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2009年5月11日月曜日

●中嶋憲武 ねむりひめ

〔中嶋憲武まつり・最終日〕
ねむりひめ

中嶋憲武


ヒヨミは寝ている。

むかし、「ライオンは寝ている」というタイトルの曲があったが、この場合、ヒヨミは寝ている、というのが概ね正しいだろう。

5センチほど開けてあるアルミサッシの戸から、夜の風が入ってきてレースのカーテンを、ときおりまるく持ち上げている。室内はすでに限りなく透明に近いブルーだ。

俺は、いい加減眠るのにも飽きて3時頃むくむくと起き、服を着て、ヒヨミがまだ寝ていたので、ひとり散歩にいった。小一時間ほど歩いて戻ってくると、まだヒヨミは寝ていた。

すぐ下の階の住人は、どかんどかんとロックを鳴らしている。テーブルで本を読んでいたが、腹が減ってきたので、ゆうべ寝る前にヒヨミが、明日はオムライスが食べたいといっていたのを思い出し、オムライスでも作ってみようかと冷蔵庫を開けた。卵はちょうど4個。野菜室には、ピーマンとタマネギ。ケチャップも充分にある。鶏肉が無い。仕方なく買い物に出た。

買い物から戻ってみると、ヒヨミは寝ていた。階下の住人は、ロックを鳴らすのをやめて、ラジオでナイターを聞いているらしい。それにしてもよく寝るやつだ。肩甲骨を剥き出しにしてうつぶせに寝ている。

卵を割って、ボウルに移し、菜箸で切るようにしてよく溶く。かちゃかちゃかちゃかちゃ。菜箸がボウルに当たる音が、白い蛍光灯に響く。かちゃかちゃと卵を溶いていると、ヒヨミが起きてきた。ヒヨミは俺の隣に立つと、「なに作るの?」と聞いた。「オムライス。顔洗ってきなよ」というと、ヒヨミは「わーい」と、洗面所へいった。

ヒヨミが隣で、タマネギを刻んでいるあいだ、俺は鶏肉を切っていた。
「泣けてくるよう」といいながらヒヨミは刻んだ。
「俺のゴーグルをするといいよ」
「そっか」
ゴーグルを取ってきて掛けると、
「ペバーミントいろの夜になりました」といいながら刻んだ。

ヒヨミの刻んだタマネギとピーマンと、俺の切った鶏肉を塩コショウで味付けしながら炒め、鶏肉がもういいかなと思えてきたころ、ご飯を入れて炒めた。ヒヨミがケチャップを振りかける。「もうすこし」というと、ケチャップの出が悪いのか、ヒヨミは大仰にケチャップを振ると、いちどきに多量のケチャップが出て、フライパンのまわりに飛び跳ねた。俺の額へもすこしかかった。

「出過ぎちゃったかしら」
「よい具合です」
「偶然だね」
「そうだね」

もうひとつのフライパンに油を引き、さっき溶いた卵をまるく流し込み、へらで掻き回す。ここへ炒めておいたチキンライスを落し、フライパンを持つ手首のあたりを、こぶしでとんとんとする。傾けているフライパンの端に、卵にくるまれたチキンライスが徐々に寄っていき、頃合いを見計らって、えいやっとフライパンを返すと、楕円形のオムライスのかたちになっている。ヒヨミが用意した大皿へオムライスを移す。

大きな白い皿ふたつに、黄色い楕円形のオムライスがそれぞれ載っている。ヒヨミがケチャップを持って、俺のオムライスの上に顔を描いた。アーモンド型の平べったい笑い顔だ。俺はヒヨミのオムライスの上に猫を描いた。なんだか細長い猫の顔になってしまった。

「いただきます」
「いただきます」と、ヒヨミは胸の前で両手を合わせた。
「やっぱり、ちょっとケチャップの味が濃いね」と、ひとくち食べてヒヨミはいった。
「いや、こんなものだよ。八重洲で食べても」
「え?八重洲?知らない。ひとりで行ってるんだ」
「こんど、行こうよ」
やはり空腹であったのか、俺とヒヨミはたちまちオムライスを平らげてしまった。

「延長に入ったみたいだよ」
と、ヒヨミは紅茶のティーバッグの紐を持ってゆすりながらいった。階下の住人のラジオがずっと野球放送を流しているのだ。ヒヨミは、ティーバッグをスプーンの上に乗っけると、紐をティーバッグへチャーシューを作るみたいに、ぐるぐる巻き付けて絞っている。
「それ、気持ちわるいよ」と、俺はいった。

ふたりで紅茶を飲んでいると、満腹になったせいかすこし眠くなってきたようだ。ヒヨミもあれだけ寝たのに、眠いといっている。

「すこし、横になるか」といいながら、隣の部屋へ行った。

ヒヨミと向き合って横になっていると、野球は佳境に入っているようだ。解説者とアナウンサーが声高になにかを喋り合っている。目をつむりながら、野球場の様子を想像してみた。ノーアウト満塁ツースリー。アナウンサーが興奮して絶叫、また絶叫。

「ヒヨミ、さよならホームランだって」と、俺がいうと、ヒヨミはもう小さな寝息を立てていた。

2009年5月10日日曜日

●中嶋憲武 小池さんのラーメン

〔中嶋憲武まつり・第24日〕
小池さんのラーメン

中嶋憲武


南千住で降りる。改札を出るとすぐに、歩道橋の大きな丸い柱。ちょうど、昼時でどこかで飯を食おうとあたりを見回したが、駅前には何もない。大通りにも車は少なく、それらしい建物が見えないので、ちょっと行ったところの横町を曲がる。布団屋、総菜屋などの店が並び、そば屋があったが、店構えが気乗りのしない店で、ちょっとパス。もうちょっと探してみようと歩く。

前方に見知った人影が歩いている。ジュールとマリーだ。100メートルほど離れていたが、忽ち追い付いて、こんにちはというと、ジュールが、そば屋がないんだよといった。ぼくがさっきのそば屋、入る気がしなかったというと、ジュールも俺もだといって笑った。

結局、三人でもと来た道を引き返す。さっきパスしたそば屋はかけそば280円という貼り紙が出ていたので、値段に惹かれてその店に決める。マリーが戸を恐る恐る開け、出て来たおじさんに、そば、ありますか、やってますかと聞くと、おじさんは、そばはやってないといったので、戸を閉める。

そば屋の前から、もと来た道を5メートルほど引き返し、人がわりと入ってる中華屋のなかを覗く。マリーが、オムライスとかカレーもあるよ、といい、ジュールもここにしようかというので、中華に入ることにする。店のなかには、近所のご老人の常連と思われる人がカウンターに5、6人、奥にご婦人がひとりいる。棚の上にテレビが点いていて、カウンターの上にサトウハチローの色紙が貼ってあり、テレビの横の棚に、中華街で買ってきたと思われるこじんまりとした中華ふうの装飾品が「うちは中華料理屋です」と申し訳のようにぶらさがっている、そんな店だ。

マリーはオムライス、ジュールはたんめん、ぼくは半チャンラーメンを頼んだ。

三人で上を向いて、テレビをぼうっと見る。注文した品はなかなか出て来ない。厨房のなかは、グッチ祐三が老けたような親爺さんがひとり。ジュールが、問わず語りにこんな話をする。中華に入って、餃子とビールを注文すると、ビールがすぐに出てくる。ビールを飲んでいると、餃子がなかなか出てこない。餃子が出てきたころにはビールが空になっていて、もう一本注文することになる。そこで、つぎに入ったときには餃子を先に注文してみたら、餃子がなかなか出てこない。店の親爺と我慢比べのように牽制しあって、根負けしてビールを注文する。そしてビールを飲み終わったころ、やっと餃子が出てくるので、もう一本ビールを注文する。いずれにしろ、餃子とビールを注文したときは、ビールを二本飲むような仕掛けになっているのだと。そんなものですかねえと笑っていると、料理が出てくる。

