2014年9月24日水曜日
●水曜日の一句〔亀割潔〕関悦史
関悦史
ひとりゆゑ微笑みあるく樟落葉 亀割潔
平畑静塔の句集『旅鶴』に《一本の道を微笑の金魚売》という句がある。この売り声も立てずに一本の道をゆく金魚売の微笑が、取りようになってはかなり薄気味悪い悪魔的なものにも取れて、どう読んでいいやらよくわからなかったのだが、作者の自解によると、楽しそうなものとして書いたつもりであったらしい(この句に限らず静塔の自句自解は意外なものが少なくない)。
さて亀割潔の句の微笑みはどうか。
ひとり「ゆゑ」がやや曲者。複数で談笑しながら歩いていれば微笑んでいても何の問題もないのだが、「ひとり」である。そしてひとり「なのに」ではなく、ひとり「ゆゑ」なのだ。
一方、季語の「樟落葉」は落葉とはいっても「常盤木落葉」の一種で、夏である。初夏に若葉が出始めると、それと入れ替わりに古い葉が赤らんで落ちていくらしい。
そうした若葉と古い葉の静かな交代劇に感応しての微笑みとなれば、同行者は邪魔だろう。自分と自然だけの方がよい。ただし自然との連帯や感応とはいっても、例えば石田郷子の《掌をあてて言ふ木の名前冬はじめ》などに比べると屈曲がある。幹の確かな不動性への帰依にも似た接触ではなく、新生と滅びの交代を見つつ歩き過ぎる奇妙な「微笑み」。
この句が持っている感情は、耐えがたい孤独でもなければ、自然の中での自足でもなく、植物の生動に同調して、人間社会からやや逸れはじめたものの変容の愉しみであろう。そしてその愉しみは、普段意識されることはないものの、おそらく誰もがどこかで味わったことがあるものである。穏やかさ、軽やかさの見かけにひそむわずかな無気味さは、そこから発する。
句集『斉唱』(2014.9 ふらんす堂)所収。
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