2026年5月19日火曜日

【新刊】 小津夜景『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』

【新刊】
小津夜景『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』

2026年5月7日・素粒社




2026年5月18日月曜日

【新刊】神野紗希『俳句は肯定の文学 口語・他者・偶然』

【新刊】
神野紗希『俳句は肯定の文学 口語・他者・偶然』

2026年4月1日・朔出版




2026年5月17日日曜日

★週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


小誌『週刊俳句』がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

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時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くいていただくのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2026年5月15日金曜日

●金曜日の川柳〔西田雅子〕暮田真名



暮田真名





ある夏の白いページに二泊する  西田雅子

みじかい滞在である。「白いページ」はホテルの一室のよく磨かれた床のようでもあり、洗い替えられた清潔なシーツのようでもある。

「二泊」という単語選びは、「白」を含む「泊」という漢字の上でも、「ハク」という音の上でも、「白いページ」のまばゆさを確かなものにする。夏の強い太陽光の照り返しが、目に見えるようだ。

ところで、白いページとはどのようなものだろう。単行本、文庫本ならば、乱丁本かもしれない。「ある夏」だから、アルバムや日記の可能性もある。その場合は、記録することがなかった、あるいは記録のための時間がなかった、宙に浮いた期間である。いずれにせよ、白いページは人間の作為から解き放たれて無防備だ。そこを気に入った何者かが、すこしのあいだ寝泊まりをして、やがて去っていく。長居をしないところもいい。

白いページは開かれたまま、次の訪れを静かに待っている。

2026年5月8日金曜日

●金曜日の川柳〔柴田午朗〕湊圭伍



湊圭伍





いやな世が来て新聞がおもしろい  柴田午朗

『柴田午朗句集―伯太川』(日本現代川柳叢書題18集)芸風書院、1990年。

今まさに「いやな世」が来ているが、べつに新聞は面白くならない。

という意味でこの句は嘘だなあ。

川柳は社会性や政治性から評価されることも多いけれども、その社会性や政治性は各時代のもろもろの状況にもたれ過ぎていて、時間が経つと雲散霧消する程度のものだ。同時代の、だいたい同じイデオロギーの人間の儚い共感を呼ぶために、社会や政治が使われてきたのだ。

掲句はしかし、そうしたベタな川柳の社会性、政治性からは辛うじて距離をとって、したがって、少なくとも今の時代でも興味をもって読み得る句になっている。「いやな世が来」たなあ、それと、「新聞がおもしろい」なあと、二つの印象がそれなりの納得をもってつなげられた時代があったのだという、現在からの発見が、現在にこの句を読むことにはある。

その発見の感覚が生じるのは、「いやな世が来て」まで7音、「新聞がおもしろい」の10音での2句の切れになっていて、2つの認識にそれぞれ一つのまとまりが充てられているからだ(それとは別に575音でも切れる安心感もあるが)。この2つの言葉=認識のまとまりに飛躍があることが句構造で明示されているのである。

そこから、「いやな世が来」たのに、「新聞がおもしろ」くはないという、私たちの実感が、句の内容へのいささかの反発とともに立ち上がってくる。じゃあ、今、何が面白いのか。代わりになる面白いものがないように感じるとして、それがどうしたのか。

そもそも、掲句で「おもしろい」と言っている主体は、本当に「おもしろい」と感じているようには思えない。多重に屈折したイロニーがそこにはあり、私たちの読みも最後には「おもしろい」という感情の社会性や政治性へと至る。この句と同じ視点に立てなくとも、私たち自身のメディアや言説の環境において、私たちは何を面白がらされているのか、について考えるのである。