2026年7月13日月曜日

〔ネット拾読〕The "In" Crowd 複製・戦争・野上翠葉・福田若之 西原天気

〔ネット拾読〕
 The "In" Crowd
複製・戦争・野上翠葉・福田若之


西原天気


野上翠葉:さよなら、ウォーホル まるごとのトマトを齧る/福田若之

12000字は、ゆるめに組んだ文庫本約20ページ。ずいぶんなボリュームのようですが、読み進め、読み了えると、そうでもない。論旨や理路が明瞭なせいでしょう。

さて、この記事、福田若之の連作「さよなら、二十世紀。さよなら。」の表題句から、ウォーホルの複製的美術へ、さらにはベンヤミンの論考「複製技術の時代における芸術作品」へと話を進め、いわば、この句の《さよなら》の本質へとアプローチする。

ウォーホルを引くに図像を多用。また、ベンヤミンの当該論考……おそらくこの半世紀、人文科学を学ぶ者にとって必須の参照論考のエキスを要約するに簡潔。読者への配慮が見て取れる記事。

ただし、話は単純ではない。20世紀は複製の世紀であり、戦争の世紀。後者と話を関連づけるあたりからやや複雑化する。福田若之の句の個別個別と対応させるからなおさらだ。

カジュアルにいえば、話がややあっちこっちするが、読み通せば、福田若之の連作が20世紀への挽歌であることは、紛糾しつつも(それだからこそ)豊かに伝わる(と私は思った)。

途中、複製の行き先として、AIへと、今日的話題とすれば当然のようにAIへと(余談的に)繋がっていくことは予想がついた。これはいい意味での、裏切らない展開。

ただし、俳句におけるAIの所作・所業を、句/作品にフォーカスしている(ように私には読めた)部分は、ちょっとだけ付言したい気分になる。枝葉のことだが(かつ、思念的にすぎるが)、AIが複製するのがそれにとどまらず、ある一箇の批評的知性、あるいは作家性だとしたら、さらに重大で深刻かもしれない。

ともあれ、一読の価値アリの記事です。「なんだかややこしい」と思ってしまう正直な読者も一度で終わらず、二度読んでみることをオススメします。


それではまた。拾い読む記事が見つかったときに書きます。


2026年7月10日金曜日

●金曜日の川柳〔加藤久子〕八上桐子



八上桐子





魂が腐る手前のれんげ畑  加藤久子

肉体ではなく、魂が腐る。人としての感受性や希望、生きる力を失いつつあるのでしょう。そして、その手前に現れるのが、れんげ畑。

無邪気だったころの記憶を呼び覚ますれんげ畑が、さいごの拠り所であり、微かな希望として広がっています。

注目したいのは、助詞の「が」。「が」は、音の濁りを避けて、なるべく使わないようよう教えられます。

この句では、「が」の音の持つ、濁りや重さ、粘り気が、魂の色、匂い、質感が傷みはじめている切迫感を生んでいます。

廃船が歌いだすまで草毟る

潜水艦が急に近づく花の冷え

妹が乾かしてゆく合歓の花

アンソロジーの100句中、8句に「が」が使われていました。単に助詞としてだけでなく、触感やイメージにもしっかり働いています。

『現代川柳の精鋭たち』 (2000年 北宋社)

2026年7月5日日曜日

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2026年7月3日金曜日

●金曜日の川柳〔蟹口和枝〕まつりぺきん



まつりぺきん





かたちから入るタイプのぐりとぐら  蟹口和枝

『ぐりとぐら』は、双子の野ねずみを主人公にした有名な絵本のタイトルで、5音ということもあり、川柳でもよく使われます。
世代を超えてインストールされている言葉、と言っていいかもしれません。「ぐりとぐら」という響きそのものに、どこか懐かしく親しい感覚を覚えます。
そしてこの句は、その既知のリズムを巧みに利用しています。

まず、「かたちから入る」という上五は、「a」と「i」という明るく開かれた母音のみによって構成され、中七がさらに「aiu」の反復を添えることで、軽やかな律動を生み出しています。
一方、「ぐりとぐら」は母音だけを見れば決して単純ではありません。しかし、その不均質さは、むしろ共有された記憶の力によって自然に受容され、違和感を生じさせません。

「かたちから入るタイプ」という表現には、少し揶揄するようなニュアンスがあります。それを、あの純粋で愛らしい『ぐりとぐら』に重ねてしまうところに、この句のユーモアがあります。
少し皮肉でありながら、どこか優しい――そんな川柳らしい味わいを感じます。

「中途半端な」(『川柳EXPO2025―柳―』2025)より

2026年6月29日月曜日

●回文俳句 春夏コレクション 手に文庫 井口吾郎

回文俳句◆春夏コレクション
手に文庫 井口吾郎

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昼は濃いタンメン明太子春陽

手に文庫目の利く木の芽昆布煮て

佐賀広し他駅に消えた白日傘

茎とキス兄御ベゴニア好きと聞く

むかついた梅雨更衣場タイツ嚙む

蟬生るフシギ詐欺師振舞う店

ギヤマンと知らす雄らしトンマ山羊

川蜻蛉留まる窓と盆と和歌

よき旅の締めに雲丹飯ノビタキよ

永遠に子は美し苦痛箱庭と