信号機
福田若之
信号機というと、「記号」の一例としてとりあげられることが多い。赤が停止を意味する。これが「記号」だ、というわけだ。けれど、おそらく、信号機の本分は、それが「記号」として働くことにあるのではない。
思うに、信号機の本分は、二重の意味で、「接触」をなくすことにある。
まず、信号機は、生身のひとにせよ、乗りものにせよ、とにかく複数のものがふれあいそうなところで、それを防ぐために働く。ひとや乗りものがぶつかったり、同じ線路を取りあったりして事故を起こすことがないように。
では、どうやってそうするのか。「接触」しそうになるものたちのコミュニケーションに割って入ることによってだ。信号機が働いてさえいれば、もはやドライバーに会釈しなくとも、あなたは車道を渡ることができる。あなたは止まった車のドライバーの顔色をうかがう代わりに、信号機の光の色をうかがう。信号機によって、僕らは、互いの進む道が交わるときにも、相手と全く交わることなしにそこを通り過ぎるだろう。信号機が灯るところで、僕たちはもはやふれあわない。すなわち、「接触」しない。これこそ、信号機の第二の効果だ。
信号機は、徹底的に、僕たちの「接触」をなくすために働いている。
2016/10/28
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