないような私によくぞ振ってくれましたという感じだが、週刊俳句も最初の頃は近場の人を頼って書き手を募っていたわけで、まあこれはラッキーなデビューだというべきか。
そもそも論文は読んだことも書いたこともなく、鑑賞ならまだなんとかなるけれど、俳句の知識も乏しいので批評もできない。かと言って何かほかに精通していることもない。けれども俗なことなら書けそう。総合俳句誌は真面目な記事ばっかりで、せいぜい年賀状に添えたい一句なんて特集くらいしかなかったから、ここは思い切って週刊誌的な見出しで書いてみようと思ったのである。それが2008年12月21日第87号の記事「クリスマスは俳句でキメる!」だった。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/blog-post_21.html
この記事を書くにあたり、句会でも協力をしていただいた。そこには現在若手俳人の中核として活躍中の週俳スタッフ、当時はまだ大学生で紅顔の美少年のようだった生駒大祐さんや今年句集『天使の涎』で田中裕明賞を受賞した北大路翼さん、第3回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞を受賞した中村安伸さん、また翌年2009年12月に邑書林から発行された『新撰21』には北大路翼さん、中村安伸さん、谷雄介さんが入集されるなど、その後活躍を見せることとなる結構な顔ぶれが集ってくれていた。そしてアップされた記事は「業界初・袋綴じ」という、週刊俳句でも後にも先にもない異例の処置がなされた記事となった。
で、今年もあちらこちらでクリスマスイルミネーションの輝く季節がやってきたのです。
最近はテレビ番組を見て俳句を始める若い人も増えてきたらしいし、ちょうど良いタイミングではないかと思いこの記事を引っ張り出してきたという次第。
最期に余談だが、当時この記事を読んで実際に彼女に試してみたという強者がいた。目的を果たせたかという点から言えば結果は玉砕だったらしい(要するに他のスキルが足りていなかったということか)が、現在はその彼女と結婚して一児の父である。よかったよかった。
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2016年11月28日月曜日
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】Nと川崎長太郎 瀬戸正洋
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
Nと川崎長太郎
瀬戸正洋
古書オンラインショツプで、川崎長太郎の『抹香町』(講談社、昭和二十九年刊、初版)を手に入れた。私は、二十歳代に川崎長太郎の初版本を集めていた。小田原市内の書店で創作集、随筆集の新刊の初版本を買い求めた。「抹香町」という創作集は、その頃、エポナ出版から復刻版が出ていたが買わなかった。もちろん、古書店へ行くほどのお金は持ってはいなかった。その後、没後三十年記念出版で、講談社文芸文庫から六冊の創作集、随筆集が出ている。今でも、小田原市内の書店では、新刊の文庫本が六冊揃って棚に並んでいる。
Nとは、その頃からの付き合いで、今でも、書き続けている。突然、歌集が送られてきたので驚き、礼状をと思い書きはじめたのだが、書いているうちに、「週刊俳句」に投稿したくなった。それで、村田篠さんにお願いした次第である。そして、第242号(西暦2011年12月11日)に掲載していただいた。自薦というのは、おこがましいので自選ということにしていただければ幸甚である。これは、『俳句と雑文B』にも収録した。
西一村 歌集『夏の鉄橋』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/12/blog-post_1966.html
何故、Nと川崎長太郎なのかはわからない。二十歳代のころは、何となくイメージで似ているような気がしていた。
だが、川崎長太郎を読み返してみると、生に対する怨念のようなものが感じられ、そのド迫力に圧倒される。師である徳田秋声に対しても容赦がない。私は、川崎長太郎の創作集を十数冊持っている。目さえ疲れないようにすれば、通勤往復四時間の退屈な時間が貴重な時間となる。
Nは、詩集を出すと言っている。この一文は、その激励文でもある。
Nと川崎長太郎
瀬戸正洋
