2009年1月5日月曜日

●おんつぼ11 シスター・ロゼッタ・サープ さいばら天気


おんつぼ11

シスター・ロゼッタ・サープ
Sister Rosetta Tharpe


さいばら天気



Sister Rosetta Tharpe(1915/3/20–1973/10/9)は1930年代から40年代にかけて活躍したゴスペル・シンガー(ゴスペルといってもロック成分をかなり含有)。ギターも弾きます。ほかに似た人が見つかりません。

ま、しかし、そんなことより、とにかく、下の動画を見れば、わかります。

顔がいい。

図体がいい。

声がいい。

歌いっぷりがいい。

弾きっぷりがいい。

ど~んとでっかく響いてきて、なおかつ「泣き」もある。

小さなバンドでの録音がもっぱらですが、最初に聞いた(見た)のはラッキー・ミリンダーのビッグバンドとの共演。40年代のこの手の映像が膨大に残っているのが、アメリカのすごいところです。

顔で圧倒度 ★★★★★
ソウルフル度 ★★★★

Sister Rosetta Tharpe - Up Above My Head
とんでもなくカッコいい歌とギター。


〔おすすめアルバム〕The Gospel of Blues

2009年1月4日日曜日

●村田篠 虹の被害

虹の被害

村田 篠


はつ-ゆめ【初夢】元日の夜に見る夢。また、正月二日の夜に見る夢。古くは、節分の夜から立春の明けがたに見る夢。(広辞苑)


最近、夜中に何度も目が覚めるようになってしまった。眠りが浅い。たぶん、自分で覚えているだけでも、一晩に最低3回は目が覚めている。でも一瞬後には、また浅い眠りに落ちている。それが何度も繰り返されるのが、私の「眠り」だ。

当然、「夢」は、眠りがとぎれるたびに分断される。でも、よくしたもので、最近ではそういう断続的な眠りに合わせて、分断された「夢」の続きを見ることができるようになった。続きなのだけれど、話が少し展開して動いている、というのがおもしろい。人間の脳というのは、すごいものだ。

夢の中で、もてなし下手の私が、パーティを催すことになった。会場は、どこかの古びた旅館の二階。窓枠がサッシではなくて、木の枠なのである……といっても、若い人には想像できないかもしれない。かつてはそういう家がたくさんあった。窓から外を見下ろすと、道を挟んで向かいも旅館で、同じような総二階の建物が、長屋のように道に面して建っている。

部屋の中は、もちろん畳。30畳くらいの大きさだ。昔風の家屋の特徴で、天井が低く少し圧迫感がある。そこに、コの字型に座布団を並べて、みんなでお酒を飲んでいる。なぜか、料理が並んでいるのではなく、いろんな種類のお酒だけがふんだんにある。ビール、ウィスキー、ワイン、ウォッカ……まるで昨年、飲み足りなかったといわんばかり。

そこに―夢の普遍的なパターンではあるが―私が知っているというつながりだけで、同席するはずのない人々が集っている。小学校卒業以来会っていない同級生、最近の友だち、テレビの中でしか見たことのない人……「夢」の中では、みんな知り合いみたいに話している。

さて、不思議なのはここからだ。たぶん一瞬の「目覚め」の後だろう、話が少し展開している。私は、仲のいい女友だちとふたりで、いつのまにか会場を抜け出して道を歩いている。ひなびた田舎だと思っていたが、旅館を出ると、そこは無味乾燥なビル街だ。街路樹は裸ん坊で、寒々としている。あたりが無人なのは、「お正月」だからなのだろうか。なんとなく辻褄が合っている。

歩いているうち、友だちがポツッといった。
「最近、コウガイが問題になってるの、知ってる?」

コウガイ? はて。公害、口蓋、口外、鉱害、梗概……。問題になっているって、なにが?
「今、見せてあげる」
と友だちはいうと、ズンズンと歩き出した。必死についていくと、彼女は突然立ち止まって指さした。
「これのことよ」

無人の寒々としたビル街の片隅。そこに、桜が咲いていた。ただの桜ではない。七色の桜だ。数本の桜に咲いた花が、まるで虹のように、一本一本少しずつ色調を変えながら、咲き誇っている。赤から紫へ。青い桜もある。これはすごい。
「これを、コウガイっていうのよ」
と女友だちはいった。
コウガイって……もしかして、「虹害」?
彼女はうなずくと、じつに不機嫌な顔になった。
「原因不明なんだって」
心の底から感嘆しながらその七色の桜を見つめているうち、目が覚めた。

「虹」を「コウ」とちゃんと読んでいるところが、ずいぶん理屈っぽいなあと思う。起きてからさっそく広辞苑で調べてみたが、「虹害」という言葉はもちろんなかった。

やれやれ、変な夢だった……と思いつつ新聞を広げると、1999年は、フロイトが『夢判断』を出版してからちょうど100年だという。フロイトなら、「七色の桜の夢」をなんと診断するのだろうか。「酒」に「桜」に「虹」。なんだか意味ありげ。なんとなく欲求不満の権化みたいにいわれそうな気もして、かなりいやな心持ちがするのは否めない。

