2026年7月22日水曜日

●西鶴ざんまい #99 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #99
 
浅沼璞
 

 伽羅割の捺忘れ行く野は暮て 打越
  初夜にかならず燃る恋づか 前句
 外枕憶えなき身を祈りつめ  付句(通算81句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・裏3句目=恋。
外枕(ほかまくら)=仇枕(日本古典読本Ⅸ)。仇寝(あだね)。仮初の契り。

【句意】
不倫の憶え無き(人妻の)身を、祈りを込めて呪い殺す。

【付け・転じ】
前句の鬼火の原因・理由は「呪い殺された潔白な妻の恋情だった」という後付(うしろづけ)・逆付による転じ。

【自註】
爰の付けかたは、人の妻女を、*外の心ありけるやうにうたがひ、其の夫の中をさくたくみに、妾女(てかけ)などが悪心にて神をいのりて**牛の時まいり、山伏をたのみ、其の命を取りける。世をうせし女の***おもはく、夜毎に通ひ、魂の火と成りし****心行也。

*外の心=脇心(日本古典読本Ⅸ)。〈是がすきにて身に替へての脇心〉(好色五人女・三)。浮気心。
**牛の時まい(ゐ)り=丑の刻参り。
***おもはく=恋の思わく。恋情。
****心行(こゝろゆき)=内容主義の心付(前句に同じ)。

【意訳】
ここの付け方は、人の本妻を浮気心のあるように疑い、その夫との仲を裂く計略として、妾などが悪心から神に祈り、丑の刻参りやら、山伏に依頼しての調伏やらをし、その命を奪った。で、この世を去った本妻の恋情が夜ごとにこの世に通い、鬼火となったという心持ちの付け方である。

【三工程】
(前句)伽羅割の捺忘れ行く野は暮て

  世をうせし妻の思はく通ひきて 〔見込〕
     ↓
  悪心の妾女に命取られける   〔趣向〕
     ↓
  外枕憶えなき身を祈りつめ   〔句作〕 

前句の鬼火の原因・理由を「呪い殺された妻の恋情」と見込み〔見込〕、〈誰に呪い殺されたのか〉と問うて、悪心の妾女と設定し〔趣向〕、妾女が潔白な本妻に罪を着せて呪い殺すという文脈でまとめた〔句作〕。


【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』には〈「恋づか」の「燃る」原因を付けたもので、このあたりやや親句付となっている〉とあるが、すでに前句が打越の原因を探った後付・逆付であった。

つまり打越の鉈を忘れたその原因を「地元の言い伝えの鬼火を恐れたから」とした前句の逆付を受け、更にその鬼火の理由を「呪い殺された潔白な妻の恋情」と逆付を以て転じたわけである。

となれば転じは効いており〈やや親句付〉という見方は腑に落ちない。また自註文末の心行(元禄疎句体)という言表を鑑みても〈やや親句付〉とは言い難い。さらに恋句なのだから恋の範疇での付合は当然ともいえる。

2026年7月16日木曜日

●金曜日の川柳〔石山ふね〕暮田真名



暮田真名





求愛のかたちが流れ星だもん  石山ふね

「かたち」は現代川柳頻出語彙の一つである。「朝のかたちを考えている把手」(佐藤とも子)や久保田紺『大阪のかたち』における「かたち」が〈形状〉を指しているとすれば、掲句の「かたち」は〈形式〉を指している。

「求愛」は、「パートナーを求める行為」という意味では同じでも、「告白」とはニュアンスが大きく異なる。より身体的、より動物的な、繁殖行動の一部だ。孔雀が羽を大きく広げ、ダンスを踊るように、星にとっては流れてみせることが求愛行動なのだという。流星群は星の繁殖期か。かといって、子孫を増やすわけでもない。光って消えるだけ。あとに何も残らない、振る舞いだけの求愛がある。

しかしながら、この「かたち」は、やはり〈形状〉とも関係が深いのだ。「愛」は♡、「星」は☆という図形でも表せることによって。一句のなかで♡が☆へと変化する。とてもかわいい。

2026年7月13日月曜日

〔ネット拾読〕The "In" Crowd 複製・戦争・野上翠葉・福田若之 西原天気

〔ネット拾読〕
 The "In" Crowd
複製・戦争・野上翠葉・福田若之


西原天気


野上翠葉:さよなら、ウォーホル まるごとのトマトを齧る/福田若之

12000字は、ゆるめに組んだ文庫本約20ページ。ずいぶんなボリュームのようですが、読み進め、読み了えると、そうでもない。論旨や理路が明瞭なせいでしょう。

さて、この記事、福田若之の連作「さよなら、二十世紀。さよなら。」の表題句から、ウォーホルの複製的美術へ、さらにはベンヤミンの論考「複製技術の時代における芸術作品」へと話を進め、いわば、この句の《さよなら》の本質へとアプローチする。

ウォーホルを引くに図像を多用。また、ベンヤミンの当該論考……おそらくこの半世紀、人文科学を学ぶ者にとって必須の参照論考のエキスを要約するに簡潔。読者への配慮が見て取れる記事。

ただし、話は単純ではない。20世紀は複製の世紀であり、戦争の世紀。後者と話を関連づけるあたりからやや複雑化する。福田若之の句の個別個別と対応させるからなおさらだ。

カジュアルにいえば、話がややあっちこっちするが、読み通せば、福田若之の連作が20世紀への挽歌であることは、紛糾しつつも(それだからこそ)豊かに伝わる(と私は思った)。

途中、複製の行き先として、AIへと、今日的話題とすれば当然のようにAIへと(余談的に)繋がっていくことは予想がついた。これはいい意味での、裏切らない展開。

ただし、俳句におけるAIの所作・所業を、句/作品にフォーカスしている(ように私には読めた)部分は、ちょっとだけ付言したい気分になる。枝葉のことだが(かつ、思念的にすぎるが)、AIが複製するのがそれにとどまらず、ある一箇の批評的知性、あるいは作家性だとしたら、さらに重大で深刻かもしれない。

ともあれ、一読の価値アリの記事です。「なんだかややこしい」と思ってしまう正直な読者も一度で終わらず、二度読んでみることをオススメします。


それではまた。拾い読む記事が見つかったときに書きます。


2026年7月10日金曜日

●金曜日の川柳〔加藤久子〕八上桐子



八上桐子





魂が腐る手前のれんげ畑  加藤久子

肉体ではなく、魂が腐る。人としての感受性や希望、生きる力を失いつつあるのでしょう。そして、その手前に現れるのが、れんげ畑。

無邪気だったころの記憶を呼び覚ますれんげ畑が、さいごの拠り所であり、微かな希望として広がっています。

注目したいのは、助詞の「が」。「が」は、音の濁りを避けて、なるべく使わないようよう教えられます。

この句では、「が」の音の持つ、濁りや重さ、粘り気が、魂の色、匂い、質感が傷みはじめている切迫感を生んでいます。

廃船が歌いだすまで草毟る

潜水艦が急に近づく花の冷え

妹が乾かしてゆく合歓の花

アンソロジーの100句中、8句に「が」が使われていました。単に助詞としてだけでなく、触感やイメージにもしっかり働いています。

『現代川柳の精鋭たち』 (2000年 北宋社)

2026年7月5日日曜日

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