西鶴ざんまい #94
浅沼璞
詩人時節の露を哀み 打越
此の夕孤猿身を断つ峯の花 前句
山吹しぼむ岸の毒水 付句(通算76句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】
三ノ折・裏12句目。 春(山吹)。 毒水(どくすい)=有毒の水。
【句意】
山吹をしぼませる、岸の有毒な水。
【付け・転じ】
猿の声を聞いて身を断つ詩人の伝統的哀感から、猿そのものが身を断つ状況へと転じた。
【自註】
湖の入江の流れを*毒鳥・毒魚のわたりて後、諸/\の**鱗も爰にすみかね、***うき波に沈めり。猿も子猿をつれて、不断、此の流れに口をそゝぎしに、毒水と成り、岸の草木までも枯れはつるを見てなげく有り様にしての付かた。
*毒鳥=〈異形異色の者、皆毒有り。恐らくは之を食ふ可からざるなり〉(『和漢三才図絵』44山禽類「諸鳥毒有る物」)。 **鱗(うろくづ)=魚類。いろくづ。 ***うき波=憂き波。
【意訳】
湖にそそぐ入江の流れを有毒の鳥や魚が渡った後は、諸々の魚類もここに生息できなくなり、汚染水に沈んでしまった。猿も子猿をつれて、いつもこの流れを口にしてきたが、有毒な水となり、岸の草木までも枯れはて、それを見て(猿も)なげく状況を想定した付け方(=元禄疎句体)である。
【三工程】
(前句)此の夕孤猿身を断つ峯の花
口をそゝぐに憂き波となり 〔見込〕
↓
毒魚わたれる入江の流れ 〔趣向〕
↓
山吹しぼむ岸の毒水 〔句作〕
前句を猿自身がなげくほどの飲料水の汚染状況であるととらえ返し〔見込〕、〈なにが原因か〉と問うて、毒魚によるものとし〔趣向〕、結果として山吹まで枯れたことを素材とした〔句作〕。
【テキスト考察】
『訳注西鶴全集2』では、前句の句意を〈一匹の猿がその身を断つが如き悲痛な聲で叫んでゐる〉とし、もともと身を断つのは猿自身であると解している。
しかし前回参照した〈猿を聞く人捨子に秋の風いかに〉の芭蕉句のように、猿を聞く詩人の側が「猿の声に対して断腸の思いを詠んだ」という伝統がすでにあったことは明らかである(角川文庫版『芭蕉全句集』など)。
よって冒頭の「三句の渡り」における、打越の「詩人」を受けた前句にも同様の伝統がはたらいていたとみるのが自然だろう。『新編日本古典文学全集61』でも、前句は〈聞く人に断腸の思いをさせる、の意〉であり、付句は〈前句の「身を断」つ主体を、聞き手側でなく、猿自身とした付け〉としている。つまり「主体の転じ=三句の転じ」と解しているのである。
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