相子智恵
裏山も遺品の一つ木の芽張る 菅美緒
『シリーズ自句自解II ベスト100 菅美緒』(ふらんす堂 2018.6)所載
〈遺品〉とは「死んだ人があとにのこした品物。多く、身につけていた物をいう」と辞書にもあるように、装飾品など小さめの品物をふつうは思うから、〈裏山〉に意外性があって面白い。なるほど、庭や裏山も、その人が愛着をもって日々世話をしていれば、それは〈遺品〉と言えるのだろう。「作庭」という言葉もあるように、庭は作品という感じがして遺品らしさもあるが、〈裏山〉はもっと素朴に、ただそこにある感じがするのも面白い。
元は句集『洛北』(ふらんす堂 2009.4)に収められた句だが、自句自解の企画本より引いた。自解によれば、旧白洲邸の武相荘の裏山を見ての作だという。私は山廬の裏山を思い浮かべた。
生命力のある〈木の芽張る〉がいい。自分の土地か、そうでないかなどおかまいなしに、さらには人が世話したかどうかなど関係なく、木の芽は時が来れば漲り、育つ。〈遺品〉と思うほどに故人の愛着を感じさせながら、一方で何にもとらわれない自然な〈裏山〉。遺品なのに執着や湿っぽさが一片もなく、不思議と元気が出てくる句だ。
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