【名前はないけど、いる生き物】
最近の「なんか」日記
宮﨑玲奈
「引き伸ばし」
2020.03.02(火)
なんだか気持ちが乗らず送るのを引き伸ばしていたから今日は火曜日だ。身の回りで、演劇の上演の中止や、劇場の閉鎖が起こっている。そんな時に、こんなくだらないことを書いてて、書き終わってて、送っていいのか、みたいな気持ちが少し湧いてしまっていた。今日は火曜日で、見返したら、やっぱり送ってみようという気になったので、この文章を送った。
演劇は、観客がいて、はじめて成り立つ。最近、わたしは、新作の戯曲を書いていて、頭を悩ませたとき、他の人の戯曲を読み返していると、人のまなざしや、見られていることを、どのように考えるか、ということが含まれているなと改めて思ったりした。すぐれた作品ほど、その仕掛けにはっとさせられるような、そんな気がした。直接的でなくても、まなざしへの態度は、含まれている。
演劇には、観客が必要だ。ささやかに、あたりまえに、文化や芸術が、生活の中にあってほしいと思う。わたしたちは、生きていて、簡単に、言葉を発することができてしまうし、その言葉たちには、常に暴力性があって、同時に優しさも含まれているだろう。
できる限り、思考して、で、それぞれが、それぞれの方法で、存在していこう、って言いたい。そうしている人たちを、応援したい。でも、やっぱり、誰かに言われた言葉に従うしかない時もあるかもしれないけど、それでも、きみが思考して辿ったこれまでは、ちゃんと存在していくし、存在しているよ、って言いたい。だれが見ているかわからないけど、わたしは、言いたかった。
__________
「痛みについて」
2020.02.29(土)
どうでもいい話は多分どうでもよくない、そこがいいんじゃないかな、と思ったり、思わなかったりする。わたしは、いつだって、なにかを決めるのが苦手で、どっちだろうって、ずっと、その場所を、行ったり、来たり、している。
最近、わからないことに、チェック柄をなぜプラスチックに印刷するのか、ということがある。メガネのつるに印刷されているチェック柄を見ていてわからなくなった。チェックって布に印刷するものではないのか、プラスチックとチェックの相性ですばらしいと思った製品を見たことがまだない。そう、例えば、昭和レトロなちょっとダサかわいい感じを狙った、プラスチックのチェック柄だとわかる。あえて、ダサくなってかわいいというライン。でも、メガネのフレームの裏のチェック柄は、かっこいいとか、おしゃれを想定しているチェック柄で、でも、なのに、そんなにかっこよくない。やっぱり、チェック柄のスカートだとか、靴だとか、かばんだとか、チェックは布なのではないだろうか。チェックをプラスチックに印刷しはじめたのは、どうしてだろうか。特にメガネ。メガネのチェック柄がどうしても理解できないでいる。あの、メガネの、あまり見えない側にこっそり印刷されている、隠れチェック。あの隠れプラスチックチェック。でも、隠れプラスチックチェックって言葉はちょっとかっこいいかもしれないと今思い始めたけど、やっぱり、なぜ、プラスチックにチェック柄を印刷するのだろうか、わからない。
というようなことを、親知らずを疑いはじめて3日、痛みを堪えられなくなる頃、気を紛らわせるために、考えていた。痛みを騙し騙し生活してきたが、どうにも耐えられなくなって近所の歯科医院に行った。騙し騙しというのは、気づかないふりをするということだ。耐えられる痛みなのではないかと、その痛みを疑うことだ。3日ほどして、痛みが疑えなくなったので、観念をして、病院に行った。基本的にわたしは、病院というものが嫌いだ。みんな、そうなのかもしれないけど、インフルエンザの予防接種の注射も小学生までは大泣きをしていた。「うーん、噛み合う親知らずもないので、抜いちゃいましょう」と言われ、来週の金曜日に親知らずを抜くことが決まる。今は痛み止めの薬で、これまた、騙し騙しやっている状態だ。初めての麻酔、初めての親知らずの抜歯、ものすごく不安だ。
