2018年3月29日木曜日

●木曜日の談林〔松尾芭蕉〕黒岩徳将



黒岩徳将








大比叡やしの字を引て一霞 芭蕉

延宝五年(一六七七)の作。形も内容も、堂々としている。面白いのは、平仮名のなかの「し」の字を選んでいるところだろう。ぼやけた霞がかかっているので、「し」は横向きに倒した形だろう。曲線が山に似合う。

なぜわざわざ「し」なのか。これも元ネタがある。なんと、私たちがテレビアニメで親しんでいた「一休さん」だ。時代から推定すると、出典は「一休ばなし」(一六六八)。この中に、一休が比叡山の僧侶たち字を所望され、比叡山から麓の坂本まで紙を継いで「し」の字を書いたという逸話がある。芭蕉の頭はこれを踏まえている。

それにしても、なぜ「し」なのか。「一休 比叡 しの字」でインターネット検索をすると、松本健氏の「一休が『し』の字を書いたこと――〈本当の話〉という伝承」という論考が見つかった。詳しくは論を読んでいただきたいのだが、平成に入って作られた伝記やアニメーションが、『一休ばなし』の筋と乖離して読者・視聴者に届いていることが面白い。平成が終わろうとしている今、様々な意味が追加されたことを知った頭で読む芭蕉の句から受け取るものは、延宝時代と当然大きく変わってくるだろう。



また、『泊船集』『彼これ集』などに「大比枝やしを引きすてし一かすみ」の作もあるが、『泊船集』には「此句は翁の吟なるよし、ある人にきゝぬ。実否はしらずしるしぬ」とあるので、こちらの句については、「異形句は存疑とすべきか。」と『芭蕉全句集』(桜楓社)にある。PCやエクセルのない時代、自分で作った句の管理は大変だっただろう……。「しの字を引て」の方が句の立ち姿が美しい気がする。

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