2021年7月23日金曜日

●金曜日の川柳〔中村冨二〕樋口由紀子



樋口由紀子






犬交る、大野九郎兵衛昨日死せり

中村冨二 (なかむら・とみじ) 1912~1980

「大野九郎兵衛」は播州赤穂藩家老で諸説のある謎の人物である。「犬交る」と「大野九郎兵衛昨日死せり」は何の結びつきもなく、因果関係はどこにもない。生死を対比させるというよりは、生死そのものにある生々しさ、面妖さを反映している。生き物であるからには、瞬時に生を受け、瞬時に死んでしまう。いつどこで生まれるか、いつどのようにして死ぬのか当事者にはわからない。

読点の役割を充分に意識したところに冨二の息遣いが光っている。文脈を組み合わすことで迫力と存在感を充たしていく特別な感受性を感じる。その存在自体も不確定なものとして考えているのだろう。今、私は生のどの辺りにいるのかと思う。『中村冨二 千句集』所収。

2021年7月19日月曜日

●月曜日の一句〔川嶋一美〕相子智恵



相子智恵







琉金の鈴鳴るやうに寄りきたる  川嶋一美

句集『円卓』(2021.4 本阿弥書店)所載

〈琉金〉は、ぽってりと丸い金魚で、体をくねらせて尾びれを懸命に振りながら水中を進んでいく。スマートではないので推進力はあまり感じられない。なるほど、〈鈴鳴るやうに〉と言われてみれば、どことなく紐のついた鈴を振るように跳ねる感じがあって、面白い比喩である。〈寄りきたる〉が健気でかわいい。

「琉金」と「鈴」という金属を感じさせる涼しい字面と、リンリン、リンリンという鈴の音が想像されてくることで、目にも耳にも涼しさが感じられて、本格的に暑くなってきた今読むのにぴったりの、心地よい読後感のある一句である。

2021年7月16日金曜日

●金曜日の川柳〔吉田三千子〕樋口由紀子



樋口由紀子






指で潰せるものの総ての一覧表

吉田三千子 (よしだ・みちこ) 1947~

世の中にはいろいろな一覧表がある。こんなものにもあんなものにもと思うくらい様々にある。それらはきっと必要で、役に立ち、何かの参考になるからである。しかし、ここでの「指で潰せるもの」はまったく個人的なもので心情の一端だろう。

「指で触れる」「指で押す」ではなく「指で潰せる」というところに作者の気持ちと意志が見える。さらに「総ての」とだめだしに感情の表出がある。生産性のない、無意味な行為に本質がにじみ出ている。私にもいっぱいありそうで、気まぐれにあれこれ探すと思いもよらないものが次々と出てくる。心の裡が顕わになりそうで怖い。「蟹の目」(2021年刊)収録

2021年7月14日水曜日

●西鶴ざんまい #11 浅沼璞


西鶴ざんまい #11
 
浅沼璞
 

埋れ木に取付く貝の名を尋ね
   西鶴(五句目)
 秘伝のけぶり篭むる妙薬     仝(六句目)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
 
六句目も雑。「秘伝の黒焼き製法のその煙をこめた妙薬なり」といった感じの薬師(医者)の口上です。

 
自註に曰く「石花(かき)がら・さるぼ、かゝる貝類を黒焼きにして妙薬さまざまに世に売り広め、新竹斎坊と名に、長羽織、長口上をかし……」。
 
「かき」は牡蠣、「さるぼ」は赤貝に似たもの。「黒焼き」は薬用のため動植物を炭化するまで蒸し焼きにすることです。
 
「新竹斎坊」とは藪薬師・竹斎の世継。つまり仮名草子『竹斎』(1623年?)を受けた『新竹斎』(1687年)の主人公・荀斎(じゅんさい)のこと。「長羽織」は当時の医者のトレードマークでした。

 
 
本家の竹斎といえば、つぎの一句が知られています。

  狂句木枯の身は竹斎に似たる哉    芭蕉(『野ざらし紀行』1685年)

ご承知のように、これは『冬の日』(1684年)巻頭歌仙の発句でもあり、尾張の連衆への挨拶吟。竹斎も東海道を下る途次、尾張に滞在したので、それに引っかけた挨拶です。

かような風狂精神とは無縁な西鶴も、同時代人としてロングセラー『竹斎』に影響を受けたのは間違いなく、竹斎が古畳・古紙子を黒焼きにし、さる侍の瘧を治したという尾張のエピソードなど、『西鶴諸国ばなし』(1685年)のルーツかと見紛うばかり。

もっとも牡蠣殻&寝汗は『類船集』(1676年)でも付合とされ、焼き牡蠣殻の粉末に寝汗止めの効用あり、というのは確かなようです。

 
そんなこんなで、自註と最終テキストとの落差を埋める過程を想定すれば――

牡蠣の黒焼き伝授致さう 〔第1形態=黒焼きくん〕
    ↓
 秘伝のけぶり篭むる妙薬 〔最終形態=妙薬さん〕

前句の「お尋ねさん」から第1形態「黒焼きくん」の伝授へ。そして秘伝の「妙薬さん」へ、という飛ばし形態。つまりは「黒焼きくん」の抜けです。

 
ところで新編日本古典文学全集『連歌集 俳諧集』(小学館)には「やや物付の気味がある」と加藤定彦氏の指摘があります。言葉の連想による「物付」という親句……。

「なんや学者はんのツッコミかいな。談林は古いゆうたかて、疎句オンリーやったら疲れる。疎句・親句のバランスも肝心やで。よーく読んでや」

 
では次回、打越へ取って返し「三句目のはなれ」をよーく吟味させて頂きます。

2021年7月9日金曜日

●金曜日の川柳〔天谷由紀子〕樋口由紀子



樋口由紀子






風の日はおぼろ昆布をひとつまみ

天谷由紀子 (あまや・ゆきこ)

「風に日」は風が爽やかに吹いている日というよりは風の強い日だろう。あるいは心に風が吹いて、ざわざわしているのかもしれない。大したことではないと自分に言い聞かせるように、おぼろ昆布をひとつまみ口に入れたり、汁物に入れたり、温かいご飯にのせる。おぼろ昆布の塩味とやわらかい感触が心をやわらげてくれる。

内容はおぼろ昆布をひとつまみしたというだけの日常を書いている。生きているとどうすることもできないことが起こる。なにがあっても気持ちを切り替えていくしかない。なんでもなさそうな顔をして、人はこの世を遣り過す。「風の日」と捉えてからの一句の流れがきれいで、「おぼろ昆布」がいい味を出している。書かれている以上の、言葉にはできない気持ちが含まれている。「蟹の目」(2021年刊)収録。