マリーがオムライスをひとくち食べて、なつかしい味といった。オムライスは見ためはフヨウハイのような卵のかんじである。中身のチキンライスもすこしはみ出ている。ケチャップは、まんなかのあたりで、一文字に横切っている。ケチャップの横切っている春の昼ってかんじで。マリーにひとくちもらう。タマネギや肉がかなり大きく切られているが、なるほど、悪くない。むかしどこかで食べたような味である。

ぼくの頼んだ半チャンラーメンも悪くはなかった。ラーメンのスープは醤油味で濃いめ。四角く刈り込まれたチャーシューと四角く切られた海苔、ほうれん草と葱がちょいちょいと乗っかって、ナルトが一枚。それぞれの具が、浸食せず、すこし隙間があるくらいの距離感のたたずまいを見せている。この隙間のかんじはなんだか懐かしい。むかしオバケのQ太郎で小池さんが食べていた、あのラーメンのたたずまいではないか。面はやわらかめでややちぢれている。小池さんがラーメンを食べているのを見ると、不思議とラーメンが食べたくなったものだ。小池さんのラーメンにはとくに具は入っていないように、記憶しているが、このすかすかな感じが、まさに小池さんのラーメンだと、ほぼ確信して啜る。

三人で店を出て、もう一度店をふりかえる。

2009年5月9日土曜日

●中嶋憲武 DOKUTSUBO『真剣師 小池重明』

〔中嶋憲武まつり・第23日〕
DOKUTSUBO~読書のツボ
真剣師 小池重明

中嶋憲武


『真剣師 小池重明』団鬼六著(幻冬舎アウトロー文庫)。

ひとは、桁外れに強いもの、ずば抜けた才能などに、特に強く惹かれるようである。

ひさびさに面白いものを読んだ。2日で読了。
1989年に団氏は断筆宣言をし、この作品によって1995年に復活した、いわば記念碑的な一作だ。団氏のものは、「花と蛇」「鬼の花宴」「お柳情炎」など悪魔的な小説のイメージが強く敬遠する人はするだろうけれど、この作品や、「蛇のみちは」(団氏の自伝)、「外道の群れ(責め絵師伊藤晴雨伝)」「最後の浅右衛門」など自伝や歴史上の人物に焦点を当てたものなど、時間を忘れて読んでしまうくらい面白い。最近出た「我、老いてなお快楽を求めん」というエッセイ集は痛快無比な面白さで、電車のなかで読んでいて思わず声を出して笑ってしまった。

さて、この作品であるが、「真剣」とは賭け将棋のことで、「真剣師」とは、賭け将棋で渡世するギャンブラーの謂である。

父は偽の傷痍軍人を業とし(業というのか?)、母は娼婦という家庭に生まれた。将棋は高校のころに目覚め、その面白さに憑かれ学校の勉強そっちのけで猛勉強。「将棋で生計を立てたい」という一心で高校中退。上野の将棋センターに住み込みの従業員として働きながら、将棋の腕を磨く。と、こう書いていくと青雲の志を立てて、上昇していく立志伝のようであるが、そうは行かないのが小池重明という孤高の天才棋士の生涯。

あまりに強かったがゆえの悲劇か喜劇か。将棋以外は何も出来なかったという文字通りの天才。生活の軌道が乗っていったかと思うと、必ず女性や借金の問題で挫折を繰り返す破滅型性格。プロを目指すも、プロにはなれず、常に退廃的な自堕落な生活を選んでしまう性癖の持ち主。自分にそういう傾向があるせいか、このような人物は、ぼくにとっては大変魅力的である。

一睡もせずに対局に臨み、対局中に居眠りしながらも勝ってしまったり、スナックで酔って暴行事件を起こし、留置場でひと晩眠り、翌朝留置場から会場へ向かい、大山康晴名人と対局するも短時間で勝利してしまったり、真剣師として彼に勝てる者はなく、「新宿の殺し屋」と異名を取ったり、世話になった恩人の金庫から金を持ち逃げして女性と駆け落ちしてしまったり、とにかくエピソードには事欠かない一生である。多くの人に愛され、多くの人に憎まれた男の一生に、惜しみない賛辞を送りたい。



2009年5月8日金曜日

●中嶋憲武 4B

〔中嶋憲武まつり・第22日〕
4B

中嶋憲武


仕事なので、いつも通り6時に起きる。

左腕が義手のように硬く強張っている。

寝違えたかな。いや、思い出した。

そういえばゆうべ飯を食ったあと、うたた寝をしていたら肩口のところから一本の鉛筆になってしまったのだった。

ちょうど中指の先に当たる位置のところはまっ黒な芯になっていて、鋭く尖っている。暗澹とした気持ちになる。おまけに外は雨が降っているらしい。

今朝食べようと思って、昨日の夕方パンとピーナツクリーム、バナナ、ヨーグルトを買っておいたのだが、どうにも食べる気になれない。

しげしげと左腕をみると、暗緑色のてかてか光る六角形の木の棒が、ずどーんと伸びている。うっすらと木の香りもする。くんくんと嗅いでみる。いい香りだ。春だ、という気分になる。鋭く尖った芯のほうから、黒鉛の香りもするようだ。紛れもなく鉛筆だ。

肘が無くなってしまったので、すこぶる難儀だ。服の袖を通すことが出来ない。上腕から眺め回すと、白い字で「GENERALWRITING」と書かれてあり、肩のあたりに「4B」と書かれてあった。

「俺は4Bか」と、ぼんやり思った。

最近ずっと、絵を描いていないので、きっと絵の神様のバチが当たって、左腕が鉛筆になってしまったのかなと思ったけれど、なんで?どうして俺が?

なんとか右腕で上着を引っ掛けて外へ出た。

腕を通していない左袖は、風に吹かれてぷらぷらしている。右手は傘を持っているので、バランスが悪い。人間は歩くとき腕を振らずに、歩くことが出来ないように出来ているらしい。左腕を振り子のようにして、中指を立てて歩いている感覚がある。

電車の中では、座ると左腕の置きどころが無いので、立っていることにした。土曜日の朝なので、JR山の手線は、比較的空いていて、俺の腕をじろじろと見る人もいない。

勤め先に着くと、恋人のヒロミコがデスクに座っていた。

なんとなく沈んだ様子だったので、近づいて行って「おはよう」と声をかけると、ヒロミコは赤墨色の瞳をあげて俺をみると、
「今朝から2Hになったの」と意味不明なことを言いやがるので、まさかと思って、「そんなら、俺は4Bだ」と言うと、ヒロミコはにっこりとして、羽織っていた紺のスーツの上着を取ると、俺のほうに左腕を差し出した。

ヒロミコの左腕も鉛筆だった。ペパーミント色の地に三角形のコーリン鉛筆のマークが入っていて、肩口のあたりに「2H」と書かれていた。

俺も左腕を見せた。ヒロミコは、
「まあ、本当に4Bね。あなたって、やわらかいのね」と言って笑った。
恋人にやわらかいと笑われた俺は、俺だって、いつだってやわらかいわけじゃない。硬いときだってあるんだ。と、叫んでやりたかったが、フェミニストを気取っている俺は、ぐっと堪えて「君はおカタイんだね」と、誰が活けてくれたのか卓の花瓶のヘリオトロープを見やりながら言った。

