那古の浦一商ひの風もみず 打越
鰤には羽子がはえて飛ぶ年 前句
魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑 付句(通算53句目)
魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑 付句(通算53句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】三ノ折・裏3句目。 雑。 隠れ蓑=鬼ヶ島の宝物。着ると身を隠せるという。
【句意】魔法だとしても、不思議な隠れ蓑である。
【付け・転じ】前句の慣用表現を魔法による「実」とみて、同じく不思議な〈隠れ蓑〉へと飛ばした。小学館・新編日本古典文学全集61では対付(たいづけ)とある。
【自註】「鰤に羽子のはえたる」を魔法にしての付かた也。*「天野川」といふ目くらがしは、思ひもよらぬ所より鯉・鮒を出し、又、*「隠れみの」といふには、座敷に嶋を見せ、数々のたから物を出だしける。是、皆種あつていたす事也。此の程、塩売長次郎と申せし**ほうか師、さまざまの事を仕出しける。中にも、ちひさい口へ馬を呑みける、「きのふは誰が見た」「けふは我が見た」といふ。是も『つれづれ』に書きし、***応長の比(ころ)の鬼なるべし。
*「天野川」「隠れみの」=ともに奇術のネーミング。 **ほうか師=マジシャン。 ***応長の比の鬼=『徒然草』50段に紹介された女の鬼に関するフェイク情報。
【意訳】前句「鰤には羽子がはえて飛ぶ」というのを魔法に見立てての付け方である。「天野川」という目眩ましの奇術は、思いもよらぬ所より鯉・鮒を取りだし、また「隠れ蓑」という術では、座敷に鬼ヶ島を出現させ、数々の宝物を取り出した。これはみな種があって致すことである。このほど塩売長次郎と申す奇術師、さまざまの術を工夫しだした。なかでも小さな口へ馬を呑みこむという術、「昨日は誰それが見た」「今日は自分が見た」という。これも『徒然草』に書かれた応長の頃の鬼の噂の類にちがいない。
【三工程】
(前句)鰤には羽子がはえて飛ぶ年
魔法にて宝取りだす目眩まし 〔見込〕
↓
【句意】魔法だとしても、不思議な隠れ蓑である。
【付け・転じ】前句の慣用表現を魔法による「実」とみて、同じく不思議な〈隠れ蓑〉へと飛ばした。小学館・新編日本古典文学全集61では対付(たいづけ)とある。
【自註】「鰤に羽子のはえたる」を魔法にしての付かた也。*「天野川」といふ目くらがしは、思ひもよらぬ所より鯉・鮒を出し、又、*「隠れみの」といふには、座敷に嶋を見せ、数々のたから物を出だしける。是、皆種あつていたす事也。此の程、塩売長次郎と申せし**ほうか師、さまざまの事を仕出しける。中にも、ちひさい口へ馬を呑みける、「きのふは誰が見た」「けふは我が見た」といふ。是も『つれづれ』に書きし、***応長の比(ころ)の鬼なるべし。
*「天野川」「隠れみの」=ともに奇術のネーミング。 **ほうか師=マジシャン。 ***応長の比の鬼=『徒然草』50段に紹介された女の鬼に関するフェイク情報。
【意訳】前句「鰤には羽子がはえて飛ぶ」というのを魔法に見立てての付け方である。「天野川」という目眩ましの奇術は、思いもよらぬ所より鯉・鮒を取りだし、また「隠れ蓑」という術では、座敷に鬼ヶ島を出現させ、数々の宝物を取り出した。これはみな種があって致すことである。このほど塩売長次郎と申す奇術師、さまざまの術を工夫しだした。なかでも小さな口へ馬を呑みこむという術、「昨日は誰それが見た」「今日は自分が見た」という。これも『徒然草』に書かれた応長の頃の鬼の噂の類にちがいない。
【三工程】
(前句)鰤には羽子がはえて飛ぶ年
魔法にて宝取りだす目眩まし 〔見込〕
↓
天野川てふ魔法にて目眩まし 〔趣向〕
↓
魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑 〔句作〕
前句を魔法に見立て〔見込〕、〈どんな魔法があるのか〉と問い、流行の〈天野川〉なる術とみて〔趣向〕、同じように不思議な〈隠れ蓑〉という奇術へと飛ばした〔句作〕。
もともと〈隠れ蓑〉は鬼の宝物といわれてましたが、〈鬼〉はすでに出てますよね。
「夏の夜の月に琴引く鬼の沙汰、やろ」
↓
魔法にもせよ不思議成る隠れ蓑 〔句作〕
前句を魔法に見立て〔見込〕、〈どんな魔法があるのか〉と問い、流行の〈天野川〉なる術とみて〔趣向〕、同じように不思議な〈隠れ蓑〉という奇術へと飛ばした〔句作〕。
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「夏の夜の月に琴引く鬼の沙汰、やろ」
そう裏の月でした。たしか〈鬼〉は*一座一句物だったかと。
「そやな、連歌では千句物いうけど、俳諧では百韻に一句やろ」
では〈隠れ蓑〉は〈鬼〉の「抜け」ってことですか。
「そやな、〈鬼〉が抜けたら「隠れ遊び」はでけへんけどな(笑)」
あぁ、隠れんぼ、たしかに……。
*一座一句物=『連歌新式』(1452年)。
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