古書オンラインショツプで、川崎長太郎の『抹香町』(講談社、昭和二十九年刊、初版)を手に入れた。私は、二十歳代に川崎長太郎の初版本を集めていた。小田原市内の書店で創作集、随筆集の新刊の初版本を買い求めた。「抹香町」という創作集は、その頃、エポナ出版から復刻版が出ていたが買わなかった。もちろん、古書店へ行くほどのお金は持ってはいなかった。その後、没後三十年記念出版で、講談社文芸文庫から六冊の創作集、随筆集が出ている。今でも、小田原市内の書店では、新刊の文庫本が六冊揃って棚に並んでいる。
Nとは、その頃からの付き合いで、今でも、書き続けている。突然、歌集が送られてきたので驚き、礼状をと思い書きはじめたのだが、書いているうちに、「週刊俳句」に投稿したくなった。それで、村田篠さんにお願いした次第である。そして、第242号(西暦2011年12月11日)に掲載していただいた。自薦というのは、おこがましいので自選ということにしていただければ幸甚である。これは、『俳句と雑文B』にも収録した。
西一村 歌集『夏の鉄橋』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/12/blog-post_1966.html
何故、Nと川崎長太郎なのかはわからない。二十歳代のころは、何となくイメージで似ているような気がしていた。
だが、川崎長太郎を読み返してみると、生に対する怨念のようなものが感じられ、そのド迫力に圧倒される。師である徳田秋声に対しても容赦がない。私は、川崎長太郎の創作集を十数冊持っている。目さえ疲れないようにすれば、通勤往復四時間の退屈な時間が貴重な時間となる。
Nは、詩集を出すと言っている。この一文は、その激励文でもある。
2016年11月26日土曜日
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら) 小津夜景
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら)
小津夜景
週刊俳句の第500号を祝う趣旨でこちらにも書きましたが、わたしが初めて読んだ句集は高山れおな『俳諧曾我』でした。で、2冊目が金原まさ子『カルナヴァル』、3冊目は西原天気『けむり』なんです。読後の感想はいずれも週刊俳句に送り、ふしぎなことに(当時はそう感じた)すべて掲載してもらいました。個人的に忘れがたいこの三句集の中から、自薦記事として上げたいのはこれ。
へテロトピアとその悲しみ
金原まさ子『カルナヴァル』を読む
≫http://weekly-haiku.blogspot.fr/2013/10/blog-post_7385.html
『カルナヴァル』はBL趣味にあふれた句集。ひとくちにBLと言ってもいろいろですが、本書ではセックスやジェンダーにまつわる潜在的な暴力に対する女性特有の抵抗や衝突あるいは混乱からまぬがれた場所で、どこまでもあっけらかんと世界肯定的な〈17音の祝祭〉が繰り返し催されます。
あと本書73頁の「いい人は天国へ行けるし/わるい人はどこへでも行ける。」という言葉は、中年反骨女優メイ・ウェストの言い回しだと «Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.»となるらしい。つまり「人」でなく「少女たち」なんですね。ここ、非常に重要だと思うのはわたしだけではないはず。バッド・ガールへの道を踏み外すことなく歩みつづけた結果、金原まさ子さんは本物の黒い天使となった。週刊俳句が存在したお陰で、このような志の高い句集のレヴューを書けたことをしあわせに思います。
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バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら)
小津夜景
週刊俳句の第500号を祝う趣旨でこちらにも書きましたが、わたしが初めて読んだ句集は高山れおな『俳諧曾我』でした。で、2冊目が金原まさ子『カルナヴァル』、3冊目は西原天気『けむり』なんです。読後の感想はいずれも週刊俳句に送り、ふしぎなことに(当時はそう感じた)すべて掲載してもらいました。個人的に忘れがたいこの三句集の中から、自薦記事として上げたいのはこれ。
へテロトピアとその悲しみ
金原まさ子『カルナヴァル』を読む
≫http://weekly-haiku.blogspot.fr/2013/10/blog-post_7385.html
『カルナヴァル』はBL趣味にあふれた句集。ひとくちにBLと言ってもいろいろですが、本書ではセックスやジェンダーにまつわる潜在的な暴力に対する女性特有の抵抗や衝突あるいは混乱からまぬがれた場所で、どこまでもあっけらかんと世界肯定的な〈17音の祝祭〉が繰り返し催されます。
