2015年3月3日火曜日

〔ためしがき〕 夜の形式とは何かなのか 夜の部 福田若之

〔ためしがき〕
夜の形式とは何かなのか 夜の部

福田若之


夜になった。田中裕明が、夜の形式をどのようなものとして語っているのか、見ていくことにしよう。
地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって、そういうときには海岸線をたどるためにおろした指がもう動かない。音楽をそういうふうに聴くこともある。部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない。
海岸線は、陸と海の境界であるから、「自分が何を見ているのかわからなくなる」というのは、線の両側に広がっているのが何であるのかがわからないという状態のことを指しているように思われる。「レコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いてい」るというのも、耳に入ってくる音のうち、音楽とそうではない音との仕切りがうまく機能しないことを指しているだろう。

昼の形式についての語りと違って、ここでは印象派やバロック音楽というようなジャンルが例示されていない。このことは、音楽とそうではない音との仕切りがうまく機能しないということと関わっているだろう。音楽は、それをただ音として聴くときにだけ、雨の音との仕切りをあいまいにするに違いないからだ。そのときの音楽は、もはや、ジャンルの名において分類されるようなものではない。このとき、形式と内容はもはや分節されていない。それは、渾然一体となって聴こえる。

モーリス・メルロ=ポンティは、裕明がその著書を持っていたという哲学者の一人でもあるけれど、このメルロ=ポンティも『知覚の現象学』で芸術作品の形式と内容の合一を説いていた。それは、メルロ=ポンティにとって、身体と精神がひとつのものだと考えられたことに関わっている。

メルロ=ポンティにとっては、肉体に精神が宿るのではなく、それらは一つのものだ。だから、芸術作品にとっての身体だといえる形式も、通常その精神だとされるような内容を湛えるための器ではないということになる。

俳句に関しても、たとえば十七音は言葉を盛る器ではないということは、しばしば言われる。夜の形式とはこのようなものなのだろうか。

どうやら、そう単純ではなさそうだ。レコードと雨の音のあいだにあるあいまいさは、海岸線の例とは違って、もう一つの別のあいまいさに挟み込まれている。「部屋を暗くして」過ごしているのだが「それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない」という、昼と夜のあいだにあるあいまいさが、音楽と雑音のあいだにあるあいまいさを包み込んでいる。夜の形式とは、ひとまず、このようなものなのだ。

続けて、このとき夜と昼が双方向の関係である事が示される。
夜はしだいに明けてゆくのだけれども、時間がそちらの方向にだけ流れていると思うのはおかしなことで、
つまり、夜から昼、昼から夜、そのどちらもあるのだろう。おそらく、昼と夜の境界があいまいだからだ。あるいは、芭蕉が『おくのほそ道』で、「年」を、ただ過ぎ去るのではなく、「行き交ふ」ものとして書いていることと、つながりがあるのかもしれない。

続けて、こう述べられる。
今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしているのは時間が逆流していることの証にほかならない。
「今日見た朝の空と昔見た空が寸分かわらぬ顔をしている」という言い方は、文章の冒頭の「ほんとうにずいぶん昔のことになってしまった」につながるだろう。この文章においても、「ずいぶん昔」の問題が、「今日」も「寸分かわらぬ顔をしている」のではないだろうか。裕明はそれを「時間が逆流している」と理解する。

この発想は、H・G・ウェルズの『タイムマシン』の冒頭で、タイムトラベラーが提示する考えに似ている。ウェルズのタイムトラベラーは回想を過去への逆行とみなす。回想こそが、過去への時間旅行の可能性を実証するのだ。こうした発想においては、想起がすなわち時間の逆流の証になる。
こう言えば夜の形式というのはかなり複雑なもので、
それなら、整理しよう。

まず、地図の海岸線の挿話で、境界があいまいであるということの基本モデルが示されていた。そして、次に、この基本モデルが二重化したものが示されたのだった。それが、昼と夜の境界のあいまいさが音楽と雑音の境界のあいまいさを含みこんでいるというモデルだった。

このとき、二重構造の外側の層で、夜と昼は不能の境界線を相互に侵犯する。そして、その相互性は回想という心の働きに支えられている。だからこそ、夜の形式というのがこのようなものであるとする限りで、次のように言えるのだ。
それは時間と非常にふかい関わりをもっている。
なぜ「暗い形式」ではなく「夜の形式」であり、「明るい形式」ではなく「昼の形式」なのかがここで述べられているように思う。結局のところ、「夜の形式」と時間との「非常にふかい関わり」を生み出すのは、「夜の形式」というこの言葉にほかならないからだ。

だからこそ、夜の形式は、単に地図の海岸線のモデルのようなものなのではなく、むしろ、昼と夜のあいだでのレコードと雨の音とのモデルのようなものであるという風に示されるほかなかったのだ。夜の形式は、単なるあいまいさのモデルのようなものではなく、時間の上でのあいまいさによって二重化されたあいまいさのモデルのようなものなのだった。

そして、昼と夜が時間の流れの中で捉えられるとき、昼の形式に夜がやってくること、あるいは逆に、夜の形式に昼がやってくることも想定されるだろう。だからこそ、昼の形式と夜の形式を単純な二項対立として捉えることはできない。

さて、続きを読んでいこう。
だからさっき昼の形式としてあげたバロック音楽も、深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる。
ここで、裕明は、バロック音楽を夜の形式として捉え直すことができるとは決して書いていない。単に、それが夜に書かれたものであると考えることができるというだけだ。

それを踏まえた上で注意したいのが「だから」という接続である。夜の形式が「かなり複雑なもので、時間と非常にふかい関わりをもっている」ことは、バロック音楽を「深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる」ことを、どう理由づけているのか。この文脈において、バロック音楽を「深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる」ことというのは、いったいどういうことなのか。

