2020年8月3日月曜日

●月曜日の一句〔安里琉太〕相子智恵



相子智恵







遠泳の身をしほがれの樹と思ふ   安里琉太

句集『式日』(2020.2 左右社)所載

〈しほがれ〉は潮涸(汐涸)で潮が引くこと。潮干のことだ。〈しほがれの樹〉は汽水域に生えるマングローブのような植物を思った。普通の樹木なら塩害で枯れてしまうけれど、マングローブは潮が満ちれば水中に入り、掲句のように潮が引けば密密と絡み合う根を見せる。川と海のあわい、そして水と陸のあわいに生きる植物である。

〈遠泳の身〉は、今まさに沖遠くに泳いでいる身とも、遠泳を終えて陸に上がってきた身ともとれるけれど、〈しほがれの樹と思ふ〉だから、私は今まさに海から上がってきたところだと読みたい。

遠泳から戻り、海から陸に上がる時に感じる重力。気だるくて眠くて、体が地面に溶け込みそうになるような泳ぎの後の独特の疲れが、潮が引いた砂地に沈むマングローブの根と響きあう。水と陸のあわい、人と樹のあわいが滲みあって、泳ぎの後のじんわりとした気だるさが一句から立ち上ってくる。なんだか不思議に安らかで、ちょっと泣きたくなるような美しさがある句だ。

最後は〈と思ふ〉で作者が現れてくる。〈思ふ〉の一語にある、読者と景の間を一枚の膜で隔てるような、少しの遠さと含羞がこの句では活きているように思う。

2020年7月31日金曜日

●金曜日の川柳〔楢崎進弘〕樋口由紀子



樋口由紀子






いい加減にしろとは意味がわからない

楢崎進弘 (ならざき・のぶひろ) 1942~

「いい加減」ならよい程度、適度という意味だが、日常よく使われる「いい加減にしろ」の「いい加減」はあまりよくない加減の意味で、確かに意味がわからない。「いい加減にしろ」と相手に言うこともあり、「いい加減にしろ」と言われて、あっと反省することもあるが、どこがいい加減なのかと思うこともあり、確かに意味がわからない。皮肉のきいた、嫌味のある一句である。

誰もが思い、一度は言いたくなる。しかし、読み飛ばしてしまいそうな、つぶやきも川柳にする。それにしてもあまりにもストレートで、表現に工夫がなく、余白も余韻もまったくなく、言い切ってしまっている。しかし、そこがいい。意図的に、理屈や説明やあえて避けない恣意的な演出だろう。それはまちがいなく川柳ならではの魅力である。「逸」(42号 2020年刊)収録。

2020年7月27日月曜日

●月曜日の一句〔中西夕紀〕相子智恵



相子智恵







百物語唇なめる舌見えて   中西夕紀

句集『くれなゐ』(2020.6 本阿弥書店)所載

〈百物語〉は夜、数人が集まって交代で怪談を語る遊び。百本の蠟燭をともし、一話終わるごとに一本ずつ消す。最後の一本を消すと妖怪が現れるとされた。

暗い部屋の中で、蠟燭の明かりが話者の顔を照らしている。まるで顔だけが暗闇に浮かんでいるようだ。すると、語りの途中で話者が唇をなめた。乾いた唇のままでは語りきれない、ここからが話の盛り上がりなのだ。話の間がふっと空く。しんと息を詰め、怪談に聞き入る人たちは、唇をなめる舌の動きをじっと見つめる。おのずと緊張感が高まる。まるでジェットコースターを登り切った頂点での「溜め」の静けさである。これから落ちることは分かっている、あの溜めの独特な恐怖感。

〈唇なめる〉だけで〈舌〉であることは分かるから、省略する切り取り方もあっただろう。しかし、この〈舌見えて〉の執拗な描き方が、怪しくエロティックでさえあり、怪談の背徳感を際立たせている。

2020年7月24日金曜日

●金曜日の川柳〔妹尾凛〕樋口由紀子



樋口由紀子






雨あがる雨はいつでもあたらしい

妹尾凛 (せのお・りん) 1958~

雨の見せ方がうまい。雨があがると空気は一掃され、なにもかもがさわやかになる。しかし、掲句は雨あがりの爽快さを書いているのではなく、「雨」を書いている。さっきまで降っていた雨も、これからまた降り出す雨も、気づかなかったけれどあたらしい。そして、雨をあたらしいという視点で捉えていることがあたらしい。

いままでは思いつきさえしなかった「あたらしい」が雨ともに広がり、新鮮に立ち上がる。これからは雨の日の印象はずいぶん変わってくる。彼女はずっと以前からそう感じていたのだろう。なんでもないように、さらりと書かれているが、そこにはこの世をあるがままに受け止めている清潔な姿勢が見える。『Ring』(2020年刊)所収。

2020年7月21日火曜日

【名前はないけど、いる生き物】 わんこ一号 宮﨑莉々香

【名前はないけど、いる生き物】
わんこ一号

宮﨑莉々香

あぢさゐはどもるのにうなづいてくる
木苺を隠した自転車に今日が
からまり紐からまり指やあげはてふ
懐かしいなら蜘蛛は餌を啄み見ない
ゆふがたの通過する網目のメロン
ゐるとして虹から色へ目のなかを
わんこ一号あをしばはあをしばだらけ
のどぼとけ眠さがはえてくる金魚
えぞにうや歩くから遠のくうしろ
東から差す日を鷭はところどころ
メロンの網目少しだけ寂しいがある
誘蛾灯あしうらどこまでも歩く
きこえるよここはこゑこほりみづのここ