 *

これは、10年前の日記に書き留めていた初夢の記録。今年も初夢をみたのだけれど、これがまた、ヴァンパイアの登場する夢だった。ヴァンパイアが世界中で増殖している。でも、ヴァンパイアになると、物事が高精度、高速度、高密度に見えるようになるという。なんだか、コピー機の性能みたいだ。ヴァンパイアはそのへんにふつうに生息していて、私と会話をしたりするのだけれど、「怖い」という意識は夢の中でもきちんとあって、その「怖さ」が、ちょっといい感じなのであった。

2009年1月3日土曜日

●俳句甲子園2008

俳句甲子園2008


資料映像



2009年1月2日金曜日

●ペンギン侍 第3回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第3回 かまちよしろう

2009年1月1日木曜日

●富士山

富士山

『法然』(数年前に刊行)より転載

from east 長谷川裕

江戸に暮らした人々はことのほか富士を愛した。いまでも東京のところどころ、神社の境内や企業の敷地となったお屋敷跡などに、富士講の小富士が散見されるのはその名残りだ。北斎の富嶽三十六景が版を重ねたのも、むろんこの富士人気あってのことだ。

富士は江戸の日々の暮しに一種、独特の感情を与えてくれるものであった。周囲を山で包まれ、おのずと安心できる京都や奈良とは違い、江都の置かれた関東平野は広く、茫漠としている。人々は遠く小さく、ときに蒼く霞み、ときに鮮やかに白雪を被った霊峰を確かめては安心し、小さな喜びを感じていたようだ。

その感情は江戸が東京へと移り変わっても続き、明治、大正、昭和と、東京とその近郊に暮らした人々は、富士を望むたびになにやら得をしたような気分になった。いまでも東京っ子はなにかのおりに富士を発見すると、無心に「あ、富士山」と、子供のように声をあげる。

この気分は津軽出身の太宰治には理解しがたかったようで、彼は『富嶽百景』のなかで、富士を「風呂屋のペンキ絵でも見るようだ」とくさし、それでもそこに月見草を配することで、まあ、悪くはないじゃないかと、ちょっぴり救済する。太宰にとっては本家の富士山よりも、津軽富士つまり岩木山のほうが、ずっと親しかったのだろう。

小学校のころ、放課後の夕暮れに校舎の二階から富士を見た。赤い空を背景に三角形の黒い影がはっきりと遠望できた。季節風に乗って飛雪が頂上から南に向かって流れているのまで見えた。茜はしだいに紫に変わり、ついに富士の山影が群青に溶けていくまで、ずっと眺めていた。小学校は東横線の祐天寺駅のすぐ近く。当時はそんなところからでも富士が見えたのだ。

ずいぶん建物が立てこんでしまったが、いまでも中央線の国立、国分寺あたりからなら、冬の朝や夕暮には堂々とした富士山が見える。そんなとき相変わらず、ちょっと得をしたような、いい気分になるのである。


from west さいばら天気

富士山が日本という国の象徴のようになったのは明治期らしい。『小学唱歌』には、「あふぎみよ、ふじのたかねのいやたかく、ひいづるくにのそのすがた」とある。太陽が昇る国、秀でた国で仰ぎ見る高嶺。それが富士山だという。

ところが日本の西方に暮らしていると、実際の富士山を見ることはあまりない。富士山とは、教科書や絵本にある富士山、すなわち三峰になった頂上に白く雪を戴き、なだらかな稜線を持つ左右対称の高峰。富士は「山」ではなく「図像」であった。

明治に誕生した政府が治める日本は、やがて西欧との戦争へ。そして富士山には「フジヤマ」という異国情緒たっぷりの表記が加わる。ジパング観光にはゲイシャとフジヤマが欠かせなくなったということか。だが、フジヤマもゲイシャも、どこか遠い国の話を聞いているようだ。みずからの姿が写っているはずの鏡には、誰のいたずらなのか、色彩の濃い絵はがきが貼られている。そんな感じさえする。

十代の頃、はじめて東京へと向かう新幹線の窓から、富士山が見えた。その後、退屈な海外旅行からの帰途にも一度だけ富士山が見えた。

日本という国に親和と違和の双方を抱いて暮らすとき、富士とは、この一三〇年ほどのあいだ首都である東京という町の西方に立つ襖(ふすま)のような存在である。あるときは優美にも荘厳にも見えるが、あるとき、その存在は凡庸でおしつけがましい。通りすがりにこの山、富士を眺めるときでさえ、私たちは、歴史や社会から自由ではないということだろう。