2026年10月30日金曜日

●金曜日の川柳〔平賀胤壽〕八上桐子



八上桐子





鍵の音すっぽんぽんのどこからか  平賀胤壽

すっぽんぽんがいい。裸を表す言葉は他にもあるが、この言葉にはどこか無邪気で、滑稽で、少しばかり情けないイメージがある。
なにも身につけず、なにも隠すもののない人。そのまっ裸のどこからか、鍵の音?

人はどれほど無防備な姿になっても、いや無防備だからこそ、最後のさいごまで守りたいものがあるだろう。すべてをさらけ出したように見える人にも、どうしても明け渡せない場所や、誰にも踏み込ませたくない領域があるはずだ。

すっぽんぽんに思わず笑いそうになって、はっとした。介護していた頃の、義父の裸体がふわりと浮かんできたのだ。
奇妙に思えた鍵の音とすっぽんぽんが、ひんやりさびしく響き合った。

『句集 水摩』(いりす 2008年)

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2026年10月26日月曜日

〔新刊〕岸本尚毅『俳句一問一答』

〔新刊〕
岸本尚毅『俳句一問一答』


2026年7月/角川ソフィア文庫

2026年10月24日土曜日

★週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


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2026年10月23日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕西原天気



西原天気





曇天がかたむくときのトム・ウェイツ 瀧村小奈生

何かがこぼれ落ちてきそうな気もするが、それは雨なんかじゃなくて、《曇天がかたむくとき》には、曇天のかけらとか、曇天なりの日のひかりとか、物音とか、歌とか。

思い出すのは、多摩川べりを下ってガス橋が見え始めた頃、友だちからもらったカセットテープからトム・ウェイツの歌。この曲だ。


胸がいっぱいになって、すると、その「ガス橋」という名前までもが、とてつもなく感傷的で。

ああ、それと、カセットテープのちょっと曇った音も相俟って、そのときすこぶる、曇天的かたむき、トム・ウェイツ的かたむき、なのだった。

掲句は瀧村小奈生句集『留守にしてります。』(2024年/左右社)より。

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2026年10月21日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇31 浅沼璞

 
西鶴ざんまい 番外篇31
 
浅沼璞
 

久々の番外篇です。というか、もう年の瀬も近いというのに今年初の番外篇。

昨年の暮に根津美術館の特別展「伊勢物語――美術が映す王朝の恋とうた」の見聞録を書いて以来となります。

こうなってしまったについては遠因があり、じつはこの「伊勢物語」展が発端でした。その見聞録でも書いたように、西鶴生誕の少し前、江戸時代の初めに挿絵入「伊勢物語」の版本(嵯峨本)が出版。それまでの写本による「知の専有化」の時代は、版本によって「知の共有化」の時代へと大きく転換したわけです。

これと似たことが「源氏物語」にもあって、それをこの番外篇で書いておこうかと軽く思ったのがそもそもの誤りでした。

くり返しますが江戸前期、「伊勢」の版本(嵯峨本)にあたるものが「源氏」にもありました。あの芭蕉の師・北村季吟による『湖月抄』(延宝3年刊)がそれです。延宝3年(1675年)といえば西鶴は34歳、他の俳諧師たちとともに版本『湖月抄』を介し「源氏」を共有化していたことでしょう。

で愚生も積読の一冊、講談社学術文庫版『湖月抄』を繙いたのはいいのですが、古註を網羅した注釈は次元を超える難解さで、難破を避けるため、けっきょく谷崎源氏や新潮日本古典集成などの櫂にも手をつけるハメとなり、遅々として進まず、ほぼ10ヶ月たった現在、54帖のうち漸う30帖を超えたあたりに接岸した次第。

このまま読了してから筆を漕ぐのであれば、年を越してしまうのは必至。さすがにこのあたりで一時トモヅナを解こうかと。

さて言い訳はともかく、じっさい読み進めていくと、『好色一代男』を「俗源氏」として捉えるような内容的な類似よりも、記述されたテキスト、つまり書かれたエクリチュールそのものに「西鶴」を発見することが多々ありました。詳細は次回にゆずるとして、一つだけ例をあげておきます。

  大晦日定めなき世のさだめかな  西鶴

〈なんの定めもない無常な浮き世にあって、大晦日だけは年間の貸借を総決算する定めの日である〉という発句。大晦日の経済生活を描いた『世間胸算用』のルーツのような句ですが、その更なるルーツは「源氏」にあるようです。

  命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
   世のつねならぬ中のちぎりを (若菜 上)

女三宮を正妻に迎えた源氏に絶望した紫の上。その紫の上を慰めるかのように(取り繕うかのように?)源氏がおくった一首です。谷崎源氏(中公文庫)の頭注訳には〈命こそ限りがあるから、ついには絶えもしましょうが、私たち二人の間柄ばかりは、定めなき世の掟には似ず、永久に変わらないと誓った仲ですものを〉とあります。この定めなき世の常なる恋歌をルーツとして、定めなき世の常なる経済生活を詠んだのが西鶴ではなかったでしょうか。

次回は「源氏」(若菜 上)のより散文的な影響を『世間胸算用』に探ってみたいと思います。

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