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2016年3月12日土曜日

【みみず・ぶっくす 61】ヘヴンリー・タッチ 小津夜景

【みみず・ぶっくす 61】
ヘヴンリー・タッチ

小津夜景


 あまり言葉が好きではない。むしろ訝しんでいる。
 でもこれが言葉でなく文字となると話は別だ。文字から意味が現れたり消えたりする光景というのはなぜああも感動的なのか。なかでも意味のわからない文字の美しさ。そんな字面を見つめたり、なぞったり、小脇に挟んだりするあの快楽といったら! 
 十代の頃、而立書房という読み方不明の出版社から出ていたスリュサレヴァ『現代言語学とソシュール理論』という本を偶然ひらき、そのあまりのわからなさに瞬息で魂を奪われたことがある。もういちど端から端まで見返してみたがやはり何もわからず、それが日本語なのかどうかさえ謎のまま思わずふらふらと買い、犬が骨を掘り返しては埋めるみたいに本棚からその本を出してはしまう日々をそれから十年ほど過ごしていた。
 西洋の文字は形(フィギュール)で、砂のように粒だち、見つめているとサンド・ノイズが字面から聴こえてくる。コード進行を追う感覚でそのざらつきの微妙な変化を手さぐりで追ってゆくと、突如つかのまの「読みの中心」が構造化される奇跡と出くわす。あれがたまらない。
 片や日本の文字は線(リーニュ)で、波のように揺らめき、どこか一点を引っぱればするりとほどけて別の余波へと化けてしまう。そんな水面で、中心のない浮遊感に身をまかせているときの、自分自身までが解きほぐれるあの感覚もふしぎだ。
 中心のない浮遊感といえば「カインド・オブ・ブルー」。ビル・エヴァンスはこのアルバムを書道のような旋律と説明したが、夜しかり水しかり、ブルーという抽象概念にもかなり大切な恍惚への糸口が潜んでいそう。とはいえそれはまた別の話。


別人に布をかぶせる春まつり
早蕨にwhyの文字化けまばゆかり
ものはなのもつれを空に口走る
椿餅食べてほんのり伏字かな
北開くしかばねかんむりの家で
春の扉にくさび形文字を彫る
鳥影がぎやうにんべんとなる春壁
滑りだす虻は光のシンバルを
しやぼん玉ことばに触れて失明す
棲みわびし風を古巣として僕は

2016年3月5日土曜日

【みみず・ぶっくす 60】愚直なさえずり 小津夜景

【みみず・ぶっくす 60】
愚直なさえずり

小津夜景


 誰の目を引くこともなく凡庸に繰り返される紋切り型の詩句。ひっそりと心ひかれつつ、そんな詩句を眺める。そうしているうちに、だんだんと紋切り型の詩句というものが、言葉ではどこにもゆけないこと、結局この場所に戻らざるを得ないことを確認するための、とても入念な戯れのような気がしてくる。
 ひとはあの場所を忘れないと思いつつかならずそれを忘れ、それゆえ繰り返しそれを思い出す。つまり「ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ/式子内親王」と言いながら実際は「梅を見て梅をわすれてもう一度梅を見るまで忘れてをりぬ/小池純代」ということらしい。
 しかも思い出すのはかつて何かに恋していた記憶であり肝心のあの場所自体ではない。むしろあの場所はいっそう儚い。紀貫之が「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞさびしき」と記したように。そんなさなか紋切り型の詩句に出くわすと、わたしにはそれが、もはやこの世界になにも期待していないことのとても愚直なさえずりに思えてくるのだ。
 いま季節は春でわたしはベランダに来る鳥たちの声を聞いている。聞きながら「花咲かば告げよと言ひし山守の来る音すなり馬に鞍置け/源頼政」と文字でつづり、それから、ついこの間まで私たちに可能な伝達手段で一番速かったのは馬だった、と想う。そうした時代、ひとはどんなにか鳥にあこがれただろう。鳥は空間はおろか時間さえ軽々と超えるそうだ。だがどちらへ向かって? それはたぶん、

  どうしても見えぬ雲雀が鳴いてをり / 山口青邨

マドレーヌいただく春の臥所かな
なかんづく押入れ愛す雛あられ
沈黙の春やも硯きれいにす
回送を待つ桃の日の代書人
クレソンの束を空ごと贈られし
みつばちの羽音は時をふれまはる
力学の本閉ぢ風の吹く古巣
翅割つてわれは霾ることばかな
桃の下そぞろに詩句をそらんずる
青き踏む地上最後の音楽家

