2015年3月21日土曜日

【みみず・ぶっくす散歩篇 1】 フランスの本屋で「俳句」をさがしてみた〜前書き。 小津夜景

【みみず・ぶっくす散歩篇 1】 
フランスの本屋で「俳句」をさがしてみた〜前書き。

小津夜景



一年半ほど前から、思いがけず俳句を書くようになったものの、海外に住んでいるせいか、まだ一度も日本人と俳句の話をしたことがない。私自身に関して言えば、それまで俳句のことを考えた事すらなかったのだから当然なのだが、他人から話を振られたこともないというのは、考えようによっては凄いことである。

なぜ凄いと思うのかというと、今住んでいる国フランスでは俳句の話をする人をたまに見かけるからだ。15年ほど前パリにいた頃、知人の男性に「日本は、鳥取ってとこに砂漠があるよ」と教えたことがあった(ちょっとフカした)。すると彼は、

「トットリ? ああ、尾崎放哉の故郷ね」

とすぐさま返してきた。

え? 放哉の故郷? 急にそんなこと言われても。そんなのほとんどの日本人が知らないだろう。というか、放哉その人を知らない人の方が圧倒的に多いはずだ。学校で習ったことなんて、大人になったらほとんど忘れてしまうんだし。

そう思いつつ、なんとも返答しようのない私は「ふうん…」とあいまいに頷いてみせたのだったが、とにもかくにもこれが生まれて初めて私が人とした、いやちがう、された俳句の話となった。

現在住んでいるニースでも、たまに俳句の話をされることがある(私は言うことがないので黙って聞いている)。子供の頃、学校で俳句を書いたという人もいる。私の師匠(専業武術家・50歳男性)は良寛が好きなのだそうだ。さらには友人にまで俳句を好む者がちらほら。私の友人というのは屋内・屋外を問わず身体をつかう職業の者ばかりで、日頃から何かを読んだり書いたりするタイプでもない。にも関わらず、なぜかみんな私より俳句に詳しいのである。ひょっとしてフランスは、ある文脈において日本よりも俳句が浸透しているのだろうか? 柔道みたいに? まさか。

実は自分が俳句を書くようになってから、彼らが俳句に興味をもったきかっけを知りたくなって「どういうルートで俳句を好きになったの?」と尋ねてみたことがある。彼らの回答は、

1.  エズラ・パウンド 
2.  ボブ・ディラン
3.  ケルアック
4.  ブコウスキー
5.  ちびっこ自然観察会
6.  007は2度死ぬ

といった風で(もっとあるが割愛)、一人としてフルクサスとか、ウリポとか、アンリ・ミショーとか、ロラン・バルトとか、いわゆるオシャレでちょいアカ(デミック)なルートから入った者はいなかった。禅などのジャポニズム・ルートもゼロ。

どうやら読書家でもなければ日本趣味もない「ふつうの人」にとっては、カウンター・カルチャーや一部の遊興娯楽あたりが、俳句に興味をもつ身近な現場となるらしい。

もっともジャポニズム(オリエンタリズム・ルート)については、私に対して言わないだけで、きっと入口としてはあるだろうな、と秘かに思うことはある。全くの憶測だけど。でも、禅だの何だのといったタームを下手に持ち出すとどうしても話が紋切り型になるし、場合によっては日本人をバカにしているようにも聞こえて、サイードのいう意味での差別主義者と勘違いされかねないから黙っておこう……と「無意識に」考える人がいても不思議じゃない。

それはそうと、いま私がここに書いている話はただの枕で、まるで意味のないたわごとだと思ってもらえるとすごく嬉しい。というのも個人的体験、なかでも外国ネタは「絶対信用してはいけない」と断言したほうが無難なくらい話にバイアスがかかるものだからだ。人は平生、自分の知っている世界の外側の果てしなさを大変デリケートに感受しつつ生きているものだが、なぜか話題が外国ネタになると、いきなりその種の想像力が話す方にも聞く方にも欠落するシチュエーションが頻発する(いま私は「どこそこの国はこんなに意識が高い/低い」系の、よくある「文化的」ディスクールに想いを馳せつつ書いてます)。そういうの、ほんとに訳がわからない。いやもちろん、話す人あるいは聞く人に「他者を意味づけしたい欲望」がみなぎっているせいでそうなることは重々承知しているのだが、とにかく恥ずかしくて嫌だ。そういうわけでこの前書きも超ぞんざいに、ほんのささやかな体験としてどころかさらにそれ以下の扱いで、限りなく透明に近い空気くらいに思って眺めて下さい。

とはいえ勿論、今回の【みみず・ぶっくす】のテーマを「フランスと俳句」とした以上、その関係を意味づけしようとする努力は避けられない。ただしできるかぎりニュートラルにやりたい。そこで俳人っぽく客観写生に徹し、ニースの本屋に行ってどのくらい俳句の本を買えるのかを実際に調査してみることにした。結論を先に言うと、現場では私の予想を上回る刺激的なことが起こっていたので、次回はそれを写真つきでレポしてみたいと思う。



それではまた。

あ!

ここで次週にするつもりだったのに、フランスでの俳句体験で、ひとつ印象的な話を思い出してしまった。 

どんな話かというと、一昨年の秋、私がよく聴いているラジオ番組に、なんと四ッ谷龍氏が出演したことがあったのだ。もっともその頃の私はまだ氏の名前を知らず、話にも別段興味をもたなかったのだが、のちに御本人のサイトを見つけ、中塚一碧楼のフランス語訳を読んで感動し、友人にも見せて回ったらはたして大盛り上がりとなった。ひとことで言えば「ぐっとくる」翻訳。そして、これは多少言いにくいことではあるが、原作よりもイカしている(そういうことは、ままある)。なかでも「赤ん坊髪生えてうまれ来しぞ夜明け」の訳、

Un bébé est venu au monde
Portant des cheveux.
Aube.


はガツンと素晴らしい、と思う。

ではまた来週の本編で。





追記1 これを書いている途中で、日本人とも一度だけ俳句の話をしたことがあるのを思い出した。西原天気さんとお会いした時だ。しかし私は「俳句」という言葉を使うのが恥ずかしかったので、ほとんど口にしなかった(そしてなぜか西原さんもそのようだった)。

追記2 本文中のラジオ番組(CARNET NOMADE)はここで聴取可能。四ッ谷龍さんの出演は25分30秒あたりから(日本語です)。
http://www.franceculture.fr/player/reecouter?play=4668258

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