2023年12月29日金曜日

●金曜日の川柳〔井上信子〕樋口由紀子



樋口由紀子





何う坐り直して見てもわが姿

井上信子 (いのうえ・のぶこ) 1869~1958

井上信子は川柳中興の祖といわれる井上剣花坊の妻で、女性川柳人の育成に努めた。治安維持法違反で二度投獄、二十九歳の若さで獄殺された反戦川柳作家鶴彬を支えぬいた人としても知られている。

今よりももっと生き難かった時代に信念をもって生き抜いた人が毅然として言う。言葉に重みがある。自分を落ち着いた目で見ている。どうあがいてみてもわが姿なのに、それがなかなか受け入れられない。相も変わらずばたばた、しだばた、あたふたした一年だった。『蒼空』(柳樽寺川柳出版会 1930年刊)所収。

2023年12月28日木曜日

〔俳誌拝読〕『ユプシロン』第6号(2023年11月)

〔俳誌拝読〕
『ユプシロン』第6号(2023年11月)


A5判・本文28頁。同人4氏、各50句を掲載。

心臓が鯨を運ぶ沖へ沖へ  小林かんな

ビル街の蝙蝠の飛ぶ一軒家  仲田陽子

安南のにせものの壺桜咲く  中田美子

七種のあつといふ間に一緒くた  岡田由季

(西原天気・記)



2023年12月27日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇19 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇19
 
浅沼璞
 
 
年内に書きとめておきたいことがまだあって、今回も番外編とします。

 
番外篇15(https://hw02.blogspot.com/2023/07/15.html)でも述べましたが、本年は小津安二郎の「生誕120年 没後60年」ということで、いろいろな催し物が各地で目白押しだったようです。

小津ゆかりの地・神奈川では大規模展が神奈川近代文学館(4/1~5/28)で催されましたが、押しつまってからも鎌倉芸術館で「小津安二郎とブンガク展」(12/12~19)がありました。誕生日にして命日の12/12にちなんだ企画でしょう。

 
旧松竹大船撮影所の一角にあるその芸術館に行ってみると、小規模ながらも「ブンガク展」の名にふさわしく、小津旧蔵の谷崎潤一郎・里見弴らの書や書簡が展示されていました。
 
しかし愚生にとって最も興味深かったのは、同じ映画監督の溝口健二との両吟を記した小津自筆の色紙でした。
 
撮影禁止でしたので、メモ帳に写し取った内容を、以下に記します(現物は縦書きですが、改行や字アキなどは極力ママとします)。
小津安二郎 書画
溝口健二の句
 白足袋のすこし
 汚れて 菫ぐさ
そして僕の句
 紫陽花にたつきの
 白き足袋をはく
   小津安二郎
(オフィス小津蔵/鎌倉文学館寄託)
両吟の下には足袋の白描、小津の署名、そして二つの落款(姓名印と関防印か)があります。季重ねながら、両句とも映画のシーンを髣髴させるように感じるのは愚生の僻目でしょうか。

 
溝口といえば『西鶴一代女』(1952年)がまず思い浮かびます。
 
学生時代、西鶴の好色物に興味を持ちながら、『好色一代女』(1686年)だけはなかなか読破できませんでした。なにか文体もストーリーも冗長な気がしてならなかったのです。
 
それが溝口映画の一代女を観てからは、主演の田中絹代のイメージに助けられ、あっさり読了できたというだけではありません。その後、一代女を読むたびに小柄な田中絹代のイメージがたち現れるのです。

 
溝口の白足袋の句を目にした際も、田中絹代ひいては一代女のイメージを打ち消せませんでした。
 
連句の心得のあった小津もまた、田中絹代ひいては一代女の面影を詠んだのかもしれません。

2023年12月26日火曜日

◆2024年 新年詠 大募集

2024年 新年詠 大募集

新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールを添えてください。

※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2024年11日(月)0:00~15日(金)24:00
※年の明ける前に投句するのはナシで、お願いします。

〔投句先メールアドレスは、以下のページに〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/blog-post_6811.html

