第249号 楽隊

ブラスバンド? 楽隊? 呼称は何が適切なのかよくわかりませんが、こういうものって横浜によく似合います。ピンクのジャケットがかわいらしい楽団員はお年寄り(ベテラン)揃い。それもまた古い港町にはぴったりです。(西原天気)

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不定期・正午更新●『週刊俳句』の裏モノ●another side of HAIKU WEEKLY
(…)年齢、地域、結社にはほとんどこだわりが見られず、若手発掘、という大義名分を否応なく背負っていた『新撰』シリーズの緊張感がないぶん、いい意味で、編集部のわがままな、私撰のアンソロジーとして受け取ることができる。かといって個人の選ではないから作品のバラエティ、振れ幅も楽しむこともできる。と好意的な捉え方。この部分を引用するのは販促の意図も少し、と、わざわざ魂胆を白状しておいて、同じ記事の次の部分。
■俳コレからスピカ:曾呂利亭雑記
改めて思うに、私が「週刊俳句」やspicaの人々に共感するのは、「詠む」だけでなく「読む」意識があるからだ。■同このあたりは、『俳コレ』まえがきで上田信治さんが提示している《読み手の欲求》と密に関連します。
作品を他撰とした理由は「「その方が面白くなりそうだったから」ということに尽きます」(はじめに)と上田信治は書いている。年齢制限もなく、19歳から77歳までに渡っている。「この人の作品をまとまった形で読みたい」「俳句はどこまでも多面的であっていいし、もっと紹介されていい作家や、もっとふさわしい価値基準があるはずだ」「同時代の読者の潜在的欲求の中心に応える一書となること」など編集部のスタンスは徹底して「読む側の立場」に立っている。文芸が《読み手の欲求》によって支えられる、あるいは成立するという事情はごく当たり前のことなんですが、俳句の場合、ちょっと違う。《書き手の欲求》が大きく幅をきかせる。つまり、「読みたい」という《読み手の欲求》と同等か、それ以上に、「読ませたい、読んでもらいたい」という《書き手の欲求》が肥大気味で、他の文芸分野にも増して前面に出やすい。
■『俳コレ』のことから川柳アンソロジーに話は及ぶ:週刊「川柳時評」