2024年12月13日金曜日

●金曜日の川柳〔なかはられいこ〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



「ち」と読めばすこしかわいくなる地声  なかはられいこ

ちごえ。

どうだろう。すこしはかわいくなっただろうか。

「地」には、天との対概念である「地」、地面なんかがそうだけど、そこから派生して(比喩的に)いろいろな意味や脈絡で使われる。「地声」は、生まれついて持ってしまった声、あるいは、裏声との対比で、そのまま自然に出る声、のような意味だろう。と、地声について、うだうだ語っている場合ではない。この句の眼目は「かわいくなる」にあるから、そちらに話を進める。

ところでこの句、何が「すこしかわいくなる」というのだろうか。

A 読み方を言っているのだから、まずもって「地声」という語がかわいくなる。

B あるいは、地声がかわいくなる、と、読めないこともない。

候補がふたつあがった。どちらと決める必要はない。「地声」という語は、どこかしっかりしていて、このままではかわいくない。「じ」ではなく「ち」と読めば、なるほど、あんまりしっかりしなくなる。そのせいで、かわいくなる。ついでに「ご」じゃなくて、「こ」と読めば、もっとへなへなする。

ちこえ。

一方、地声が、かわいくない人はたくさんいる。いや、かわいい人も、少なからずいる。それにそもそも、「じごえ」という語の音質と、人それぞれの声質、このふたつには関連がないので、「じ」と読もうが「ち」と読もうが、かわいくない声はかわいくないし、かわいい声はかわいい。

と、なんだか、ややこしくなってしまう。つまり、この句には、そこはかとない「ねじれ」があるのだ。そのねじれが、以上のような愚にもつかない駄言駄弁をもたらすわけなので、ゆめゆめ「ねじれ」を軽んじてはいけない。

掲句は『川柳ねじまき』第10号(2024年1月)より。

2024年12月11日水曜日

〔俳誌拝読〕『オルガン』第39号・2024年秋

〔俳誌拝読〕
『オルガン』第39号・2024年秋


同人諸氏の俳句作品のほか、〔特集〕池田澄子(座談会、池田澄子句集を読む)、福田若之・鴇田智哉による「往復書簡」(「主体」について)など。

眇めると引つ掛かりくる彼岸花  鴇田智哉

紙の民のように秋の野を抜ける  福田若之

山脈はうごきながらに雲に月  宮﨑莉々香

寝返りを打てる真昼や鹿遠し  宮本佳世乃

雨が楽しい茸のデザイン誰の仕事  田島健一

テーマ詠「広角」

鬱蒼とカンナの凝る海の駅  鴇田智哉

聴きたくて波止場を思う秋の蝶  福田若之

洗濯機まはる敗戦日お早う  宮﨑莉々香

間取図広し一息に行く秋ぞ  宮本佳世乃

樹が消えるとき蟷螂の眼は冷える  田島健一

中嶋憲武・記/写真


2024年12月9日月曜日

●月曜日の一句〔西村麒麟〕相子智恵



相子智恵






綿虫の吹き飛んで行く浮御堂  西村麒麟

句集『鷗』(2024.7 港の人)所収

下五の〈浮御堂〉への展開に唸る。綿虫の頼りなさと、少しの風にあおられて吹き飛んでいってしまう様子はよくわかるなあ、と思って読み進めていくと、そこは浮御堂であり、琵琶湖の風だというのである。極小の綿虫と、湖上の堂との寄る辺なさのつながり。その向こうに見えてくる琵琶湖の波の光の中に消えていく綿虫の光。

〈さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝〉は音の名句だが、掲句も同様に「虫」「吹き」「行」「浮」あたりの音の運びも考えられているように思う。青畝の句が浮御堂の雨の名句であるのに対して、こちらは風だ。芭蕉も青畝も詠んだ浮御堂という拝枕に、また一句が加わったように思った。

 

2024年12月6日金曜日

●金曜日の川柳〔坪井政由〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



つぶやいても叫んでもここはあぜ道  坪井政由

説明がなくてもはっきりと浮かんでしまう景色がある。読みとして適切か不適切かは別にして。

すでに稲が刈り取られた田圃が幾枚も広がり、そこにいるのはその人だけ。

つぶやきは誰にも届かず、かといって叫んでも同じ。その状態が広漠を強調する。あくまで広漠なので、水田でも稲田でもなく、刈田なのだ。すでにちょっと寒くなった時期の。

さびしいとか孤独とか、それはそうではあっても、そんなものでもない。つぶやいたり叫んだりして、なんだか可笑しい。可笑しいと言っては叱られるかもしれないが、あぜ道で何やっているんだか。

なお、技法的には、「ここは」がとても巧み。

掲句は『水脈』第67号(2024年8月)より。

2024年12月4日水曜日

西鶴ざんまい #70 浅沼璞


西鶴ざんまい #70
 
浅沼璞
 

 松に入日ををしむ碁の負(け) 打越
那古の浦一商ひの風もみず    前句
 鰤には羽子がはえて飛ぶ年   付句(通算52句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏2句目。 鰤(冬)=正月の必需品にて歳末の贈答品。 羽子=片仮名のネを「子」とする当時の表記。

【句意】鰤に羽根が生えて飛ぶような売れゆきの年末。

【付け・転じ】前句の風向きさえ気にしない愚かな商人にも歳末商戦がくるとみて、鰤のバカ売れへと飛ばした。

【自註】前句、海の事なれば「鰤」を付けよせける。その年の暮によりて、*伊勢海老のすくなき事も有り、*代々の**年ぎれする事も有り。数の子、門松、家々のかざり道具、一品もなうてはならず。何によらず、其の年、世間にすくなき物を、「羽子がはえて飛ぶ」とは商人の申せし言葉也。
*伊勢海老 *代々(橙)=ともに蓬莱飾りの品。越年しても実がつくので「代々」と縁起をかつぐ。
**年ぎれ=その年によって品薄になること。

【意訳】前句が海を場としているので「鰤」を題材として付け寄せた。その年その年の暮によって、伊勢海老が品薄のこともあれば、橙が払底する年もある。数の子、門松などは家々の飾り物で、一品とてなくてはならない。そこで何によらず、世間に出まわらない正月用品は「羽子がはえて飛ぶように売れる」と、これは商人が申した言葉なのである。

【三工程】
(前句)那古の浦一商ひの風もみず

 年切れの品気にも止めずに  〔見込〕
   ↓
 右も左も鰤の高買ひ     〔趣向〕
   ↓
 鰤には羽子がはえて飛ぶ年  〔句作〕

愚かな商人に対し、年切れの商機を向かわせ〔見込〕、〈品薄の商品は何か〉と問い、前句の「浦」から鰤とみて〔趣向〕、「羽子がはえて飛ぶ」という慣用句をサンプリングした〔句作〕。

 
『永代蔵』や『胸算用』に、年ぎれ対策が載ってますね。伊勢海老の代わりに車海老とか、橙の代わりに九年母とか、廉価なもので間に合わせるという。

「そやな。それも俳諧の知恵やで」
 
……? ていうと。
 
「〈代わり〉いうことは、〈見立てる〉いうことやろ」
 
なるほど、そういえば見立て作家の田中達也氏も〈見立てて補う力〉みたいなことを言ってましたね。
 
「見立て作家いうのは俳諧師のことかいな」
 
いや、ミニチュア写真家でして。
 
「みにちあ、なんや知らんけど、転合な感じでよろしいな」