2024年3月8日金曜日

●金曜日の川柳〔梅村暦郎〕樋口由紀子



樋口由紀子





春にて候 子の追いすがる紙風船

梅村暦郎(うめむら・れきろう)1933~

ぽかぽかとした陽気の春の公園で、子どもが紙風船を追いかけているのだろう。「春にて候」はまるで時代劇のセリフのようで、川柳ではめったにおめにかからない。「にて」は時候をあらためて指し、「候(そうろう)」は「ある」の丁寧語で、「春でございます」となる。

丁寧に設えた季節の景を一風変わった雰囲気にするのが「追いすがる」の動詞である。確かにそう見えなくもないが、その姿よりも精神の方に重心が移り、ただならぬ気配をまとう。言葉の使い方や選び方次第で様々な面を見せることができる。『花火』(1993年刊)所収。

2024年3月7日木曜日

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2024年3月6日水曜日

西鶴ざんまい #57 浅沼璞


西鶴ざんまい #57
 
浅沼璞
 
 
恋種や麦も朱雀の野は見よし 打越
 末摘花をうばふ無理酒   前句
和七賢仲間あそびの豊也   付句(通算39句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、裏三句目。雑。和七賢(わしちげん)=日本の七賢。「しちげん」と濁るのは『下学集』(一四四四年)による。中公版『定本西鶴全集8』「西鶴俗つれづれ」頭注に〈七賢は世を竹林にのがれて自適した支那晉代の七賢人。當時大阪に七賢人をまねた連中がゐたことは西鶴の「獨吟百韻自註」にもその記載がある〉と記されている。また遺稿集『西鶴名残の友』にも「和七賢の遊興」なる短編がある。

【句意】和製の七賢人による仲間内の(無理な)遊びは(一見)豊かなものである。

【付け・転じ】打越・前句=朱雀野を帰る遊客のクローズアップによる付け。前句・付句=「無理酒」から「無理」に賢人を真似た和製七賢人へと転じた。

【自註】唐土(もろこし)の*かたい親仁ども、竹林に酒を楽しみ、世を外(ほか)になして暮せしを、其心ざしには思ひもよらぬ年寄友達、無理に形を作りなし、世間の人むつかしがるやうにこしらへ、同じ心の友の寄り合うては酒家に詩をうたふ。脇から見た所はゆたかなりしが、其身(そのみ)に子細者(しさいもの)作りけるは、本心は取りうしなひける。
*かたい親仁(おやぢ)=表8句目自註に既出。そこでは「厳格な父親」の意。

【意訳】中国の厳格な親爺たちが竹林で酒を楽しみ、世の事を気にかけず暮していたのを、その離俗の志には思いも及ばぬ(日本の)年寄仲間、無理に世捨て人のなりを作り、世間の人の憚るように演じ、同じ志向の友が寄り合っては酒楼で詩を吟ずる。傍目には悠然と見えるけれど、わざと世捨て人を気取っているのだから、ご本家の本心は失っている。

【三工程】
(前句)末摘花をうばふ無理酒

  友寄りて無理に詩うたふ豊かさよ 〔見込〕
    ↓
  和七賢酒家に詩うたふ豊かさよ  〔趣向〕
    ↓
  和七賢仲間あそびの豊也     〔句作〕

「酒→作る詩」(類船集)の縁語から無理酒を飲んで詩を吟じていると取成し〔見込〕、どんな連中が詩を吟じあっているのかと問いながら、和七賢を連想し〔趣向〕、「作る詩」の抜けで句を仕立てた〔句作〕。


前回、打越・前句について、麦と末摘花(紅花)で同季の付け、と解説しましたが、編集の若之氏より、〈朱雀と紅花は色のつながりもあるのでしょうか〉との指摘がありましたが。

「そやな、かしこいな、朱と紅やからな」

同系色の色立(いろだて)ですね。

「色立? なんや聞かん言葉やけど、又のちの世の後付けやないか」

あ、そうでした。すみません。

2024年3月4日月曜日

●月曜日の一句〔中西亮太〕相子智恵



相子智恵






白魚の唇につかへて落ちにけり  中西亮太

句集『木賊抄』(2023.12 ふらんす堂)所収

白魚の刺身だろうか。〈つかへて落ちにけり〉というのは、誰かが食べているところを見て書いたように、つまりは視覚情報が優位に書かれている。そうでありながら〈唇につかへて〉であることで、自分が食べているような、触覚優位な句のようにも思われてくるのが不思議だ。体感を視覚化したような不思議な読後感なのである。

落ちたのは、口の中へ(本人でないと見えない:触覚)なのか、あるいは唇の外へ(他人でも見える:視覚)落ちたのか。そのあたりは想像に任されているが、口の中だとしたら、白魚は唇の一瞬のつかえを越え、口中へ入ってきて、喉を落ちてゆく……白魚にとっては滝のような深さの暗闇を落ちていく、そんな〈落ちにけり〉でもあるわけで、それも面白くて、触覚説を取りたくなる。

食べられている物を主体として、食べている人の体を背景のように描いているのも面白い。一瞬を描いたようでいて、よくよく立ち止まって見ると、重層的な視点の面白さがある一句だ。

 

2024年3月1日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



失った世界ガソリンスタンド忌  川合大祐

忌日季語というジャンル、というか一群の語彙が、俳句にはあって、12音かそこらのフレーズを案出して、忌日季語をくっつける、という、安易なのか、いやいや作者にとっては切実なのか、それは知りませんが、そういう作句の手順が、まあ、ある。そういう俳句がゴマンとある。だれそれの亡くなった日なのであるから当然、日にちが限定され、そこには季節があるので、季語ということになり、それにまた、365日、誰かが亡くなっているので、「毎日が忌日」というわけです。

ところが、亡くなったのが「だれそれ」ではなく、ガソリンスタンドとなると、話が違ってきます。

じっさい、ガソリンスタンドはどんどん減っていますが、まだ、絶滅はしていない。でも、そう遠くない未来、ガソリンスタンドはなくなるかもしれない。となると、掲句は、未来のことかもしれませんよ、みなさん。自動車業界のみなさん、だけでなく、人類のみなさん。

そのとき《失った世界》とは、なんだろう?

これについては、掲句が、作者が、提示してくれるわけではなくて、読者が考えるなり、考えないなり、するわけですが、ちなみに、とんでもないものに「忌」をあてる試みは、これがはじめではなく、俳句自動生成ロボット「忌日くん」がすでに長らく量産しています(≫10句作品はこちら)。

なお、掲句所収の川合大祐『リバー・ワールド』(2021年4月/書肆侃侃房)は、350頁を超える大部。掲載句の数も多い。幻惑や興奮も多い。謎もスペクタクルも多い。快楽指数のきわめて高い一冊。よくある「無人島に一冊持っていくなら?」の候補に確実に入るであろう一冊と断言しておきます。