2022年1月28日金曜日

●金曜日の川柳〔木暮健一〕樋口由紀子



樋口由紀子






牛の耳ピクリ軍靴か竜巻か

木暮健一 (きぐれ・けんいち) 1936~

私の耳もたまにピクリとする。そのほとんどはよくないことで、予想もしなかったものに出会ったり、夜中に物音がしたときなどである。恐怖で瞬間的に身体が小さく動く。牛の耳がピクリとしたのを見て、災厄が起こるかもしれないと、牛が動物特有の勘で察知したと思ったのだろう。

「朝、牛舎に行くといっせい牛が振り向く」とエッセイに書くように作者は北海道で酪農業に従事している。「牛乳が余ると減産・破棄を言い、一方で輸入は増える、その繰り返しだった。地球や人間社会の平穏こそ、生きものたちへの何よりのプレゼントだと思っている」の一文に作者の思いがよく表れている。戦争や自然災害が忍び寄ってくる世の中は来てほしくないというメッセージがある。「触光」収録。

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2022年1月24日月曜日

●月曜日の一句〔加藤瑠璃子〕相子智恵



相子智恵







大鮟鱇べたりと置かれ箱の中  加藤瑠璃子

句集『雷の跡』(2021.10 角川文化振興財団)所載

解説のいらない明瞭な景。〈べたりと置かれ〉がまさに鮟鱇らしい描写である。ぬめぬめとした水の塊のような大きな鮟鱇が、トロ箱の中いっぱいに〈べたり〉と広がっている。〈大鮟鱇〉〈べたり〉の濁音が存在感を際立たせている。

鮟鱇といえば、加藤楸邨の次の名句がすぐに浮かぶ。

 鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 加藤楸邨『起伏』(昭和24年)

楸邨の鮟鱇は吊るし切りだろうか。身はバラバラになり、もはや元のかたちを留めない中で、なおも骨までぶち切られている。瑠璃子の句は、これからそのように切り刻まれる運命にある鮟鱇の、ふてぶてしくも哀れな最後の姿かたちを淡々と描き、響きあっている。

瑠璃子は加藤楸邨の次男・冬樹と結婚。楸邨の死後、「寒雷」選者、編集長を務め、終刊後は後継誌「暖響」の会長、顧問を務めた。本書は遺句集である。

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2022年1月21日金曜日

●金曜日の川柳〔桒原道夫〕樋口由紀子



樋口由紀子






電柱を抜いて帰ろうかと思う

桒原道夫 (くわばら・みちお) 1956~

実際には見たことはないが酔っぱらった人が電柱にぶつかり、怒っているとか、説教しているとか、格闘しているとか、しいては抜いて帰りそうなことはありそうである。「かと思う」のだから、自分を見失っているのではなく、かなり冷静だが、そう思うのは尋常ではない。

「抜いて」「帰ろう」「思う」のズレている連想、調子はずれが現実との違和感の感触を再生させる。「わたし」「いま」「ここ」の立脚点から自分の所存を明らかにする一方で、こういう人生もあるのかと思っているのだろう。『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版 2021年刊)所収。

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2022年1月19日水曜日

●西鶴ざんまい 番外編#5 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外編#5
 
浅沼璞
 

常日ごろ雑務にかまけ、積ん読の山、数多なるを、少しは崩さんと、年始休暇、いくつか手にとる中に、さほど目立つ装丁ではないけれど、きわめて興味深いのが一冊ありました。

田原(ティエン・ユアン)編『百代の俳句』(ポエムピース)という昨秋刊行されたアンソロジーがそれで、わが西鶴も収録されています。(田原氏は中国出身の詩人にして翻訳家。)

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白地のシンプルな表紙には「誰もが知る名句から/誰も知らない名句まで」というサブタイトルがあり、おなじく白地の帯には高野ムツオ氏の推薦文とともに「注目の国際派詩人が/世界に向けて選りすぐった/400年の131人/1310句」と記されています。
 
繙くと見開きに5句づつ計10句が整然と並び、左ページの終りに簡単な作者紹介があります。
 
とてもシンプルな編集で、選ばれた作者群もスタンダードな感じ。
 
(まだ評価の定まらない現代俳人のラインアップに関しては賛否両論あろうかと思いますが)

