2015年12月19日土曜日

【みみず・ぶっくす 51】これが聖夜というものか 小津夜景

【みみず・ぶっくす 51】
これが聖夜というものか

小津夜景



 戦時状況における言葉の力、あるいはその無力についてはさんざん語り尽されていて、よほど気の利く者でないかぎり新しいことは言えないし、そもそも新しかったらなんなのかといった問題もある。
 ラスキンの書いた通り、人間は言の真理と思想の力とを戦争において学んだ。戦争によって涵養し、平和によって浪費した。戦争によって教えられ、平和によって欺いた。戦争によって追い求め、平和によって裏切った。要するに戦争の中に生みおとし、平和の中に死なせてきたのである。
 戦争の気運が前景化する時というのは、言葉に期待される役割が決まってパフォーマンス=効率性へと一気に流れてゆく。この風向きをうまく回避しつつ言葉を使用するのは簡単ではない。ぱっと思いつく策は、ハイパーテキスト性を帯びるよう言葉を編むことくらいだ。人々がそこを任意に散策し、外部へのワープもできる非線形的文章は、イデオロギーの固縛と戦いうる者をきっと出現させるだろう。
 言葉が知であり、権力であるのは本当だ。とはいえこれは、言葉の本性の一部分を抑圧してこそ成り立つ真実でもある。元来、言葉はでたらめを好み、モノとの意味対応にこだわらない長い歴史をもつ。また文学はこれまで一度も言葉の本隊だった試しはなく、いつでも遊撃のための別働隊の地位にあった。この遊撃隊は、考えの赴くままに動くことによって意味の固定化を挫き、あなたに抜け穴をこっそり示したり、思いがけない場所であなた宛の手紙を拾わせたりする。
 以上、三木鶏郎の冗談音楽をバックに、戦争と言葉についての一分放送をお送りしました。提供は、未来のネーションを考える明るいナショナル、でした。なお、俳句は文学かといったご質問は現在受けつけておりません。聖夜のご愛聴、ありがとうございました。

戦争の匂い濃くなるクリスマス
流血のシマにむらがる愛ありき
死化粧してはネオンの海を舐め
もろびとのこぞりて仁に引き籠る
サイコロの七の目揃う自爆テロ
ドブ貝をひさぐ隣人保護区にて
アダムやでゆうて肋骨呉れる人
トナカイの翼よあれがドヤの灯だ
モナド越しイデア殺しの夜は更けぬ
口笛の止まぬカミカゼ稼業かな
兄弟よこれが聖夜というものか
言の葉に効く毒消しはいらんかね

1 件のコメント:

週刊俳句 さんのコメント...

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