2021年12月8日水曜日

●西鶴ざんまい 番外編#4 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外編#4
 
浅沼璞
 

岸本尚毅著『文豪と俳句』(集英社新書)の書評を「俳句」12月号に書きました。タイトルどおり「文豪と俳句」の諸相を考察した本ですが、よく読むと所どころで「文豪と連句」の関係にもふれています。

書評では言及しませんでしたが、つらつら考え……なくても、「文豪と連句」のルーツには西鶴がいるわけで、この番外篇にて紹介してみようかと思いいたりました。


まずは森鷗外の発句から――

  百韻の巻全うして鮓なれたり    鷗外

歌仙形式は今も人気ですが、もともとは百韻の略式でした。「西鶴自註絵巻」の形式も百韻ですが、あれは独吟。ふつーは複数の連衆と巻くわけで、歌仙の倍以上の時間がかかります。岸本氏曰く「百韻が仕上がった頃、馴れずしも熟成してきた。変化に富んだ連句の世界と、馴れずしの風味との取り合わせに妙味があります」。風味と妙味、味な解説です。


つぎに西鶴復権の立役者・幸田露伴の発句と脇――

 獅子の児の親を仰げば霞かな    露伴
  巖間の松の花しぶく滝

これは西鶴に同じく独吟の付合。岸本氏曰く「親獅子の厳しさを詠った発句を、岩や松を詠み込んだゴツゴツした脇が受け止めています。滝は垂直方向に句の空間を広げ、親獅子の居所がはるか高みであることを思わせます。いっぽう松の花の生命感と滝の生動感が、この二句を観念だけの句になることから救っています」。生命感と生動感、生き生きした解説ですね。


そして実父の友人の発句に脇を付けた宮沢賢治――

  どゝ一を芸者に書かす団扇かな   無価
   古びし池に河鹿なきつゝ     賢治

「無価」さんは賢治より三十歳ほど年長だったようです。岸本氏曰く「粋人の無価は芸者や遊女で詠みかけますが、賢治は生真面目な付句で応じています」。粋人と真面目人間……、(やば)オチがおもいつかない。


えーと、さて、ほかに芭蕉の連句を評した太宰治の『天狗』の引用なんかもありまして。岸本氏曰く「連句評がそのまま心理描写になってしまうところに太宰の資質を見る思いがします」。

そういえば太宰には西鶴短編の翻案集『新釈諸国噺』もあって、心理描写を駆使した佳作でした。

芭蕉と西鶴……! これこそ粋人と真面目人間! オチがついた。

「そやな、わてが生真面目なんは皆知っとるはずや」

? 順序まちがえたかな……。

「まちごうてない、まちごうてない、蕉翁はわてよりよっぽど粋人やで」

……なんたるオチ。

2021年12月6日月曜日

●月曜日の一句〔佐山哲郎〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




缶切りが一周ぼくの蓋が開く  佐山哲郎

缶の側面やら底に缶切りを使うことは断じてないので、これはもう、脳が見えてしまうしかない。伝説か伝承か虚構か嘘っぱちか、中国のお金持ちは美食ゲテモノ喰いのはてに、猿の頭蓋をぱかっと割って脳を食したという。ああ、おそろしいおそろしいと怯えていたら、映画『ハンニバル』(2001年/リドリー・スコット)がわざわざ映像化してくれた。ひどいシーンだったなあと回想しているうち、むかし、牛の脳のカツレツを食したことを思い出してしまい、感染症うんぬんよりも、その濃厚すぎる風味と、脳!という事物の衝撃力のせいで、いままさに胃のあたりがムカムカしだした。

とまれ、俳句というジャンルは、知性の蓋がだらしなく開きっぱなしになったようなところがあるので、掲句、絵としてはえらくエグくても、愛嬌がまぶされてどこか呑気で、《ぼくの蓋》が開いたと言われても、それはエマージェンシーなどではなく、「別に、中、見たくないし、すぐ蓋したほうがいいよ」と、あえてのんびりとした口調で、総論、突き放してみたくなる。

掲句は佐山哲郎句集『東京ぱれおろがす』(2003年/西田書店)より。

2021年12月5日日曜日

【俳誌拝読】『トイ』第6号

【俳誌拝読】
『トイ』第6号(2022年12月1日)


A5判、本文16ページ。以下同人諸氏作品より。

次の世も逢ひたし海鼠同士でも  干場達矢

立待の冷えのととのう木のベンチ  池田澄子

栗ご飯仏に生きてゐる者に  青木空知

変顔で東口から西口へ  樋口由紀子

(西原天気・記)




2021年12月4日土曜日

●本日はフランク・ザッパ忌

本日はフランク・ザッパ忌


Frank Zappa(1940年12月21日 - 1993年12月4日)

2021年12月3日金曜日

●金曜日の川柳〔堀豊次〕樋口由紀子



樋口由紀子






錆びた空気が出てくる十二月のラッパ

堀豊次 (ほり・とよじ) 1913~2007

もう十二月である。あっという間に過ぎたような気もするが、長かったような気もする。この一年は例年以上にいろいろなことがあった。否応なく一年を振り返ってしまうのが十二月である。

あんなに切れ味のよかった包丁もぴかぴかだったステンレスもところどころに錆が出る。水分で錆びは加速する。この一年には涙したこともあったと、ついセンチメンタルにもなる。思うようにならないのが人生で、ラッパもいつも高らかに鳴るとは限らない。「錆びた空気」とはうまく捉えたものだと感心する。十二月になるとそんな空気と一緒のラッパの音があちこちからも聞こえてきそうであり、私自身もきっと出しているのだろう。