2026年2月2日月曜日

●月曜日の一句〔正岡子規〕西原天気



西原天気






天地を我が産み顔の海鼠かな  正岡子規

『ナマコの眼』という名著がありますが(鶴見良行著/1990年)、海鼠に眼はないそうです。なので、顔といえるものがあるかどうか。ただし、頭と尻はある。つまり前後はある。

海鼠は〈天地(あまつち)〉を創造したかのような顔をしている、と言われれば、顔はなくても、そうかもしれない。子規には、《渾沌をかりに名づけて海鼠かな》の句もあって、混沌と天地創造と海鼠が、アタマのなかでセットになっていたようです。

ところで、子規は、「天地混沌として未だ判れざる時腹中に物あり恍たり惚たり形海鼠のごとし。海鼠手を生じ足を生じ両眼を微かに開きたる時化して子規となる。」という文章も残しているそうです(≫子規と漱石の海鼠)。

眼のない海鼠が眼を得たもの、それが自分だ。というわけで、海鼠にはなみなみならぬ親近感を抱いていたのかもしれません。

 

2026年1月30日金曜日

●金曜日の川柳〔江口ちかる〕まつりぺきん



まつりぺきん

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



海辺まですべっていった相撲取り  江口ちかる

題は「相」。

意味が通っているものの、「なぜ?」と思わされるタイプの句。

語の連結から生み出される印象は叙情性とは異なり、奇妙でコミカル。

浄化や美をイメージしがちな「海辺」という自然物から入りつつ、「まで」と限定することで、体重(=びくともしない)を意識させます。

「滑って」と漢字ではなく、ひらがなに開いた点も滑稽味を強調していて効果的。

「相」という題で「相撲取り」を連想すること自体はむしろ安易な印象ですが、その上がったハードルなど軽々と飛び越えてくる軽やかな句…相撲取りなのに。

第30回杉野十佐一賞より。

2026年1月26日月曜日

●月曜日の一句〔斉田仁〕西原天気



西原天気






冬の空どんみりと坂垂らしけり  斉田仁

《どんみり》は「色合いが濁っているさま。空の曇っているさま」。語感にほぼ一致する意味合い。芭蕉に《どんみりと樗(あふち)や雨の花曇》がある。

空と坂を詠むにおいて、その垂直の関係のなか、この句は、空から坂へ、上から下への視線の移動。

動詞「垂らす」は、冬空と坂道、双方の重ったるさを伝え、《坂》が《冬の空》の一部、あるいは延長であるかのよう。となると、色も同じグレー系。句全体がモノトーンに。

掲句は句集『異熟』(2013年2月/西田書店)所収。

 

2026年1月25日日曜日

●寒泳

寒泳

寒泳のかたまり泳ぐ日の真下 細川加賀

寒泳のみな胸抱いて上がりくる 斉田仁

寒泳の田中小実昌ではないか 西原天気

寒泳の見るに忍びぬ画面かな 相生垣瓜人

2026年1月21日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #89

 

西鶴ざんまい #89
 
浅沼璞
 

 老の浪子ないものと立詫て   打越
  儒の眼より妾女追出す    前句
 八徳を何のうらみに喰割れ   付句(通算71句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏7句目。  恋=うらみ  八徳(はつとく)=胴服の一種。儒教では仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌を八徳という。  喰割れ(くひさかれ)=食い裂かれ。

【句意】
八徳をなんの恨みによってか食い裂かれ。

【付け・転じ】
親爺が妾女を追い出した原因はなんであれ、これまで費やした年月への女の恨み・辛みへ焦点をしぼり、儒者の象徴である「八徳」が「食い裂かれる」と転じた。

【自註】
儒者の衣類なれば「八徳」と付け出だし、追い出さるゝかなしさに、年月のうらみをいふて、何国(いづく)も女の業(ごふ)とて、面(おもて)に角のはえぬ計(ばかり)。「此の執心、外へは行くまじ」と所さだめずかみ付きて、「道をしれる人の、今となつて人を迷はす事やある」といへる心付ぞかし。

【意訳】
(前句の)儒者のその衣服から「八徳」を出して付け、(その儒者に)追い出される悲しさに、年来の恨みを言って、(そのように)どこでも女の業は深くして、額に角の生えてしまいそうなほど。「この執着心は外にはいくまい」と所かまわず噛みついて、「儒の道を知る人の、今さら人を路頭に迷わすことがあろうか」という心持ちを以ての付けである。

【三工程】
(前句)儒の眼より妾女追出す

  年月のうらみは業の深くして  〔見込〕
     ↓
  うらみにて所定めず噛み付きて 〔趣向〕
     ↓
  八徳を何のうらみに喰割れ    〔句作〕

親爺が妾女を追い出した原因はなんであれ、これまで費やした年月への女の恨み・辛みに焦点をあわせ〔見込〕、〈どれほど恨んでいるのか〉と問うて「所定めず噛み付くほど」とし〔趣向〕、ほかでもない儒者の象徴である「八徳」が食い裂かれるまでと強く表現した〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』では〈打越の「子ないもの」から離れなければならないので、前句の「妾女」を「追出」した本当の原因は、男の側の浮気心にある、とほのめかした付けとなる〉としています。けれど付句では「何のうらみに」と謎をかけており、自註をみても「浮気心」への言及はありません。自註ではただ「年月のうらみ」とあり、加えて「今となつて人を迷はす」ともあります。ここは原因はなんであれ、無駄になった(女ざかりの)歳月への恨み・辛みが根幹にあるのではないでしょうか。