2014年10月22日水曜日
●水曜日の一句〔宇多喜代子〕関悦史
関悦史
風のユーラシア月下のユーラトム 宇多喜代子
出だしの「風のユーラシア」は騎馬民族やモンゴル帝国でも出てきそうで、ユーラシアの中でもアジア寄りの、乾燥した平原に風を受けつつ立っているような視点を思わせる。
ところがそれに続くのが「ユートラム」。これは国際機関「欧州原子力共同体」の略称である。歴史ロマンの世界からいきなり現代の原発へと関心が移るが、空間的にはヨーロッパはユーラシアの一部、時間的には歴史の末端が現代なので、飛躍していながら連続性があり、連続していながら眩暈を呼び込む(それを強める「ユーラシア」「ユーラトム」の押韻的効果についてはいうまでもあるまい)。
しかし「ユーラシア」も「ユーラトム」も視覚的な像をほとんど喚起することのない言葉である。ことに後者は、本部ビルのようなものはブリュッセルのどこかにあるのかもしれないが、それを読者が想起し得る可能性はあまり見込めず、近代都市・建築・会議場・原発といったものの断片がごく漠然と重なりあうことになるだけだろう。
とはいうものの、一句の語順を追うと、内容的な飛躍とは別に「風のユーラシア」の水平性から「月下」で一度視点が天へ吊られ、そこから再び降りてきて「ユーラトム」に至るという垂直性も加わり、時空・視点の移動から句は立体感を得ている。そして抽象的で巨大な名詞ばかりで組み立てられた句に見えながら、その全てが認識する主体につかねられているという肉体性の手応えがどこかにあるのである。
時空・自然・社会・歴史といった大きなものを弓として、その引き絞られた弦の一点に一個人がいるという緊張関係が句の裏側を貫いているというべきだろう。その緊張関係を成すのが「ユーラシア/ユートラム」の違和の発見なのである。
『宇多喜代子俳句集成』(2014.8 角川学芸出版)に、未刊行第7句集として収められた『円心』所収。
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