2016年2月27日土曜日

【みみず・ぶっくす 59】エアー病 小津夜景

【みみず・ぶっくす 59】
エアー病

小津夜景


 ことばの平衡感覚にささやかならぬ欠陥がある。日頃なにかを伝えようとするとかならず思っていたのとは逆のことを言ってしまうのだ。しかも指摘されるまでそれに気づかない。
 まったく自覚がないというのは何かの病気だろうか。
 もともとしゃんとするのが怖いというかそれを避けたい性分ではある。目がわるいのでものをよく見ることがなく、好んで聞くのはたわいない物音ばかりで、今日までの来し方を思い出すと飛び降りたくなるため昨日のことすら考えない。さらには生業が無我の境地をめざすことときている。
 そんなこんなで年がら年じゅう放心しっぱなしだ。
 このまえ浜辺で赤ん坊みたいによつんばいになって貝殻をあつめていたら、ふと近くのガードレール越しにこちらを指差している男の子を母親がむりやり引きずってゆくのがみえた。エアーおばさんだよ、という男の子の声がきこえる。エアーおばさん? 何だそれ。エアー、エアーといえば土方巽の「幽霊になぜ足がないのか。ところが幽霊でもああいう形態を保っているわけですね、何かが支えている。支えなければ浴衣と同じて落ちてしまう。支えているもの、エアーですね」しか思い浮かばないが。
 後日、エアーというのは雲の上でふわふわ傾いている感じのことだよ、と知人が教えてくれた。ふうんそうだったのか。もしかしたらじぶんが思っているのと逆のことを言うのも、なにかそういった無重力的なことと関係しているのかなあ。
 ところでこの病気、夫婦間ではなんの問題にもならない。「あれどこ」と夫に聞かれて「右の棚」と答えれば、夫はだまって左の棚を見にゆくから。イッツ・ノット・アンユージュアル。


モザイクの風すこしある沈丁花
コマ落としめいて遅日の走り書き
目ぐすりをくすぐる糸の遊びかな
クローバーしこたまつんで心が留守
地の果てや花を見ちがふ言ひちがふ
ストロボのそぼふる春のモアイ像
要約のやうに老ゆらむ桃の坂
いまさらの夜を慈姑と眠りこけ
田楽に死に至らざる病あり
紙芝居かすみの奥に呑み込まる

2016年2月20日土曜日

【みみず・ぶっくす 58】本とエロス 小津夜景(詞書川柳 なかはられいこ)

【みみず・ぶっくす 58】
本とエロス

小津夜景
(詞書川柳 なかはられいこ)



 中が見えないよう紙が折られ、几帳面に縫われたあげく、しっかりと糊で綴じられた本というもの。読むためにはナイフで紙を裂かねばならない。そして裂いた瞬間あらわになる、植物のようにエロティックな文字列。本とはかくも欲情をそそる装置だ。
 それは言葉の束のボンテージであり、また読むことは、その内容を気ままに食い散らかすため、本という体裁を脱ぎ捨てるようふたたび言葉に強いることでもある。
 このあまりに幸福で単純な〈隠すことと暴くことの間のロール・プレイ〉の話を耳にしたとき、じぶんはそれをまったく理解できなかった。世界がそんなにも〈わたし〉を中心にまわっているとは到底おもえないから。
 本はもっと、ずっと軽い。
 たとえばこよなく愛したいのは、いつまでたっても書きかけの本。
 構築性を欠くという意味ではない。むしろ構造は練られに練られているのに、最初と最後だけがどこかに行ってしまったような本。我慢しきれずに込み上げたかとおもうと、絶頂へ至る前にすっと収まってしまう、あかるくひなびた公園の噴水みたいな本。読んでいると、見えている文章の奥の方から、別の誰かのつぶやきが聞こえてくる本。紙が固定されておらず、風が吹くたびけむりのように散ってしまう本。無からうまれたあらゆる記号を幾世紀も宙づりのままに漂わせる、はかなき不死としての本。
 さまざまな幕間に現れたと思うとすぐ消える、わたしの快楽に応えないことばたちへのふかい快楽。

