昼ひなかのラジオは素麺の茹で汁のよう
西原天気
ラブ・アンド・ピース!
(ちょっと導入を凝ってみました)
この時期、アタマやカラダがしゃきっとしないときは、昼寝してみるといいです。短時間でも。
さて。
◆福田若之 それは確かに「早計」というほかはない 筑紫磐井「関悦史の独自性――震災・社会性をめぐる若い世代」に対して
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/06/blog-post_48.html
これはつまり、「せめて読もうよ」という話かな?
こちらからは以上ですが、ちょっと一般的なことを。
「なぜ俳句を書くのか?」というと、「書きたいから」でしょう。それ以外にない。「震災俳句」も「原発俳句」も同様。そして、何を「社会性」というかは別にして、「社会性」のある句、「社会詠」(そんな用語、あるのか?)も同様。書きたい人が書きたい句を書くのだから、ぜんぶオッケー。私自身はそう思ってます。もちろん「みんなで、震災俳句を、原発俳句を、平和俳句をつくりましょう」となると、グロテスクな行進めいてきますが、きほん、書きたい句を書けばよろしいのです(あたりまえのこと)。
一方、震災俳句を、原発俳句を、「なぜ書かないのか?」の問いへの答えは、「書きたくないから」のひとつではありません。「書きたいと思わないから」もあれば、「書きたいけど、まだ書いてない」もある。「ない」理由はいろいろだし、説明しにくいんですよね。
だから、ある種の分野の句と距離をとろうとしているとき、「なぜ書かない?」という詰問を自分で設定して(あるいはどこからか突きつけられたような気になって)、答えてみようとする必要はない。というか、そういうのって、たいてい言い訳っぽくなって、うまく行かない。ほんとに言いたかったことが言えない。
「社会詠」について、福田若之さんは、誌上座談会の自分の発言をわざわざ引いています。
(…)社会のなかに生きていて、俳句を作っていれば、社会のことが自然と乗ってくる。それが社会詠だって言いたい」と、僕ははっきり言っています(前掲「座談会「震災と俳句」」、36頁)。それはそうなんだけれど、俳句業界の言う「社会」と自分にとっての「社会」をむりやり繋ぐこともない(よりによってこの言い方はかなり陳腐に映る)。
(というか、福田若之俳句は、〔リアル自分対リアル社会〕てなかんじで、かなりの度合いで「社会詠」だと、私は思ってるんですけどね)
さて。
書く理由は「書きたいから」なんですが、(ここから余談)いわゆる「社会詠」が社会の「ため」になるのかといえば、ならない。
「ため」を言うなら、税金をきちんと払う(自戒を込めて)、他人をいたわる(自戒を込めて)、既得権益に乗っかりのうのうと暮らすことで人の機会を奪わない(これは自戒の必要なし)、そのへんにゴミを捨てない、ゴミが目についたら拾う、など、つまり善き人として、善き社会人として、心健やかに、慎ましく暮らすほうが、「社会詠」を何百句何千句つくるよりも、よどほど社会の「ため」になります。
(為念。「ため」にならないから書かなくていい、書かないほうがいい、という話ではありません。くりかえしますが、「書きたい」なら、何万句でも書けばいいのです)
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ネット上の句会はたくさんあります。ふだん記事を掲載しているウェブマガジン的なサイトが催すこともあって、例えば、
◆第1回 川柳スープレックス前句附句会
附句一覧≫http://senryusuplex.seesaa.net/article/439222123.html
選句結果発表≫
http://senryusuplex.seesaa.net/article/439428353.html
「前句附」がわからない俳人が多いと思います(私も、そう)。上記「附句一覧」記事の末尾にある例示「前句 切りたくもあり切りたくもなし 附句 ぬす人をとらへてみればわが子なり」ならわかりますが、さて、実地に、となると、なかなか難しい。まあ、わからないものはわからないまま、句や合評を楽しむことはできます。
で、そういえばと思い出したのが、小誌『週刊俳句』で以前開催した、この句会。
◆柳俳合同誌上句会
投句一覧 ≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/08/blog-post_17.html
選句一覧 ≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/08/20148.html
句会をオープンにすることには(リアル・ネットを問わず)あまり積極的になれないのですが、企画性の高い誌上句会なら、またやりたい。
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阪神尼崎駅前の公衆トイレで見つけた驚愕の張り紙。犯行動機、常習性、政治的意図などすべてが謎すぎる。 pic.twitter.com/iVf7jGFXRZ— 若狭健作 (@wakasakensaku) 2016年7月1日
尼崎、奥深すぎます。
それでは、また、いつかお会いしましょう。
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