やっぱり痛みを騙せないでいるから、痛みのこと、それ自体を考えようとしている。10段階で考えると、この痛みはどのレベルなんだろう。まだ経験をしたことはないけど、出産の痛みが10だと仮定する、昨年の秋に経験したアニサキスの激痛は8だった。救急車にはじめて乗った。寝る前に3ぐらいの痛みが、3時頃に急に8に変わった。とうとう救急車がやって来て、救急隊員にどんな風に痛いですか、と言われる、難問すぎる。痛いのに、わからない。キリキリ痛みますか?と聞かれても、キリキリとは?って思ってしまう。刺すように痛みますか、も、刺すように痛むのがどんな状態なのかわからない。まさに痛い時に、その痛みを言葉で表現するのは、すごくむずかしい。痛いです!多分、キリキリです!キリキリ、なのかなぁ、多分キリキリです、みたいな答え方をした気がする。押さえつけられている感じです、とかっても言った気がする。痛みを確認しながら、頭の中に?マークが浮かんでいる、で、こんな痛みかも、って思って言う。痛みが伝わりづらい例をあげる時、よく、のどのイガイガのつらさのことを言う。のどのイガイガのつらさは、それが表出されない、その痛みの伝わりづらさにあるだろう。どんなに、のどがイガイガしていても、そのイガイガは「イガイガ」としてしか伝わることがない。イガイガは共有できない。
親知らずの抜歯をわたしは5で考えている。じわじわ痛いタイプだと。抜いたら報告します。(あなたの親知らず体験もよかったら聞かせてください。)今日バイト先のサイトウさんに、親知らず抜くの?痛くない痛くないと言われて少し安心した。今日もくだらないことを考えながら、一日が終わっていくのでしたということを書こうとしたけど、今日見たジャルジャルのネタの序盤の福徳のありようが、くだらないことを考えている時の自分に重なって見えてしまって、少し落ち込む。くだらなさを考えようとすることも、エゴみたいになっちゃうことだってあるのかなって思って。
2020.03.02(火)
なんだか気持ちが乗らず送るのを引き伸ばしていたから今日は火曜日だ。身の回りで、演劇の上演の中止や、劇場の閉鎖が起こっている。そんな時に、こんなくだらないことを書いてて、書き終わってて、送っていいのか、みたいな気持ちが少し湧いてしまっていた。今日は火曜日で、見返したら、やっぱり送ってみようという気になったので、この文章を送った。
演劇は、観客がいて、はじめて成り立つ。最近、わたしは、新作の戯曲を書いていて、頭を悩ませたとき、他の人の戯曲を読み返していると、人のまなざしや、見られていることを、どのように考えるか、ということが含まれているなと改めて思ったりした。すぐれた作品ほど、その仕掛けにはっとさせられるような、そんな気がした。直接的でなくても、まなざしへの態度は、含まれている。
演劇には、観客が必要だ。ささやかに、あたりまえに、文化や芸術が、生活の中にあってほしいと思う。わたしたちは、生きていて、簡単に、言葉を発することができてしまうし、その言葉たちには、常に暴力性があって、同時に優しさも含まれているだろう。
できる限り、思考して、で、それぞれが、それぞれの方法で、存在していこう、って言いたい。そうしている人たちを、応援したい。でも、やっぱり、誰かに言われた言葉に従うしかない時もあるかもしれないけど、それでも、きみが思考して辿ったこれまでは、ちゃんと存在していくし、存在しているよ、って言いたい。だれが見ているかわからないけど、わたしは、言いたかった。
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「痛みについて」
2020.02.29(土)
どうでもいい話は多分どうでもよくない、そこがいいんじゃないかな、と思ったり、思わなかったりする。わたしは、いつだって、なにかを決めるのが苦手で、どっちだろうって、ずっと、その場所を、行ったり、来たり、している。