2023年12月25日月曜日

●月曜日の一句〔千倉由穂〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




春眠のひとつに昼の街灯も  千倉由穂

昼行灯(ひるあんどん)という言い方がある。人への一種、蔑称だ。行灯が街灯に変わるだけで趣きがずいぶんと違う。

昼になってもまだ点いている街灯を春眠のひとつと数えてもいいだろうという」この句。考えてみれば、人が眠っているあいだ、街灯は不眠不休で道を照らす。消えているあいだが、街灯にとっての休み・睡眠とすれば、昼に休む・眠るしかないが、そのあいだも点きっぱなしだと、それは春眠ではない? 覚醒状態のまま? と、ちょっと混乱してくるが、否、昼の明るさのなかで、ぼおっと点っている街灯は、姿として、挙措として、たしかに春眠です。

掲句は『むじな 2023』(2023年11月25日)より。

2023年12月24日日曜日

2023年12月22日金曜日

●金曜日の川柳〔青砥和子〕樋口由紀子



樋口由紀子





赤赤と松田聖子になるカンナ

青砥和子 (あおと・かずこ) 1954~

私たち年代の女性は「松田聖子」に対して複雑で微妙な思いがある。彼女は山口百恵とは違う、中森明菜とも違う。アイドルの草分け的な存在で、カリスマ的でもあった。「ぶりっこ」は決して誉め言葉ではないが憧憬も多分に含まれている。

独特の形をして咲く「カンナ」を見て、「松田聖子」を連想した。向日葵ではなく、曼珠沙華でもない。すべてのものから栄養をもらい、おそれることなく自分の色をますます濃くして、堂々と赤赤と空に向かって伸びていく姿に羨望のまなざしで見たのだろう。『雲に乗る』(2023年刊 新葉館出版)所収。

2023年12月18日月曜日

●月曜日の一句〔岡田一夫〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




地芝居の月みしみしと上るなり  岡田一夫

ローカルな素人歌舞伎だろうか。例えば大見得を切る、その背後の書割の稜線から、紙かベニヤ板の月が上る。「みしみし」というのだから、きっと公民館かなにかの仮組の舞台。月を操作する人の足元が、木を鳴らす。あるいは、月にまつわるの普請のせいか。

こういうときの月って、きまって満月なんだよなあ、と思いを巡らしつつ、それはあたりまえだと気づいた。特別の日、特別の時間、特別の場所に上る月は、めでたく望の月。でないといけないのだ。

なお、掲句を引いた句集『こほろぎ』(2023年9月26日/現代俳句協会)は岡田一夫(1947-2021)の第3句集かつ遺句集。

2023年12月15日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子





電柱でござる抜いてはなりませぬ

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

兵庫県赤穂市では毎年12月14日に、赤穂義士たちが討ち入りを果たしたその偉業を称え、赤穂市最大のイベントとして「赤穂義士祭」が開催される。今年で120回目で、昨日俳優・歌手の中村雅俊さんが大石内蔵助役として義士行列に出演した。

赤穂事件のきっかけになった松の廊下で切りつけたシーンで、浅野内匠頭を止める人が言ったのが「殿中でござるぞ」である。掲句はそれをもじった川柳である。そこに、忘年会帰りなどで酒に酔った人が電柱を抜こうする姿に掛けて、差し替えた。ばかばかしいほどの川柳である。しかし、そのばかばかしさに引き戻される。「What's」(第5号2023年刊)収録。

2023年12月13日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇18 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇18
 
浅沼璞
 
 
さまざまなジャンルに手を染めた西鶴には『一目玉鉾』(元禄二、1689年)という道中案内記まであります。
 
今でいえば旅行ガイドブックのようなもので、北は千島列島、南は長崎まで網羅する絵図入りの道中記です。
 
西鶴の実際の見聞のほか、諸国の俳諧師からの伝聞も多く含まれていると思われますが、巻二に藤沢の遊行寺(時宗本山)の項目があり、こう記されています。

〈此の寺に小栗判官の塚あり、其の奥に横山の塚とてむかしを残しける〉

ここでいう〈横山〉とは小栗を殺害した横山一門(照手姫の親族)のことでしょう。いまも本堂裏手の長生院(小栗堂)には小栗や照手の墓が残されています。
 
 
さて、番外篇12でもふれたように、この遊行寺本堂では遊行舎による小栗ものの上演(1996年)がありました。

残念ながら遊行舎は昨秋、最終公演(湘南台市民シアター)を終えましたが、小栗よろしく蘇生する劇団もあり、今秋、遊行寺の本堂では横浜ボートシアターによる新版『小栗判官・照手姫』が上演されました。
 
