2014年2月17日月曜日

●月曜日の一句〔黒田杏子〕相子智恵

 
相子智恵







たかだかと凍れる花の梢かな  黒田杏子

句集『銀河山河』(2013.12 角川学芸出版)より。

梢が凍るほどであるから、昼夜の寒暖の差の激しい山奥に咲く山桜を思った。花冷えというには寒すぎる日の朝、桜の高い梢が凍っている。それでも花はいくぶん咲いているのだ。凍った梢も花も、日に光り輝いて見える。花が凍るというのは観念的に作れる句ではない。それでいて〈たかだかと〉には、実景を超えた精神性のようなものまで感じさせる。丈の高い澄んだ写生句である。

あとがきによれば〈三十歳から重ねてきました単独行「日本列島櫻花巡礼・残花巡礼」が満尾〉とあり、長年花を追いかけ、様々な花の表情を見てきた作者ならではの句だろう。本書には「櫻花巡礼」という花の句だけを収めた一章もある。

しかし花の句ばかりを読んでいると、四季の循環という繰り返す時間と、決して後戻りのできない前に進むだけの人生の時間というふたつの時間の交わりを強く感じて、時間が伸び縮みするような不思議な感覚になってくるものだ。

たとえば〈この花の樹下に身を置きたるむかし〉という句もあって、最後のポンと投げ置かれた〈むかし〉によって一気に昔に引き戻されるのだが、その〈むかし〉はもちろん自分の昔であるが、何か自分という存在を超えている気がする。昔の人も、未来の人も、この樹下に身を置いて、「そういえば昔もこの花の樹下に身を置いた」と思っているような、永遠の循環。そうして花は咲き続け、人は次々と老いてゆく。個人の体験でありながら、抽象化された「花」と「人」との関係性のある、不思議な時間を感じる句だ。魅力的な花の句が多い句集だった。

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