浅沼璞
見開や古暦の大全代々のはる 西鶴
『それぞれ草』(延宝9年・1681)
まずは上五から読みと意味を――見開(みひらく)とは、目を見開いて広く見る感じ。古暦(これき)の大全(たいぜん)とは室町末期から近世初期までの暦日を記した暦学書。なので代々(よよ)のはる(春)という下五には、各時代時代の新春をページごとに寿ぐ仕合せ感がこめられてる。めでたい。
〈目を見開いて『古暦大全』をひらけば、毎年毎年の新春が広く見通せるぜ〉といった半世紀を駆けるスケールのでっかい仕合せだ。めくるめくタイム・マシン詠といってもいい。
ところで『古暦大全』には1ページに1年12ヵ月分の暦日が記してある。つまり見開き2ページで2年分を一覧できるってわけだ。けど(いま使った)左右2ページをさして言う「見開き」という言葉の用例は当時まだなかったらしい。だから「見開き」の意が上五にかかってはいないはずだ。がしかし(だからこそ逆に)いま読むと「見開き」という言葉が慣用化される現場に立ち会っているような気がしてくる。慣用句はいつもこんなふうにして生成されてきたんだろう、きっと。
今年はそんな現場に一つでも多く立ち会いたいと願う(とうとう還暦も過ぎるんで)。
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