2016年7月18日月曜日

●月曜日の一句〔広渡敬雄〕相子智恵



相子智恵






泉より戻りし人の貝釦  広渡敬雄

句集『間取図』(2016.06 角川書店)より

泉から戻ってきた人の夏シャツに、小さな貝釦がついていて、それが光っていた。ただそれだけの句なのだが、静かに心に残る。

たとえばこれが、泉ではなく浜辺から戻ってきた人だとするなら、かつて浜辺のものであった貝が釦になって……のような物語が付き過ぎるが、この句は泉だから、下五までの間に貝釦を呼び出すものは何もない。ただただ、貝釦が作者の目についただけなのだ。

自分が泉に向かっていて、戻ってきた(貝釦のついたシャツを着た)人とすれ違ったのだろうか。それとも、戻ってきた人から泉の話を聞いたのだろうか。いずれにせよ作者は泉にはまだ行っていないのだろう。

私がこの句に惹かれるのはなぜか。それは泉と貝釦の光である。泉に行ってきた人が何も語らずとも、その胸に光る貝釦によって、その泉の清らかな光が自然と連想されてくる。戻ってきた人の胸の中に泉の光が分け与えられたような気持ちになるのだ。もしかしたら、作者がまだ見ていない泉への期待が貝釦に目を行かせたのかもしれない。

泉と貝釦がまったく関係のないものだからこそ、そして泉から戻ってきた人の着ていたシャツに、偶然、貝釦が付いていただけという作為の無い現実の出合いだからこそ、この二つの光は清々しく私の心に残った。

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