  タンカーをひっそり通し立春す
古き牌ひつそり醸し立春す

  開脚の踵にあたるお母さま
謎の死を遂げしママンの風車 

  こいびととつくる夜の中の夜
うたかたと鷽の古風なかくれんぼ 

  記録には飛べない鳥として残る
伝書鳩ひつそりかんとひこばゆる

  みるみるとお家がゆるむ合歓の花
やどかりや模型飛行の影を出で

  足首にさざなみたてて生家かな
春の星すなどる従者は濡れながら

  約束を匂いにすればヒヤシンス
風信子なかば開きて租界より 

  まっすぐに伸びたレールでとてもこわい
かはうその祭の魚の目つきかな

  たそがれに触れた指から消えるのね
如月のあるかなきかに触れてしか

  神さまはいてもいなくてもサクラ
とある春うららの無人写真館


2016年2月13日土曜日

【みみず・ぶっくす 番外篇】ニースの暮らし、或いはイスラム国とこどもたち 小津夜景

【みみず・ぶっくす 番外篇】
ニースの暮らし、或いはイスラム国とこどもたち

小津夜景



さいきんとある知り合いを見かけないなあと思っていたら、きのう数ヶ月ぶりにひょっこり姿をあらわした。驚いたことに以前とまるでちがう風貌になっていた。イスラム国に洗脳されてしまったらしい。


はじめてイスラム国を肌身に感じたのは数年前、家の裏手に住んでいた一家の息子さんがシリアに出奔してしまったのがきっかけだった。地元紙のインタヴューで息子を取り返してほしいと訴える親御さんを知ったときは気の毒でならなかったが、これが数奇な出来事ではないと気づくのにさほど時間はかからなかった。


フランスの日常におけるイスラム国の怖さとは、なにより子供を連れ去られることではないか、とおもう時がある。ここ数年のあいだに、この町からシリアへ向かった19歳未満の子供は、自分のような者が知るだけで30人を超える。ベッドタウンをふくめると7,80人になるそうだが、なにぶん事が失踪事件だけにそこから先の正確な数はわからない。いずれにせよ、この町の人口が35万人であることからして、にわかには信じられない数である。

いや。青年を勘定に入れると、フランス全土で1500人もの人間がジハードへおもむき、地元紙にはコート・ダジュール出身の死者の名がたびたび載っているのだから、いまさら耳を疑うほうがおかしいのかもしれない。


洗脳の経路は、イスラム国のサイトを見たり書き込んだりしているうちに感化されたり、フェイスブックで友達申請をしてきた人物が実はそうだったりというのがほとんどだ。そして一人とりこまれると周囲にも感染することが多い。三年前、同じ地区に住む20人の子どもたちが相次いで行方不明になったときは、この子たちがシリアで肉弾となっていたことが後日わかった。

肉弾にも仕事はある。彼らの仕事は「テロリズム支援税」の支払いを拒むシリア住民を連行して処刑し、その首をふたたび家族の元にとどけて、金を出すよりほかに生きる方法はない現実を知らしめること。食事のたびにドラッグを処方されつつこの任務をつづける。どうしてこんなことが明るみになったのかというと、シリアにいた少年のひとりが隣町カンヌの警察に逃げ込んだからで、この少年は新たな人材を誘い込むため、ニースにこっそり戻されていたのだった。

また別の話に、友だち数人とシリアに行ってしまった15歳の少年の両親が国を相手どって裁判をしている、というのもある。その両親の主張は「未成年の子が連れ立って空港から出国するのを阻止しないのは国家の失態だ」というものだ。彼らはコーランを読んだことがなく、失踪する前日もみんなでクリスマスパーティーをしていたような環境で育った。


ジハードに関わったフランス人の家庭環境については、専門家による実態調査が山のようにある。それによると階級は上流2割弱、中流7割、労働者階級1割強。宗教は無神論が8割弱、ムスリム系1割強、キリスト教が1割。また移民出身者は1割である。

出奔時のようすはカルト教団への入信よろしく、ある日こつぜんとして行方をくらます。たぶんそのせいだろう、イスラム国はオウムと似ているとおもうか、といった質問をなんどかされた。娯楽を断ち、肉親との縁を切り、学業や仕事を捨てて家出するまでの流れを知れば知るほど、ええ、どのカルトにも共通する手法ですよね、としかいいようがない——学生の頃、周囲に悟られることなくオウムへの入信を果たし、あの事件の夜に逮捕されてしまった友人を思い出しながら。