あと本書73頁の「いい人は天国へ行けるし/わるい人はどこへでも行ける。」という言葉は、中年反骨女優メイ・ウェストの言い回しだと «Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.»となるらしい。つまり「人」でなく「少女たち」なんですね。ここ、非常に重要だと思うのはわたしだけではないはず。バッド・ガールへの道を踏み外すことなく歩みつづけた結果、金原まさ子さんは本物の黒い天使となった。週刊俳句が存在したお陰で、このような志の高い句集のレヴューを書けたことをしあわせに思います。
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2016年11月24日木曜日
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】で、ティッシュはもらえたのか 柳本々々
【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
で、ティッシュはもらえたのか
柳本々々
『週刊俳句』の編集者である西原天気さんから500号記念企画の一端として自選/自薦記事をあげてほしいとメールをいただいて、わたしがふっと思いだしたのは、『週刊俳句』に初めて投稿した記事「NO TISSUE, NO LIFE」(2014年7月13日)である。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/no-tissue-no-life.html
丸山進さんの句、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」について書いたものなのだが、わたしは敬意というか天気さんに対して畏れ多いという感情をもっていたので(これは天気さんにお会いしたときに直接申し上げたこともあった)、投稿してなんだか怒られるんじゃないかとどきどきしながら返事を待っていた記憶がある。
たぶんわたしは怒られると思っていたような気がする。そして、たいていの場合は、そう思っている。わたしは怒られる、と。
記事を投稿して、土曜日にひとと待ち合わせるため、日比谷のペニンシュラホテルのロビーで重たい布のようにぐったりして長い椅子に深く腰掛けていたのだが、明日載せます、という連絡をいただいて、すごく嬉しかった記憶がある。それはわたしにとってのひとつの「ティッシュ」だった。わたしは隣の見知らぬひとの肩を叩いて「明日、のるんですよ。怒られなかったですよ。明日のるんですよ」と言いたい気持ちになった。もちろんそんなことをしたら取り押さえられてしまうので言わなかったけれど。でも、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」というのはあながち嘘ではないな、と思った。
次の日、記事が掲載されると、丸山進さんご自身がそのことを記事で取り上げてくださって、また、わたしは「生きてればティッシュが呉れる人がいる」という句そのものを生きることになった。なんだろう、わたしは、この句の感想を書いたのだが、〈書く〉というよりも、その感想自身を〈生きている〉ような気持ちになった。また、ティッシュを、もらったのだ。
あとからあとから、ティッシュは、どんどん、やってくる。しかも、「呉れる」というそのときその場限りの〈たった一回〉のかたちをともなって。
「生きてれば」という「てれば」の性急で不器用な感じはわたしの生に似ていると思った。「生きていれば」ではない。「生きてれば」であって、そこには十全な生はない。なにかが、決定的な、致命的なかたちで、欠けている。でも、「生きてれば」ティッシュを呉れるひとがあらわれる。そしてさらに「生き」続け「てれば」わたしもいつか誰かにティッシュをあげられる人間になれるかもしれない。生きてればこそ。
わたしはそれから頻繁に『週刊俳句』に投稿をはじめた。投稿するたびに、今度こそは天気さんから怒られるかもしれないなと思ったが、天気さんは怒らなかった。今も「あとがきの冒険」は畏れ多い気持ちで提出している。おまえは「冒険」と大胆に名乗りながらもいったいなにを、と思われるかもしれないが、それは本当である。
