2026年9月4日金曜日

●金曜日の川柳〔小原由佳〕まつりぺきん



まつりぺきん





大丈夫かと昔の空を持ってくる  小原由佳

「大丈夫か」という気遣いの言葉とともに、その人が持ってくるのは「昔の空」。
かたちのない空を、まるで腕に抱えて運べるもののように扱うところに、この句の不思議な手触りがあります。

その空は、相手の記憶の中に残っている、昔の主体の姿なのでしょう。
あるいは、いまを生きる主体を慰めようと運んできた、二人がかつて見上げた空なのかもしれません。
過去に主体を支えていた何かが、今も変わらず力になると信じて、その人は、わざわざ持ってきてくれるのです。

時は流れ、主体も当時のままではありません。
「大丈夫か」という気遣いはまっすぐ温かいのに、その宛先は、目の前にいる現在の主体からわずかにずれている。
そのずれには戸惑いや切なさも滲み、だからこそ、時を越えて届く優しさがよりいっそう愛おしく感じられます。

「昔の空」を受け取ることは、かつての自分を相手の記憶ごと受け取ることでもあるのでしょう。
少しずれた気遣いの中に、失われた時間と、なお残り続ける親愛を感じさせる一句です。

「反対側の窓」(2022)より。

2026年9月2日水曜日

●西鶴ざんまい #102 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #102
 
浅沼璞
 

  七の社の砂ぬすみぬる   打越
 同じ京の水に替りの水さびて 前句
  河骨慈姑迄もちりの世   付句(通算84句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表6句目=夏=河骨(かうほね)、慈姑(おもだか)。
ちりの世=塵に「散り」を掛ける。

【句意】
(水錆によって)河骨・慈姑までも散る、塵のような世の中。

【付け・転じ】
前句「水さびて」から、見る人もない水草が無駄に散ってしまう(ような)塵の世へと転じた。

【自註】
此の句は、*行(ゆき)かたの俳諧也。水草の付よせは、前句の「水さびて」に河骨・おもだかなども清水に生出(おひいで)しとは格別に見ぐるしう、あだに咲きて見る人もなき**心行いはんがために「ちりの世」とはつかうまつる。***当流とて、かゝるかるき句がら計(ばかり)ならべては、意味浅くして、おもしろからず。

*行(ゆき)かたの俳諧=後述の「かるき句がら」に同じか。
**心行(こゝろゆき)=乾裕幸『俳諧師西鶴』では「ちりの世」に見込まれた「心持」「風情」とする。
***当流=元禄疎句体。

【意訳】
この句は軽く付けた俳諧である。水草によって付寄せたのは、前句の「水さびて」に、河骨・沢潟なども、清水に生えたものと(比べると)格段に見苦しく、無駄に咲いて、見る人もない心持を言うために「ちりの世」と結びます。(むろん)元禄のトレンドとはいえ、このような軽い句柄ばかり付け並べては、意味も浅く、おもしろみもない。

【三工程】
(前句)同じ京の水に替りの水さびて

  あだに咲きては見る人もなく 〔見込〕
     ↓
     河骨慈姑見る人もなく    〔趣向〕
     ↓
  河骨慈姑迄もちりの世     〔句作〕

前句「水さびて」から見る人もない水草を想定し〔見込〕、〈なにが咲くのか〉と問うて、「河骨慈姑」とし〔趣向〕、「見る人もない」心持を言うために「ちりの世」と結んだ〔句作〕。

【テキスト考察】
自註での元禄風「かるき句がら」については、今榮藏『初期俳諧から芭蕉時代へ』に詳しいので、以下にママ引用しておく。

〈宗因風においてもかるい句、かるい付けようはたしかにしばしば叫ばれたが、元禄風ではまた、句体においては「やすらか」、付け方においてはぴったりと付けずに「ほのかにうつす事」が理想とされた。これはかるいと同義であり(中略)西鶴の自注は当流のこの傾向をふまえているといえるのである。〉

文中〈宗因風〉とはかつての談林風であり、〈元禄風〉とは当流の疎句体をさす。〈元禄風〉は〈宗因風〉を否定的媒体としつつ、詞付を離れ、より内容主義的な心行へと変化したことは、これまでみたとおりである。西鶴はその狭間で(ブレてはいないけれど)ゆれている。

2026年8月28日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕暮田真名



暮田真名





未確認飛行物体(F・カフカ)  川合大祐

『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』に収録された溢れんばかりの固有名詞句の中でも、「極めつけ」とでも言うべき一句。たった二つのパーツを組み合わせて川柳ができるということを、われわれは「おはようございます ※個人の感想です」(兵藤全郎)によって知っているが、それにしても、だ。兵藤句は「※個人の感想です」によって「おはようございます」が既知のものではなくなるような感覚があるが、川合句は、「(F・カフカ)」によって「未確認飛行物体」が変化することはほとんどない。前者の性質を〈掛け算的〉と表現するならば、後者は〈足し算的〉だ。丸括弧の中に名前が入っているのを見れば、修飾する名詞の製作者か、それに付けられた名前か、と推測できることも、言葉の輪郭を確かにしている。

そして、わたしは川合川柳の〈足し算的〉な性格を、〈ぬい撮り的〉〈シール帳的〉だと思っている。〈ジオラマ的〉とも言えるだろう。カフカのフィギュアの隣に置かれた、UFOのミニチュア。

9月21日(月祝)の「ここザブ祭り」では、ここから発展した内容をお話しできればと思っています。ぜひご視聴ください。 

2026年8月27日木曜日

【新刊】定本 篠原鳳作全集

【新刊】
定本 篠原鳳作全集


前田霧人〔編〕 2025年6月10日/コールサック社



2026年8月22日土曜日

●金曜日の川柳〔海堀酔月〕八上桐子



八上桐子





向日葵の背中も見てやって下さい  海堀酔月

花の中でも向日葵は、大きさ、姿かたちから擬人化されやすい。顔に見立てられる花の正面から見ると、明るく生命力に満ちあふれている。「背中も見てやって下さい」は、後ろから見ても輝かしいではない。大きな頭を支える首は折れかかり、背中は心細げにも見える。太陽に向かって堂々と咲く向日葵の、あの背中もふくめた「生」を感じ取ってほしいと言うのだろうか。

正解だと思う 蒟蒻の固さ

足に合わない靴が一ばん美しい

骨は拾うな 煙の方がぼくなんだ

世間的な常識や正しさをずらしたところに、作者が発見する美や真実。一句、一句につい立ち止まってしまう。

『両忘』(2003年/現代川柳点鐘の会)