ある年齢以上の者にとっては、なんらかのセクトに関わったり、そのせいで警察の世話になったりといった体験や見聞はめずらしくないとおもう。自分自身の頃もまだあったし、フランスもおなじだ。モサドもハマスもいれば、アルカイダもいる。学生寮には国籍年齢不詳の活動家が潜伏しているし、ごくたまにガサ入れもある。

でも、子どもばかりを狙い撃ってかくも大胆に国際空輸するカルト集団など今まで聞いたことがない——少なくともありふれた生活圏では。なかでも女の子は幼いほど狙われやすい。そういえば児童集団への洗脳の疑いで現在警察の監視下にある某宗教家——いっときの麻原彰晃のように脚光をあびている有名人だ——がこことは別の町に住んでいるのだけれど、この宗教家がひとびとに知られるようになったのも「音楽は悪魔のつくったもの。聴いたら豚になる」と教化して10歳の少女を精神障害に追いこんだからだった。


これ以上書くと、いただけない政治論やおめでたい文化論が言葉に絡みついてくるだろう。そういうのは本意でも流儀でもない。書きたかったのは、すでにたくさんの子供が死んだということ。そして子供が死ぬ話は聞きたくないということ。それだけ。

しずめかねし瞋(いか)りを祀る斎庭(ゆにわ)あらばゆきて撫でんか獅子のたてがみ / 馬場あき子

2016年2月6日土曜日

【みみず・ぶっくす 57】枡野浩一とピタゴラス 小津夜景

【みみず・ぶっくす 57】
枡野浩一とピタゴラス

小津夜景



 大喜利短歌のことをぼんやり考えていたら、ふと枡野浩一の存在が頭に浮かんだ。
 枡野の短歌がそうだというのではない。昔、彼が「マスノ短歌教」の教祖として信者を導いていた頃、ひとつ変わったレッスンがあったことをぐうぜん思い出したのだ。
 それは「どうぞよろしくお願いします」とか「今日のごはんはカレーにしよう」といった、彼の提示する下の句に対し五七五の前句を附けるといった遊びで、日夜マスノ教信者たちは競いあうように川柳の腕を磨いていた。短歌教、にもかかわらず。
 もっとも短歌でなく川柳を書かせることの意味は端から見ても明快だった。まず状況を「発見」するエスプリをもつこと。そしてそのエスプリを文学の象徴作用に頼らずに言葉にしてみること。こうした練習に、なるほど伝統川柳はふさわしい。
 初学者というのは技法を身体的痕跡として受け入れる。才能のある者ほど技法を内在化し、たとえそれを使わない時でも可能性としてのそれを無視できなくなる。たとえば子供が作曲を学ぶとき、ふつう現代の音階は勉強しない。しかしたった一度でもそのしくみに身を浸せば、たとえソナタを書いている最中でも、調性音楽以外の音の響きが頭から消え去ることはないだろう。
 音楽の例を上げたからというわけでもないけれど、じぶんを教祖と称したり、物事を発見するエスプリを磨いたり、世界を詩的表象ではないやり方で定式化したり、現代の短歌界に計り知れない言語的影響を与えているのにその存在がひっそりとしか業界で扱われなかったりと、枡野浩一ってプラトンとアリストテレスを生んだピタゴラスに似てるかも、なんて思う。


ピタゴラス春の空気を汲みにけり
アルバムに日付のなくて暖かし
てのひらを太古にかざす鳥の恋
うぐひすや私の声が飲茶と言ふ
ふつくらと水気のかよふ春の燭
整数のとなりでシクラメンの咲く
ぶらんこの廃材めきて雨上がり
閂に余寒のゼリーフィッシュかな
人生のどの路地からもしやぼん玉
なにをうつでもなく春の砧かな

