2022年7月6日水曜日

西鶴ざんまい #29 浅沼璞


西鶴ざんまい #29
 
浅沼璞
 

 宮古の絵馬きのふ見残す   前句(裏六句目)
心持ち医者にも問はず髪剃りて 付句(裏七句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
 
 
 
付句は雑。回復期ながら病体の句のようです。

まず語句をみましょう。「心持ち」は心身の状態ひいては病状。「髪剃りて」は月代(さかやき)を剃って額髪を整えること。

よって句意は「病状について医者の指示を仰ぐこともなく、月代を剃って」といったところでしょう。

前句の自註に「福禄寿のあたまに階子(はしご)をかけ月代を剃る所もをかし」と清水寺の絵馬の描写がありましたが、それを間接的に受けているのでしょうか。
 
 
 
以下、付句の自註です。

「都のうちに借ㇼ座敷して、養生心に叶ひ、医者にたづねては今すこしといふを待ちかね、一昨日は嵯峨・御室の詠めに暮し、きのふは東山など歩行(かち)にてまはり、寺社残りなく、心静かに、此の病人、命ひとつは拾ひ物、是から行末五百八十までの仕合せ」

意訳すると「京都の市中に間借りして、養生意のままに軽快し、医者に尋ねると、今少し安静にというのを我慢ならず、一昨日は西の嵯峨や御室を眺め暮し、昨日は東山などを歩きまわり、寺社を隈なく、心穏やかに巡拝。この病人、一命をとりとめ、これから末永く、幸せに幸せに」といった感じです。

要は前句にふさわしい人物を見定めた「其人」の付け。月代は無断外出のために剃ったという趣向でしょう。で、初日は西をめぐり、見残した東を翌日めぐる。
 
 
 
では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。

月代を剃る福禄寿うらやまし   〔第1形態〕
  ↓
月代を医者の許しも得ず剃りて  〔第2形態〕
  ↓
心持ち医者にも問はず髪剃りて  〔最終形態〕

〔第1形態〕は前述した前句自註からの発想。
〔第2形態〕は病体で「福禄寿」の抜け、そして無断外出の準備の暴露。

「どや、暴露本みたいやろ。せやかて福禄寿の抜け、よう気イ付きはったな」

はい、古くは藤村作氏、新しくは加藤定彦氏の評釈でも不問に付せられていました。

「自註は自註、付句は付句、分けてるんやろな、学者はんは」

でも、ここで「髪剃りて」はあまりに唐突かと。

「それが元禄正風体の疎句やねん」

たしかに……。

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