相子智恵
芋刺して死を遠ざくる父の箸 篠崎央子
句集『火の貌』(2020.8 ふらんす堂)所載
俳句で「芋」といえば里芋を指す。里芋は縄文時代後期に伝播し、稲作以前の主食だったと推定されているそうだ。種芋の上に子芋、孫芋がつく形で成長するので子孫繁栄の縁起物とされていたり、別名「芋名月」とも呼ばれる十五夜には、収穫に感謝して供えたりする。古くから生命力を喚起する食べ物である。
掲句、里芋の煮っ転がしか何かを食べているのだろう。いくら食べることは生きることの基本だとはいえ、普通の食卓で〈死を遠ざくる〉というのは出てこない発想なのでドキリとする。そこから逆説的に、父の死が近いことが感じられてくるのだ。
死が近い父の箸が、芋を刺している。里芋はつるつるしているから箸で掴みにくい。もはや箸で挟むこともできなくなっているから〈芋刺して〉なのだろう。それでも芋を食べることで父の命の時間は少し伸び、死は遠ざかる。
里芋の煮物のような平凡な料理、箸の動きだけをとらえた平凡な食卓の風景が、状況の壮絶さを静かに物語る。さらに箸が刺したものが生命力の象徴のような里芋であるからこそ、作者の祈りのようなものが、しかと感じられてくるのである。
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