夜に書かれたと考える事ができるバロック音楽が、昼の形式であるとしてあげられたということ。まず、ここから言えることがふたつある。ひとつは、昼の形式とは昼に作られた作品の形式のこととは限らない、ということだ。そしてもうひとつは、夜に作られた作品に夜の形式があるとも限らない、ということだ。

こうしたことは、夜の形式が、昼に聴き始められたレコードの音楽のようなものとされていることと表裏一体だ。つまり、昼の作品に昼の形式があるのではなく、夜の作品に夜の形式があるのでもない。バロック音楽を「深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いたと考えることができる」ことは、夜の形式が「かなり複雑なもの」であることについての、昼の形式の側に即した言い換えとして読み取ることができる。

そして、「かなり複雑なもの」であることが、理由ではなく言い換えとしてここに現れている以上、「だから」という論理の接続を支えているのは、残された部分――夜の形式が「時間と非常にふかい関わりをもっている」ことのほうであることが分かる。

夜の形式が「時間と非常にふかい関わりをもっている」ことは、夜の形式と昼の形式のそれぞれが、暗い形式と明るい形式ではないことを示していた。ここで、バロック音楽の書き手がただの男ではなく、「目瞑る男」であることに注目する必要があるだろう。目をつぶったときの闇は、夜の闇ではない。それは、「時間と非常にふかい関わりをもっている」とはいえない。だからこそ、それは、あくまで昼の形式なのではないだろうか。

確かに、昼の形式もまた、それが「昼の形式」と呼ばれる以上、時間と関わりをもっているには違いない。しかし、その関わりは「非常にふかい」ものとまでは言えない。昼の形式が、現在形で語られていたことを思い出そう。昼の形式は、ただ、現在という一点においてのみ、時間との関わりを持っている。 昼の形式とは、そうした何かだということができる、何かなのだ。

続けて、こう問いかけがある。
床の間がつくりだす薄暗い闇を、またそのほかの日本間における陰翳を賛えていたのはさて誰だったか。
それが「陰翳礼讃」の谷崎潤一郎であることはすでに指摘されていることだ。ここでは、それに加えて、谷崎のこの文章が夜の暗さを礼讃することよりはむしろ、昼の暗さを礼讃することと夜の明るさを拒否することに紙幅を割いていることを指摘しておきたい。「陰影礼讃」の文脈では、昼と明るさ、夜と暗さの結びつきは決して確かなものではない。それが裕明の文章にも反映されている。

ところで、あえて谷崎の「陰影礼讃」 であることを明示しないことの効果はいかなるものだろうか。これは、単なる思わせぶりな筆致にすぎないのだろうか。そうではない。このとぼけには、回想という行為の不確かさが表わされているのだ。昼と夜の境界線の不確かさを支える回想が、それ自体、不確かさを孕んでいることがここで分かる。

では、この不確かさがここで示されることにはどんな意味があるのだろうか。ここで、「夜の形式」という言葉それ自体が、回想の中から引き出されたものだったことを思い出そう。つまり、この言葉が、そもそも、実に不確かなものなのだ。現在において時間と結びついている「昼の形式」という言葉には、こうした不確かさがない。ここに、言葉としての「夜の形式」と「昼の形式」の違いが見出される。

さて、終わりが近づいてきた。
とにかくこのように言われる日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式と言ってよいかもしれない。
「午すぎ」であり、「光を障子からとりいれて」である。にもかかわらず、裕明はそこに「夜の形式と言ってよいかもしれない」ものを見出す。「けれども」という言葉は、おそらく、この逆接の表現である。

ところで、時間の久しさは、過去の回想というあいまいなものによって保証されるだろう。回想こそが「明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させる」のだ。そして、回想は夜の形式を支えるものでもあった。だから、「明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させる」こと自体は、それを「夜の形式と言ってよいかもしれない」ことと、むしろ順接的な関係にある。そして、だからこそ、それを「夜の形式と言ってよいかもしれない」ことについて、ここではそれ以上の説明が必要とされていないのだろう。

しかし、結局は「言ってよいかもしれない」 だけだ。夜の形式とはこれである、とは言うことができない。

ふたたび、空行が置かれる。そして、次の一文で文章は締めくくられる。
ほんとうにずいぶん前にも考えていたことなのだが、いま手にしているのは夜の形式ではないようだ。
やはり、「夜の形式」は「ほんとうにずいぶん前」のことの回想としてある。「いま手にしている」ということとは対照的に。

ただし、ここでもその「よう」であるにすぎない。ただ対照であるにすぎない。文章のはじめでは、「夜の形式」という言葉はただ過去に見出されていた。それが、この最後の一文では、過去「にも」見出されるというふうに語り直されている。つまり、この文章を経て、「夜の形式」という言葉は、過去だけでなく現在にもかかわりをもつものになったともいえるのではないだろうか。

ついに、夜の形式は、どこまでも「のようなもの」としてしか語られることがなかった。「夜の形式」という言葉は、その言葉の内容としての夜の形式を指し示しはしない。だから、ここでも、形式と内容があるのではない。その意味で、繰り返しあいまいに思い出されるこの「夜の形式」という言葉は、それ自体、夜の形式のようなものである。しかしながら、夜の形式は「夜の形式」というこの言葉ではない。夜の形式は、ことごとく、何かであることから逃れ去ってしまった。夜の形式は、何かであることを絶えず期待されながら、何かであることから逃れ去る。

だから――

夜の形式とは何かなのか? ――何かではないようだ。

夜の形式とは何か? ――何かではないようだ。

夜の形式は、あらゆる境界線を無効にし、あらゆる分類から逃れ去る。あとは、じっと考え込むしかないだろう。夜を徹して。時間との、非常にふかい関わりの中で。

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