最近、わからないことに、チェック柄をなぜプラスチックに印刷するのか、ということがある。メガネのつるに印刷されているチェック柄を見ていてわからなくなった。チェックって布に印刷するものではないのか、プラスチックとチェックの相性ですばらしいと思った製品を見たことがまだない。そう、例えば、昭和レトロなちょっとダサかわいい感じを狙った、プラスチックのチェック柄だとわかる。あえて、ダサくなってかわいいというライン。でも、メガネのフレームの裏のチェック柄は、かっこいいとか、おしゃれを想定しているチェック柄で、でも、なのに、そんなにかっこよくない。やっぱり、チェック柄のスカートだとか、靴だとか、かばんだとか、チェックは布なのではないだろうか。チェックをプラスチックに印刷しはじめたのは、どうしてだろうか。特にメガネ。メガネのチェック柄がどうしても理解できないでいる。あの、メガネの、あまり見えない側にこっそり印刷されている、隠れチェック。あの隠れプラスチックチェック。でも、隠れプラスチックチェックって言葉はちょっとかっこいいかもしれないと今思い始めたけど、やっぱり、なぜ、プラスチックにチェック柄を印刷するのだろうか、わからない。
というようなことを、親知らずを疑いはじめて3日、痛みを堪えられなくなる頃、気を紛らわせるために、考えていた。痛みを騙し騙し生活してきたが、どうにも耐えられなくなって近所の歯科医院に行った。騙し騙しというのは、気づかないふりをするということだ。耐えられる痛みなのではないかと、その痛みを疑うことだ。3日ほどして、痛みが疑えなくなったので、観念をして、病院に行った。基本的にわたしは、病院というものが嫌いだ。みんな、そうなのかもしれないけど、インフルエンザの予防接種の注射も小学生までは大泣きをしていた。「うーん、噛み合う親知らずもないので、抜いちゃいましょう」と言われ、来週の金曜日に親知らずを抜くことが決まる。今は痛み止めの薬で、これまた、騙し騙しやっている状態だ。初めての麻酔、初めての親知らずの抜歯、ものすごく不安だ。
やっぱり痛みを騙せないでいるから、痛みのこと、それ自体を考えようとしている。10段階で考えると、この痛みはどのレベルなんだろう。まだ経験をしたことはないけど、出産の痛みが10だと仮定する、昨年の秋に経験したアニサキスの激痛は8だった。救急車にはじめて乗った。寝る前に3ぐらいの痛みが、3時頃に急に8に変わった。とうとう救急車がやって来て、救急隊員にどんな風に痛いですか、と言われる、難問すぎる。痛いのに、わからない。キリキリ痛みますか?と聞かれても、キリキリとは?って思ってしまう。刺すように痛みますか、も、刺すように痛むのがどんな状態なのかわからない。まさに痛い時に、その痛みを言葉で表現するのは、すごくむずかしい。痛いです!多分、キリキリです!キリキリ、なのかなぁ、多分キリキリです、みたいな答え方をした気がする。押さえつけられている感じです、とかっても言った気がする。痛みを確認しながら、頭の中に?マークが浮かんでいる、で、こんな痛みかも、って思って言う。痛みが伝わりづらい例をあげる時、よく、のどのイガイガのつらさのことを言う。のどのイガイガのつらさは、それが表出されない、その痛みの伝わりづらさにあるだろう。どんなに、のどがイガイガしていても、そのイガイガは「イガイガ」としてしか伝わることがない。イガイガは共有できない。
親知らずの抜歯をわたしは5で考えている。じわじわ痛いタイプだと。抜いたら報告します。(あなたの親知らず体験もよかったら聞かせてください。)今日バイト先のサイトウさんに、親知らず抜くの?痛くない痛くないと言われて少し安心した。今日もくだらないことを考えながら、一日が終わっていくのでしたということを書こうとしたけど、今日見たジャルジャルのネタの序盤の福徳のありようが、くだらないことを考えている時の自分に重なって見えてしまって、少し落ち込む。くだらなさを考えようとすることも、エゴみたいになっちゃうことだってあるのかなって思って。
あ、そういえば、生駒さんと柳元くんがやっていたやつに投句しようと思って、しそびれました。というわけでここにこっそり載せておきます。
ぱらぼらに雲のかかって目の前は
春はもう歩道の人なみが早い
皿洗う昼間でなんとなくの春
春の雲軒に干されるテディベア
ぱらぼらに雲のかかって目の前は
春はもう歩道の人なみが早い
皿洗う昼間でなんとなくの春
春の雲軒に干されるテディベア
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