言ったあとで、甘い香りがほんのすこしした。

2009年5月7日木曜日

●中嶋憲武 シモキタ

〔中嶋憲武まつり・第21日〕
シモキタ

中嶋憲武


下北沢へいった。

晩春の夜、知人の家の水槽の水替えを手伝った。水槽の水は生温かった。水槽の水がだんだん下がると、小さな魚たちは口々に、天井が下がってくるよ、どうしよどうしよ、この世のおわりだーと言っているように見え、水を入れて水位がだんだん元の通りになると、魚たちは勢いよくのびのびと泳ぎはじめ、新しい朝がきた、希望の朝だ、きゃははははと笑っているように見え、その明暗の落差が傍目に見ていておもしろいのであった。

知人の家を出るとき、ついでに頼まれてくれろと、帰る途中下北沢のレンタル屋へDVDを返すよう言われて、てくてく夜道を歩いていった。

途中、「すかんぽ」という小さなバーがあった。とても繁盛しているようだった。また「AVRIL」という明るい雑貨屋があった。店員が店頭に座り込んでヒマそうにしていた。

下北沢は学生の頃、よく来た町だ。行くのはたいてい決まってレコファン。そこで長い時間をかけて中古レコードを探す。これはという掘り出し物を手に入れることが出来る時もあり、二時間くらいかけて一枚もいいものが見つからないときもあった。そんなときはジャズ喫茶マサコでコーヒー飲んで文庫本を読みながら、午後の時間を潰した。

DVDを返して、もと来た道を戻り、空腹だったので「千草」へ行った。ここは自然食定食屋と銘打っている良心的な店だ。二階は「バーキタザワ」という古いバー。アンクルトリスが看板になっている。ぼくが飲めるタイプであったならば、間違いなく入っていた店だろう。

「千草」は夕食どきで混んでいた。しばらく待つ。席が空いて卓に着き、「厚揚とチンゲン菜のピリ辛煮定食」を注文したが、終ってますと言われた。それで「ぶり焼定食」を頼むと、いまはぶりの季節でないのでやってませんと言われた。ううむと唸り、冬が旬のぶりが無いなら、秋の旬のさんまもないだろうと思いつつ、「塩さんま定食」を注文すると、オーダーはすんなりと通った。有線でダウンタウンブギウギバンドが流れている。多分「知らず知らずのうちに」という曲だ。ダウンタウンが終ると、河島英五の「酒と泪と男と女」がかかった。うしろの席のひとが、「忘れてしまいたいことや」の部分をハミングしている。「飲んで飲んで」の部分に差し掛かると、一緒に歌い、「飲まれて飲んで」のあとは「なんとかかんとか」と歌っていた。

塩さんま定食は旨かった。頭からさんまを食べる。さんまの黒く苦いところが好きだ。みそ汁がお代わり自由なので、お代わりをすると二杯目は熱かった。むかし、豊臣秀吉が近江あたりのなんとかという寺へ、夏の暑い盛り、鷹狩りのあとに寄って喉が渇いていたので、お茶を所望すると、少年が差し出したお茶はぬるく、秀吉はがぶがぶと飲んだ。二杯目を所望すると、少年は熱いお茶を出した。一杯目は喉が渇いているのでぬるいお茶を出し、二杯目はお茶の味をよく味わってもらおうと、熱いお茶を出す少年のその機転に、いたく感じ入った秀吉はその少年を家来にした。少年の名は佐吉と言った。のちの石田三成である。と、いつか琵琶湖あたりをバスで巡ったとき、バスガイドがこういう話をしていたのを思い出した。

熱いみそ汁を飲んでいると、店員さんが「大根おろしもどうですか」と言うので、お代わりを貰った。たいへんに旨い飯だった。満腹になって、駅前を歩いていると、若い辻楽師がフォーク調の歌を歌っていた。その隣には、コミックの単行本を並べて売っていて、店主は長髪に白いタオルを巻き、薄い髭を生やし、ぺらぺらのジージャンを着て、ひとりの学生風を相手になにかのコミックのセリフを声高に演劇調に読んでいるのだった。この光景はイヨネスコの演劇のように不条理なものを感じさせた。

猫が歩いてきたので、声をかけてみた。

「こんばんは」

「……」

猫は終止無言であった。

2009年5月6日水曜日

●中嶋憲武 対象外 10句

〔中嶋憲武まつり・第20日〕
中嶋憲武 対象外

RE:値段俳句7500円(さいばら天気)

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2009年5月5日火曜日

●中嶋憲武 サマーランドまで 後篇

〔中嶋憲武まつり・第19日〕
サマーランドまで 後篇

中嶋憲武



左側に東京サマーランドの観覧車が見えてきた。あそこでお茶でも飲もうと話しながら、歩く。

滝山街道を越えて歩いていると、サマーランドは向こう岸だ。行く手に橋らしきものは見えない。仕方がないので、堰のテトラポッドを伝って行こうかと話す。

河原まで降りて、テトラポッドの配置を見ていると、なんなく渡れそうな気もする。でもテトラポッドの丸っこい三角錐の離れ具合が、微妙な距離で、小さなテトラポッドの上に立つと、バランスも悪く、次のテトラポッドへ渡るには、勢いをつけて義経の八艘飛びのような芸当でもしない限り、渡れないということが判明した。

堰の放水路は3つあって、2メートルくらいずつ離れている。堰を渡るにしても、放水路のところを立ち幅跳びの要領で飛んでも、次の放水路の仕切りの幅が狭く、前へつんのめって川に落ちるということも充分考えられる。正面の山に日が沈んだ。

川を渡るのは諦めて滝山街道まで戻り、橋を渡った。はじめからこうすれば良かったのだ。橋を渡ると、道に山が迫っていて、急に空気がひんやりとして来た。深山のあの独特の香りもする。橋を渡っただけでこうも空気が変るものか。

だらだら坂を登り、サマーランドに着くと、営業時間は終っていた。サマーランド経由のバスを待つことにし、ベンチに座る。日が暮れてしまって、あたりは薄暗くなりはじめていたので、山の冷気も手伝ってすこし心細い。山の冷気は土の冷たさなのだろうか。

最終便のバスに、友人とぼく、女の子の二人連れが乗った。バスは低い山の暗闇のなかを走った。途中から乗ってきた少年が、途中の停留所で降りた。こんなところに民家があるのだろうかというような場所である。少年はぬらりひょんとかべとべとさんだったのかもしれない。

うとうとして目が覚めると、八王子の市街地を走っているようである。駅が見えてきた。

バスを降り、どこで何を食べようか迷った挙句、一番最初に目に付いていたとんかつ屋に入った。とんかつは肉がやや堅かったけれど、まあまあで、量も申し分のないものだった。それに安い。ロース定食700円でございます。
ぼくはロース定食、友人はミックス定食を食べた。

とんかつ屋を出ると、コーヒーが飲みたくなり、スターバックスへ入った。向かいの「そごう」の赤い電器の文字が消えるまでいて、京王八王子駅から京王線に乗った。耳の中ではまだ鷽の鳴き声がしていた。

(了)


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2009年5月4日月曜日

●中嶋憲武 サマーランドまで 前篇

〔中嶋憲武まつり・第18日〕
サマーランドまで 前篇

中嶋憲武



ある夜、「体力強化月間」という件名のメールが届いた。友人からだった。散歩のお誘いだった。

国分寺駅に待ち合わせて、西武国分寺線に乗り、ふたつめの「鷹の台」駅で降りる。ちょうど昼どきなので、目に付いた中華食堂へ入る。つまらないバラエティー番組をやっていた。向かい合って黙々と定食を食べる。