 
今は昔、横浜元町近くの運河に浮かぶ緑の木造船で、仮面劇『小栗判官・照手姫』を観た記憶があります。拙宅の本棚から出てきた当時のチラシを見返すと、1982年11月の横浜ボートシアター第三回公演だったことがわかります。
 
チラシ裏面には、山口昌男氏の「神話としての小栗判官蘇生譚」というエッセイが引用されており、その後のボートシアターの活躍を予見しています。
 
 
あれから40年余り、当時の代表だった遠藤啄郎氏(脚本・演出・仮面制作)は2020年に亡くなられており、その追悼公演として新版『小栗判官・照手姫』が遊行寺本堂で行われたようです。
 
残念ながら11/3, 4の本堂での公演は都合がつかず、11/23, 24, 25と行われた東京公演(シアター代官山)の、その最終日になんとか観ることが叶いました。

かつてより少人数(8人)ながら、仮面で何役もこなすカーニバル的な演出・演奏は変わらず、小栗の傲慢な貴種ぶりはもちろん、照手変貌による両面価値、閻魔大王の豪胆なユーモア、餓鬼阿弥の土車の躍動感、等々見ごたえ・聴きごたえは十分。休憩を挟んでの約3時間、天井も大床も、ひらりくらりと舞うポリフォニックな舞台でした。
我等自身の内に、
そして声に身振りに、
死者達の風を、
今ここに。
――「餓鬼達の夏芝居」遠藤啄郎
(新版『小栗判官・照手姫』パンフより)
つぎの公演が待たれるところですが、興味ある向きには、この夏に刊行された岩波文庫版『俊徳丸・小栗判官』(兵藤裕己・編注)をおすすめします。

2023年12月11日月曜日

●月曜日の一句〔南十二国〕相子智恵



相子智恵






てのひらのよろこんでゐる寒さかな  南十二国

句集『日々未来』(2023.9 ふらんす堂)所収

掲句にふと立ち止まり、なぜ、てのひらは寒さを喜ぶのだろうか。寒さじゃなきゃ駄目なのだろうか、他の季節だったらどうだろうか……と、ひとしきり心の中で句を転がしてみて、ああ、これはやっぱり「寒さ」なのだなあ、と思う。

冷たい雪つぶてを握る手のひらの感覚、寒さにかじかむ手のひらの感覚、寒さをしのぐために両手のひらをごしごし擦り合わせたり、ハンドクリームをつけたり、手袋をするのもほとんど冬だけだ。誰かと手をつなげばてのひらは温かい。
思えば、こんなにもてのひらから何かを感じ、てのひらに意識が向くのは冬だけかもしれない。

本書には〈飯食へば手のひら熱し冬の山〉という句もあって、これも不思議な取り合わせの冬の句だ。寒い日、温かい食事を食べて手のひらに熱が戻ってくる感覚はよくわかる。手のひらには、冬が似合うような気がしてくる二句である。

 

2023年12月8日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



火口へと規則正しく毬跳ねる  樋口由紀子

ただただ、景色を、あたまの中に描く。経緯や事情などは書かれていないので、わからない。想像しようもない。火口に落ちたその先も、あまりわからない。見えないほど深い火口かもしれないし。

「規則正しく」が眠りを誘い(まるで催眠術の振り子のように)、この景色は夢魔めく。

掲句は樋口由紀子句集『ゆうるりと』(1991年3月15日)より。

2023年12月4日月曜日

●月曜日の一句〔小澤實〕相子智恵



相子智恵






よどみにうかぶうたかたがわれ去年今年  小澤 實

句集『俳句日記2012 瓦礫抄』(2022.12 ふらんす堂)所収

あっという間に師走である。すぐに〈去年今年〉となるのだろう。掲句、言わずと知れた鴨長明『方丈記』冒頭の本歌取りである。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

