2019年6月17日月曜日

●月曜日の一句〔中原道夫〕相子智恵



相子智恵







 アンディ・ウォーホル
スープ罐ずらりどれ乞ふ夏の卓  中原道夫

句集『彷徨 UROTSUKU』(ふらんす堂 2019.2)所収

海外詠のみを収めた第13句集より、ニューヨーク近代美術館(MOMA)での作である。アンディ・ウォーホルのポップ・アート『32個のキャンベルのスープ缶』。掲句は〈ずらりどれ乞ふ〉というさらりとした詠み方でこのスープ缶の世界に飄々と入り込んだ。

大量生産された既製品というのは、消費者は「どれを選ぶか」しかなくて、ある意味で主体性は損なわれているのだけれど、まさにそそれを描いた作品に対して、「それなら大いに迷って選ぶことにしましょう。迷うことも楽しいのだから」と、〈ずらりどれ乞ふ〉でひょいと受け取って、涼しい句を付けた。

〈乞ふ夏の卓〉だから自分がスープを温めることすらせず、〈夏の卓〉で選んだスープを頼んで、ウキウキと待つだけの「圧倒的な消費者」を演じている。その諧謔が涼しくてドライで、この絵画と響き合う俳句だと思った。〈夏の卓〉も、これが他の季節ならこんなポップな感じは出せないだろう。

俳諧も、大衆的な言葉遊びから始まったものであり、ポップ・アートとは時代も国も超えて、響き合うところは案外大きいのかもしれない。

2019年6月15日土曜日

●土曜日の読書〔薫る庭、深い皺〕小津夜景




小津夜景







薫る庭、深い皺

休息のために立ち寄ったブルーボトルコーヒーのテラス。アイスコーヒーとカフェラテを飲みながら、もうすこし散歩しようと話しあう。

大横川に出る。葉桜をくぐり、運河に沿って、石島橋をわたり、黒船橋をわたり、越中島橋をわたる。アスファルトの道路とはちがう、心地よい風が吹き抜ける。そして誰ともすれ違わない。なんだか自分の家の庭みたいだ。

「そういえば」
「うん」
「人間には誰しも、自分が野垂れ死ぬんじゃないかといった不安があるでしょう? 私もそうなのですけれど、あるとき野垂れ死にの恐怖というのは孤独や不幸の問題であって、路上それ自体とは無関係だってことに気づいたの」
「ほう」
「つまり、北国生まれのせいで、路上を屋内よりも悪いものだとずっと誤解してたんです。今は暖かいところに住んでいるから、死ぬときは外がいいって思う。仏陀みたいに」
「なるほど。実は僕も外で死にたいんだ。僕にとって一番幸福な死に方は、川沿いを自転車で走っている最中に心臓麻痺でころっと逝くことでね」
「へえ。いいですね」
「いいでしょ」

ベンチがあった。少し休む。その人は、鞄の中をさぐって煙草をとり出すと火をつけた。

緑にうずもれた庭。そのあわいを縫って、香りが呼吸する。
それは時に、なにげなく、空間の息ぬきとして、いたるところに姿を見せる。逆に言えば、私たちは、どんなところにも庭をつくらずにはいられないようだ(…)私が庭が大好きなのは、そこに仕掛けられた遊びの空間が、まなざしをはじめとする身体空間を楽しいいたずらでおどろかすからである。(海野弘『都市の庭、森の庭』新潮選書)
煙草の煙はしばらくのあいだ緑の底に籠もっていた。知らない花が揺れている。なんでしょうこれは。なんだろうね。まだもうすこし歩こうか。そう言って、煙草をしまい、指先をぬぐうその人のうつむく眉間には、初夏の緑の濃さに似つかわしい深い皺があった。


2019年6月14日金曜日

●金曜日の川柳〔北村幸子〕樋口由紀子



樋口由紀子






風がはじまる理容はらだのお顔剃り

北村幸子 (きたむら・さちこ) 1958~

五月に神戸新聞の企画「川柳詠みだおれ」で姫路吟行があった。そのときに作られた一句である。駅前の商店街(みゆき通り)を歩いていると一軒の理容院があった。扉は開かれていて、中までよく見えた。なによりも店名の「理容はらだ」が気になった。私も「理容はらだ」という言葉で一句をものにしたいと思ったがうまくできなかった。掲句は「理容はらだ」を引き金にして、「風がはじまる」と「お顔剃り」の独自のアナロジーを見つけ出している。顔を剃ってもらうとまさしく風がはじまる。

姫路の商店街に単独の帽子屋レコード屋呉服屋の多いことに驚かれた。いままでそんなことは思ってもいなかったが、言われてみれば確かにそうである。こんなつまらないことにこんなに興味を持つ、川柳吟行のおもしろさである。〈帽子屋の帽子に歌を教えます〉〈エレキギターどこにも行けぬ兄がいる〉〈ヒツジヤのハギレ正しい終わり方〉〈ビクターの犬より深い海を聴く〉

2019年6月13日木曜日

●木曜日の談林〔岡田悦春〕浅沼璞



浅沼璞








 鵜のまねしたる烏むれゐる   悦春(前句)
ばつとひろげ森の木陰の扇の手  同(付句)
『大坂独吟集』下巻(延宝三年・1675)

前句――「鵜の真似をする烏は水に溺れる」という俚諺のサンプリング。

黒い羽は同じでも、潜水が得意な鵜の真似を安易にすると、烏のように失敗する。

そんな烏合の衆を詠んでいる。



付句――いっせいに飛び立つ尾羽を舞踊の「扇の手」に見立てている。

水辺から陸地へのけざやかなモンタージュ。

(烏と森は付合用語。)



〔作者の悦春(えつしゅん)は岡田氏。商人と思われるベテラン俳人。〕

2019年6月9日日曜日

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