食堂を出て、玉川上水に沿って歩き出す。日がきらきらとして、風も心地いい。この時期の空気は風合いがよい。この間歩いたときの終点だった「玉川上水」駅を通過する。柏町、砂川町、上砂町、一番町と歩く。喉が乾く日だ。いくら歩いてもコンビニエンスストアーの類いが皆目無く、白茶けた日が注ぐ。大きな通りにぶつかり、やっと店を見つけミネラルウォーターを買って飲む。この辺はとても田舎でゴルフコースなどもある。

「ゴルフ、やったことある?」と友人に聞く。
「あるよ。なにが楽しいのかわからんね」

拝島の駅を過ぎて、国道16号線にぶつかったところで玉川上水と別れ、左に折れる。多摩川の支流がいくつもに分かれ、秋川に沿って進む。「マムシに注意」という立て札が目に付く。よほど、マムシが出没するのであろう。心中、密かに草むらから這い出しては来ないかと期待する気持ちもあったのであるが、マムシは出なかった。マムシは出なかったが、轟音がしてジェット機が飛んだ。

「ジェット最終便だね」と、ぼく。
「朱里エイコか」と、友人。

秋川は蛇行しながらのんびりと流れている。川の向こうはなだらかな丘陵で、道もだいぶ草深くなっている。モーテルなども見える。日も傾いてきて、一人ではとてもこんなところは歩けないだろう。いろいろな鳥の声がする。鶯がすぐ近くで鳴いていて、その姿も見えた。口笛のように聞こえるのは、あれは鷽だろうか。

友人は、i-podにスピーカーをつけているので、音楽を聞きながら歩いていた。ミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」がかかった。

「SEがなくても、自然の鳥の声で充分だね」
「そうだね」

友人は突然、スイッチを切ったのでどうしたのかと思ったら、道の先に望遠レンズを構えている人がいたのだ。近づいていくと、そのカメラマンは「雉子がいるんですよ」と言った。見ると、たしかに草むらを雉子が歩いていた。悠然と歩いている。やがて草のなかに入ってしまって、見えなくなった。

(明日に続く)


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2009年5月3日日曜日

●中嶋憲武 宇宙人襲来 シーズン2

〔中嶋憲武まつり・第17日〕
宇宙人襲来 シーズン2

中嶋憲武

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太田うさぎ 宇宙人襲来 シーズン1

2009年5月2日土曜日

●中嶋憲武 昭和五十六年のカケフ 下

〔中嶋憲武まつり・第16日〕
昭和五十六年のカケフ 下

中嶋憲武


ぼくは、「いいよ。いつにする」と聞き返した。サカノはちょっと考えて、冬休みに入ったらかな」と「北の家族」の赤い灯を見ながら言った。サカノはすでに就職を決めているらしく、冬休みといっても受験勉強の必要がないのであった。こいつ、本当にぼくの家に来るつもりなのかなと考えていると、向こう側に準急が来た。準急のドアが開いて白い蛍光灯の光のなかから、たくさんの着膨れた人々が降りて、この各停にどっと乗り込んで来た。席を詰めるためにサカノは、ぼくにぴったりと肩を寄せた。一気ににぎやかになった電車のなかで、ぼくとサカノは顔を見合わせて微笑んだ。

クリスマスまであと一週間と年の瀬も押し詰まり、大学ではぼちぼち期前試験が始まっていた。フランス語の試験を終えたぼくたちは、学内の喫茶室でお茶を飲んでいた。「カケフが藤田平と一緒にベストナインに選ばれとるやん。こいつ、打席に入ると自分のバットを必ず見るだろ?」とニッカンスポーツを読んでいたイデが言った。阪神のカケフは4番に定着し、われらがエガワと幾多の名勝負を繰り広げていた。確かにカケフは、打席に入ると一回自分のバットを拝むようにして見上げる。「来年もエガワ、20勝するかな?」と、神戸生まれの神戸育ちにも関わらず、巨人ファンのイデがぽつりと言った。ぼくはエガワの来年の20勝よりも、今夜のササモトさんとのデートの方が気になっていた。

ササモトさんとその彼とは、いまだに全く切れてはいないらしいが、かと言って逢ってもいないようだった。ぼくは、ササモトさんにとって復縁までの彼の代用品であることは、うすうす分かってはいたけれど、頻繁にササモトさんの家に行ったり、逢ったりしているうちにササモトさんの態度にいらいらするようになっていた。ササモトさんの態度?いや、ササモトさんに対する自分の態度に、であろう。ササモトさんを好きになったとは自覚していなかったのだけれど、第三者からみればありありと分かった筈だ。この半年という期間は長過ぎた。半年前の梅雨のある夜、沼袋の駅で降りて、ふたりでベンチでライオンズジュースを飲んだ。そのときからぼくは多分ササモトさんを好きだったのだ。蹉跌となる前に一度、その事をじっくり考えてみるべきだったのだ。ササモトさんの本当の気持ちというものとともに。

サカノは、ウチに遊びに来る気はないようだった。「今度、お邪魔するね」と口では言うものの、具体的なその段取りとなると、いつの間にか鳥は飛んで行ってしまうのだ。女子高生の気まぐれという奴だったのであろう。アルバイトの帰りに混んだ電車のなかで、座ることが出来ず、春日部まで立って帰ったその夜、映画に誘ってみた。サカノはとても喜んだ。20日から冬休みだから、その第一日めにということで、銀座に封切られたばかりの「レイダース」を観に行くことになった。

約束のその日、朝から雪が降りそうな寒い日で、おまけに劇場はとても混雑していた。最初は調子よく画面に見入っていたのであるが、寒くて朝からコーヒーを飲み過ぎたせいか、トイレが近くなっていた。後半のラスト近くなって、画面を観ていることさえ辛くなってきた。「おしっこがしたい」という欲望が強くしゃしゃり出て来て、ついに我慢の限界を超え、「ちょっとトイレに行ってくる」とサカノに囁くと、人をかき分け通路に出、非常口から廊下に出た。廊下もトイレも、いまのように完全入れ替え制ではない時代だったので、次の回を待つ人でごった返していた。いらいらとトイレで並び、用を済ませて席へ戻ると映画は終っていて、マーチ風のテーマ音楽が流れ、スタッフのクレジットがロールアップしているところだった。サカノはいいところでひとりにされたので、とても不機嫌になっていてろくすっぽ返事をして貰えなかった。映画館を出て、お茶でも、と言うと、これから友だちと待ち合わせてるから、ここで、と言う。マリオンの前でサカノと仕方なく別れた。サカノの後ろ姿を悄然と見送って、有楽町をすこし歩いて、コリドー街の古い喫茶店に入った。

サカノは、一緒に映画を観て以来、アルバイトにも顔を出さなくなり、ひとりで帰る日々が続いた。店長に何気なくサカノのことを尋ねると、卒業や就職のことで忙しく、アルバイトも辞めるかもしれないと言ってきたということだった。

店は大晦日に近づくにつれ、忙しさの度合いが増した。アルバイトが終るとどっと疲れてしまって、まっすぐ家に帰るようになった。ササモトさんもこの頃、アルバイトに顔を出さない。今夜、電話をしてみようと思った。

(了)

2009年5月1日金曜日

●中嶋憲武 昭和五十六年のカケフ 上

〔中嶋憲武まつり・第15日〕
昭和五十六年のカケフ 上

中嶋憲武


その当時ぼくは授業が終ると、真っ直ぐにアルバイト先へ行くのが日課のようになっていた。ほとんど毎日アルバイトを入れていたし、休日ともなると開店から閉店まで12時間、アルバイトを入れた。そのような入りかたは「通し」と呼ばれ、アルバイトの仲間からは、畏怖とも尊敬ともいえるようなまなざしを送られた。無論、ぼくの他にも「通し」をする者はいて、ある者は5日連続を敢行し、これはアルバイト仲間の伝説となった。

