コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第35回
老婆と電車
西原天気
ずいぶん久しぶりです。「まだ終わってないんだよ」ということで。
しやべる老婆青野を電車疾走す 三鬼(1947年)
老婆はどこにいるのかといえば、ひとつには、電車の中。そこでしゃべっている。
そう読むのがふつうかとも思う一方で、大きな切れを意識すれば、まったく別の「像」として、老婆と電車が隣り合う、というよりも重なり合って見えてきたりもします。
そのとき、おもしろいのは、老婆の顔(しゃべる口)がむしろ《後景》となること(語順のせいでしょうか)。電車は《前景》として青野をあざやかに疾走していく。老婆の口が電車を吐くかのようにさえ見えてきます。
句は、状況を説明的に伝えるのではない。そう解するほうが、愉悦を味わえることが多い。 この句は何も説明しない、描写しない。「しやべる老婆」と疾走する電車という2つの像が、ただただ提示された、ただ私たちの前に置かれた。この2つに《関係》などないのです。
関係などなく、伝えるものもないのだから、読者は《考える》ことをやめるべきです。考えるのをやめて、しばらくすると、とても気持ちよくなってきます。
読むドラッグ、ですな。
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2013年7月6日土曜日
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