2026年10月9日金曜日

●金曜日の川柳〔城水めぐみ〕まつりぺきん



まつりぺきん





月へ行く たぶんあなたじゃないひとと  城水めぐみ

「月へ行く」――遠く、浮世離れした旅だからこそ、その隣には特別な誰かがいるものと思ってしまいます。
しかし、宣言のあと、一字空けの間を挟んで付け足されるのは、相手が「あなた」である可能性は低いという見通しです。

「たぶん」は、ここでは感情の迷いというより、未来の見積もりに聞こえます。
何かを知っている人だけが、そう言えます。何を知っているのかは書かれていません。
書かれているのは、否定が遅れて届くことだけ。

五七五の音数に沿って読めば、中七は「たぶんあなたじゃ」で終わり、否定の「ない」は下五まで持ち越されます。
一字空けで見せた切れ目の裏で、見えない切れ目が「あなたじゃ/ない」を割っています。
見通しはついている、それでも言い切るまでに、これだけの間を要するのです。

月へ行く。たぶん、あなたではない人と。
それなのに、月へ向かう未来には、誰よりも濃く「あなた」の影が残っています。

『甘藍の芽』(2023)より

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2026年10月7日水曜日

●西鶴ざんまい #104 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #104
 
浅沼璞
 

  河骨慈姑迄もちりの世   打越
 人質に我くらからぬ五月闇  前句
  幸便の状春日なるさと   付句(通算86句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表8句目。雑。
幸便(かうびん)の状=都合よく人に持参させる手紙。

【句意】
都合よく人に託した手紙を春日の里に。

【付け・転じ】
前句の人質を、遣唐使だった阿倍仲麻呂に見立て、その望郷の一首から春日の里への手紙を想像した。

【自註】
*安部仲麿、遣唐使に渡りてひとの国に留められし時、我が古里の人、本朝に帰りける名残に舟ばたまで見おくり、折ふし八月十三日の夜なれば**読めり。***天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも。此の時の事をおもひ合せて****人質に仲麿を出だしける。幸便の状は、春日の里へたよりの心也。俳諧作意にして、句がらをあらけなく一句にむすび侍る。
*安部仲麿=阿倍仲麻呂。
**読めり=詠めり。
***天の原ふりさけ……=『古今集』の前書に「唐土にて月を見てよみける」。帰国する人を見送る際の作というのは誤りで、諸註に指摘がある。
****人質に=仲麻呂が抑留された事実はなく、これも諸註に指摘がある。【テキスト考察】参照。

【意訳】
阿倍仲麻呂が遣唐使として渡航し、外国に留められたとき、自分と同郷の人が、日本に帰る名残を惜しみ、その船端まで見送り、折しも八月十三日の夜なので(一首)詠んだ。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と。このときの事を連想し「人質」に仲麻呂(の面影)を出した。「幸便の状」は、春日の里へ託した手紙のつもりである。俳諧的な作意によって、句がらも荒っぽく一句に仕立てたのです。

【三工程】
(前句)人質に我くらからぬ五月闇

  ひとの国へと阿倍仲麻呂 〔見込〕
     ↓
  古里の人送りて詠めり  〔趣向〕
     ↓
  幸便の状春日なるさと  〔句作〕

前句の「人質」を遣唐使だった阿倍仲麻呂に見立て〔見込〕、〈望郷の念はなかったのか〉と問うて自分と同郷の人を見送った際、望郷の一首を詠んだとし〔趣向〕、その一首から「春日なる」の箇所を本歌取りし、その春日への「幸便の状」を想像した〔句作〕。

【テキスト考察】
定本全集では〈仲麿の在留官仕は、唐朝に抑留せられたるにあらず〉とし、〈副使の朝臣・仲麻呂は中国の風習を慕い、留まって去らず、姓名を朝衡(てうかう)と変えて朝廷に仕え〉という『新唐書』「日本傳」における一節を漢文のママ引用している。

また新編日本古典文学全集では、〈帰国できなかった仲麿が漢家の楼上で餓死し、その霊が鬼の姿となって入唐した吉備真備を助け、真備は無事帰国を許された〉という『江談抄(がうだんせう)』の説話を引き、〈望郷の思いを詠った歌からそうした異説も生み出された〉としている。

西鶴もさまざまな異説を見聞きし、ためらいなく人質説に加担したのであろう。もとより俳諧師西鶴による俳諧師的な引用にほかならない。

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2026年10月6日火曜日

〔新刊〕小津夜景 風のつぎにくるもの

〔新刊〕
小津夜景 風のつぎにくるもの


2026年9月28日/アノニマ・スタジオ

2026年10月5日月曜日

〔新刊〕上田信治 成分表: 偽マキロン・悲しみについて

〔新刊〕
上田信治 成分表: 偽マキロン・悲しみについて


2026年8月28日/素粒社

2026年10月2日金曜日

●金曜日の川柳〔我妻俊樹〕暮田真名



暮田真名





泣けないな地べたに夜と書かれても  我妻俊樹

夜とは空の現象である。西の空が茜色に染まり、星がちらつき、東の空が白みはじめるまで、地面は空につられて暗くなったり明るくなったりしているだけだ。地面に書かれた「夜」は、信憑性がなく、嘘くさい。

「地面」ではなく「地べた」なところもいい。この句の肝は「地べた」だろう。「地面」よりも話し言葉的で、ひんやりと湿った感じがする。

「泣けないな」に関しては、わたしは言うことがない。「そうだろうな」と思う。地面に夜と書いてあるだけでは、泣けないだろう。地面に夜と書いてあるという、やや思わせぶりな事態への態度が、冒頭で既に決定されているのだ。例えばここに「泣ける」と書いてあったなら、話は違う。泣いている人の内面へ、関心が誘われる。しかし、泣けないのだ。句が、読者を引き留めようとしていない。「言うことがない」とは、素晴らしいという意味だ。

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