ぼくのアルバイト先は、銀座にある飲茶の店で、点心類をワゴンに載せ、ゆっくりと店内を廻って売り歩くのがセールスポイントとなっていた。デリカテッセン、海鮮、焼き物、鹹点心、甜点心とワゴンは全部で5台あった。デリカテッセンのワゴンは、蒸し鶏や鴨のロースト、ピータン、バラ肉などの皿が載り、海鮮のワゴンは、シジミを醤油で煮たもの、烏賊のボイル、海老のボイルなどの皿が載り、焼き物のワゴンは、注文を受けてからワゴンの上の鉄板で大根餅、湯葉などを焼いて出し、鹹点心のワゴンは、焼売、肉饅、包子、春巻きなどの蒸篭が載り、甜点心のワゴンは、月餅、マーラーカオ、薩奇馬、杏仁豆腐などのデザート類が載った。

アルバイトの仲間たちは、それぞれ相性のいいワゴンというものがあり、海鮮ばかり廻す者、焼き物ばかり廻す者、デリカばかり廻す者と暗黙のうちに廻すワゴンが決まっていた。ぼくは、おもにデリカのワゴンを廻し、ときどき焼き物のワゴンを廻した。焼き物のワゴンは、高橋国光を崇拝するキタさんが主に廻していたのだが、キタさんが休みのときや、パントリーに入っているときは、ぼくが廻していた。キタさんは休日はもっぱらツーリングに行くという大のバイク好きで、店がヒマなとき、焼き物のワゴンがカーブに差し掛かると、リーンインの体勢を真似て、「ばばばば、ぎゅいーん」などと言いながらコーナーを廻って、デリカのワゴンのぼくを見返ってにやりとしたりした。

ぼくのうしろに海鮮のワゴンを廻しているササモトさんが続いた。ササモトさんはぼくより2つ下で、新宿にあるキーボードの専門学校に通っていた。彼とあまりうまく行っていないようで、なにかと相談に乗ったりしているうち、ふたりで会うようになり、半年前ササモトさんの家へ上がってしまってから、ササモトさんの妹の留守(ササモトさんは妹と二人暮らしをしていた)のときはササモトさんの家へ行くようになっていた。

ササモトさんは、カチューシャの前髪を気にするしぐさをした。ぼくは、あごを触った。これはふたりだけのサインで、前髪を気にするしぐさは「今夜、ウチに来ない?」と言っているのであり、あごを触るのは、「いいよ」と言っているのである。「今日はだめだな」と言うときは、鼻をこするのである。そのようなやりとりを、ササモトさんのうしろにいるデザートのワゴンを廻すサカノが見ていた。サカノは大きな悪戯っぽい目でぼくを見ていた。ぼくは、悟られたわけでもないのに、どぎまぎとした。蒸し鶏に添えるシャンツァイを長い象牙の箸で、意味もなく掻き回した。

サカノは、ぼくと同じく春日部に住む春日部女子高の3年生だった。目が大きく、色が浅黒く、ちょっとエキゾチックな顔立ちをしていた。アルバイトが一緒に終るときは、サカノとぼくは春日部駅まで一緒に帰った。サカノと肩を並べて東武電車に座り、せんげん台駅で準急待ちをしているとき、「準急が来るから乗り換えようか」とサカノに言うと、「疲れちゃったから座っていこうよ」と言った。準急が来るまで、開きっぱなしのドアから見える真っ暗な風景を見ていた。暗闇に「北の家族」の赤い灯が寒そうに瞬いていた。サカノは出し抜けに「こんど、家に遊びに行ってもいい?」と言った。

(明日に続く)

2009年4月25日土曜日

●中嶋憲武 眠らない海

〔中嶋憲武まつり・第14日〕
眠らない海

中嶋憲武



若葉のころになると、海がみたくなる。

むかし観た「小さな恋のメロディ」というイギリス映画の影響であろうか。それともこの時期の地霊の振り撒く憂愁のせいであろうか。

小学生の恋人たちは、学校をサボって海へ遊びに行く。砂の城を築くうちに少年の手が少女の手に触れ、そこで少年は少女へ「結婚しようか?」と言うのである。子供ながらに観ていて羨ましいシーンであった。

何年か前に、会社を辞めた者同士で月に一度くらい集まっていた時期があって、旅行をしようという話になった。晩春のころだったと思う。当日集合したのは男ばかり4人。浦賀からフェリーに乗り房総へ渡り、小さな灯台のある岬で一泊した。

洋上は穏やかに晴れていて気分がよく、風が爽快だった。こんな時にビールが飲みたくなるのだなと思った。ぼくは飲めぬので、シュウェップスを飲んでいた。あとの三人は無論ビール。

岬はホテルと灯台とみやげ物屋ぐらいしかなかった。灯台へ登り海を見て、灯台を降りて岩場に座り海を見た。岩場の水たまりに小さな名の知れぬ魚がいたので、プラスティックのコップに確保してメロディみたいに目の高さまで持ち上げる。

夜、眠れなくてもう一度、岩場へ行った。海はまっくらだった。ときおり遥か沖合いをゆく船の灯りがちらちらするのみ。風が生暖かく頬をなでる。昼間、灯台の下にいた猫たちはどうしているかなと考える。眠くなるまで海をみていようと思った。

2009年4月24日金曜日

●中嶋憲武 トワ・エ・モワみたいな

〔中嶋憲武まつり・第13日〕
トワ・エ・モワみたいな

中嶋憲武



小学校5年のとき、毎晩7時半からフジテレビで「クイズグランプリ」という小泉博司会の15分のクイズ番組やってて、提供がたしか旭化成だった。

その旭化成のCFに封切前の「小さな恋のメロディ」のカットが使われてて、メロディがバレエレッスンしてるところとか、ロンドンの街をダニエルとトムが遊び回るところを見て、この映画観たいって思ってしまった訳だ。訳です。

で、母にせがんで有楽町のニュー東宝シネマ1へ観に行ったんですが、すでにすごい行列。母は並んで映画を観たりするのが嫌いなので、機嫌がたちまち悪くなってしまって、ぼくに八つ墓村、あ、違った、八つ当たりする訳です。で、「ちょっと買い物してくるから待ってて」とか言って、ひとりで並んで待っていると、前に並んでいた大学生くらいのカップルがそんなぼくをかわいそうに思ったのか、クールミントガムをくれたのです。その大学生はちょうどトワ・エ・モワみたいな感じでした。この映画を観ると、あの大学生はいまごろどうしているのやら、と思ってしまいます。案外、句会で一緒になっていたりしてね。



2009年4月23日木曜日

●中嶋憲武 中国女

〔中嶋憲武まつり・第12日〕
かしつぼ
LA FEMME CHINOISE/中国女(1978)


中嶋憲武


かしつぼ=歌詞のツボ
詞/クリス・モスデル
曲/イエロー・マジック・オーケストラ

Des notes sans fin Des visages identiques
C'est un bras brilliant De petits pieds laces

Des notes sans fin Des visages identiques
La demarche saccadee Avec des voix pincees
La discretion noiraude Arriere-pencees,qui sait

C'est un bras brilliant De petits pieds laces
Des notes sans fin Des visages identiques
La dimarche saccadee Avec des voix pincees

Fu Manchu and Susie Que
And the girls of the floating world
junk sails on a yellow sea
For Susie Wong and Shanghai dolls

Susie can soothe Away all your blues
She's the mistress The scent of the orient
Notes sans fin visages identique

Comme tous les vieux insectes
Demarche saccadee, affiche criarde,voix pincees
Discretion noiraude bible rouge
Arriere-pencees, que sait Un monde finit


なんとも取り留めのない詞である。図らずも歌詞のなかに Des note sans fin とあるように、取り留めの無さというのは、この曲のキーワードだったのかもしれない。

クリス・モスデルの詞は、いつでもこんな調子でイメージの断片を連鎖させてひとつの世界を形作る。

フランス語の歌詞の部分は、当時アルファ・レコードの社長秘書だった布井智子が担当している。曲を聴いている限りはきれいなフランス語で、とても日本人だとは思えない。布井智子はきっときれいなひとに違いない。

歌詞はたとえば、こんな内容。

取り留めのないメモ 同じ顔
それは輝く腕 紐で結ばれた小さな足

取り留めのないメモ 同じ顔
ぎくしゃくした歩き方 気取った声をして

黒髪の慎み深さ 心の底の考えなど、誰に分かる?

