2016年7月30日土曜日

〔ネット拾読〕昼休みは屋上でバレーボールという日本の原風景

〔ネット拾読〕
昼休みは屋上でバレーボールという日本の原風景

西原天気


今回も拾い読んでいきます。




以前から、聞こえてきてはいましたが、

ユネスコ無形文化遺産 俳句の登録へ発起人会

俳句業界のお年寄りたちは、よほど暇なのでしょう。暇なら暇で、ほかにすることがあるだろう、などと言ってはいけません。

なお、どんなものが登録されているのかを見ると、かなり雑多。俳句が登録されてもそれほど奇異な感じはない。実現するかも、ですね。

俳句世間にいれば、この手の通俗もしばしば目に入ってきてしまう。しかたのないこととあきらめて、長く視界にとどめないことです。





柳本々感想】3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって・中澤系

http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1462.html

そういえば、駅は番号に満ちております。



同人誌『オルガン第6号がそろそろ出るようです。

目玉は金子兜太との座談会でしょうか。このところ俳句よりも、アベうんぬんやら「平和俳句」やら標語運動で知られる大御所。どんな座談会になっているのか、興味津々。第4号の「震災と俳句」座談会と読み比べても一興。

2016年7月29日金曜日

●金曜日の川柳〔櫟田礼文〕樋口由紀子



樋口由紀子






誘われて鳥獣戯画にまぎれ込む

櫟田礼文 (いちだ・れぶん) 1948~

こう暑いとどこか別の場所に逃げ出したくなる。でも、鳥獣戯画とは、たいそうなところに行ってしまったものである。夢の中の出来事だろうか。

「誘われて」だから、誰かに誘われてで、間違ってとか、偶然とかではない。最初は自分の意志ではなかったが、たぶん前々から興味はあったのだろう。そうでなければいくら誘われてもついて行くところではない。鳥獣戯画に誘うって、どんな人なのかと思う。

「まぎれ込む」だから、正面からではなく、混乱などに乗じて入ったのであって、ここでは自分が異質であることはもちろん重々承知している。気づかれなかったか。さて、そこはどんなところか。ひょっとしてこっち側には帰って来れないかもしれない。「苫小牧市民文芸」(2015年刊)収録。

2016年7月28日木曜日

■夏休み納涼句会の投句締め切りは明後日30日です

夏休み納涼句会の投句締め切りは明後日30日です

詳しくはこちら(↓↓↓)をどうぞ。


2016年7月27日水曜日

●水曜日の一句〔大崎紀夫〕関悦史


関悦史









ががんぼが窓かきむしり港に灯  大崎紀夫


ががんぼがかきむしるのは壁ではなく透明な窓であり、ががんぼはおそらくそこにガラスがあると理解できない。「かきむしる」にも、単に垂直面にとりつこうとしているというのを通り越した必死さがある。

いずれにしても、室内にともにいる虫の生態から引き起こされたもののあわれやおかしさが、作句意欲をかきたてたという句と見えるが、下五「港に灯」で少々様子が違ってくる。ががんぼの生態と、窓の外の叙景の取り合わせとなってくるのだ。

「港」という全体を俯瞰したような捉え方から、ホテルの上階の眺めのように思えてくる。しかし下五は「港は灯」ではなく「港に灯」である。つまり港一面に灯がともった見事な夜景ではない。港の規模が小さいか、あるいはまだ灯がともり始めたばかりの時刻ということである。取り合わせ上のバランスから考えても、一面に灯がともった夜景では、ががんぼが埋もれてしまうからこれで適切なのだろう。

結果として句は、ややものさびしく、その中でががんぼの動作が苦しげでありながら可笑しいといった情調に落ち着くことになる(ががんぼ自身が夜景を愛でたりはおそらくできず、自分がどう見られているかといった自意識もないのでなおさらのことだ)。

その情調は視点人物、ひいては作者自身にも及ぶ。「窓」一枚で表象される数十年規模しか持たない建築に隔てられ、港へじかに到達できない点では、人とががんぼの間に大差はない。地に足のつかない高層階となれば、そのよるべなさは一層増す。そうしたよるべなさを、ががんぼとともにすることで得られた叙景が「港に灯」なのだ。


句集『ふな釣り』(2016.7 ウエップ)所収。

2016年7月26日火曜日

〔ためしがき〕 不安 福田若之

〔ためしがき〕
不安

福田若之

今日、電車に乗ってぼーっと窓の外を眺めていたら、ふいに路線を間違えた気がして、慌てて電車の行き先を確認してしまった。

僕は、ときどき、自分が乗っている電車が僕をどこか間違った行き先へ連れて行ってしまうんじゃないかと不安に思うことがある。

2016/6/13