2026年3月25日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #93

 

西鶴ざんまい #93
 
浅沼璞
 

 平調の笙の息つぎ静にて   打越
  詩人時節の露を哀み    前句
 此の夕孤猿身を断つ峯の花  付句(通算75句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏11句目。  春(峰の花)=13句目・花の座の二句引き上げ。  季移り(前句の秋の「露」を春の「露」と見替える常套手段)。  孤猿=群れを逸れた猿。

【句意】
この夕べ、孤独な猿の声を聞く人は身を断つような気分だ(と伝え聞く)が、峰の桜は咲いている。
・参考〈猿を聞く人捨子に秋の風いかに〉(芭蕉・野ざらし紀行)

【付け・転じ】
前句の詩人の露への哀感を、猿の声を聞く人のそれへと響かせ、山猿の取合せとして「峯の花」へと転じた。

【自註】
此の付けかたは、前句に、詩人、其の時節に消え行く露までもあはれみたるありさまを請けて、*詩の言葉を以て、「孤猿身を断つ」と一句に仕立てし。されば**巴峡の猿の鳴声、すぐれて物がなしく、哀れなる事、聞き伝へし。則ち***花所なれば「猿」の****取合せに「峯の花」也。
*詩の言葉=〈孤猿更ニ叫ブ秋風ノ裏、是レ愁人ニアラザルモ亦腸ヲ断タン〉(唐詩選・載叔倫・七絶)
**巴峡(はかふ)=揚子江の急流地帯における三峡のひとつ。
***花所(はなどころ)=花の定座。前述のとおり二句引き上げ。
****取合せ=「峯― 猿の声」(類船集)

【意訳】
この付け方は、前句の詩人がその時節に消えていく露までも哀れむ、そのありさまを受けて、漢詩の言葉を以て「孤猿身を断つ」と一句に作りあげた。そういえば揚子江の巴峡の猿の鳴声はとても物悲しく、哀れであることは既に聞き伝えていた。それに花の座も近いので「猿」に「峯の花」を取合せたのである。

【三工程】
(前句)詩人時節の露を哀み

  聞き伝ふ孤猿身を断つほどにして 〔見込〕
     ↓
  此の夕孤猿身を断つほどにして  〔趣向〕
     ↓
  此の夕孤猿身を断つ峯の花    〔句作〕

前句の詩人の露への哀感をうけ、猿の声への断腸の思いを詠んだ詩を引き〔見込〕、〈どのような時分か〉と問うて、「此の夕」と時分を定め〔趣向〕、花の座も近いので「猿」に「峯の花」を取合せた〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』では〈「露」は秋季に限られないというので「花」を付けたのであろうが、秋から春への季移りもやや気になるところ〉とある。しかしこの面のように月の座と花の座が近い場合、秋から春へと季移りになるケースは珍しくない。『新版・連句への招待』(泉書院)では歌仙(=百韻の略式)でも似たケースのあるのに言及し、「月」「露」「雁」などが春季に見替えやすい言葉として「季移り」に多用される由、解説がある。

 

2026年3月20日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕暮田真名



暮田真名





強い女になろうと蛸の足洗う  樋口由紀子

「強い女」を、ひとまず「自立した女」と言い換えてみる。「自ら立つ」と書いて「自立」である。他のもの、たとえば男性や、家族に頼ることなく、自分の二本の足で地面を踏みしめて立つのだ。

でも、立っているそばから、地面がずぶずぶと沈んでいったらどうしよう。もはや立っていられないほど、ぐらぐらと揺れたらどうしよう。みしみしと音をたてて、まっぷたつに割れたらどうしよう?

人生にはしばしばそういうことが起こりうる。それならば、砂の隙間に潜り込めるような軟らかい足がいい。それも二本では不安だが、八本もあれば十分だ。いざというときのために、強力にくっつく吸盤があればなおいいだろう。

「蛸の足洗う」のはひとまず食べるためだろう。しかし、足を洗うという動作には、相手を敬う、奉仕するという意味もある。どこか蛸への憧憬や、一体化願望のようなものも感じられるのである。