それは輝く腕 紐で結ばれた小さな足
取り留めのないメモ 同じ顔
ぎくしゃくした歩き方 気取った声をして

フー・マンチュー博士とスージー・キュー
漂う世界の女の子たち
黄海に浮かぶジャンク

スージー・ウォンと上海ドールズのために
スージーは慰めてくれる
あなたの憂鬱をすべて吹き飛ばし
彼女こそ女王様だ
東洋の香りして

取り留めのないメモ 同じ顔
 
古い昆虫すべてのように

ぎくしゃくした歩き方 けばけばしい貼り紙 気取った声

黒髪の慎み深さ 赤い本

心の底の考えなど、誰に分かる? ひとつの世界が終る

旺文社のプチ・ロワイヤル仏和辞典を引き引き書いたので、多少間違ってるかもしれないが、だいたいこんな感じの歌詞かと。この曲は、「イエロー・マジック(東風)」という曲からノン・ストップで繋がっていて、2曲で1曲という見方もできる。この2曲と「マッド・ピエロ」という曲でゴダール3部作と呼ばれていたようだが、歌詞の内容はゴダールの映画とは全く関係ない。ただ、上記の「中国女」の英語の詞の部分は「スージー・ウォンの世界」という映画(未見ですが)と多少関係があるようだ。

大学時代、映画研究部にいた。8ミリ映画を撮っていたのだ。1年のとき無理矢理先輩の映画を手伝わされた。それは、「東風」と「中国女」の今で言うPVのような作品だった。「チャーリーズ・エンジェル」をもじって「チャイニーズ・エンジェル」というタイトルのSF風のもの。

この作品は15分そこそこのものだが、撮影から完成まで5年くらいかかったと記憶する。なにしろ短いカット割りが好きなひとで、主演女優の弁によると上映会のときに、たしかに撮られたと思ったカットがあったと思ったが、そのカットが無かったので、観終わってから監督に聞くと、まばたきをしているうちに、そのカットが終ってしまっていたというから、たった2コマか3コマのカットだったのかもしれない。短すぎるよ。5コマくらいかな。8ミリフィルムは18コマで1秒だから、零点何秒かというカットだったのだ。

結構凝る監督で、美術であるぼくに、冬に桜の花がいっぱいに付いた枝を作って来いとか言って、ぼくは言われた通りに夜中に古利根川の土手の桜の枝を折ってきて、花は桃色の紙で一枚一枚作って枝に貼付け、徹夜して作ったその枝を、満員の東武線、満員の千代田線を乗り継ぎ苦心惨憺して、狛江の野川の現場へ持って行くと、「よく出来てるじゃん」とひと言。そんな風に苦労して凝りに凝って作られたカットがたったの3コマだか5コマだかしか使われず、目に突っかえ棒をして映画を観ていなけりゃならないなんて、涙も涸れるというものよ。

この曲のヴォーカルはユキヒロで、細野さんが名付けた「フー・マンチュー唱法」という歌い方をしている。この歌い方はキモい。今だにやってるけど。





2009年4月22日水曜日

●中嶋憲武 忘れじのデミグラスソース

〔中嶋憲武まつり・第11日〕
忘れじのデミグラスソース

中嶋憲武


なぜかこのところ、昔よく食べたあの味を思い出してしまって、久しぶりに食べに行こうかと思った。

それは5年ほど前、勤めていた会社の近くの洋食屋のU定食だ。

ハンバーグの上にチーズ、その上に半熟の目玉焼きが乗っていて、ポークビーンズと温野菜が添えてある。このポークビーンズがまた絶品で。ポタージュスープとライスが付いて1500円。

目玉焼きの上からナイフを入れると、黄身がとろ~りと滲み出す。肉汁もジュワッとして、黄身と肉、肉汁とチーズとデミグラスソースの渾然一体となったものをナイフとフォークで支え持つと、いい香り。

ここまで夢想して、その夜、仕事が終ってから行ってみた。

銀座一丁目の煉瓦亭。この店はごく狭い。一階のカウンターは5人も座れば一杯になってしまう。二階へ通され、二階もカウンターとちょっとした椅子席のみ。カウンターに座って、メニューを渡され眺めてみたが、お目当てのU定食はない。ABCDと来て、なぜかいきなり飛んでU定食なのだが、それが無い。

カウンターのなかの女性に「あの、U定食やってます?」と聞くと、女性は一瞬きょとんとして、それから「ああ、懐かしい!やってましたよね」
と言うので、今はやってないのかと思い、記憶を呼び覚ますように「ハンバーグの上にポークビーンズとか乗ってる、あれ」と言うと、「そうそう、うちじゃ、やってなかったけど、新富町のほうの店ならやってるかもしれないので、聞いてみます」と電話して聞いてくれた。

たしかに新富町の店では、今でもやっていた。昔の会社の近くの店は、新富町の店なのだから、最初からこっちへ来ればよかったのである。何を血迷って銀座一丁目へ行ってしまったものか。店へ入るとお客さんがひとりだけで、オムライスを食べていた。

カウンターへ座って、厨房の人と目が合うと、厨房の人はぼくを覚えてくれていたらしく、二人とも「あれ?」と言った顔つきになってから、「今晩は。久しぶりですね」と言った。「いや、今ね、急にU定食のポークビーンズが食べたくなって、銀座へ行ったら無くて、新富町ならあるっていうんでこっちへ来たんですよ」と言うと、U定食はあるけれど、ポークビーンズは載せていないのだと言う。

「ええ?ポークビーンズを食べたかったんだけど」
「すみません。せっかく来て戴いたのに。目玉焼きとチーズはそのままです」
「じゃ、Uで」と、多少がっかりして注文した。会計の奥さんも変っていない。水とおしぼりと夕刊を持って来てくれた。

夕刊を読みながら待っていると、ポタージュが出た。一口飲む。ジャガイモの味のポタージュ。相変わらずの美味しさ。なんだか安心する。お待ちかねのハンバーグが来て、ナイフを入れると懐かしいあの匂い。黄身のとろりとした感じもよし。たっぷりとデミグラスソースが掛かっている一片を口に運ぶと、えも言われぬ心地。食事しながら、厨房のコックさんと話す。先ほど、オムライスを食べていた人は、食べ終わって店を出て行ったので、客はぼく一人になった。

「しばらくですね」
「勤めが浅草の方になっちゃったんで、足が遠退いてしまって」
「浅草なんですか。あの辺も洋食屋さんたくさんありますよね。大宮とかヨシカミとか」
「浅草ではヨシカミにしか入ったことないですね」
「ぼくも行きましたよ」
「おっ。研究ですね」

会社で会議の時は、この煉瓦亭からよく洋食弁当を取っていたものである。その頃の話をすると、今ではあまり取ってくれなくなったらしい。経費節約なのだろう。会長や経理の人は今でもときどきランチを食べに来るそうで、今日も会長がやって来たらしい。シーフードカレーを注文したとか。ここのシーフードカレー、辛くて美味しかったんだった。