2016年1月30日土曜日

【みみず・ぶっくす 56】有機生成俳句の庭で 小津夜景

【みみず・ぶっくす 56】
有機生成俳句の庭で

小津夜景


 なぜ俳句に飽きないのか、としょっちゅう思う。
 で、そのたび「俳句は時空の構造(ストラクチャー)でなく質感(テクスチャー)を創る作業だから」との結論に至る。
 断るまでもないが、これは極私的な感想だ。歴史的にみれば、漢詩や和歌に拮抗せんとした芭蕉や蕪村も、近代的遠近法を俳句に導入した子規も、構造をめぐる試行錯誤の中にいた。季語や切れ字がその中で考案された《装置》であるのも疑いない。
 とはいえこういった話は、質感が構造に劣る問題であることを意味しない。型を疑い、素描を避け、モノ以上にそのモノを存在せしめる空気(内的環境)を掴むといった思考法は、構造と同等もしくはそれ以上に古いのだから。
 俳句が時空の質感を創る作業だというとき私が想うのは、器をこしらえては壊す陶工のすがた。感触をたしかめるように、ことばにふれる快楽。或いはまた、ボサノヴァのような無指向性。同じ場所にずっと浮遊しながら、音楽がそれ自体から絶えず湧き出るふしぎに身をまかす官能。告白めいたことを書けば「自分はたえまなく作句することで、完成に至るまでのプロセスそれ自体を引き延ばしているのではないか」とも思う。
 俳句というシステムに、ひとりの作家が、ことばを供給する。すると、ゆったりとした一息の長さのフレーズが、べつだん誰の耳を奪うでもなく繰り返しあふれだす。
 ことばは世界のすがたをなぞり、その多様性に共鳴しながら、なにがしかの意味を部分的に残して、いつしかただの運動の痕跡と化すだろう。興味ぶかいと同時に無視することもできる、そんな愉快な無をふくんだ俳句になるだろう。


ゆくりなき雪の重さの音叉かな
あかぎれの海かと思ひ過ごしたる
咳がはがしてしまふ記憶の絵
人体を虹のもやうに点しをり
探梅を渡る渡らぬエアポート
水仙のたゆたふ機内アナウンス
凍蝶を笑ひあふ日のふるへる眼
うぶごゑがある枯庭のあかるさに
ねざめ打つ風の残せし冬帽子
ふゆのはなわらびを賜ふ欠伸かな

2016年1月23日土曜日

【みみず・ぶっくす 55】萌えと俳味定食 小津夜景

【みみず・ぶっくす 55】
萌えと俳味定食

小津夜景



 近所の交差点でぼーっと立っていたら見ず知らずの中年男性がそばに来て、
「あなた日本人?」
と言った。
 おもわず、はい、と答えるとその男性は
「電柱萌え、というのは何ですかね一体」と、こちらの都合も聞かずいきなり質問をはじめた「ノスタルジックな文化趣味かな? 昔からある給水塔愛や、産業遺跡愛みたいな」
 長く外国にいると、突如このような不条理劇的状況に見舞われることがままある。スーパーでマヨネーズを選んでいて「ねえ大学講師にならない?」と勧誘されたこともあった。日本語の先生、足りないの。ここに連絡してくれたらすぐなれるから。あなたなら大丈夫。見知らぬ人からそう断言され、やる気はなかったものの好奇心で電話したところ、本当だったから怖ろしい。
 と、そんな話はいい。それよりもわたしがこの男性に何と答えるべきか、だ。頭の中に萌えの定義がうずまく。わたしに与えられた時間は3分程度。それ以上の説明に耐えるのは、この土地の人には不可能である(口を閉じていられないため)。
 腕時計の針を確かめつつ、わたしは語り出した。
「いいえ。電柱萌えは様式や文化へのノスタルジーとは違います。むしろノスタルジーを欠くのが萌えです。また萌えはフェティシズムのようにも見えますが、両者の心性は正反対です」
 交差点の信号が青になった。周囲が対流となって動きだす。その真ん中で、男性とわたしはドラマの重要なシーンを演じているかの如くその場を離れない。わたしは続ける。
「萌えに郷愁はありません。萌える人々には、その対象が歴史的に担ってきた意味や世界観への関心がないのです。あくまで目前の要素と設定にのみ注目し、自分勝手な感情移入を展開すること。これが萌えです。したがって萌えは郷愁や倒錯と異なり、いくらでもその対象をとっかえひっかえすることができます。正味のところ、萌えが対象愛でなく自己愛の日替わり定食である、と言いうるのはこうした所以です。まとめるとですね、萌えとは世界を構成するデータベースを個別に消費しつつ、そのデータを構成している世界それ自体には無関心をよそおう感性、となります」
 3分経った。わたしは沈黙した。
 たとえ突然の出来事だったにせよ、これでは説明としていささか不十分である。人生は一度きりという台詞がわたしの脳裏をよぎる。ところが中年男性は、ああといった顔をして、
「つまり歳時記とのつきあいみたいなものか。あれも時と場に応じて切る《たまさかの愛の札》を集めたデータベースですよね」
と、萌えを完全に理解したかの表情で、言った。
「さ、さいじきを知ってるんですか」
「ええ」
「なんでまた」
「だって有名でしょう? 皆知っていますよ」
 まさか歳時記が萌えのデータベースだとは。だが俳人が個別の季語にほどよく萌えつつ、俳味の日替わり定食をつくっているのは本当かもしれない。それに、考えてみれば世界に深入りしないからこそ、彼らは十七音で物事を終えられるのだ。とすると俳句とは引用の織物である以上に、データベース型消費の戯れだとみなすべきなのだろうか。俳句、その徒情けへの情熱。嗚呼。
 わたしは茫然とたたずむ。見知らぬ中年男性は、すっきりとした顔で交差点を渡っていった。


