西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
アントニオから届いた筋肉パイナップル 犬山高木
アントニオ。人物を特定できない人名の出てくる句は、川柳のことを言うこの場所で俳句を挙げるのは恐縮だが、俳句にもある。
いのうえの気配なくなり猫の恋 岡村知昭
エリックのばかばかばかと桜降る 太田うさぎ
作者と読者が「あの人」として共有できない人名は、いわゆる人名俳句とは区別するべきだと思うが、これはこれで固有人名とは別の感慨や驚きや呆気(あっけ)をもたらす。「それ、誰やねん?」といったたぐいの。
筋肉。これは一種の〈異物〉の挿入。
白鳥定食いつまでも聲かがやくよ 田島健一
における《白鳥》に通じる。つまり、それをその句から抜けば、すんなりと散文的意味が伝わるような例。〈白鳥のいつまでも聲かがやくよ〉だと意味がよくわかるし、〈アントニオから届いたパイナップル〉だと、アントニオは例えばブラジル人ぽくもあるので、散文として「ふつう」に成立する。
《筋肉》が入ることで、それが筋肉とパイナップル(併置)だろうが、筋肉パイナップル(インパクトたっぷりに不味そうな果実)だろうが、句全体が、混乱する、謎めく、不穏となる。
アントニオって誰? 筋肉パイナップルって何? と、読者の思考を立ち止まらせる。それは川柳・俳句を問わず、句のとって一種の成功だと思う。
なお、白鳥定食を、例えば白鳥の見える湖のほとりのレストランのメニューであるとか、筋肉パイナップルを、例えば、奇をてらった商品名であるとか、現実的な了解のほうへと近づけて読む向き(混乱や謎や不穏の忌避・回避)もあるかもしれないが、わざわざつまらない理解へと読解することもない。ことばで起きた事件を、現実の退屈へとひきずりおろすこともない。へんなの! とただただ「ヘン」がっていればいいんじゃないかと思う。
掲句は『川柳ねじまき』第10号(2024年1月)より。
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