食べ終わって、
「ごちそうさま。美味しかったです。ここのデミグラスソースの味を思い出して、どうしても来たくなったんです」と言うと、コックさん二人はにこにことして、
「また来てください」と言った。

幸せな気分で家路に着き、真っ暗な部屋に帰って、電気を点けると待っていたかのように冷蔵庫が、ぶーんと唸り出した。

2009年4月21日火曜日

●近恵/金子敦 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第10日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その3


届いてほしい人に届かない

近 恵


亀鳴いて凡そその数五千とも
  中嶋憲武

五千ってどんだけだよ~というのが第一印象。その瞬間私は思い出した。真夏に行った六義園のことを。池に亀がいたのだ。しかもその数五千!かどうかはわからないが、とにかくうじゃうじゃとわらわらと恐ろしいほどの数の亀がいたのだ。

梅の頃に再び六義園を訪ねた時、私はまたあの亀たちに会えるのではと密かに期待していた。しかし亀は一匹もいなかった。あれだけいたのが全滅するはずもあるまい。亀はまだおそらく冬眠中だったのであろう。少し残念な気持ちになって池をあとにした覚えがある。

さて、この句の「亀鳴いて」。季語としての「亀鳴く」は、歳時記では実際には亀が鳴くことはないと書かれている。まあよく交わされる話だが、亀は危険を感じた時に「きゅーっ」とか音を出したりするものがいる。交尾の時期なんかも音を出すらしい。本当に亀が鳴いてるのなら「その数五千」は相当騒々しい感じであろうが「亀鳴く」の亀は鳴いていない。だから作者には亀の鳴く声は聞こえてはいない。となると「その数五千とも」も胡散臭く、実態はない。ただそうらしいと思った作者だけが実態としてあるという不思議な虚構の世界。

そこでこの句は作者の心象、いや、ひょっとしたら作者そのものが亀なのではないかと思い至る。

声にならない声で鳴く亀。亀は言葉をつむぎ、俳句を詠みに詠む。およそその数五千とも、ひょっとしたら一万とも。しかしその言葉は声にならないから詠んでも詠んでも本当に届いてほしい人にはなかなか届かない。けれど届いてほしいから亀は詠み続ける。いつか鳴ける日を夢見て……。

作者の憲武さんは結社の先輩で、よく同じ句座を共にする。俳句だけに留まらず才能豊かで尊敬する俳人だ。それだけに、自分の妄想で切ない気持ちになってしまった。ガンバレ、亀。ガンバレ、憲武さん。

 ●

そのこぼれ落ちた粉は

金子 敦


マカロンのぽろぽろこぼれ春ですよ
   憲武

マカロンとは、砂糖・卵白・ナッツを混ぜて焼いた、カリッとした歯ざわりが特徴のお菓子。いくら上品に食べようとしても、どうしても粉がぽろぽろこぼれ落ちてしまう。もしかしたら、そのこぼれ落ちた粉は、透明な虹色の花を咲かせてくれる「種」なのかもしれない。それは、大人には決して見ることが出来ない花。純粋な子どもの心を持った者だけが見ることが出来る花。数え切れないほどの虹色の花に囲まれて、作者はまたマカロンをひとつ口にする。

2009年4月20日月曜日

●小林鮎美/齋藤朝比古 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第9日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その2


よむ、はひらがな

小林鮎美


シネラリア前衛俳句百句よむ  憲武

なんかあんまり詳しくないので、「前衛」とか言われると、入り組んでいて、ごつくて、解りにくいものだ、と思ってしまう。たぶん「衛」という漢字のせいだ。字の見た目が入り組んでいて画数が多いし、普段使わないから。自衛や防衛っていう言葉のせいか、軍事的・政治的な匂いも感じる。

で、「前衛」という語にはカタカナが似合う。「前衛」っていう概念自体が外国から入ってきたからだろう。だからやっぱり、前衛俳句に添える花はカタカナの花。品種が多く、色とりどりに咲くサイネリアは「前衛俳句百句」に付けるにはぴったりだ。そして現在広く使われている「サイネリア」という呼称ではなく、「死」という語に繋がるとして避けられている「シネラリア」を置いたことには、やはり意味があるのだろう。

ただ、この俳句には「前衛俳句は死んだ」と言いたいというニュアンスより、「シネラリア」の横に「前衛俳句」を置いても別にいい、みたいなさらりとした作者の態度がみえる気がする。だって、「よむ」はひらがなだ。

私には、この何気なさが、すごく大事な感覚に思える。

 ●

含羞と懐古趣味的フェティシズム

齋藤朝比古


コサージュの揺れて卒業生らしき   憲武

コサージュである。昭和のアイドルがこぞって胸元にあしらっていた、この懐かしき響きを伴った装飾品がそよそよと揺れて「あぁ卒業生なのかも…」などと思ったのである。「らしき」あたりに、作者の含羞と懐古趣味的フェティシズムの一端を垣間見る、ちょいと頬を赤らめてしまうような風合いを持つ一句。中嶋憲武氏、ときどきこういう句を確信犯的に発表したりするから、曲者。

でも昨今の卒業生、コサージュってつけてます?どちらかというと保護者の方に多いような気がするんですけど…。

2009年4月19日日曜日

●山口優夢 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第8日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その1

彼の息は途切れることなく


山口優夢

しつしつとボクサーの息春の雪
   憲武

「しつしつと」という擬態語が目を引く。リズミカルではあるが、騒々しくはない、むしろ、静謐さをたたえたような音。句から受ける印象がリズミカルだと思うのは、その上五だけの印象ではなく、「息」の「き」と「雪」の「き」が揃うことで歯切れ良いリズムを作り出しているからでもあるだろう。

この句には「ボクサー」という主人公がいるものの、彼(まあ、たぶん、男ではあるだろう)が何をしているのかは特定することができない。春の雪に包まれてしまって、彼がどんな場面にいるのか、ということまで分からないのだ。そこで勝手に想像力を働かせるのが、読者の楽しみである。

たとえば、ロードワーク中の「ボクサー」の姿を思い浮かべる。川べりかどこかを、時折シャドーボクシングなどしながらすべるように走ってゆく。レインコートみたいなものを頭からすっぽりかぶっている。時刻は早朝か、夜がいい。丹下段平氏によれば、ロードワークはアスファルトのような硬い地面だと膝を痛めやすいそうだから、土手の柔らかい土の上を走っていると思いたい。そこに、春の雪がうすく舞い始めている。いつから降っているのだろう。彼は無心で拳を突き出す。「しつしつ」とした自分の息の音だけで、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合が始まる前、準備運動をして息を弾ませている「ボクサー」を思い浮かべる。暗い控え室で手首や足首を入念に回し、体のばねを目いっぱいに伸び縮みさせ、セコンドを相手にパンチの練習をしておく。ジャブ、ジャブ、ストレート。そこでまたジャブ。まあ、このくらいにしておこうか。リングの方が騒がしい。どうやら、前の試合で、矢吹丈の必殺クロスカウンターが決まったようだ。その熱狂の渦の中へ自分もこれから飛び込んでゆくのだと思うと、身の引き締まる思いがする。ぎいぎい言う窓を開けると冷たい空気が流れ込む。外は雪なのだった。緊張した自分の「しつしつ」とした息の音で、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合中の「ボクサー」を思い浮かべる。まばらにしか埋まっていない客席からは、時々耳をつんざくようなヤジが聞こえてくるが、彼の耳は「しつしつ」とした自分の息の音でいっぱいになっている。胸の奥には、控室の窓から見えた春の雪が降っている。彼は、痛めつけられた肉体の内側にそんな静寂な世界をたたえたままで、リングの中を駆け巡っていた。ここまで、目の前の相手の方が自分よりも手数をたくさん出している。ポイントではおそらく彼の方が上回っているだろう。この最終ラウンドでKOしなければ自分の勝ちはない。痛む左腕を引きずるようにして、彼は世界チャンピオン、ホセ・メンドーサに向かってゆく矢吹丈のごとく、対戦相手へと風を巻いて向かってゆくのだった。