掲句は『樋口由紀子集』(邑書林)所収。抄出を読むかぎり、『ゆうるりと』は「足」の句集です。

2026年3月13日金曜日

●金曜日の川柳〔本間美千子〕湊圭伍



湊圭伍





遠い国のあかい血を見たうたにした  本間美千子

戦争や非業の死をメディアで見て、強い感情を喚起されるのはありふれたことだ。詩的技巧に習熟した人間であれば、情報と感情からたちまち「うた」が成るかもしれない。ただし、出来事を「うた」にしてしまうことについてのためらいを持たない表現は危うくもある。

掲句は、上五での字余りにある溜めから、「遠い」「あかい」「血」「見た」「した」の i 音の連鎖、「見たうたにした」の3連の「た」による締めまで、あまりに見事すぎるリズムで整えられている。「遠い国」とぼやかした設定、「あかい」と「うた」のひらがな、「見た」「した」の過去形も合わさって、くりかえし読むうちに「あかい血」の印象は、まずはメルヘンチックな領域へと回収されていく。しかし、さらに読んでいくと、「うた」へと回収された出来事が、「うた」ってしまった人間にとって取り消しがたい認識、くり返し訪れる疼痛として浮き上がってくる。

ためらいながらであっても、出来事を「うた」にしてしまうことを、分かりやすく称揚することはできない。同時に、ためらいを乗り越えてゆくリズムによって、受け入れがたい事実と共にあることを自らと読者へと突きつける、これこそが詩という体験だろうという気もする。『本間美千子川柳集』(私家版、2005年)所収。

2026年3月11日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #92

 

西鶴ざんまい #92
 
浅沼璞
 

  鴻の巣おろす秋の夜の月   打越
 平調の笙の息つぎ静にて    前句
  詩人時節の露を哀み     付句(通算74句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏10句目。  秋(露)。  述懐(哀み・あはれみ)。

【句意】
漢詩人は時節柄、秋のはかない露を哀れんでいる。

【付け・転じ】
笙の演奏からその奏者である詩人の述懐へと転じた。

【自註】
詩を作りてうたひ、*林間に酒好き老人、何か世に心にかゝる秋もなく、月の入(いる)山を惜しみ、朝日に露をあはれみ、明暮(あけくれ)たのしみを極め、有る時はまた笙をふきて**秋風楽の舞の袖、***同じ心の友のおもしろし。

*林間に酒好き老人=白楽天・李白などのイメージ。「詩 ― 盃の友」(類船集)。
**秋風楽(しうふうらく)=雅楽の一曲。四人舞。〈秋風楽舞ひたまへるなむ〉(源氏・紅葉賀)
***同じ心の友=〈同類や同じ心の友千鳥〉(大矢数・第27)

【意訳】
漢詩を作って自ら吟じ、林間にあって酒好きの老人は、何か浮世に心懸かりな秋とてなく、月の山の端に入るを惜しみ、朝日に消える露を哀れみ、明け暮れ遊楽を極め、ある時はまた笙を奏でて秋風楽を舞う袖の、おなじ心の友がいるのも面白い。

【三工程】
(前句)平調の笙の息つぎ静にて

  詩をつくりてはうたふ老人 〔見込〕
     ↓
  詩人朝日に露を哀れみ   〔趣向〕
     ↓
  詩人時節の露を哀み    〔句作〕

前句の笙の奏者を漢詩人と見立て〔見込〕、〈どのような心情なのか〉と問うて、「朝日に消える露を哀れむ」と秋の述懐にし〔趣向〕、「時節」という措辞で句をととのえた〔句作〕。

【テキスト考察】
このたびの自註ですが、〈月の入る山を惜しみ〉というのは、〈桜も散るに歎き、月は限りありて入佐山(いるさやま)〉という『一代男』冒頭を思わせるというだけではありません。〈明け暮れたのしみを極め……同じ心の友のおもしろし〉とつづく自註は、やはり『一代男』冒頭の〈寝ても覚めても「夢介」と替へ名呼ばれて、名古屋三左(さんざ)、加賀の八(はち)などと、七つ紋の菱に組して、身は酒にひたし〉の展開に似ています。隠遁詩人を描くに際し、傾き者「夢助」の文脈をもってするとは、さすがに西鶴というほかありません。

 

2026年3月8日日曜日

★週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


小誌『週刊俳句』がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。※俳句作品を除く

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

【転載に関して】 

同人誌・結社誌からの転載

刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。 ※俳句作品を除く

【記事例】 

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。かならずしも号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。