靴揃ふ冬の眠りのかたはらに
名づけえぬ物の匂ひと毛糸玉
桃色としての桃あり白息も
襟巻の赤に抱かれし象である
耳当のふちをとんだる針のあり
声が空ひらいて橇をあやつりぬ
冬ざれや画鋲の跡がまなうらに
冬の首みれば通話をしてをりぬ
よく晴れた写真の片手袋かな
ポット置く三六〇度の冬に


2016年1月16日土曜日

【みみず・ぶっくす 54】なんといふ薔薇日記 小津夜景

【みみず・ぶっくす 54】
なんといふ薔薇日記

小津夜景



 喫茶店で、お悩み相談を受ける。
 なんでもその人は、その辺の紙にちょこちょこ日記をつけるのが趣味らしいのだが、しばらく書き貯めていると突然飽きる瞬間がきて、書くのをやめる。そのうち部屋の掃除やら、引越しやら、なにやらでその紙の束をなくす、ということをくりかえしているらしい。
 なんとか、なりませんかね、とその人。
 その辺の紙じゃなくて、ちゃんとしたノートに書いたらどうかな、とわたし。
 ちゃんとしたノートには人生の方向性がみえた時点であらためて整理します。それまでは紙切れがいいんです。いきなりノートに書いたりしたら、捏造しかねないし。
 あ、あらためて整理ってそれこそ捏造じゃないの? わたしが驚くと、その人は、いいえ、時を経てからやっと意味がわかる風景ってあるでしょ? いまここからだと死角になっていて見えない風景ってのが。そういった、いわば人生の伏線をね、もれなく日記に盛り込みたいんですよ、と言う。
 僕は人生の意味を散逸させたくないんです。なのに今の状態ときたら、何も書かないよりよほどひどいありさまだ。まるで散ってしまった薔薇みたいに。あーあ人生は「なんという薔薇!」のはずなのになあ。え? なんすか? ああこれ。僕が昔好きだった日記のタイトルですよ。
 ついに答えを得ぬまま、わたしたちは珈琲代を払う。
 交差点で別れる。本人すら気づかない死角が、いまここにみちている。わたしは、おそれおののく。わたしなりに。

 厚いプルースト買っていつ読むのか / 岡田幸生

フーガより冬毛うつくし立体図
即ちをなまこの生になぞらへる
あたかもが夜の寒にふれ帆柱に
いつ終はるともなく笑ふ鯨かな
とでもいふごとく貌あり山眠る
いかにもと藁に六花を包み来し
やうなもの木枯うごく時見えて
空前の鍵は冬木にかけておく
また冬の帽子が旅に出てそして
或る記憶術しはぶきがさざなみが