川の水の流れは絶え間なく、淀みの水面に浮かぶ飛沫は消えては生じる。その泡の一つこそが自分だというのである。

第3句集『瞬間』以降、2000年から2011年までの句が、このたび第4句集『澤』(2023.11 角川文化振興財団)として刊行された。『俳句日記2012 瓦礫抄』は2012年の句だから、句の発表順としては第5句集に当たる。この2冊を合わせて、ようやく結社誌「澤」創刊(2000年)以降12年間(作者の40代半ばから50代半ば)の句を通して読むことができることとなった。私自身は結社誌「澤」に創刊から属しているので、『澤』『俳句日記2012 瓦礫抄』の句集に収められた句は既に結社誌で読んでいる。しかし、句集として凝縮・精選されたかたちで読むと、その時は気づかなかったことに気づく。次のような句の流れに(この三句が偶然か意図したものかは全く知らない)読者として新たに出会ったりするのである。

ケフチクタフケッシテ死ナナイデクダサイ 『澤』熊蟬領(平成十二年・十三年)

若楓を透くる日生キテヰテヨカッタ 『澤』生キテヰテヨカッタ(平成十八年・十九年)

百年後全員消エテヰテ涼シ 『澤』香水杓(平成二十年・二十一年)

上から、平成13年(2001年)、平成18年(2006年)、平成21年(2009年)の発表作である。どれも生死についての句で、どれも片仮名だ。〈ケフチクタフ〉の句は、「澤」創刊の1年後の発表。制作はもっと早いだろう。「澤」創刊時の風当たりは厳しく、創刊前の悲壮な顔を知る身からすれば、この祈りは誰から誰へのものかは分からないものの、小澤にとって重い句だと想像される。〈若楓を透くる〉は創刊5年を過ぎた辺り、先師の死後である。〈百年後〉は、創刊10年を迎える辺りだ。勢いの強い頃である。

〈百年後〉の句からは、〈虚子もなし風生もなし涼しさよ 小澤實〉という第1句集『砧』所収の句がうっすらと浮かんでくる。〈風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子〉の本歌取りだ。〈百年後〉は句集『澤』の帯裏の自選句にも選ばれていて、うまい句だとは思うが、私個人としては正直あまり好きではない。神の視点、天からの視点(だからこそ美しいともいえるが)を感じるからだ。

〈よどみにうかぶ〉の句の話に戻ろう。〈百年後〉と〈よどみにうかぶ〉の句の間にあった大きな出来事がある。東日本大震災だ。〈百年後〉は震災前、〈よどみにうかぶ〉は震災後の句なのである。私は〈よどみにうかぶ〉の句が好きだ。〈百年後〉と同じ無常観の句であるが、それでも、川の中に浮かんでは消えていく一つの泡が自分であり、悲しみの視点が翻弄されていく人間の側からの、地からの視点を感じる。

もっと言ってしまえば、ジェノサイドの苦しみの中にある〈よどみにうかぶ〉から11年後の現代は、〈ケッシテ死ナナイデクダサイ〉の句に、私は一番、共感している。

2023年12月2日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


小誌『週刊俳句』がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

【転載に関して】 

同人誌・結社誌からの転載

刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。 ※俳句作品を除く

【記事例】 

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俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。かならずしも号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

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最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2023年12月1日金曜日

●金曜日の川柳〔青砥和子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



音程を外して止まる救急車  青砥和子

近くに救急車がやってきて、停車するのを見たり聞いたりしたことはあるが、サイレンがどのように止むのか、記憶がない。というか、一度も意識したことがない。

ぴーぽーぴーぽー、なのか、うーうー、なのか、いずれにせよサイレンには音程があって、停車のときには、そこから外れるのだろうけれど(きっと下がる)、それを意識したことはなかった。

聞いている/経験しているはずなのに、聞いていない/経験していないものが、こうして書かれていることは、大げさにいえば、世界の要素の新しい提示である。これは、「そうそう、音程、外れるよね」といった「共感」よりも、きっと意義深い。

救急車の出動は、シリアスな事態なのだろうけれど、こうしてシリアスな文脈から外れていくのも、川柳、さらには俳句の在り方だと思う。

掲句は青砥和子川柳句集『雲に乗る』(2023年11月20日/新葉館出版)より。