そのうちにSさんがBさんにわたしを紹介してくださって、私は外山一機さんの後に時評を書かせていただくことになった。それはわたしが『週刊俳句』でおそれ多さを感じながらも毎回投稿させていただいたおかげである。『週刊俳句』という媒体そのものにわたしは感謝し、いまも畏れ多さを感じている。《わたしはそもそも500号続けることを続けてきた〈生きてれば〉の実践としての『週刊俳句』そのものに畏れ多さを感じていたのかもしれない》。
わたしは小心者の冒険家だと、おもう。でも小心者の冒険家でも「生きてればティッシュを呉れる人がいる」。
で、ティッシュはもらえたのか。
はい。
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≫タグ(ラベル):柳本々々
で、ティッシュはもらえたのか
柳本々々
『週刊俳句』の編集者である西原天気さんから500号記念企画の一端として自選/自薦記事をあげてほしいとメールをいただいて、わたしがふっと思いだしたのは、『週刊俳句』に初めて投稿した記事「NO TISSUE, NO LIFE」(2014年7月13日)である。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/no-tissue-no-life.html
丸山進さんの句、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」について書いたものなのだが、わたしは敬意というか天気さんに対して畏れ多いという感情をもっていたので(これは天気さんにお会いしたときに直接申し上げたこともあった)、投稿してなんだか怒られるんじゃないかとどきどきしながら返事を待っていた記憶がある。
たぶんわたしは怒られると思っていたような気がする。そして、たいていの場合は、そう思っている。わたしは怒られる、と。
記事を投稿して、土曜日にひとと待ち合わせるため、日比谷のペニンシュラホテルのロビーで重たい布のようにぐったりして長い椅子に深く腰掛けていたのだが、明日載せます、という連絡をいただいて、すごく嬉しかった記憶がある。それはわたしにとってのひとつの「ティッシュ」だった。わたしは隣の見知らぬひとの肩を叩いて「明日、のるんですよ。怒られなかったですよ。明日のるんですよ」と言いたい気持ちになった。もちろんそんなことをしたら取り押さえられてしまうので言わなかったけれど。でも、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」というのはあながち嘘ではないな、と思った。
次の日、記事が掲載されると、丸山進さんご自身がそのことを記事で取り上げてくださって、また、わたしは「生きてればティッシュが呉れる人がいる」という句そのものを生きることになった。なんだろう、わたしは、この句の感想を書いたのだが、〈書く〉というよりも、その感想自身を〈生きている〉ような気持ちになった。また、ティッシュを、もらったのだ。
あとからあとから、ティッシュは、どんどん、やってくる。しかも、「呉れる」というそのときその場限りの〈たった一回〉のかたちをともなって。
「生きてれば」という「てれば」の性急で不器用な感じはわたしの生に似ていると思った。「生きていれば」ではない。「生きてれば」であって、そこには十全な生はない。なにかが、決定的な、致命的なかたちで、欠けている。でも、「生きてれば」ティッシュを呉れるひとがあらわれる。そしてさらに「生き」続け「てれば」わたしもいつか誰かにティッシュをあげられる人間になれるかもしれない。生きてればこそ。
わたしはそれから頻繁に『週刊俳句』に投稿をはじめた。投稿するたびに、今度こそは天気さんから怒られるかもしれないなと思ったが、天気さんは怒らなかった。今も「あとがきの冒険」は畏れ多い気持ちで提出している。おまえは「冒険」と大胆に名乗りながらもいったいなにを、と思われるかもしれないが、それは本当である。
そのうちにSさんがBさんにわたしを紹介してくださって、私は外山一機さんの後に時評を書かせていただくことになった。それはわたしが『週刊俳句』でおそれ多さを感じながらも毎回投稿させていただいたおかげである。『週刊俳句』という媒体そのものにわたしは感謝し、いまも畏れ多さを感じている。《わたしはそもそも500号続けることを続けてきた〈生きてれば〉の実践としての『週刊俳句』そのものに畏れ多さを感じていたのかもしれない》。
わたしは小心者の冒険家だと、おもう。でも小心者の冒険家でも「生きてればティッシュを呉れる人がいる」。
で、ティッシュはもらえたのか。
はい。
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