2016年1月9日土曜日

【みみず・ぶっくす 53】俳句とトポロジー 小津夜景

【みみず・ぶっくす 53】
俳句とトポロジー

小津夜景



 はじめて妖精のような人と出会った日、私はいきなり俳句の話をした。この人にはなにを話しても大丈夫だ、と出会った瞬間感じてしまったせいだと思う。
 あの日、私たちは昼前のひっそりした鰻屋へ入り、鰻重と肝焼きとビールを注文した。そして鰻重が運ばれてくるまでの間、肝焼きでビールを飲みながら、ガムランの青銅鼓のふたを外したみたいな大きな鉢に、まるで鯉、といった風体の金魚がぼんやり浮かんでいるのを眺めていた。
「朱くて、長くて、太くて」
 妖精のような人が口をひらいた。
「にんじんみたいな金魚ですね」
 なんという大胆な直喩。思わず私は妖精のような人の顔を正視した。その人はたいへんまじめな表情で鉢をのぞいている。きらきらと、ケレンミのない瞳が眼鏡の奥から金魚を見つめやまない。ううむ。ここはまっすぐに返答しよう。私はそう思ったものの、いったいこの場合における直球な返答とは如何なるものであろうか。それで考えなしのまま、
「そうだね。そういえば俳句に『人参を並べておけばわかるなり』っていうのがあるよ。鴇田智哉って人の句なんだけど。私、この句が好きなの。かわいいから」
とふだんどおりの調子で喋ってしまった。
 妖精のような人は目をぱちぱちさせた。どう反応すればよいかわからず困惑したらしい。かわいい、というのは私の口癖である。たまに見る、なんでもかわいいで片づける、かわいいしか感想を言わない女というのはこの私のことだ。
 すかさず私は微笑みでその場をごまかした。そしてどう言葉を継ぐべきか思案した。そのまま一、二分思案していると、ちょうど鰻重が運ばれてきた。お陰で私たちの会話はごく自然に、これまでの人生における鰻重体験へと流れていった。
 食べ終わり、残りのお茶で寛いでいたとき、妖精のような人がふと改まったようにこちらを向いた。そうして少し思い切ったようすで、
「さっきの俳句、もしかして社会派レアリスムですか?」
と言った。
 今度は私が目をぱちぱちさせる番だった。おののく私に気づいた妖精のような人は遠慮がちに、あの、私、その句を聞いたとき、むかしギュスターヴ・クールベが青黴チーズの絵を描いたせいで共産主義者のレッテルを貼られた話を思い出したんです、と自分の想像の出所を説明した。
 うーん。いままで耳にした中で、いちばん説得力のある感想かもしれない。つまりこの句には川柳の素質があったのだ。たしかにその線で眺めなおすと、わかるなり、の断定が身を切るようなマニフェストに思われてくる。
 ものというのは、並べ方によって見え方が変わる。
 もう少しきちんと言えば、現象を一から並べてみようとする態度こそが、新しい文脈をつくりだすのだ。
 俳句とはなにかを問う時、多くの俳人が業火に焼かれるかのように歴史を遡行しだす。だが自己規定が差異においてしかなし得ないものである以上、他ジャンルとの関係をトポロジカルに眺めることこそ本当は欠かせない。
 もしかすると、俳人が歴史を遡行するのは自分語りが大好きだからであってそれゆえ俳句の自己同一性を揺るがしてみる作業には興味が薄いのかもしれない。ただあの日の私は鰻屋を出たあとも、妖精のような人と肩をならべて歩きながら、太く長いにんじんをきゅっと胸に抱いて、並べてわかることはとても素敵だ、と思ったのであった。

かさこそと声の軽さや去年今年
初めての昔が鱶の歯ざはりに
初空は太きハモニカらしくあり
水がめに水つぎこぼす初音かな
初夢のままに生き抜く水のなか
老年のいつしか独楽の明るさに
うすずみを深読みしてや初鼓
嬉しきことを若菜野を見にゆかう
初風のすがやかに我がされるまま
七草や光りだしたらとぶつもり