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そんなオーソドックスな編集の中で、興味深いのは厳選された(であろう)作品群で、「誰もが知る名句から/誰も知らない名句まで」というサブタイトルが嘘ではないことがわかります。

さらに詳しく凡例をみると「選は、日本語での既定の評価ではなく、他言語に翻訳したときに読み手にどう響くかという基準を大事にしました。いわば世界にも通じる誇れる作品です。言語や文化の垣根を越えるという視点によって、作品の魅力を再確認するよすがになれば幸いです」との由。

一読、ここでいう「再確認」を「相対化」と換言したくなりましたが、それはそれ、やや上から目線ではありますが、果敢な試みとも思えました。
 
げんに「やっぱこの句が」とか、「なんでこんな句が」とか、けっこう翻弄されます。

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では西鶴ベスト10を検証してみましょう。まず「誰もが知る名句」として一句目に、
 
  大晦日定めなき世の定め哉
 
が掲げられています。この句、かつての連載「木曜日の談林」で扱ったので解説はそっちに譲りますが、浮世草子『世間胸算用』のルーツと目される代表句には違いありません。

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さてもう一方の「誰も知らない名句」としては、晩年の発句、
 
  山茶花を旅人に見する伏見哉
 
が目をひきます。土地がら、陸路や船着場から旅人(りょじん)が行きかうとはいえ、秀吉の頃と打って変わって寂れた伏見。そんな伏見に、花の少ない時期に咲く山茶花を取り合わせた隠れ名句で、元禄疎句体に通底する作風といえましょう。

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でラストの一句は、辞世「浮世の月見過しにけり末二年」かと思いきや、
 
  茶をはこぶ人形の車はたらきて

「なんや、そなたが本編で扱こうてる百韻絵巻の付句やないかい」

はい、付句が単独でアンソロジーに入るのは珍しいことで、私も意表をつかれたんですが、じつはこれ、江戸からくりの人気とともに人口に膾炙してる一句でもありまして、そういえば去年、横浜髙島屋で開催された「からくり人形師・九代玉屋庄兵衛展」でも、茶運び人形コーナーの案内書きに大きく引用されていました。

「江戸からくりが人気なんはよろしいけど、なんでこれが〆の一句なんや。芭蕉はんの〆は辞世『夢は枯野』やないかい。わての辞世かて名句やで」

やっぱ芭蕉翁のページが気になるようですね。

「うぬ惚れやないで。飯島耕一いう詩人さんかて、わての辞世をほめて、芭蕉はんのより上かもしれん、そない言うとったはずや」※

どうしても蕉翁を意識しちゃうんですね。

※『江戸俳諧にしひがし』みすず書房(2002年)

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2022年1月17日月曜日

●月曜日の一句〔小島明〕相子智恵



相子智恵







定型の冬(樹の中に樹は眠り…)  小島 明

句集『天使』(2021.11 ふらんす堂)所載

〈定型の冬〉の「定型」とは、私たち俳人は、定型詩のことをどうしても思うものだ。〈(樹の中に樹は眠り…)〉の丸括弧で括られた部分は、裸木とは書かれていないものの、〈定型の冬〉によって、葉をすべて落として眠る裸木が呼び出されてくる。

〈樹の中に樹は眠り…〉は複数の木立の中の一樹が眠っているのか、一樹の内なる樹が眠っているのか、捉え方は二つに分かれるだろうが、私はパッと後者で読んだ。〈…〉の効果もあって、樹の中に樹は眠り…そして眠り…眠り…眠り…と入れ子のように、樹の内なる樹がどんどん眠っていくように思われてくるのである。

樹は丸括弧からはみ出ることはなく、「定型の冬」の中にちんまりと収まっていて、丸括弧の中は、みっちりと内なる樹が〈…〉で充填され続けながらも、スーッと遥かに開かれてゆく。

充ちながら、開かれてゆく。定型詩というものの本質を言葉が結ばせる風景だけで描いた、静かで不思議な手触りのある一句である。

本書は第1句集で、遺句集とのことだ。

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