たとえば、マットに沈められた「ボクサー」を思い浮かべる。10カウントの間に立ち上がることができず、敗れてしまったボクサー。彼はリングの上に寝転がりながら、「燃えたよ、真っ白な灰に…燃え尽きた」と呻いているが、声が小さすぎて誰にも聞きとめられることはない。どこからか冷気が入り込んでくるらしく、寝転がっているとひんやりした空気が身を包みこむ。そうか、外は雪だものな…。そこまでで彼の意識は途切れた。その直前に聞いていたものは、やはり「しつしつ」という自分の息の音だったのだろうか。

「ボクサー」が「ボクサー」であり続ける限り、リズミカルに繰り返される「しつしつ」という息の音はずっと付いて回るのであろう。一句においてボクサーが何をしているか特定されていないということは、つまり、逆にいえば、いつだって彼の息は途切れることなく「しつしつと」吐き出されているということを示しているのだ。ふと訪れた春の雪のような静寂の中では、彼の息の音は彼の鼓動のように耳を圧する。それは生きている証であり、闘い続けていることの証明なのだ。

河原ですれ違った「ボクサー」を見送りながら、ナカジマさんはとぼとぼ歩く。「しつしつ、しつしつ」と口ずさみ、そして、彼もまた「ボクサー」同様に春の雪に包まれてゆくのだった。

2009年4月18日土曜日

●俳壇ひとり

〔中嶋憲武まつり・第7日〕
俳壇ひとり


俺の名はタナカヒロシ。俳句をちょっとやってます。自信作は「春雨の横切つてゆくマンホール」です。加藤楸邨に私淑し、最近はなんだか、こう人間探求力がますます上がってきた感じです。へへへ。

先日もある句会に出たら、あ、「テルミンと俳句の会」はちかごろ出てないです。なんかテルミンと俳句って合わないような気がするんですよね。で、よその句会に出たら、ある人に「キミは俳句の骨法というものを心得ているね」と言われました。骨法ですよ、骨法。よくわからないんですけど、なんだか道を極めるみたいで凄そうじゃないですか。何を言われてるのか、わからなかったけど、なんだか偉くなったような気がして、「ありがとう」と言っておきました。

ぼくはもう40越えてるおっさんなんですけど、こういう俳句をやってる人たちの集まりの中では若いほうなので、「若手」と呼ばれて、この呼び方ぼくは、気持ち悪いんですけど、もてはやされるんですよ。「若手」と呼ばれるたびに、ぼくは「若人あきら」を想像しちゃうんですよ。「若手」と「若人」が音が似てるからですかね。俳句の会って、そういうところです。とにかく若けりゃいい。俳句やってる婆さんなんて、ちょっと大学生が来るともう、びっくりしちゃって、バカんなっちゃって、座りしょんべん、て感じですよ。いやこれは言い過ぎたかな。

俳句をやる前は、句会っていうとみんな芭蕉みたいな宗匠頭巾を被って、いわゆる奥の細道を旅しているみたいな格好をして、机に座って瞑目している。そしておもむろに目を開けると矢立てから筆を取り出して、短冊にすらすらと一句を書き付ける。と、こんな場面を想像してましたが、平成の現代にそんなアナクロなことやってるわけないですよね。コピー用紙なんかを短冊にカットしたものへ鉛筆で句を書くんです。テルミンと俳句の会では、自作を書き付けてあるノートを手に、立って発表していたので、ここは大きく違うなと思いました。

ひとつ言えることは、俳句は垢抜けないということ。ぼくなんか、その点安心して安住していられますね。俳句が垢抜けしてしまってメジャーな存在になったとしたら、もう病気になっちゃうかも。貧乏なぼくには持って来いの遊びですよ。一部には俳句をもっとメジャーなものにという意見もあるようですが、何を考えているのかと言いたいですね。

ぼくは、ちっぽけなこの形のままで、それほど人に知られずにひっそりと片隅で生きて、ときどき人に思い出されるような、そんなものでいいと思うんですけど。芭蕉は不易流行と言いましたが、それって結構言い得ているんじゃないですかね。変らずに表立たずにずっとあるもの、折につれ変化するもの、結局同じこと。基本的なところからは、たぶん逃れられないですよ。

おっと、彼女が待ってるのでもう帰りますね。

2009年4月17日金曜日

●中嶋憲武 二国

〔中嶋憲武まつり・第6日〕
二国

中嶋憲武


武蔵新田の駅で降りた。

くちぶえふいて、あきちへいった的な感覚である。

ただなんとなく小さい頃かかわりのあったあたりを歩いてみたかったのだ。

武蔵新田には親戚があったが、いまは八王子の在に住んでいる。その家のあったあたりへ、かすかな記憶を辿りながら行ってみたが、まったく変わってしまっていて、玄関先のオシロイバナも忽然と消え失せていた。無理もない。もう30年ほど月日が流れてしまったのだ。

しょんぼりとして、環状八号線へ出て、第二京浜にぶつかったところで曲がる。

この辺のひとは、第二京浜を二国(にこく)と呼んでいる。むかしフランク永井が、「つらい恋ならネオンの海へ 捨てて来たのに忘れてきたに バック・ミラーにあの娘の顔が浮かぶ夜霧のああ第二国道」と歌った道路だ。

とぼとぼと二国を北上。池上へ向かう。

池上線の鉄橋の手前を折れて、駅前へ。駅前の商店街には、父方の親戚が4軒並んでいるが、今日は素通り。御免。

小学校へ上がる前まで住んでいた家のあたりを目指す。母とよく買い物に来た綱島さんはそっくりそのまま残っていた。床屋のかわなさんも。お菓子を買いに行ったハヤシヤさんもそのまま。ポール・マッカートニーが「ペニーレーン」を作った動機は、こんな気持ちのときだったのかな、と心のかたすみで2秒くらい思う。

池上本門寺の先祖代々の墓へお参りし、広い公園のなかを熊笹をかさかさ言わせながら、とぼとぼ。池上梅園の前を通るが、すでに梅は散っていた。

しょんぼりとして、またまた二国にぶつかる。これをさらに北上することにし、馬込を目指す。

二国から馬込のバス通りへ入り、大森十中前のバス停を折れてだらだら坂を上がり切ったところが、通っていた幼稚園。坂を上がっているとき雨が降ってきた。春雨じゃ、濡れて参ろうなどと、高を括っていたが雨は「じゃ、濡らしてやろうじゃないの」と言うとだんだん激しくなってきた。すっかり驟雨。

リュックから折りたたみ傘を出して差す。斜めに降って身体が濡れるので、まったく変貌してしまった幼稚園のファサードの軒先を借りる。

幼稚園のまん前は、おさな馴染みのYちゃんのお屋敷。Yちゃんの家へはよく遊びに行った。幼稚園の軒先からも見える芝生の庭で、泥だらけになって遊んだ。いくら目の前に家があるからとて、手みやげも持たず、突然お邪魔するわけにも行かず。Yちゃんは10年ほど前、銀座の三人展にぼくの絵を観に来てくれた。それ以来、まったく音沙汰もない。

雨は小降りになった。幼稚園の外観は変わってしまったが、庭のケヤキはそのままだった。

二国沿いのジョナサンズへ入って遅い昼食を取る。ドリンクバーの前に佇み、今度Yちゃんに手紙でも書こうと思った。