2015年12月26日土曜日

【みみず・ぶっくす 52】終わらない旅 小津夜景

【みみず・ぶっくす 52】
終わらない旅

小津夜景


 生ハムといえば、バイヨンヌ。
 バイヨンヌには、レオンさんという守護聖人がいる。このレオンさん、バイキングに首を斬られても、なおその首を自分の手で持って歩いたほどの達人だったそうだ。
 生ハムを眺めていたら、こんな話をふと思い出した。
 なぜ生ハムを眺めていたのかというと、もうすぐお正月なので、その買い出しに来たのだ。
 お正月の準備といっても、なにも変わったことはしない。歳の市は見飽きたし、衣類を新調するお金はないし、いつもと少しちがうごはんをつくるくらいだ。わがやは一部屋しかないので大掃除も終わっている。断捨離は、捨てるものがなかった。一応ゴミを探し回ってみたのだが、押し入れすらない貧居ではゴミをしまいこむチャンスもないらしい。
 自分の中に、人生のあらゆることに対し、せずにすむならなるべくそうしたのですが、と宣言するバートルビーが棲んでいて、彼の言うとおりにしていたら、いつまでもこんなである。
 脱文脈性へのこうした思い入れは、なにが原因なのだろう。
 夕方、夫と散歩に出る。あいかわらず夢のような空と海だ。カモメの子がたのしそうに遊んでいる。あのさあ、なんにも持たずにふたりきりで外国で生きてるとさ、ずうっと旅してる感覚抜けないよね。それで、こうやって風景の中を散歩して、なにもかもが儚く美しくて、本当に人生って終わらないハネムーンだよねえ、と散歩のたびに夫が言う。
 私もそう思う。ハネムーンを差し引いても、終わらない旅と脱文脈性というのは、おそらく最高の相性だ。
 部屋に飾ることも身に纏うこともない多くのこよなき意味が、人生という仮住まいを、さらさらと流れてゆく。

梁にハムぶらさがるなり年の内
つごもりを暇人つどふ本屋かな
数へ日をわづかに濡らし石段は
年ごこち花屋はどこもいい感じ
なにひとつなさず学者の年用意
始祖鳥もアンモナイトも掃き納め
年うつり忘れしままの棚のもの
古日記こよなき景のこまごまと
ゆく年のそろりと脈を手にとりぬ
元日のコルシカ行きの切符かな

2015年12月19日土曜日

【みみず・ぶっくす 51】これが聖夜というものか 小津夜景

【みみず・ぶっくす 51】
これが聖夜というものか

小津夜景



 戦時状況における言葉の力、あるいはその無力についてはさんざん語り尽されていて、よほど気の利く者でないかぎり新しいことは言えないし、そもそも新しかったらなんなのかといった問題もある。
 ラスキンの書いた通り、人間は言の真理と思想の力とを戦争において学んだ。戦争によって涵養し、平和によって浪費した。戦争によって教えられ、平和によって欺いた。戦争によって追い求め、平和によって裏切った。要するに戦争の中に生みおとし、平和の中に死なせてきたのである。
 戦争の気運が前景化する時というのは、言葉に期待される役割が決まってパフォーマンス=効率性へと一気に流れてゆく。この風向きをうまく回避しつつ言葉を使用するのは簡単ではない。ぱっと思いつく策は、ハイパーテキスト性を帯びるよう言葉を編むことくらいだ。人々がそこを任意に散策し、外部へのワープもできる非線形的文章は、イデオロギーの固縛と戦いうる者をきっと出現させるだろう。
 言葉が知であり、権力であるのは本当だ。とはいえこれは、言葉の本性の一部分を抑圧してこそ成り立つ真実でもある。元来、言葉はでたらめを好み、モノとの意味対応にこだわらない長い歴史をもつ。また文学はこれまで一度も言葉の本隊だった試しはなく、いつでも遊撃のための別働隊の地位にあった。この遊撃隊は、考えの赴くままに動くことによって意味の固定化を挫き、あなたに抜け穴をこっそり示したり、思いがけない場所であなた宛の手紙を拾わせたりする。
 以上、三木鶏郎の冗談音楽をバックに、戦争と言葉についての一分放送をお送りしました。提供は、未来のネーションを考える明るいナショナル、でした。なお、俳句は文学かといったご質問は現在受けつけておりません。聖夜のご愛聴、ありがとうございました。

戦争の匂い濃くなるクリスマス
流血のシマにむらがる愛ありき
死化粧してはネオンの海を舐め
もろびとのこぞりて仁に引き籠る
サイコロの七の目揃う自爆テロ
ドブ貝をひさぐ隣人保護区にて
アダムやでゆうて肋骨呉れる人
トナカイの翼よあれがドヤの灯だ
モナド越しイデア殺しの夜は更けぬ
口笛の止まぬカミカゼ稼業かな
兄弟よこれが聖夜というものか
言の葉に効く毒消しはいらんかね