関悦史
死に際を思えば透けるあやめかな 山内令南
山内令南は食道がんの自宅療養中に書いた小説「癌だましい」で文學界新人賞を受賞。受賞第一作の「癌ふるい」を発表した直後、2011年5月19日に52歳で逝去した。
身よりのない山内令南の最期を看取った知人により、没後、川柳・詩・俳句・短歌をまとめた作品集『夢の誕生日』が編まれた。川柳が多いが、掲句は俳句に分類された中の一句。
自身の不幸に釘づけにされた態の句が多く、読んでいて息がつまる思いがする。短歌の方は、逆に自身を励まし、奮い立たせる作が多いが、いずれにしても事態を受け入れられない心境が伝わる。
そうした中で、この句は死病への凝視が行き着くところまで行き着き、凝視することに疲れ、その結果「あやめ」を手掛かりに、ふと、忘我とも乖離ともつかない境地に触れた瞬間を掬っている。
疲労の果てに対象をつきぬけてしまった「透ける」であり、美化ではない。
俳句で何かが「透ける」と美化された場合、実在物を通してこの世を(無常観込みで)賛美していることが多い。これは大抵、底が割れた句に終わる。
それに対して、この句の「透ける」は自分が重い絶望の塊に呑まれきり、眼前のあやめが見ていても見えていないものになったという事態をあらわしている。
絶望と恐怖に同化してしまうことで、結果的に「我」から離れ、俳句になってしまった、通常の「名句」の陰画のような句である。
作品集『夢の誕生日』(2013.12 あざみエージェント)所収。
問い合わせ・購入は「あざみエージェント」のウェブへ
≫http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=27
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1 件のコメント:
あざみエージェントの冨上です。山内令南作品集の句をご紹介いただいてありがとうございます。山内さんの遺稿を拝読して癌と闘うというより癌と共生しながら命が続く限り書くことに執念を燃やす姿が印象的でした。ちなみに現在、amazonでも販売しております。明日、2月7日には文學界新人賞受賞作『癌だましい』が文春文庫として発売されます。興味のある方はぜひご覧下さい。ありがとうございました。http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%BB%A4%E5%8D%97
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