相子智恵
よく見えて見えず木の実の落ちるかな 伍藤輝之
句集『BALTHAZAR』(2022.9 ふらんす堂)所収
木の実は見えていて、でも落ちるところは見えないのだろう。〈よく見えて見えず〉は一見、謎かけのように見えるのだが、ああ、そうだったなあと山育ちの私は思う。
澄んだ秋の日の樹木は一本一本がよく見えている。木の葉がはらはらと落ちるのを見ることはよくあったが、団栗のような小さな木の実が落ちる瞬間を捉えるのは、その速度のせいか案外難しくて、(単に子どもの頃は、木の実が落ちるまで長く一か所に留まってはいなかったからかもしれないが)突然、真後ろに団栗が落ちた音と気配に驚いたりした。掲句にはそんな実感がある。と、同時にやはり哲学的な句だと思う。
本書は遺句集である。あとがきには、作者が愛する映画「バルタザールどこへ行く」から題名を付けたと書かれ、〈今、(驢馬)バルタザールのように死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる〉とあった。辞世の三句も含み、遺句集として見事としか言いようがない出来だ。
見事過ぎるがゆえに映画のような演出を感じてしまうが、含まれている句に甘いところはなく、客観的に自身や社会を見ることができ、そして独自の美学をもって作品をつくり、厳しい基準で残せる人だったのだろう。ご子息による付記には、死後に発刊してほしいと頼まれた、とあった。
〈死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる〉。こういうことが書けてしまう作者だからこその掲句なのだな、とあとがきを読んで思った。
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1 件のコメント:
わたくしの師は磯貝碧蹄館ですが、直接の指導は伍藤さんに受けてました。
優しいまなざしと、詩歌に対する鋭いまなざしとを併せ持った素敵な方でした。
わたくしの出身地、熊本県へご招待して吟行したとき、阿蘇の山焼きをご案内して、その夜の句会で
焼野剥がすと鎮台兵の整列す 伍藤暉之
と詠まれて余りの想像力の豊かさに唖然とした記憶があります。
心から追悼申し上げます。
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