2016年4月13日水曜日
●水曜日の一句〔野間幸恵〕関悦史
関悦史
昆虫の仕組み夜明けの音がする 野間幸恵
機械状の何ものかとして捉えられた昆虫の生命と「夜明けの音」との組み合わせから、読者としてはつい「夜明けに昆虫が動く音がし、それがあたかも夜明けそのものの音のようだ」という物語やイメージを形成してしまいそうになる。「夜明けの音」と「昆虫」という、単なる生命讃歌に終わりかねない組み合わせを「仕組み」が異化しているというわけである。
それはそれで斬新さやポエジーもあるというものであろうし、そういうイメージを含み込みつつ、言葉の組織の仕方としてはズレているから、この句はそうなり得ているのだとも言えるのだが、実際にはもう少し多義的な揺らぎがありそうだ。
「昆虫の仕組み」と「夜明けの音がする」の間にはいろいろな関係が考えられる。「昆虫の仕組み(は)夜明けの音がする」、「昆虫の仕組み(により)夜明けの音がする」、「昆虫の仕組み(について考えていると、それとはさしあたり関係なく)夜明けの音がする」等々。
それ以前に「夜明けの音」も正体不明であって、昆虫がその「仕組み」により立てている音でないならば、鳥の鳴き声や、新聞配達のバイクの走行音とも思われ、そうした「夜明け」を連想させる音の総体が「夜明けの音」と呼ばれているらしい(いや、そう考えるのも早計であって、この句の世界には夜が明けること自体が発する音というものがあるのかもしれない)。
そうしたものとしての「夜明けの音」が「昆虫の仕組み」の暗喩になっているとも考えられる。この場合、一旦機械化された「昆虫」が再び「夜明けの音」の爽快感に回収されることにより、自然とも人工ともつかない、その両者の風合いを同居させた、いわば詩的に進化した「夜明け」が訪れるわけである。
いや「昆虫の仕組み」も、昆虫の生命維持や動作の仕組みに限られるという保証はべつにないので、「夜明け」の取りようによっては、「昆虫」を発生させた進化論的な仕組みを指していると考える余地もあるのだが。
以上のようにくだくだしく分解して考えなくとも、この句はそれらの全て(及びそれら以外の取り方の可能性も)を含みつつ、全て同時に直観的に感じさせてしまう句である。そうした別次元に属する内容を一度に日常空間に引き入れてしまうさまを見せられる受容体験に、特に神秘性などを強調するわけでもない「夜明け」の語はふさわしい。
句集『WATER WAX』(2016.1 あざみエージェント)所収。
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